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第五章 忍び寄る悪意
5 五十嵐孝之‐5
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「眠い……」
「は? なっ……奏介⁈」
膝から崩れ落ちた彼を慌てて両腕で支え、俺自身も膝を折る。横にし呼吸と脈を確認しようとしたところで彼の状態が驚くほど落ち着いていることに気付いた。
「……寝てる?」
そういえばしがみ付いて来た時に「眠い」と言っていた気がする。
「っはぁ……驚かせないでくれ」
幾ら眠いからって、こんな唐突に倒れるような寝方をされては心臓が幾つあっても足りない。状態が安定しているなら部屋に寝かせておくのが最善――そう判断して、抱き上げた。
いわゆるお姫様抱っこというやつだから奏介の意識があれば嫌がったかもしれないが、寝てしまったのだから仕方がない。記録しておけない事を少しばかり残念に思いつつ人気のない廊下を進み、階段で二階に上がる。頭一つ分小さいとはいえきちんとした男の体だ。決して軽くはないし、女性のような柔らかさもないが、服の下に温泉で目にしたしなやかな筋肉が隠れているのだと思うと愛しさが溢れそうになった。
「……すー……すー……」
改めて確認しても規則正しい寝息しか聞こえてこないことに安堵し、部屋まで運ぶ。
途中で人と会わなかったのは奏介にとっては幸運だっただろう。
制服の内ポケットに鍵を仕舞っているのは見ていたので知っている。そこから取り出して鍵を開け、数時間前に一緒に起き上がったベッドに、いまは彼だけを横たえた。
靴を脱がせ、皺になっては困るだろうと思い上着を脱がして……悪戯心が顔を出す。
あんなふうに寝られてこっちは心臓が止まるほど驚かされたのだ。起きた時にはこちらが驚かせるくらいはしても良いのではないだろうか。
……いや、待て。
そもそもあんな風に急に寝落ちるのは、やはりおかしい。
「いくら寝不足だと言っても……」
寝不足の原因が自分だという自覚があるから、落ち着いている寝息に安心してしまったが。
「……まさか、な」
だがそれも否定は出来ないと思いつつ袖口から抜き取ったのは吸水ポリマーで作られている特殊なアイテムだ。提供された飲み物に口を付けたくないが、付けないと不審がられる時などに重宝するもので、周囲の目を盗んで袖口に流し込めばこれが全部吸収してくれる。
さっきの。
藤倉部長が配ったコーヒーを、俺は口にする気になれなかったのだ。
本職の仕事柄、身の危険がないとも限らないので幾つかの秘密道具は常備している。これもその内の一つ。
「いまから捨てたカップを拾いに行けば怪しいか……だが課長と長谷川女史も飲んで……わざわざブラックだミルク入りだと声に出していたな」
ああ言われれば自分のカップ以外には手を付け難くなる。
自分と奏介はブラックだったが、あれに睡眠薬や、その類のものが入っていたとして、……標的は二人とも、か。
「俺の意識があると不都合だった……?」
寮の壁が薄いのは、藤倉部長の方がよく知っているはず。
隣の部屋に俺がいれば物音で異変に気付く可能性は高い。
いや、絶対に気付く。
「……ってことは、いま、正に狙われている可能性も……」
そこまで考えて、イラッとした。
ムカつくなんて言葉では済まない。
「くそ……っ」
立ち上がって、まずは部屋の内鍵を閉めた。
あるものは有効活用だ。
それから奏介の寝間着を取り出してベッドの横に戻ると、まずは靴下ごとズボンを脱がして着替えさせる。わざと大きく足を持ち上げたりなどしてみるが奏介が起きる気配は皆無だ。
「これは絶対に盛られているな……」
正直、好き嫌いだけで捨てた藤倉部長のコーヒーだったが、正解だ。もしこれで自分まで寝落ちていたらと想像すると、怒りどころか憎悪で目の前が真っ赤になる。
やはり捨てたカップを拾いに行くべきか。
