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序章 前日譚
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バスは途中の美笛峠にある道の駅でトイレ休憩を取り、約2時間掛けてグラン・ヒラフスキー場の入り口すぐ傍にあるウェルカムセンター前停留所に到着した。
下車するのは俺一人。
この時期はそれも仕方ないのだろうけど、周囲が静かすぎるというか、時間が淡々と過ぎていくのがひどく落ち着かない。
「ありがとうございました」
代金は支払い済みだから運転手さんにお礼だけ言って降りると、途端に札幌市内とは違う冷気がまとわりついてきた。
ブルッと襲って来た寒さに首を縮めている内にバスが静かに発車する。
その車体が見えなくなるまで見送ってしまったのは、やはり初めての土地に一人きりというのが不安だったのかもしれない。
「……さて、と!」
自分自身に活を入れたくて、わざと大きな声を出し辺りを見渡した。
真正面には見頃を終えた紅葉の寂しい色を纏ってなお堂々たる羊蹄山。頂上付近は既に冠雪しているから、その範囲が広がればますます美しくなるんだろうと思うと、今後の楽しみを見つけられた気がして嬉しくなる。
それからゆっくりと視線を転じて背後を見上げれば、そこにも山肌がはっきりと見てとれるニセコアンヌプリ山。ニセコ連峰の主峰にして四つのスキー場を擁する日本三百名山の一つだ。
三百がどれだけすごいのかはよく判らないが羊蹄山が百名山の一つだというんだから日本には凄い山が多いんだろう。たぶん。
「雪が無さすぎて、予定通りにオープン出来るのかは心配だけど……空気は美味しいし、あっちこっちに日帰り入浴の幟が立ってるし、食事も出来そうだし、……うん、ちゃんとやっていけるさ」
自分に言い聞かせるように呟いて笑顔を作る。
来てしまったんだから後は仕事も趣味も楽しむだけだ。
スーツケースの持ち手を伸ばし、タイヤをがらがら言わせながら歩き出す。
ウェルカムセンター前停留所の真横にも大きなホテルはあるが、この辺りはスキー場の権利や、自社のリフトを持っている大手リゾートホテルの陣地だ。メインがゴルフ場のテナントに入ってのレストラン経営といううちのホテルは坂の真ん中より少し上くらいの位置になる。
もちろん食事の美味しさに関しては他のホテルにも負けないつもりだが。
「……しっかし、雪だけじゃなく人気もないな」
ウェルカムセンターはゲレンデのすぐ傍ということもあって、バスが走って来た道道343号線から停留所まで坂道を100メートル近く上がって来たから、少し視線を下げるだけで周辺のホテルや飲食店の様子が一望出来る。
人気がなく閑散としている商業通りも時期が来たら賑わうのだろうが、いまはそういう気配が全くなくて。
「んー……なんだろ。もうホームシックなのか、情緒が不安定だ」
高校時代の留学の時も大変だったなと思い出しつつ、いつもスマホに吊るして持ち歩いている匂袋を握りしめた。あの頃は薫っていたユーカリの匂いはとっくにしなくなり、布地も擦りきれてしまっているが、当時の自分を立ち直らせてくれた大切な宝物。これをくれた、ユーカリの匂いがしたお兄さんは恩人も同然だ。
「情けないなって思うけど、もうすっかり癖になってるからなぁ」
呟きに苦笑が混じった。
もう社会人なのに、不安が増してくるとつい触ってしまう。
此処は、これから半年間働く場所。
仕事だからと割り切れば何と言うことも無いはずだ。
まだ時期が早いだけ。雪が降ればだんだんと賑わっていくのは間違いないし、これからなんだ。
だけどバスから降りたのは自分だけだったし、坂道に見える人影は数えられる程度だし、完全に葉を落とした枯れ木が並んでいる景色はひどく寂しい。
「はぁ……なんか別のことを考え……そういえば時間!」
スマホで時刻を確認し、安心した。
今日は現地で合流するスタッフとホテル前で待ち合わせし、複数人立ち合いのもとでホテルと、寮の鍵を開けることになっているのだ。
「よかった、あと一時間ある……んー……あと一時間か。お店開いてるかな……」
バス移動中に美笛峠で大人気のあげいもは食べたし、とても美味しかったが、昼食には足りなかった。
と、なれば。
ホテルでは外国語に堪能という理由でフロント業務に就く事が決まっているのだし、周辺を散策して情報を集めるのも業務の内だ。
時間もあるんだから歩いて回ればいい。
「そうと決まれば荷物が邪魔だな。どこか……あ、ウェルカムセンターならコインロッカーがあるかも」
来た道を戻って閑散としたセンターに入ると、予想通りにたくさんのロッカーが並んでいて、スーツケースが入るサイズも揃っている。
ホテルをチェックアウトした後も滑って帰るという人が多いからだろう。
ただーー。
「700円……持って歩くか」
一時間弱にその値段を払うのは勿体無い気がして、そのままウェルカムセンターを後にした。
それから、しばらく。
いっそ道道までスキー場にして滑走してもいいんじゃないかと思うような傾斜を登り下りした。
バスが行き交うため幅広い坂道の両サイドにはたくさんの建物が並んでいる。
ホテルやペンションといった宿泊施設はもちろん、オシャレなカフェや、こじんまりとした居酒屋、スキー用品の販売店、みやげ屋、などなど。平地まで下りると道道沿いに何処ででも見かけるコンビニや飲食のチェーン店。
馴染みのある看板に少しだけホッとしたが、振り返って坂道を見上げると溜息が零れる。
「……ふはぁ……」
坂道と言うより、もはや登山だ。
コンビニに行くだけでこれの往復かと思うとなかなかしんどい。
しかし夏場のレストラン業務に比べたら活動量が減るだろうフロント業務。コンビニまで往復するのが運動だと考えれば悪くない……かもしれない?
