明日君を殺せるならば、ハッピーエンドで終われるのに

鴇田とき子

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episode.6 背信②

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 ──三十分前──

 構成員が出て行った部屋の中で、四つの息遣いだけが響いている。
 カルロは余裕そうな顔でカリーナの後ろに控えていた。特に緊張した様子のない立ち姿は、これがどういった意味を持つ会合か理解してないようにも見える。
 カリーナは指先を組んだまま、マリオが企んでいることを考え続けていた。
 この会合が理想通りの結末を迎えるため、できるだけの手は打っている。それでも狡猾なカモッラ相手に、微塵の油断も許されなかった。

「さてと、ようやく静かになったな」
「待たせて悪かったな。事前に人数を指定してくれればこんな面倒もかけなかったのだが」
「構いやしねえよ、俺だってついさっき思い立ったことだ」

 ヘラヘラと笑う顔は下品だった。カリーナは好きになれないタイプだが、品性のなかったマッテオとは気があったことだろう。そんなことを考えて嫌気がさす。

「俺がこんな田舎の島に来たのはな、バンビーナに頼みたいことがあったからだ」
「謝りたいことの間違いじゃないのか」
「謝りたいことだあ? 俺にはそんな覚えはないがな」

 どこまでもしらを切るつもりらしいマリオへ、ニコリと笑いかけた。
 表面こそ見れば、天使すら甘い溜め息をつくような美しい笑顔である。だがその奥から滲み出す殺気は、死神を彷彿とさせる威圧感に満ちていた。

「馬鹿言うんじゃないぞド三流。ひと様のシマ荒らしといて下手な言い逃れしようってのか」
「覚えがねえもんはしょうがないだろう。それともなにか、俺らがなにかしたって証拠でもあんのかい」

 ふてぶてしく鼻を鳴らすマリオに怒りばかりがわく。だがここで感情的になっても意味がない。小さく息を吸い込むと、内ポケットから数枚の写真を取り出し、マリオの前へと滑らせた。

「私の要求はただひとつ、今すぐこの女達を返せ。彼女達はステラルクスの住人だ」
「誰だ、そいつら」
「まだとぼける気か、お前のところで売っている女だよ」
「まさかうちの商品がてめえのとこの元住人ってだけで因縁つける気か。野蛮だねえ、テレジオファミリーってのは」
「お前らの船が頻繁にステラルクス近辺で目撃されていた情報がある。金で雇われたというチンピラもすでに捕まえて、お前との繋がりを吐いた。チンピラに女を拐わせ、小舟に乗せた後沖合で回収していたんだろう」

 チンピラがどうのというのはハッタリだが、全てが全て嘘というわけではない。
 元々ナイフ使いを島で見たという情報が島民から集まっており、カモッラが島にいることを疑っていた。そんなときに準構成員アソシエーテという、一般市民に紛れた協力者から事件の首謀者についての情報がもたらされたのだ。
 とは言えその協力者は現在身動き出来ない状況にいる。証拠もまだ手元に届いていなかったが、マリオの反応を見る限り情報は正しかったようだ。

「女達は必ず返してもらうぞ。テレジオファミリーの縄張りを荒らした報復も覚悟しておけ」
「そうかい。それじゃあ次は俺の話をしてもいいかな」

 マリオは呑気に言うと、懐に手を伸ばす。黒光りする拳銃が握られていることに気づき、咄嗟に立ち上がった。だがマリオが躊躇いなく放った弾丸は、窓際にいた幽霊男の側頭部を撃ち抜く。
 男は短く悲鳴をあげ、簡単にこと切れてしまった。絶望に満ちた眼が限界まで開かれ、恨みがましく虚空を見つめている。
 その様子に一瞬だけ歯噛みした。
 あの男はカリーナが送り込んだテレジオファミリーの構成員だったのだ。この場にいることから覚悟していたが、マリオに勘づかれていたのか。

「……どういうことだ」

 カリーナは己の拳銃を取り出し、銃口をマリオに向けながら囁く。
 本来ならばカルロもカリーナの行動にならうはずだった。だがあろうことか、カルロが握る拳銃は、カリーナの後頭部へと押しつけられる。

「こんな状況なんだ、いちいち言わなくたってわかるだろう」

 それはカルロの言葉だった。感情のこもらない声に歯噛みする。ただ一人楽しげなマリオにイラついた。

「……なにを考えてる、カルロ。お前も、マッテオと同じ下品な金の亡者だったのか」
「違うよ。俺は全部をもとに戻したいんだ」
「戻す?」
「高潔で冷酷無情な女王様を取り戻したいんだよ。だからこれはお願いだ」

 撃鉄があげられる音がする。
 初めて聞くような冷たい声が、カリーナの耳朶じだを優しく撫でた。

「ロレンツォを殺してくれ、ファミリーのために」
「……お前のために、じゃなくてか」

 この問いにカルロが笑った。
 緊張を悟らせないよう平静を装うが、背中を汗が流れ落ちる。今のカルロには、──カリーナの幼馴染みであり、兄のような存在であり、頼りになるアンダーボスの彼には──、本気で引き金を引きかねん迫力があった。

「俺のために、なんてお願いしたら、カリーナは絶対に聞いてくれないでしょう」
「わかってるじゃないか、クソ野郎」
「カリーナが頷いてくれるなら、殺人犯として警察に突き出すだけで許してあげる。テレジオファミリーのカポともなれば終身刑は免れないだろうけど、死刑だけは阻止するよ。でももし断るなら、カリーナのことを殺さなきゃいけなくなる」
「俺としては邪魔なバンビーナはさっさと殺しちまいたいんだが、坊ちゃんがどうしてもって聞かなくてな。愛されてるな、お嬢ちゃん」
「黙れ、ゲス。空気が汚れる」

 話に割り込んできたマリオへ露骨な嫌悪を示す。その言葉にマリオが不愉快げな顔をした。
 「もういいだろ、マルディーニ」とマリオ。「バンビーナは殺せ」
 拒絶など許さないという声色は、さすがに犯罪組織のボスだけある。下卑た風貌の中に、確かな威圧感があった。
 カルロが残念そうに首を振る。カリーナは小さく息を吐き出した。

さようならアッリヴェデールチ、カリーナ」

 瞬間、つんざく数発の発砲音が響く。
 鼓膜が破れることはないが、衝撃で耳の奥がキーンと痛んだ。たまらずに立ちくらみを起こしながらも、視線を前に向ける。テーブルの先では、太った肉ダルマが天を見上げていた。

「カルロ……」

 短く言えば、拳銃の底で後頭部を強く叩かれる。脳が揺れる感覚に吐き気がした。それすら飲み込むように意識が遠のいていく。
 倒れふす寸前で、優しく腰を抱かれた。まるで姫君にするような丁寧さで、テーブルに頭を預けられる。
 次にカリーナが目を覚ました時、アルコール臭い警察病院のベッドにいた。厳重な警備が施された室内に、ここでもVIP対応かと自嘲する。
 鎮痛剤が切れているのか、痛む頭に呻けば、たまたまそこにいた看護師が慌てたように声をかけてきた。
 そんなことには目もくれず、悔しさのまま枕をひっつかみ、壁に向けて投げる。カリーナの心中で渦巻いていた怒りは、いちいち述べる必要もないだろう。
 彼女は怒っていたのだ、誰よりも。
 自分の身を軽んじられたことも、テレジオファミリーを侮辱されたことも、ステラルクスの島民を恐れさせたことも、怒ることに値した。
 ヘラヘラと笑うムカつく男を脳裏に浮かべながら、私を裏切ったことを後悔させてやると誓う。
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