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episode.5 事件①
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ロレンツォが運転する車の後部座席では、カリーナとカルロが並んでいた。彼らはロレンツォを幽霊のように扱い、会合のあったホテルを出てすぐから仕事の話を続けている。
「本土での麻薬の収益が減っている。現行の密輸船の数を減らし、ベルナルドに新しいルートを開拓させろ。候補はいくつか考えている。それから新規事業として本土での取引を始める。サルトーリを代理に立て、」
早口でまくしたてるカリーナの言葉を、カルロは何度も頷きながらメモしていく。時おり短く意見するカルロに、カリーナも数秒考え込み、その案でいこうと頷いた。
カリーナがカポになって以降、テレジオファミリーは真っ当な事業にも乗り出していた。それは本土でマフィア同士の抗争が激化していることや、警察の取締が厳しくなっているせいだ。
一九三十年代以降、新興マフィアが連続して現れ、これまでの封土的なマフィアの姿は消えつつあった。そしてカモッラやコーサ・ノストラとの繋がりを深めた新興マフィアが増えたことで、マフィアは世界規模の企業家──これまで忌避されていた麻薬、売春を行い、当時盛況であった建築業にも乗り出したのだ──へと変わりつつある。
また昨年の一九八二年、シチリア島でマフィアによる司法関係者の暗殺が連続して起きた。これをカリーナはことさら重く受け止めているようだった。
時流を読んだ彼女は、テレジオファミリーが今の形を維持する限り、組織の命が長くないと考えた。それでも彼女は、テレジオファミリーを延命させようと躍起になっているのだ。
しばらくすると車が屋敷に着く。急いで車をおり、後部座席の扉を開く。カリーナは一つ溜め息をこぼすと、持っていた書類をカルロに放り投げた。
「商売の話はこれくらいか。後はスタンフォードへの対処だな」
「スタンフォードは今まで俺達の友人だったし、あくどい証拠はたくさんあるよ。ただ俺達のメンツや後処理も考えると、出来るだけファミリーとは関係ない証拠で追い詰めたいな」
「スタンフォードの後ろについてる下院議員も質が悪いか……あいつが議員との良い橋渡しになるかと思っていたが、今じゃ下手につついて刺激しかねないな」
「もうちゃちゃっと殺しちゃえば? 放っておくとこの島でも【道徳的浄化】をやられかねないよ」
「それはお断りだが、殺しは最後の手段だ。名誉あるテレジオファミリーの名を、そこらの浅ましい新興マフィア達と同じレベルまで落とす気はないからな」
屋敷に戻る彼らの後をついて行きながら、ロレンツォも先日会ったばかりのスタンフォードを思い出していた。
スタンフォードがマフィア排斥をうたい、犯罪の取締り強化に努めている時点で、彼らの対立は市民の知るところとなっていた。だが長いことステラルクスの支配者はテレジオファミリーであり、カリーナはこの島の絶対的な女王様なのだ。そんな彼女に真っ向から歯向かう馬鹿がいるわけがないと思っていた人々は、もしやこの対立はカリーナの考えたパフォーマンスで、何か思惑があるのではないかと疑っていた。
だが先日のパーティーでそれぞれの対立が明らかとなり、情勢は一気に変わり始めていた。僅かにスタンフォード側に残っていた支持者も、火の粉から逃れるように見限り始めている。もはやいつ敗走の準備をしてもおかしくない彼を、カリーナはとことん追い詰める気であった。
簡単に殺してやらないのは、カリーナが言うところの慈悲らしい。
代わりにスタンフォードがこれまで行ってきた悪事──マフィアを使った不正選挙の証拠や、裏金などの表に出せない取り引き──を露見させることで、司法に裁かせることを目的としていた。
マフィアが司法の手を借りようとしていると気づいたときには、あまりにも滑稽な話に笑いそうになったものだ。
とにかく、スタンフォードは怒らせてはいけない女を怒らせたことで、危機に瀕している。だがロレンツォにはどうしても釈然としないものがあった。
それはカリーナも同じなのだろう。親指の爪を噛みながら、忌々しそうに顔を歪めている。
