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第六章 狂気は恐ろしくも時に甘く
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「孝之さん、弁護士なんですか? それに五十嵐法律事務所って……」
「所長は俺の父親。さっきの電話の相手はそこに所属している弟だ」
「弟さん……」
待って欲しい。
情報が多くて理解し切れない。
混乱する。
「え、っと……すみません。どう反応したら良いのか……」
「順序立てて説明すると長くなるから、君に誤解して欲しくないことを先に話しておきたいんだが、構わないか?」
「……それは……たぶん、助かります……?」
「君は引くかもしれないが」
俺が引くって、一体これから何を言われるのか。
怖くて聞きたくないと思わないでもなかったが聞かなければこの先に進めないのは何となく察せられた。だったら覚悟を決めるしかない。
「教えて欲しいです」
「ん……」
孝之さんは小さく頷き、そして、真っ直ぐに俺を見る。
「君と再会するまで六年半も掛かったが、……俺はいつかもう一度、君に会えると信じていた。あの日、あの場所で君に会えたのは運命だって」
「――……うんめい?」
「当時高校生だった君にどうこうするわけにはいかなかったから、名前も言わずに離れた。いつか大人になった君と再会するのを心待ちにしながら……、もし君が異性としか恋愛出来ないなら、それでも隣に居続けるためには君の役に立てる人間にならないとダメだと、世界中の法律を勉強したよ」
「法律……だから弁護士に?」
「少し違う。弁護士になったのは家族がそうだったからで、君の役に立ちたくて選んだジャンルが法律だったのは一番馴染みがあり、成果を出し易いと思ったからだ。泣きながら語ってくれただろう。大人になったら世界中の言語に会いに旅に出たい、文字に埋もれたい、それでいつか未発見・未解明の文字を研究したいって」
「そ……」
そんな事まで話していた事に当時の自分を殴り飛ばしたくなった。
恥ずかしい!
いや、実際今でもそれは夢というか、野望として、常に心の片隅に燻らせているけれど常識で考えて21世紀の現時点で未発見の文字を俺なんかが発見出来るわけがなく。
「そんな、世間知らずの子どもの泣き言なんかを」
「そうかもしれないが、俺にはとても眩しく見えたんだ」
孝之さんは教えてくれた。
自分のご両親が弁護士で、将来はそうなるものだというのが暗黙の了解だったこと。意味もなくひたすらに文字を追い、頭に詰め込むという勉強は、もはや作業で、試験で好成績を修めさえすれば周りが静かになると知っていたから繰り返していただけ。
だけど俺と出逢ったことで世界は一転した。
六法全書の文字一つ一つが急に愛しくなったんだ、って。
「君がどういう進路を辿って大人になるかまでは、さすがに予測出来なかったが、いつ、どの国の、どんな場所で君が夢を叶えてもいいように準備をして来たつもりだ」
「なん……どう、して……」
「……バカだろ。他人が同じことをしていたら俺も信じられなかったと思う。……けれど、そうでもして君の役に立つために生きているんだと実感していなければ耐えられなかったんだ。君が隣にいない現実に」
「――」
「あの時、君の名前を聞かなかったことを何度後悔したか知れない」
連絡先を聞かなかったことも。
何だったら「連れ去れば良かった」と。
「名前だけでも聞いておけば探し出せたのに。探し出したら今度こそ離すものか、って……いや、つくづく名前も聞かずに離れて正解だった」
おかげで犯罪者にならずに済んだと彼は自嘲するけど、俺は俺で、スマホに吊り下げていつも持ち歩いている匂袋を思う。
あれがなければ。
あの日、あの場所で「ユーカリのお兄さん」に出逢ったのが夢ではなかったという証が手元になければ、俺だってきっと――。
「ずっと、君に焦がれて、会いたくて……父の事務所に依頼の電話が来た時に傍に居たのは、やはり運命だったんだと思う」
「依頼……」
「ここからが今回の件の事情説明になるが、守秘義務に抵触するため話せないことがほとんどだ。それでも……」
「もちろんです」
「そうか、……依頼に関しては言えないが、その話を事務所で共有した時に、どうしても俺が現地に行かないとダメだって、そんな気がしたんだ」
直感が再会という結果に繋がったのだから相当だ。
すごいなって素直に感動していたら、孝之さんはとても辛そうに顔を歪めていく。
