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第五章 忍び寄る悪意
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「お疲れさま」
「孝之さんもお疲れさまでした」
階段状の渡り廊下を下りながら互いに声を掛け合う。
「明日は朝七時だろ。今日はこのまま就寝準備だな」
「ですね……」
部屋から洗面道具を持って寮のユニットバスで入浴を済ませ、歯磨きを済ませたらベッドにダイブ。起きたら即仕事。前回の遅番から早番の日は確かにそんな感じだった。
でも。
「……孝之さん」
「ん?」
「もし、……もし寝る準備が今日中に終わったら、日が変わるまででいいので……一緒に過ごしませんかっ」
少しでも一緒にいたくて前のめりに伝えたら孝之さんが口元を抑えて肩を震わせている。
「……孝之さん?」
「すまん、不意打ちで……」
「ふいうち……」
「いや。寝る準備が終わったらお邪魔する。それでいいか?」
「はい!」
そうと決まれば、の気持ちでそれぞれの部屋に分かれた後は大急ぎで支度を済ませた。
孝之さんが部屋に来てくれたのは23時半を少し回ったくらいで、俺は触っていたスマホをローテーブルに置いて出迎えた。
私服姿の孝之さんを見るのは初めてじゃないのに、すっかり背広姿が定着しているから「そうじゃない」だけで攻撃力が凄まじい。
それが寝間着なのだろうラフな格好だと、なんというか、色気? それも増し増しで。
「おお……」
「ん?」
「いえ、どんな格好でもカッコいいなって……」
「……君は本当に素直で、想定外だ」
ソファに促しながら、ほとんど無意識に本音をぽろりと零したら、孝之さんは軽く息を吐きながら俺の頭を撫でた。
今日は二人並んでソファに座る。
前回からそれほど時間は経っていないのに俺たちの距離はずっと近付いた。
「そうストレートに褒められると照れるんだが」
「……孝之さんが?」
「それはどういう意味だ」
「えっと……孝之さんなら、いろんな人に褒められ慣れてそうだから?」
思ったままに伝えれば、彼は困ったように笑う。
「その他大勢の言葉と、君の言葉では重みが違う」
「……そういうものですか」
そういうものなのかなぁと首を捻れば「意外だな」って反応。
「君も周りの言う事など気にしないタイプだと思ったが」
「まえ……孝之さんと会うまえは、確かにそうだったと思います……あれから丸くなりました」
「……丸く?」
「周りから浮かない程度には馴染むことを覚えました」
「なるほど。確かに職場での人間関係も良好そうだ」
「でしょう」
一部除きますが……という呟きは内心に留めて、笑む。
僅かしかない一緒に過ごせる時間に気分の悪くなる話題なんて持ち出したくないし。
「でも、大学卒業後にも連絡を取り合う友人がいないので……上っ面だけじゃやっぱりダメですね」
「ん?」
どういう意味かと問い掛けて来る視線を受けて、先ほどの長谷川さんとの会話を伝える。それを淋しいとも思わない辺りが問題なのかもしれないけど、実際、そういう付き合いしかしてこなかったことを後悔はしていないのだ。
やっぱり変わっていないじゃないか、と。
孝之さんには呆れられるかもしれないことだけが心配だったけど――。
「別に構わないと思うが」
「……本当に?」
「ああ。あの日も言っただろう、人間関係っていうのは相当の時間を費やす。君が後悔しないなら本当に必要だと思える相手以外は切り捨てるのもアリだって」
「そうでした」
「それに、これからは俺がいる」
「――」
「家族にはまだ及ばなくても、友人、親友、恋人の席には俺だけを置いてくれると嫉妬せずに済む」
「しっ……と、しますか」
「するさ。正直、さっきの長谷川女史との会話も距離が近過ぎてイライラしていた」
「ふっ……」
まさか、って。
そんな気持ちで笑ってしまったら軽く睨まれた。
「君が恋人に選んだ男は、嫉妬深くて、狭量で、君に関しては待てが出来ないケダモノだぞ」
「……自分で言っちゃうんですか」
「言うさ。君にはしっかりと自覚して……俺を正しく側に置いてもらわないと」
だんだんと密やかに、囁くように小さくなる声は、しかし次第に近付いて来た。
影が差し、さらりと額に触れたのはどちらの前髪か。
「……」
俺は目を瞑った。
そうしたらそっと口が重なった。
キス、だよね?