これまでの行いの中で、スタンフォードの真意が一向に読めないのだ。テレジオファミリーを裏切ったことも、パーティーへわざわざ顔を出したことも、何の目的があったことか分からない。実際パーティーでの一件のせいで、数少ない味方もいなくなったのだ。あの行動の果てにどんな利益があったというのか。
話し込む二人の後を追い、カリーナの執務室へと向かう。特段なにか言われない限り、執務室で書類整理の補佐を行うこともロレンツォの仕事だった。
だが階段をのぼり終え、長い廊下に足を踏み込んだとき、突如「カリーナ!」と一行を呼び止める叫び声がした。
声は階下から聞こえたものだ。視線を向ければ、青ざめたベルナルドが駆け上ってくるところだった。息を切らした彼は、掴みかからん勢いでカリーナに詰め寄る。
「また例の行方意不明事件で被害者が出た! それも今度はレグッツォーニの娘まで拐われやがったんだ!」
「なんだと……!」
その瞬間、カリーナやカルロにも緊張が走る。
レグッツォーニとは以前、一度だけこの屋敷で会ったことがある。警察署長でありながらカリーナの手駒として成り下がっている彼は、終始不安げな目を揺れ動かしていた印象しかない。
カリーナは苛立たしそうに奥歯を噛むと、カルロに向かって咆哮する。
「今の状況で警察を敵に回すわけにはいかん! 今すぐレグッツォーニのところへ行くぞ! 顧問にはもしもの時に備えて用意をさせておけ!」
「ロレンツォ、すぐに車を表に回しておいで! ベルナルドは警察署に連絡を!」
「下手に警察の上層部に圧力をかけると、うちの関与を疑われかねない! できるだけ穏便に済ませろよ! それから島を出入港した船の記録も調べさせろ! 動かせる構成員はすぐに動かせ、今すぐだ!」
二人の指示に慌ただしく動き始める。
ロレンツォにもこれが非常事態であることはわかった。
元々レグッツォーニは、一連の行方意不明事件にテレジオファミリーの関与を疑っていたのだ。それをカリーナへの恐怖から見ぬフリをしていたのに、自分の娘が拐われたとなればどんな行動をとるかわからない。
ただでさえ知事との亀裂が走っているときに、警察との繋がりまで失うわけにはいかなかった。
警察署長であるレグッツォーニは誰よりも裏切り者に加えられる制裁を知っているだろうが、娘が関わっているとなれば安心できない。娘のためと思い込んだ彼によって、テレジオファミリーが行方意不明事件の犯人などという濡れ衣を押しつけられる可能性も十分にあった。
急いでラクリマの警察署へと向かえば、そこは屋敷よりも騒然としていた。あちこちで怒声が飛び交う中、カリーナとカルロは警察署長のもとへと向かっていく。一応部外者であるロレンツォは、部屋の外で待つこととなった。
慌ただしい署内で、手持ち無沙汰に立ちすくむことに居心地の悪さを感じる。煙草をふかしながら十分近く待った時、ふとこれまでとは違うざわつきが起きたことに気づいた。
どうしたのかと廊下の先に視線を向け、すぐさま理由に気づく。ブリティッシュスタイルのスーツが嫌味なその男──スタンフォードは、ロレンツォと目が合うと蛇のごとく瞳を細めた。
「おや、これはこれは……もしかして私が来るのを待っていてくれたのか?」
「……てめえがなんでここにいる、スタンフォード」
「わかりきったことを聞くな。また行方意不明事件が起きたとなれば、知事の私もただ黙っているわけにはいかないだろう」
「お偉いことだが、それならまた出直してきな。レグッツォーニは女王様と会談中だ」
燃え尽きかけている煙草を指先で放り投げる。スタンフォードは足元に落ちた煙草を踏みつけると、面倒くさそうに頭をふった。
「少し遅かったようだな。ではバンビーナが帰るまで、君に付き合ってもらうとするかな」
「ああ?」
「どうせ暇なんだろう。よければ私にも一本くれないかな」
スタンフォードは言うと、扉を挟みロレンツォの横へと並ぶ。
壁に背を預けた彼は、ニッコリと笑いながら左手を差し出してきた。そのふてぶてしい仕草に呆れながらも、自分とスタンフォードの煙草を引き抜く。
「こいつを吸ってる間だけ付き合ってやる。カリーナに見つかる前に消えろよ」
「優しいな、君は」
「そらどうも」