採血なんて自分には出来ないし、他に証拠になりそうなもの……。
「……いま部屋を出るのも怖いか」
ここまで来ると嫌な予感しかしない。
奏介の意識があれば俺が出た後に内鍵を掛けさせるが今は無理。部屋の鍵は掛けられても、それ一つではとてもじゃないが安心出来ない。
深い息を一つ吐き、彼のシャツのボタンを外していく。
雪山のホテル、それも出入口に近いフロントで働いている彼はシャツの下に温かな素材のTシャツを着ていた。その事に複雑な感想を抱きつつ、寝間着を着せる。
その間、奏介は一度も目を覚まさないどころか声一つ上げなかった。
「……一体何を飲まされたんだ……」
病院、警察、本社――。
いろいろと思案を巡らせるがこれと言える証拠が一つもない。奏介の寝顔が穏やかなのも躊躇する要因だ。出来る事なら、彼が傷つく様な事態にはしたくないから。
「はぁ……」
恋人を意識し過ぎて寝不足なのは自分も同じだ。
ソファに横になり、目を閉じる。
それだけで意識は限定的に沈んでいく。
……カチャ……
微かな物音に目を覚ます。
月明りだけが視界を照らす部屋の鍵が、外から、カチャリと回るのを見た。
「……っ」
奏介はまだベッドで寝ている。
彼が持っている部屋の鍵は、俺がローテーブルの上に置いたまま。
なのに鍵が。
開いた。
ノブが回る。
ゾッとする。
だが開かない。
この部屋の扉には、奏介が初日に購入して取り付けた回転式の内鍵がしっかりとロックされているから――。
ガタガタッ……
開けようとする。
押し開けようとしている。
「誰だ!」
思わず怒鳴っていた。
扉の向こうで息を呑む音、それから、逃げる足音。
階段を下りたらしく、ソファから飛び起きて鍵を解除し扉を開くも時間がかかり過ぎた。
侵入者の残像を捕らえる事すら出来なかった。
「くそっ……!」
声を上げずに開ければ良かった。
そうしたら現行犯だった。
自分自身にガッカリする。
部屋を振り返る。
穏やかに眠り続ける奏介。
「……っ!!」
その彼に。
奴は、何をするつもりだったのか……!
「は? なっ……奏介⁈」
膝から崩れ落ちた彼を慌てて両腕で支え、俺自身も膝を折る。横にし呼吸と脈を確認しようとしたところで彼の状態が驚くほど落ち着いていることに気付いた。
「……寝てる?」
そういえばしがみ付いて来た時に「眠い」と言っていた気がする。
「っはぁ……驚かせないでくれ」
幾ら眠いからって、こんな唐突に倒れるような寝方をされては心臓が幾つあっても足りない。状態が安定しているなら部屋に寝かせておくのが最善――そう判断して、抱き上げた。
いわゆるお姫様抱っこというやつだから奏介の意識があれば嫌がったかもしれないが、寝てしまったのだから仕方がない。記録しておけない事を少しばかり残念に思いつつ人気のない廊下を進み、階段で二階に上がる。頭一つ分小さいとはいえきちんとした男の体だ。決して軽くはないし、女性のような柔らかさもないが、服の下に温泉で目にしたしなやかな筋肉が隠れているのだと思うと愛しさが溢れそうになった。
「……すー……すー……」
改めて確認しても規則正しい寝息しか聞こえてこないことに安堵し、部屋まで運ぶ。
途中で人と会わなかったのは奏介にとっては幸運だっただろう。
制服の内ポケットに鍵を仕舞っているのは見ていたので知っている。そこから取り出して鍵を開け、数時間前に一緒に起き上がったベッドに、いまは彼だけを横たえた。
靴を脱がせ、皺になっては困るだろうと思い上着を脱がして……悪戯心が顔を出す。
あんなふうに寝られてこっちは心臓が止まるほど驚かされたのだ。起きた時にはこちらが驚かせるくらいはしても良いのではないだろうか。
……いや、待て。
そもそもあんな風に急に寝落ちるのは、やはりおかしい。
「いくら寝不足だと言っても……」
寝不足の原因が自分だという自覚があるから、落ち着いている寝息に安心してしまったが。
「……まさか、な」
