かき氷にゃんこ

福猫

文字の大きさ
上 下
2 / 6

第2話

しおりを挟む
「なんだと、兄が鄧禹に殺された!」
 李宝には弟がいた。史書に名前が残っていない以上、それほどの男ではなかったかもしれないが、弟として兄を殺されて憤怒するのは当然であろう。
 彼は鄧禹との対面に臨場せず、兄の部隊を預かって待機していた。そこにこの凶報である。弟は呆然とした直後、決然として鄧禹への復讐を誓うと、部隊の兵へその意思を説き、彼らを味方につけることに成功した。もともと弟自身がこの部隊の副将であったし、兵も李宝の子飼いである以上、これは難しいことではなかった。


 だが復讐自体は困難を極める。鄧禹の本陣は当然のことながら兵は多く、また今そこには劉嘉がいて、彼の兵も近くに駐屯していた。
 李宝同様、弟にとっても劉嘉は主君だが、彼が兄の謀殺を受け容れたのであれば、鄧禹共々討つのにためらいはない。しかし鄧禹兵だけでも困難であるのに、劉嘉兵まで斬り破って彼らを討ち取るのは不可能である。
「よし、ならばせめて一矢を報いてくれる」
 弟は歯噛みしながら周囲を見回す。と、一つの部隊が少し離れたところに駐屯しているのを見つけた。
 鄧禹配下の赤眉将軍・耿訢こうきんの部隊である。
 弟にとって相手は誰でもよかった。自分の部隊でも充分に戦果が見込め、鄧禹に一泡吹かせるに適当な規模の部隊であれば誰でも構わなかったのだ。
「あの部隊に夜襲をかけるぞ。準備せよ」
 弟は自軍の兵にひそかに伝えると、他の部隊にばれないよう夜襲の準備を始めた。


 その夜、鄧禹は接収した一家屋で眠っていた。
 李宝を斬った件について、劉嘉や来歙への説明はさほど困難ではなかった。理と、皇帝である劉秀の意とをからめての弁は、彼らを納得させた。何の相談もなくいきなりのことだったため、いささかのしこりは残っているかもしれないが、さほど深刻なものでないのは鄧禹にも見て取れる。またこれは鄧禹も知らぬことだったが、彼ら二人もすでに李宝に小さな疑念を持っていたことも事を荒立てない一因だったのだろう。
 宴は礼儀を損なわないなごやかさで終始し、劉嘉の降伏は成り、彼は準備ののち洛陽へ向かい、劉秀に直接拝謁することも決まった。


 また劉嘉はこの日もこれまで通り雲陽城内でやすみ、鄧禹が城外で寝ることともなった。これは皇族である劉嘉に対する礼もあるが、鄧禹が自軍からあまり離れたくないという事情もある。
 事ここに至ってまずありえないが、万が一劉嘉が襲ってきたとき、即応する必要があるためだ。
 このあたり乱世で生きる鄧禹に甘さはなく、劉嘉もその意図を薄く感じ取っていたが、なにも言わなかった。


 それゆえ一応は様々に懸念の片付いた鄧禹は、久しぶりに深く安眠できていたのだが、その眠りを破る凶報が飛び込んできた。
「赤眉将軍(耿訢)の陣が襲われております!」
 どれほど深く眠っていても即座に覚醒できるのは、乱世の将軍にとって必要な資質の一つである。鄧禹もそれを持ち合わせていたが、状況に対しての混乱は他の兵と変わらなかった。
「誰の襲撃か! どこからだ!」
「わかりませぬ。現在調べている最中ですが、とにかくまずはご報告をと思いましたもので」
 しらせに来た兵の言うことはもっともなので鄧禹もそれ以上は怒気を飲み込み、急ぎしょう(寝台)から起き上がると、従卒に手伝わせて着替えと武装を急ぐ。
 だがこのときすでに耿訢は討ち取られ、襲ってきた兵は逃走に入っており、鄧禹が兵をひきいて駆けつけたときは、完全に逃げ去った後だった。


 襲撃してきたのは当然李宝の弟の部隊で、彼らは完全に油断していた耿訢の陣へ飛び込むと、脇目も振らず大将の陣へ突入し、彼を撃殺してしまったのである。もともと鄧禹に一泡吹かせることが目的だっただけに、それ以上は求めず逃げ去ってしまったことが成功の要因だった。

   
 鄧禹は李宝に弟がいて、彼と一緒に劉嘉に臣従していたことを知っていたのだろうか。
 知っていたとすれば兄を殺した後、彼を放置していたことが解せない。
 知らなかったとすれば、彼の存在を劉嘉たちは鄧禹に教えていなかったのだろうか。
 あるいは劉嘉は、鄧禹が弟のことをすでに知っていて、そちらへの対処も独自におこなうであろうと考え、何も言わなかったのかもしれない。


 いずれにせよ、鄧禹はこれで遠征当初からひきいてきた将軍をまた一人失った。
 李宝をいきなり処刑するという果断を選んだにしては事後処理に難がありすぎ、その報いを受ける形となってしまったが、これもまた鄧禹の失調がさらに浮き彫りになる結果と言えた。
 

 李宝の弟たちのその後はわからない。どこかの勢力に吸収されたか、野盗となったか、それとも窮死きゅうししたか。
 劉嘉としてもこれは部下の不始末ということになるが、原因が鄧禹の拙速せっそくのせいでもあり、互いに非難も抗議もできない気まずさを残したまま、彼は劉秀に会うため、洛陽へ向けて出立することとなった。
 劉嘉から兵を借りるという話は、ついに切り出すことができなかった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

愛のゆくえ【完結】

春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした ですが、告白した私にあなたは言いました 「妹にしか思えない」 私は幼馴染みと婚約しました それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか? ☆12時30分より1時間更新 (6月1日0時30分 完結) こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね? ……違う? とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。 他社でも公開

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非! *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。

処理中です...