適当に返事をし、煙草に火をつける。ライターも投げて渡せば、スタンフォードも同じ仕草を繰り返した。
この奇妙な組み合わせを、すれ違う警察官達はおかしそうな目で見てくる。中にはいつカリーナが出てくるかと、ヒヤヒヤした顔で扉を見つめる者もいた。彼らの険悪な関係はこんな場所にも伝わり、警察にすら気を使わせているのだ。
「カリーナ嬢がカポになってステラルクスも落ち着いてきたかと思ったが、やはりダメだな。先代が愚かすぎた。今回の事件だって、カリーナ嬢が先代のツケを払わされてるようなものだ」
急な言葉につられ視線を向ける。気だるげに煙草をふかすスタンフォードは、どこか遠くを見つめていた。
いったいどうしたのかと言葉をはさめないでいれば、返事など期待していなかったのか、疲れたように笑みをこぼされる。
「私も五十を過ぎたが、子供の頃のステラルクスは豊かだったよ。あの頃のテレジオファミリーは島民の誇りだった。子供達はこぞって名誉ある男となって、島を守りたいと思ったものだ」
「……犯罪組織に向かってずいぶんな評価だな」
「君は二十六だったな。君が生まれた頃には先代がカポとなって久しかったし、そう思っても仕方がないだろう。あの男がカポとなって、テレジオファミリーは変わったんだ」
悲しそうに目を伏せるスタンフォードは、本心から語っているのだろう。
この男はステラルクスを、テレジオファミリーを愛していたのだ。その愛を裏切られた悲しみが言葉の端から溢れ出していた。
「先代のマッテオはカポの器じゃなかった。島の守護者であるべきテレジオファミリーを変えてしまったんだ」
「……」
「マッテオは目先の欲しか考えていない男でな。至る所にドラッグをばら撒き、貧しい島民からも金をまきあげたり窃盗を繰り返させては、テレジオファミリーの誇りに傷をつけた。それまでも貧富の差はあったが、スラム街が増え、君のような子供が出てきたのはマッテオのせいだ。金の流れは循環している。根っこが腐ればいつか花も萎れ、社会が荒み、島が滅びることすらあの男は理解していなかったんだ」
スタンフォードが何を言っているかわからなかった。どうしてこんな話を始めたのかも理解できない。
ただ彼からはロレンツォと同じような──テレジオファミリーを憎らしく思う気持ちが通じてきた。違うのは、スタンフォードが憎く思っているのはカリーナではないことだ。そうしてその憎しみは、自分が憧れたものが変わってしまったことに対するものだった。
「いくらカリーナ嬢が足掻こうと、テレジオファミリーはもうダメだ。これからステラルクスの守護者は別の存在に変わらなければいけない」
「……それがお前で、だからカリーナを裏切ったってことか」
「君も私の仲間につくなら今のうちだぞ」
喉で笑うスタンフォードに苦いものを感じる。
ロレンツォの持つ煙草から、ひとつ灰が落ちた。気がつけばずいぶんと葉先が短くなっている。時間だなと携帯灰皿に煙草を押しつければ、スタンフォードも床に煙草を捨てた所だった。
「さて、私はもう帰るかな。レグッツォーニ署長へのプレゼントも渡したことだし」
「じゃあなんでここにいたんだよ」
「君に忠告をする為だ。君はくれぐれもアルベルトと同じ道を進むなよ。売人がドラッグに溺れるなんてありがちだが笑えない話だ」
「……ああ? なんの話しだ、そりゃあ」
「詳しく聞きたければまた会いにおいで。君が味方になってくれるならいつでも話すさ。ただカリーナ嬢に見切りをつけるなら早めにな。あの泥舟はいつ沈むかわからんぞ」
手を振って遠ざかる背中に、それ以上なにも言えなかった。運悪く部屋の扉が開かれたせいだ。
目の前に現れたカルロは、呆然とするロレンツォに気づくと怪訝な顔をする。彼の後ろにいたカリーナも、「どうしたんだ」と首をひねった。
だがカラカラに乾いた喉では、曖昧な返事しか絞り出せない。
スタンフォードは最後、なんと言った。
アルベルトと同じ道に進むなと言って、それから売人がドラッグに溺れるなんてと続けた。それはいったい、誰の話をしていたんだ。
いや、わからないわけがない。アルベルトが売人だったことは、カルロもスタンフォードも口を揃えて証言している。
だが、でも、あの兄が、クズな父親と同じように、ドラッグへ依存していたなんて言うのか?
