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第三章 温泉とは裸の付き合いにより云々

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 まず断言しておくが、いまだかつて同性の裸に興奮したことはない。
 山に上がってから数えれば温泉を利用するのは三度目だが、家族旅行で温泉旅館に泊まったことは小さい頃から何度もあるし、修学旅行や自然学校、更に言えばホテルの大浴場だって利用しているんだからアルバイトや社員さんら顔見知りがいたって特に気にした事はないし、ましてやそれを見てどうこうするなんてことは一度だってなかった。
 じゃあ女性の裸に興奮するかって言ったら、それはそれで、そういう目で見るのは相手にとって失礼だという気持ちが先に立ってしまい、雑誌だろうがテレビだろうが目を逸らす、意識を逸らすというのが習慣付いている。
 特に好きで一部暗記している小説の本文を諳んじるのはとても効果的だ。
 そもそも対人関係に難があるのを自覚済みの、最近は擬態を覚えただけで人より文字に魅力を感じるオタクである。
 艶っぽい声より異国の言語にどきどきわくわくしてしまうオタクである。
 いずれは見知らぬ言語を求めて単身世界に旅立とうという野望を抱えた、俺は、オタクなのだ。
 恋とかそういうのには無縁。
 留学中という非日常で自分を助けてくれた恩人に、六年半という年月を経て再会するなんていう創作物みたいな事象が自分の身に起こったから興奮し過ぎて情緒が不安定になっているだけで。
 目を離したらあの日みたいにいなくなってしまうかも。
 やっぱり再会したのは夢だった、なんてことになってしまいそうで、だから、傍にいたいって。
 それだけだ、って。
 思っていたんだけど。

「……っ」

 先に洗い場で頭を洗っていると、気配で隣に誰かが座ったのが判った。
 誰かって孝之さんしかいない。
 そう思うだけで傍目にも判ってしまうんじゃないかと不安になるくらい心臓がバクバクしてしまう。
 どう考えたって意識し過ぎだ。
 逃げたい。
 でも温泉に誘ったのは自分だ、いきなり「帰る」なんて言ったら変に思われるのは間違いないし、これから冬の間はずっと一緒に働く同僚に、しかも孝之さんに奇異の目で見られるのは……想像するだけでも辛い。
 となれば覚悟を決めるしかない!
 シャンプーで泡だらけになった頭を流すシャワーの音に紛れながらの深呼吸で気持ちを落ち着け、でも、なるべく直視はしないよう注意しながら顔を上げる。

「人が空いているのもあって、広くて気持ち良さそうでしょう」

 普通を装って声を掛ける、と。

「え?」
「ん?」

 思っていた反応、声、それが違って驚く。
 なんで、と確かめてみたら其処に座っていたのは――。

「佐藤さん?」
「相田さん?」

 ホテルで清掃をお願いしている外注先の、男性スタッフ佐藤さん。
 間違いなく彼だった。

「え。どうしてここに……ぁ、日帰り入浴ですよね。そりゃそうだ」

 自分だってそうなのだ、地元民の佐藤さんが入りに来ていたって何も不思議な事は無い。ただ、この場所で会うとは思っていなかったから驚いただけ。

「すごい偶然ですね」
「本当に。ここはよく利用するんですか?」
「いえ、まだ三度目です。佐藤さんは?」
「僕は週に一度くらいかな」
「へぇ」

 さっきまでの動揺はどこへやらすっかり平常心に戻ったところに、孝之さん。

「奏介?」
「あ、はひっ」

 声が上擦ったのは、油断した視界に孝之さんの惜しげもなく晒された上半身が飛び込んできたせいだ。背広が似合うのは肩幅が広いからだと判っていたけど、浴場という場所で露わになった胸筋は程よく引き締まっているしお腹は薄っすらと六つに割れている。

「ぉ、おぅ」

 思わず漏れ出た声を、息と一緒に止めた。
 やばい。
 こんな綺麗な体をしているなんて聞いてない!
 
「奏介?」
「っ……えっと、その……ジムとか通っているんですか?」
「ジムではないが定期的に体は動かしているよ。それより……こんなところでお会いするとは思いませんでした、佐藤さん」
「僕もです。名前で呼ばれているなんて仲が良いんですね」
「おかげさまで名前で呼び合う仲ですよ」

 にこりと笑う孝之さんだけど、その表情は完璧な営業スマイルだ。
 下手したら不機嫌を隠しているようにも見えて……。

「五十嵐さんは昨日からブランシェに入られたんですよね」
「ええ」

 佐藤さんの問い掛けに頷きながら、孝之さんは俺の逆隣に座る。

「相田さんは名前で呼ばれる方が好きなんですか?」
「へ?」

 なんだ急に。
 あ、昨日今日の知り合いと名前呼びし合ってると思われたのか。

「佐藤さん、実は――」
「奏介」
「っ」

 急に耳元で呼ばれた名前。
 それから、吐息で擽るような囁き声。

「それは秘密だ」
「ぁっ……そ、そうですねっ」

 あまりにもくすぐったくて耳を手で覆うと、孝之さんは悪戯に成功した子どもみたいに笑った。
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