だがそれも否定は出来ないと思いつつ袖口から抜き取ったのは吸水ポリマーで作られている特殊なアイテムだ。提供された飲み物に口を付けたくないが、付けないと不審がられる時などに重宝するもので、周囲の目を盗んで袖口に流し込めばこれが全部吸収してくれる。
さっきの。
藤倉部長が配ったコーヒーを、俺は口にする気になれなかったのだ。
本職の仕事柄、身の危険がないとも限らないので幾つかの秘密道具は常備している。これもその内の一つ。
「いまから捨てたカップを拾いに行けば怪しいか……だが課長と長谷川女史も飲んで……わざわざブラックだミルク入りだと声に出していたな」
ああ言われれば自分のカップ以外には手を付け難くなる。
自分と奏介はブラックだったが、あれに睡眠薬や、その類のものが入っていたとして、……標的は二人とも、か。
「俺の意識があると不都合だった……?」
寮の壁が薄いのは、藤倉部長の方がよく知っているはず。
隣の部屋に俺がいれば物音で異変に気付く可能性は高い。
いや、絶対に気付く。
「……ってことは、いま、正に狙われている可能性も……」
そこまで考えて、イラッとした。
ムカつくなんて言葉では済まない。
「くそ……っ」
立ち上がって、まずは部屋の内鍵を閉めた。
あるものは有効活用だ。
それから奏介の寝間着を取り出してベッドの横に戻ると、まずは靴下ごとズボンを脱がして着替えさせる。わざと大きく足を持ち上げたりなどしてみるが奏介が起きる気配は皆無だ。
「これは絶対に盛られているな……」
正直、好き嫌いだけで捨てた藤倉部長のコーヒーだったが、正解だ。もしこれで自分まで寝落ちていたらと想像すると、怒りどころか憎悪で目の前が真っ赤になる。
やはり捨てたカップを拾いに行くべきか。
採血なんて自分には出来ないし、他に証拠になりそうなもの……。
「……いま部屋を出るのも怖いか」
ここまで来ると嫌な予感しかしない。
奏介の意識があれば俺が出た後に内鍵を掛けさせるが今は無理。部屋の鍵は掛けられても、それ一つではとてもじゃないが安心出来ない。
深い息を一つ吐き、彼のシャツのボタンを外していく。
雪山のホテル、それも出入口に近いフロントで働いている彼はシャツの下に温かな素材のTシャツを着ていた。その事に複雑な感想を抱きつつ、寝間着を着せる。
その間、奏介は一度も目を覚まさないどころか声一つ上げなかった。
「……一体何を飲まされたんだ……」
病院、警察、本社――。
いろいろと思案を巡らせるがこれと言える証拠が一つもない。奏介の寝顔が穏やかなのも躊躇する要因だ。出来る事なら、彼が傷つく様な事態にはしたくないから。
「はぁ……」
恋人を意識し過ぎて寝不足なのは自分も同じだ。
ソファに横になり、目を閉じる。
それだけで意識は限定的に沈んでいく。
……カチャ……
微かな物音に目を覚ます。
月明りだけが視界を照らす部屋の鍵が、外から、カチャリと回るのを見た。
「……っ」
奏介はまだベッドで寝ている。
彼が持っている部屋の鍵は、俺がローテーブルの上に置いたまま。
なのに鍵が。
開いた。
ノブが回る。
ゾッとする。
だが開かない。
この部屋の扉には、奏介が初日に購入して取り付けた回転式の内鍵がしっかりとロックされているから――。
ガタガタッ……
開けようとする。
押し開けようとしている。
「誰だ!」
思わず怒鳴っていた。
扉の向こうで息を呑む音、それから、逃げる足音。
階段を下りたらしく、ソファから飛び起きて鍵を解除し扉を開くも時間がかかり過ぎた。
侵入者の残像を捕らえる事すら出来なかった。
「くそっ……!」
声を上げずに開ければ良かった。
そうしたら現行犯だった。
自分自身にガッカリする。
部屋を振り返る。
穏やかに眠り続ける奏介。
「……っ!!」
その彼に。
奴は、何をするつもりだったのか……!
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