「……カポ、聞きたいことがあります」
カリーナの後ろには青ざめたレグッツォーニがいる。また行方意不明事件が起き、大勢の女達が拐われたのだ。その中に自分の娘までいることに気が気ではないのだろう。
今この話をするべきではないことはわかっている。カリーナも不機嫌に眉をひそめ、小言をつのろうとしていた。だが一刻も早く、ロレンツォがまともでいるために、この予想を笑って否定して欲しかったのだ。
「兄貴は、アルベルトは、何度も商売道具に手をつけてたんですか。スタンフォードに情報を売ったのも、十キロの麻薬を盗んだのも、全部俺のためなんかじゃない。薬を買う金を作るために、カポを裏切ったんですか」
何度もつっかえながら、ようやく言い終える。その言葉にカリーナとカルロは、揃って面食らっていた。カルロはひたすら憐れむ目をしている。
カリーナが言う。誰に聞かされた、と。
それだけだった。それ以上なにも言わなかった。つまりはそれが答えだった。
どうしてかこんなときに思い出すのが、子供の頃に兄が買ってくれたおもちゃのことだ。安いプラスチックの銃は、本当に銃の形をとっているだけで、ゴム製の弾も水も出てこない。
それでも数少ないおもちゃが増えたことが嬉しくて、兄が自分のためを思って買ってくれたことが嬉しくて、無邪気にヒーローごっこに使って遊んだのだ。
年の離れた兄は、唯一の家族だった。ロレンツォを守ってくれる、唯一のヒーローだった。
アルベルトの部屋に隠されていたあの大金だって、いつかロレンツォと島を出るために貯めていたのだと信じていた。ずっとずっと、自分のことを大切にしてくれているのだと思っていた。
でも、違ったのだ。
兄は自分自身の為に、自分が薬で現実逃避するために、この女を裏切った。そのせいでロレンツォの目の前から消えたのだ。
「……帰るぞ、ロレンツォ」
憐れむ表情で肩を叩かれる。
そのときのカリーナは愚かにも気づかなかった。ロレンツォの顔が歓喜で歪んでいることに。
ロレンツォが運転する車の後部座席では、カリーナとカルロが並んでいた。彼らはロレンツォを幽霊のように扱い、会合のあったホテルを出てすぐから仕事の話を続けている。
「本土での麻薬の収益が減っている。現行の密輸船の数を減らし、ベルナルドに新しいルートを開拓させろ。候補はいくつか考えている。それから新規事業として本土での取引を始める。サルトーリを代理に立て、」
早口でまくしたてるカリーナの言葉を、カルロは何度も頷きながらメモしていく。時おり短く意見するカルロに、カリーナも数秒考え込み、その案でいこうと頷いた。
カリーナがカポになって以降、テレジオファミリーは真っ当な事業にも乗り出していた。それは本土でマフィア同士の抗争が激化していることや、警察の取締が厳しくなっているせいだ。
一九三十年代以降、新興マフィアが連続して現れ、これまでの封土的なマフィアの姿は消えつつあった。そしてカモッラやコーサ・ノストラとの繋がりを深めた新興マフィアが増えたことで、マフィアは世界規模の企業家──これまで忌避されていた麻薬、売春を行い、当時盛況であった建築業にも乗り出したのだ──へと変わりつつある。
また昨年の一九八二年、シチリア島でマフィアによる司法関係者の暗殺が連続して起きた。これをカリーナはことさら重く受け止めているようだった。
時流を読んだ彼女は、テレジオファミリーが今の形を維持する限り、組織の命が長くないと考えた。それでも彼女は、テレジオファミリーを延命させようと躍起になっているのだ。
しばらくすると車が屋敷に着く。急いで車をおり、後部座席の扉を開く。カリーナは一つ溜め息をこぼすと、持っていた書類をカルロに放り投げた。
「商売の話はこれくらいか。後はスタンフォードへの対処だな」
「スタンフォードは今まで俺達の友人だったし、あくどい証拠はたくさんあるよ。ただ俺達のメンツや後処理も考えると、出来るだけファミリーとは関係ない証拠で追い詰めたいな」
「スタンフォードの後ろについてる下院議員も質が悪いか……あいつが議員との良い橋渡しになるかと思っていたが、今じゃ下手につついて刺激しかねないな」