「俺が行かなければ……君が俺を忘れていたり、遠ざけたりしていたら、どうなっていたか……想像するだけであの男を殺せる」
「え……」
急に物騒なことを言い出した彼にぎょっとするが、続く内容には俺もゾッとした。
証拠のない現時点では仮定でしかないと前置きされたものの、昨日の急に寝落ちた原因。
真夜中の侵入者。
それから。
「これが君のベッドの下から見つかった盗聴器だ」
「……っ」
テーブルの上に置かれたのはジッパー付きの袋に入れられた小型の機械。見せられただけではそれが何かなんて想像も出来なかったと思う。
「電池式だから、この型なら二週間くらいか……まぁ、同じ寮内にいるならいつでも交換出来るだろうが」
だからか、って。
納得してしまったことが恐ろしかった。
それを誰が仕掛けたのかは想像がつく。
いつ、は判らない。
孝之さんは外から鍵が開けられるのを見ている。内鍵を掛けていたから昨夜は開かなかったが、俺が出勤している間はあの部屋の鍵は寮のそれ一つ。幾らでも入り放題だっただろう。
同じことを考えたから、彼は俺が寝ている間に部屋全体を調べたそうだ。方法は企業秘密だと隠されたが、そもそもほとんと話せないと明言された上で聞いているのだから受け入れるしかない。
頑なに山では事情を話そうとしなかった原因も、これだ。
部屋は全部調べたけど他は判らない。
万が一を考えれば声に出さない方が良いという判断だった。
「警察に相談するかどうかは、君には申し訳ないが依頼人と話し合った後にあちらで決めることになると思う」
「……でしょうね」
それは俺にも判る。
何せホテルなのだ。
悪いイメージが付いてしまえば大ダメージになるのは必至で、だからこそ依頼先が法律事務所だったんだと考えられなくもない。
俺には上の人たちの考えなんてさっぱり判らないし、具体的な依頼内容も知らないまま。だけど確かなのは、あの人の――夫のことで社長が動いたという事実。
そして、例え打算だったとしても支配人や吉田課長が俺を守るために動いてくれていたという、事実。
――……『少なくとも今月中……状況次第では来月も、かな。五十嵐くんの世話は君に頼むことになったから、出勤時間や休みなど君に合わせてなるべく一緒にい……あー……側にいて、判らないことは教えてあげてくれ』……
そうでなければあんな風には言わなかっただろうと気付いたら、感謝しかない。
「もちろん君が訴えたいというなら俺は協力する」
「その件は、話合いが終わった後の結果を聞いてから考えます」
「ああ」
今すぐのことではない、と。
孝之さんが少なからず安堵して見えたから、やはりご家族と対立するのはイヤなんだろうな……と思ったら。
「これは弱いながらも証拠になるから渡すべきか悩んでいたんだ。君がそう言うなら問題なく奴の悪行をプラス出来る」
そっちの安心でしたか、そうですか……。
「所長は俺の父親。さっきの電話の相手はそこに所属している弟だ」
「弟さん……」
待って欲しい。
情報が多くて理解し切れない。
混乱する。
「え、っと……すみません。どう反応したら良いのか……」
「順序立てて説明すると長くなるから、君に誤解して欲しくないことを先に話しておきたいんだが、構わないか?」
「……それは……たぶん、助かります……?」
「君は引くかもしれないが」
俺が引くって、一体これから何を言われるのか。
怖くて聞きたくないと思わないでもなかったが聞かなければこの先に進めないのは何となく察せられた。だったら覚悟を決めるしかない。
「教えて欲しいです」
「ん……」
孝之さんは小さく頷き、そして、真っ直ぐに俺を見る。
「君と再会するまで六年半も掛かったが、……俺はいつかもう一度、君に会えると信じていた。あの日、あの場所で君に会えたのは運命だって」
「――……うんめい?」
「当時高校生だった君にどうこうするわけにはいかなかったから、名前も言わずに離れた。いつか大人になった君と再会するのを心待ちにしながら……、もし君が異性としか恋愛出来ないなら、それでも隣に居続けるためには君の役に立てる人間にならないとダメだと、世界中の法律を勉強したよ」
「法律……だから弁護士に?」
「少し違う。弁護士になったのは家族がそうだったからで、君の役に立ちたくて選んだジャンルが法律だったのは一番馴染みがあり、成果を出し易いと思ったからだ。泣きながら語ってくれただろう。大人になったら世界中の言語に会いに旅に出たい、文字に埋もれたい、それでいつか未発見・未解明の文字を研究したいって」
「そ……」
そんな事まで話していた事に当時の自分を殴り飛ばしたくなった。
恥ずかしい!