「……初めてしました」
「本当に?」
「む……孝之さんこそ慣れてるんじゃ?」
「経験がないとは言わないが……この六年半は誰にも触れてない」
その月日の長さに、思い当たるのはただ一つ。
「君と出逢ってからは、君だけだ」
ふ……吐息が唇に触れて、震えた。
心が。
ゾクッ、て。
二度目のキスは最初より少し長く。
三度目のキスは、俺から、した。
初めて触れた孝之さんの首筋は見た目より硬い手触りで、逞しく、熱い。
心臓が騒ぐ。
息が上がる。
「ど……しよ……」
「ん……?」
「……離れない、で、……もっと、したい……」
思うまま告げたら孝之さんの目が一度大きく見開かれて、でも、すぐに困った子を見るような顔で笑った。
「君は、本当に、素直だな――」
同じように重ねられた唇が、だけど今度は俺の下唇を食む。
びっくりして開いた隙間にぬるりと差し込まれたのは厚い舌。
「んっ……ふ……」
震える唇を上に下にと舐められ、食まれ、チュ……て音を立てて離れた。
「……まだ……」
「ん……」
引き寄せるように首元に置いた手に力を込めると、孝之さんはもう一度、それからまた、もう一度。小さな音を立てながら唇にキスしてくれた。
それから口の横、頬、瞼、額。
だんだんと離れて、そして。
「……奏介……実は、この寮の部屋の壁は、薄いんだ」
「ぇ……」
「君の声は他の誰にも聞かせたくない」
耳朶に息が掛かるくらいの至近距離で語られて、それはありがたい配慮だし、自分もイヤだが、……でも、まだ離れたくなくて、ぎゅっ……と孝之さんにしがみついた。
柔らかく笑う声がする。
「……寝ようか。朝まで側にいる」
「ほんとに……?」
「ああ。君がそう望んでくれるなら」
心地良い腕の中で与えられる甘い誘惑に抗う術などあるはずがなく、応える代わりに彼の首筋にキスをした。
「孝之さんもお疲れさまでした」
階段状の渡り廊下を下りながら互いに声を掛け合う。
「明日は朝七時だろ。今日はこのまま就寝準備だな」
「ですね……」
部屋から洗面道具を持って寮のユニットバスで入浴を済ませ、歯磨きを済ませたらベッドにダイブ。起きたら即仕事。前回の遅番から早番の日は確かにそんな感じだった。
でも。
「……孝之さん」
「ん?」
「もし、……もし寝る準備が今日中に終わったら、日が変わるまででいいので……一緒に過ごしませんかっ」
少しでも一緒にいたくて前のめりに伝えたら孝之さんが口元を抑えて肩を震わせている。
「……孝之さん?」
「すまん、不意打ちで……」
「ふいうち……」
「いや。寝る準備が終わったらお邪魔する。それでいいか?」
「はい!」
そうと決まれば、の気持ちでそれぞれの部屋に分かれた後は大急ぎで支度を済ませた。
孝之さんが部屋に来てくれたのは23時半を少し回ったくらいで、俺は触っていたスマホをローテーブルに置いて出迎えた。
私服姿の孝之さんを見るのは初めてじゃないのに、すっかり背広姿が定着しているから「そうじゃない」だけで攻撃力が凄まじい。
それが寝間着なのだろうラフな格好だと、なんというか、色気? それも増し増しで。
「おお……」
「ん?」
「いえ、どんな格好でもカッコいいなって……」
「……君は本当に素直で、想定外だ」
ソファに促しながら、ほとんど無意識に本音をぽろりと零したら、孝之さんは軽く息を吐きながら俺の頭を撫でた。
今日は二人並んでソファに座る。
前回からそれほど時間は経っていないのに俺たちの距離はずっと近付いた。
「そうストレートに褒められると照れるんだが」
「……孝之さんが?」
「それはどういう意味だ」
「えっと……孝之さんなら、いろんな人に褒められ慣れてそうだから?」
思ったままに伝えれば、彼は困ったように笑う。
「その他大勢の言葉と、君の言葉では重みが違う」
「……そういうものですか」
そういうものなのかなぁと首を捻れば「意外だな」って反応。
「君も周りの言う事など気にしないタイプだと思ったが」