「もうちゃちゃっと殺しちゃえば? 放っておくとこの島でも【道徳的浄化】をやられかねないよ」
「それはお断りだが、殺しは最後の手段だ。名誉あるテレジオファミリーの名を、そこらの浅ましい新興マフィア達と同じレベルまで落とす気はないからな」
屋敷に戻る彼らの後をついて行きながら、ロレンツォも先日会ったばかりのスタンフォードを思い出していた。
スタンフォードがマフィア排斥をうたい、犯罪の取締り強化に努めている時点で、彼らの対立は市民の知るところとなっていた。だが長いことステラルクスの支配者はテレジオファミリーであり、カリーナはこの島の絶対的な女王様なのだ。そんな彼女に真っ向から歯向かう馬鹿がいるわけがないと思っていた人々は、もしやこの対立はカリーナの考えたパフォーマンスで、何か思惑があるのではないかと疑っていた。
だが先日のパーティーでそれぞれの対立が明らかとなり、情勢は一気に変わり始めていた。僅かにスタンフォード側に残っていた支持者も、火の粉から逃れるように見限り始めている。もはやいつ敗走の準備をしてもおかしくない彼を、カリーナはとことん追い詰める気であった。
簡単に殺してやらないのは、カリーナが言うところの慈悲らしい。
代わりにスタンフォードがこれまで行ってきた悪事──マフィアを使った不正選挙の証拠や、裏金などの表に出せない取り引き──を露見させることで、司法に裁かせることを目的としていた。
マフィアが司法の手を借りようとしていると気づいたときには、あまりにも滑稽な話に笑いそうになったものだ。
とにかく、スタンフォードは怒らせてはいけない女を怒らせたことで、危機に瀕している。だがロレンツォにはどうしても釈然としないものがあった。
それはカリーナも同じなのだろう。親指の爪を噛みながら、忌々しそうに顔を歪めている。
これまでの行いの中で、スタンフォードの真意が一向に読めないのだ。テレジオファミリーを裏切ったことも、パーティーへわざわざ顔を出したことも、何の目的があったことか分からない。実際パーティーでの一件のせいで、数少ない味方もいなくなったのだ。あの行動の果てにどんな利益があったというのか。
話し込む二人の後を追い、カリーナの執務室へと向かう。特段なにか言われない限り、執務室で書類整理の補佐を行うこともロレンツォの仕事だった。
だが階段をのぼり終え、長い廊下に足を踏み込んだとき、突如「カリーナ!」と一行を呼び止める叫び声がした。
声は階下から聞こえたものだ。視線を向ければ、青ざめたベルナルドが駆け上ってくるところだった。息を切らした彼は、掴みかからん勢いでカリーナに詰め寄る。
「また例の行方意不明事件で被害者が出た! それも今度はレグッツォーニの娘まで拐われやがったんだ!」
「なんだと……!」
その瞬間、カリーナやカルロにも緊張が走る。
レグッツォーニとは以前、一度だけこの屋敷で会ったことがある。警察署長でありながらカリーナの手駒として成り下がっている彼は、終始不安げな目を揺れ動かしていた印象しかない。
カリーナは苛立たしそうに奥歯を噛むと、カルロに向かって咆哮する。
「今の状況で警察を敵に回すわけにはいかん! 今すぐレグッツォーニのところへ行くぞ! 顧問にはもしもの時に備えて用意をさせておけ!」
「ロレンツォ、すぐに車を表に回しておいで! ベルナルドは警察署に連絡を!」
「下手に警察の上層部に圧力をかけると、うちの関与を疑われかねない! できるだけ穏便に済ませろよ! それから島を出入港した船の記録も調べさせろ! 動かせる構成員はすぐに動かせ、今すぐだ!」
二人の指示に慌ただしく動き始める。
ロレンツォにもこれが非常事態であることはわかった。
元々レグッツォーニは、一連の行方意不明事件にテレジオファミリーの関与を疑っていたのだ。それをカリーナへの恐怖から見ぬフリをしていたのに、自分の娘が拐われたとなればどんな行動をとるかわからない。
ただでさえ知事との亀裂が走っているときに、警察との繋がりまで失うわけにはいかなかった。