いや、実際今でもそれは夢というか、野望として、常に心の片隅に燻らせているけれど常識で考えて21世紀の現時点で未発見の文字を俺なんかが発見出来るわけがなく。
「そんな、世間知らずの子どもの泣き言なんかを」
「そうかもしれないが、俺にはとても眩しく見えたんだ」
孝之さんは教えてくれた。
自分のご両親が弁護士で、将来はそうなるものだというのが暗黙の了解だったこと。意味もなくひたすらに文字を追い、頭に詰め込むという勉強は、もはや作業で、試験で好成績を修めさえすれば周りが静かになると知っていたから繰り返していただけ。
だけど俺と出逢ったことで世界は一転した。
六法全書の文字一つ一つが急に愛しくなったんだ、って。
「君がどういう進路を辿って大人になるかまでは、さすがに予測出来なかったが、いつ、どの国の、どんな場所で君が夢を叶えてもいいように準備をして来たつもりだ」
「なん……どう、して……」
「……バカだろ。他人が同じことをしていたら俺も信じられなかったと思う。……けれど、そうでもして君の役に立つために生きているんだと実感していなければ耐えられなかったんだ。君が隣にいない現実に」
「――」
「あの時、君の名前を聞かなかったことを何度後悔したか知れない」
連絡先を聞かなかったことも。
何だったら「連れ去れば良かった」と。
「名前だけでも聞いておけば探し出せたのに。探し出したら今度こそ離すものか、って……いや、つくづく名前も聞かずに離れて正解だった」
おかげで犯罪者にならずに済んだと彼は自嘲するけど、俺は俺で、スマホに吊り下げていつも持ち歩いている匂袋を思う。
あれがなければ。
あの日、あの場所で「ユーカリのお兄さん」に出逢ったのが夢ではなかったという証が手元になければ、俺だってきっと――。
「ずっと、君に焦がれて、会いたくて……父の事務所に依頼の電話が来た時に傍に居たのは、やはり運命だったんだと思う」
「依頼……」
「ここからが今回の件の事情説明になるが、守秘義務に抵触するため話せないことがほとんどだ。それでも……」
「もちろんです」
「そうか、……依頼に関しては言えないが、その話を事務所で共有した時に、どうしても俺が現地に行かないとダメだって、そんな気がしたんだ」
直感が再会という結果に繋がったのだから相当だ。
すごいなって素直に感動していたら、孝之さんはとても辛そうに顔を歪めていく。
「俺が行かなければ……君が俺を忘れていたり、遠ざけたりしていたら、どうなっていたか……想像するだけであの男を殺せる」
「え……」
急に物騒なことを言い出した彼にぎょっとするが、続く内容には俺もゾッとした。
証拠のない現時点では仮定でしかないと前置きされたものの、昨日の急に寝落ちた原因。
真夜中の侵入者。
それから。
「これが君のベッドの下から見つかった盗聴器だ」
「……っ」
テーブルの上に置かれたのはジッパー付きの袋に入れられた小型の機械。見せられただけではそれが何かなんて想像も出来なかったと思う。
「電池式だから、この型なら二週間くらいか……まぁ、同じ寮内にいるならいつでも交換出来るだろうが」
だからか、って。
納得してしまったことが恐ろしかった。
それを誰が仕掛けたのかは想像がつく。
いつ、は判らない。
孝之さんは外から鍵が開けられるのを見ている。内鍵を掛けていたから昨夜は開かなかったが、俺が出勤している間はあの部屋の鍵は寮のそれ一つ。幾らでも入り放題だっただろう。
同じことを考えたから、彼は俺が寝ている間に部屋全体を調べたそうだ。方法は企業秘密だと隠されたが、そもそもほとんと話せないと明言された上で聞いているのだから受け入れるしかない。
頑なに山では事情を話そうとしなかった原因も、これだ。
部屋は全部調べたけど他は判らない。
万が一を考えれば声に出さない方が良いという判断だった。
「警察に相談するかどうかは、君には申し訳ないが依頼人と話し合った後にあちらで決めることになると思う」
「……でしょうね」
それは俺にも判る。
何せホテルなのだ。
悪いイメージが付いてしまえば大ダメージになるのは必至で、だからこそ依頼先が法律事務所だったんだと考えられなくもない。
俺には上の人たちの考えなんてさっぱり判らないし、具体的な依頼内容も知らないまま。だけど確かなのは、あの人の――夫のことで社長が動いたという事実。
そして、例え打算だったとしても支配人や吉田課長が俺を守るために動いてくれていたという、事実。
――……『少なくとも今月中……状況次第では来月も、かな。五十嵐くんの世話は君に頼むことになったから、出勤時間や休みなど君に合わせてなるべく一緒にい……あー……側にいて、判らないことは教えてあげてくれ』……
そうでなければあんな風には言わなかっただろうと気付いたら、感謝しかない。
「もちろん君が訴えたいというなら俺は協力する」
「その件は、話合いが終わった後の結果を聞いてから考えます」
「ああ」
今すぐのことではない、と。
孝之さんが少なからず安堵して見えたから、やはりご家族と対立するのはイヤなんだろうな……と思ったら。
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