「まえ……孝之さんと会うまえは、確かにそうだったと思います……あれから丸くなりました」
「……丸く?」
「周りから浮かない程度には馴染むことを覚えました」
「なるほど。確かに職場での人間関係も良好そうだ」
「でしょう」
一部除きますが……という呟きは内心に留めて、笑む。
僅かしかない一緒に過ごせる時間に気分の悪くなる話題なんて持ち出したくないし。
「でも、大学卒業後にも連絡を取り合う友人がいないので……上っ面だけじゃやっぱりダメですね」
「ん?」
どういう意味かと問い掛けて来る視線を受けて、先ほどの長谷川さんとの会話を伝える。それを淋しいとも思わない辺りが問題なのかもしれないけど、実際、そういう付き合いしかしてこなかったことを後悔はしていないのだ。
やっぱり変わっていないじゃないか、と。
孝之さんには呆れられるかもしれないことだけが心配だったけど――。
「別に構わないと思うが」
「……本当に?」
「ああ。あの日も言っただろう、人間関係っていうのは相当の時間を費やす。君が後悔しないなら本当に必要だと思える相手以外は切り捨てるのもアリだって」
「そうでした」
「それに、これからは俺がいる」
「――」
「家族にはまだ及ばなくても、友人、親友、恋人の席には俺だけを置いてくれると嫉妬せずに済む」
「しっ……と、しますか」
「するさ。正直、さっきの長谷川女史との会話も距離が近過ぎてイライラしていた」
「ふっ……」
まさか、って。
そんな気持ちで笑ってしまったら軽く睨まれた。
「君が恋人に選んだ男は、嫉妬深くて、狭量で、君に関しては待てが出来ないケダモノだぞ」
「……自分で言っちゃうんですか」
「言うさ。君にはしっかりと自覚して……俺を正しく側に置いてもらわないと」
だんだんと密やかに、囁くように小さくなる声は、しかし次第に近付いて来た。
影が差し、さらりと額に触れたのはどちらの前髪か。
「……」
俺は目を瞑った。
そうしたらそっと口が重なった。
キス、だよね?
「……初めてしました」
「本当に?」
「む……孝之さんこそ慣れてるんじゃ?」
「経験がないとは言わないが……この六年半は誰にも触れてない」
その月日の長さに、思い当たるのはただ一つ。
「君と出逢ってからは、君だけだ」
ふ……吐息が唇に触れて、震えた。
心が。
ゾクッ、て。
二度目のキスは最初より少し長く。
三度目のキスは、俺から、した。
初めて触れた孝之さんの首筋は見た目より硬い手触りで、逞しく、熱い。
心臓が騒ぐ。
息が上がる。
「ど……しよ……」
「ん……?」
「……離れない、で、……もっと、したい……」
思うまま告げたら孝之さんの目が一度大きく見開かれて、でも、すぐに困った子を見るような顔で笑った。
「君は、本当に、素直だな――」
同じように重ねられた唇が、だけど今度は俺の下唇を食む。
びっくりして開いた隙間にぬるりと差し込まれたのは厚い舌。
「んっ……ふ……」
震える唇を上に下にと舐められ、食まれ、チュ……て音を立てて離れた。
「……まだ……」
「ん……」
引き寄せるように首元に置いた手に力を込めると、孝之さんはもう一度、それからまた、もう一度。小さな音を立てながら唇にキスしてくれた。
それから口の横、頬、瞼、額。
だんだんと離れて、そして。
「……奏介……実は、この寮の部屋の壁は、薄いんだ」
「ぇ……」
「君の声は他の誰にも聞かせたくない」
耳朶に息が掛かるくらいの至近距離で語られて、それはありがたい配慮だし、自分もイヤだが、……でも、まだ離れたくなくて、ぎゅっ……と孝之さんにしがみついた。
柔らかく笑う声がする。
「……寝ようか。朝まで側にいる」
「ほんとに……?」
「ああ。君がそう望んでくれるなら」
心地良い腕の中で与えられる甘い誘惑に抗う術などあるはずがなく、応える代わりに彼の首筋にキスをした。
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