警察署長であるレグッツォーニは誰よりも裏切り者に加えられる制裁を知っているだろうが、娘が関わっているとなれば安心できない。娘のためと思い込んだ彼によって、テレジオファミリーが行方意不明事件の犯人などという濡れ衣を押しつけられる可能性も十分にあった。
急いでラクリマの警察署へと向かえば、そこは屋敷よりも騒然としていた。あちこちで怒声が飛び交う中、カリーナとカルロは警察署長のもとへと向かっていく。一応部外者であるロレンツォは、部屋の外で待つこととなった。
慌ただしい署内で、手持ち無沙汰に立ちすくむことに居心地の悪さを感じる。煙草をふかしながら十分近く待った時、ふとこれまでとは違うざわつきが起きたことに気づいた。
どうしたのかと廊下の先に視線を向け、すぐさま理由に気づく。ブリティッシュスタイルのスーツが嫌味なその男──スタンフォードは、ロレンツォと目が合うと蛇のごとく瞳を細めた。
「おや、これはこれは……もしかして私が来るのを待っていてくれたのか?」
「……てめえがなんでここにいる、スタンフォード」
「わかりきったことを聞くな。また行方意不明事件が起きたとなれば、知事の私もただ黙っているわけにはいかないだろう」
「お偉いことだが、それならまた出直してきな。レグッツォーニは女王様と会談中だ」
燃え尽きかけている煙草を指先で放り投げる。スタンフォードは足元に落ちた煙草を踏みつけると、面倒くさそうに頭をふった。
「少し遅かったようだな。ではバンビーナが帰るまで、君に付き合ってもらうとするかな」
「ああ?」
「どうせ暇なんだろう。よければ私にも一本くれないかな」
スタンフォードは言うと、扉を挟みロレンツォの横へと並ぶ。
壁に背を預けた彼は、ニッコリと笑いながら左手を差し出してきた。そのふてぶてしい仕草に呆れながらも、自分とスタンフォードの煙草を引き抜く。
「こいつを吸ってる間だけ付き合ってやる。カリーナに見つかる前に消えろよ」
「優しいな、君は」
「そらどうも」
適当に返事をし、煙草に火をつける。ライターも投げて渡せば、スタンフォードも同じ仕草を繰り返した。
この奇妙な組み合わせを、すれ違う警察官達はおかしそうな目で見てくる。中にはいつカリーナが出てくるかと、ヒヤヒヤした顔で扉を見つめる者もいた。彼らの険悪な関係はこんな場所にも伝わり、警察にすら気を使わせているのだ。
「カリーナ嬢がカポになってステラルクスも落ち着いてきたかと思ったが、やはりダメだな。先代が愚かすぎた。今回の事件だって、カリーナ嬢が先代のツケを払わされてるようなものだ」
急な言葉につられ視線を向ける。気だるげに煙草をふかすスタンフォードは、どこか遠くを見つめていた。
いったいどうしたのかと言葉をはさめないでいれば、返事など期待していなかったのか、疲れたように笑みをこぼされる。
「私も五十を過ぎたが、子供の頃のステラルクスは豊かだったよ。あの頃のテレジオファミリーは島民の誇りだった。子供達はこぞって名誉ある男となって、島を守りたいと思ったものだ」
「……犯罪組織に向かってずいぶんな評価だな」
「君は二十六だったな。君が生まれた頃には先代がカポとなって久しかったし、そう思っても仕方がないだろう。あの男がカポとなって、テレジオファミリーは変わったんだ」
悲しそうに目を伏せるスタンフォードは、本心から語っているのだろう。
この男はステラルクスを、テレジオファミリーを愛していたのだ。その愛を裏切られた悲しみが言葉の端から溢れ出していた。
「先代のマッテオはカポの器じゃなかった。島の守護者であるべきテレジオファミリーを変えてしまったんだ」
「……」
「マッテオは目先の欲しか考えていない男でな。至る所にドラッグをばら撒き、貧しい島民からも金をまきあげたり窃盗を繰り返させては、テレジオファミリーの誇りに傷をつけた。それまでも貧富の差はあったが、スラム街が増え、君のような子供が出てきたのはマッテオのせいだ。金の流れは循環している。根っこが腐ればいつか花も萎れ、社会が荒み、島が滅びることすらあの男は理解していなかったんだ」
スタンフォードが何を言っているかわからなかった。どうしてこんな話を始めたのかも理解できない。
ただ彼からはロレンツォと同じような──テレジオファミリーを憎らしく思う気持ちが通じてきた。違うのは、スタンフォードが憎く思っているのはカリーナではないことだ。そうしてその憎しみは、自分が憧れたものが変わってしまったことに対するものだった。
「いくらカリーナ嬢が足掻こうと、テレジオファミリーはもうダメだ。これからステラルクスの守護者は別の存在に変わらなければいけない」
「……それがお前で、だからカリーナを裏切ったってことか」
「君も私の仲間につくなら今のうちだぞ」
喉で笑うスタンフォードに苦いものを感じる。
ロレンツォの持つ煙草から、ひとつ灰が落ちた。気がつけばずいぶんと葉先が短くなっている。時間だなと携帯灰皿に煙草を押しつければ、スタンフォードも床に煙草を捨てた所だった。
「さて、私はもう帰るかな。レグッツォーニ署長へのプレゼントも渡したことだし」
「じゃあなんでここにいたんだよ」
「君に忠告をする為だ。君はくれぐれもアルベルトと同じ道を進むなよ。売人がドラッグに溺れるなんてありがちだが笑えない話だ」
「……ああ? なんの話しだ、そりゃあ」
「詳しく聞きたければまた会いにおいで。君が味方になってくれるならいつでも話すさ。ただカリーナ嬢に見切りをつけるなら早めにな。あの泥舟はいつ沈むかわからんぞ」
手を振って遠ざかる背中に、それ以上なにも言えなかった。運悪く部屋の扉が開かれたせいだ。
目の前に現れたカルロは、呆然とするロレンツォに気づくと怪訝な顔をする。彼の後ろにいたカリーナも、「どうしたんだ」と首をひねった。
だがカラカラに乾いた喉では、曖昧な返事しか絞り出せない。
スタンフォードは最後、なんと言った。
アルベルトと同じ道に進むなと言って、それから売人がドラッグに溺れるなんてと続けた。それはいったい、誰の話をしていたんだ。
いや、わからないわけがない。アルベルトが売人だったことは、カルロもスタンフォードも口を揃えて証言している。
だが、でも、あの兄が、クズな父親と同じように、ドラッグへ依存していたなんて言うのか?
「……カポ、聞きたいことがあります」
カリーナの後ろには青ざめたレグッツォーニがいる。また行方意不明事件が起き、大勢の女達が拐われたのだ。その中に自分の娘までいることに気が気ではないのだろう。
今この話をするべきではないことはわかっている。カリーナも不機嫌に眉をひそめ、小言をつのろうとしていた。だが一刻も早く、ロレンツォがまともでいるために、この予想を笑って否定して欲しかったのだ。
「兄貴は、アルベルトは、何度も商売道具に手をつけてたんですか。スタンフォードに情報を売ったのも、十キロの麻薬を盗んだのも、全部俺のためなんかじゃない。薬を買う金を作るために、カポを裏切ったんですか」
何度もつっかえながら、ようやく言い終える。その言葉にカリーナとカルロは、揃って面食らっていた。カルロはひたすら憐れむ目をしている。
カリーナが言う。誰に聞かされた、と。
それだけだった。それ以上なにも言わなかった。つまりはそれが答えだった。
どうしてかこんなときに思い出すのが、子供の頃に兄が買ってくれたおもちゃのことだ。安いプラスチックの銃は、本当に銃の形をとっているだけで、ゴム製の弾も水も出てこない。
それでも数少ないおもちゃが増えたことが嬉しくて、兄が自分のためを思って買ってくれたことが嬉しくて、無邪気にヒーローごっこに使って遊んだのだ。
年の離れた兄は、唯一の家族だった。ロレンツォを守ってくれる、唯一のヒーローだった。
アルベルトの部屋に隠されていたあの大金だって、いつかロレンツォと島を出るために貯めていたのだと信じていた。ずっとずっと、自分のことを大切にしてくれているのだと思っていた。
でも、違ったのだ。
兄は自分自身の為に、自分が薬で現実逃避するために、この女を裏切った。そのせいでロレンツォの目の前から消えたのだ。
「……帰るぞ、ロレンツォ」
憐れむ表情で肩を叩かれる。
そのときのカリーナは愚かにも気づかなかった。ロレンツォの顔が歓喜で歪んでいることに。
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