歩くのを楽しんでいたらあっという間に時間が経ってしまい、幸いコンビニにも人気がなかったので腹ごしらえはイートインで済ませることにした。そして待ち合わせの五分前にはうちのホテルの前へ。
坂道の、真ん中よりやや上に建っていて、利便性はもっと上にある大手ホテルに比べたら悪いものの、その分だけ宿泊費が抑えられる点と、料理が美味しいという理由で一定の評価有り。
明るい青紫色の壁色で目立つ三階建て。
客室数は120、総収容人数約400名の宿泊施設、それが今日からの職場『ホテル ブロンシュ』だ。
※国の道が国道、○○県の道路が県道、北海道の道路は道道です。
下車するのは俺一人。
この時期はそれも仕方ないのだろうけど、周囲が静かすぎるというか、時間が淡々と過ぎていくのがひどく落ち着かない。
「ありがとうございました」
代金は支払い済みだから運転手さんにお礼だけ言って降りると、途端に札幌市内とは違う冷気がまとわりついてきた。
ブルッと襲って来た寒さに首を縮めている内にバスが静かに発車する。
その車体が見えなくなるまで見送ってしまったのは、やはり初めての土地に一人きりというのが不安だったのかもしれない。
「……さて、と!」
自分自身に活を入れたくて、わざと大きな声を出し辺りを見渡した。
真正面には見頃を終えた紅葉の寂しい色を纏ってなお堂々たる羊蹄山。頂上付近は既に冠雪しているから、その範囲が広がればますます美しくなるんだろうと思うと、今後の楽しみを見つけられた気がして嬉しくなる。
それからゆっくりと視線を転じて背後を見上げれば、そこにも山肌がはっきりと見てとれるニセコアンヌプリ山。ニセコ連峰の主峰にして四つのスキー場を擁する日本三百名山の一つだ。
三百がどれだけすごいのかはよく判らないが羊蹄山が百名山の一つだというんだから日本には凄い山が多いんだろう。たぶん。
「雪が無さすぎて、予定通りにオープン出来るのかは心配だけど……空気は美味しいし、あっちこっちに日帰り入浴の幟が立ってるし、食事も出来そうだし、……うん、ちゃんとやっていけるさ」
自分に言い聞かせるように呟いて笑顔を作る。
来てしまったんだから後は仕事も趣味も楽しむだけだ。
スーツケースの持ち手を伸ばし、タイヤをがらがら言わせながら歩き出す。
ウェルカムセンター前停留所の真横にも大きなホテルはあるが、この辺りはスキー場の権利や、自社のリフトを持っている大手リゾートホテルの陣地だ。メインがゴルフ場のテナントに入ってのレストラン経営といううちのホテルは坂の真ん中より少し上くらいの位置になる。
もちろん食事の美味しさに関しては他のホテルにも負けないつもりだが。
「……しっかし、雪だけじゃなく人気もないな」
ウェルカムセンターはゲレンデのすぐ傍ということもあって、バスが走って来た道道343号線から停留所まで坂道を100メートル近く上がって来たから、少し視線を下げるだけで周辺のホテルや飲食店の様子が一望出来る。
人気がなく閑散としている商業通りも時期が来たら賑わうのだろうが、いまはそういう気配が全くなくて。
「んー……なんだろ。もうホームシックなのか、情緒が不安定だ」
高校時代の留学の時も大変だったなと思い出しつつ、いつもスマホに吊るして持ち歩いている匂袋を握りしめた。あの頃は薫っていたユーカリの匂いはとっくにしなくなり、布地も擦りきれてしまっているが、当時の自分を立ち直らせてくれた大切な宝物。これをくれた、ユーカリの匂いがしたお兄さんは恩人も同然だ。
「情けないなって思うけど、もうすっかり癖になってるからなぁ」
呟きに苦笑が混じった。
もう社会人なのに、不安が増してくるとつい触ってしまう。
此処は、これから半年間働く場所。
仕事だからと割り切れば何と言うことも無いはずだ。
まだ時期が早いだけ。雪が降ればだんだんと賑わっていくのは間違いないし、これからなんだ。
だけどバスから降りたのは自分だけだったし、坂道に見える人影は数えられる程度だし、完全に葉を落とした枯れ木が並んでいる景色はひどく寂しい。
「はぁ……なんか別のことを考え……そういえば時間!」
スマホで時刻を確認し、安心した。
今日は現地で合流するスタッフとホテル前で待ち合わせし、複数人立ち合いのもとでホテルと、寮の鍵を開けることになっているのだ。
「よかった、あと一時間ある……んー……あと一時間か。お店開いてるかな……」
バス移動中に美笛峠で大人気のあげいもは食べたし、とても美味しかったが、昼食には足りなかった。
と、なれば。
ホテルでは外国語に堪能という理由でフロント業務に就く事が決まっているのだし、周辺を散策して情報を集めるのも業務の内だ。
時間もあるんだから歩いて回ればいい。
「そうと決まれば荷物が邪魔だな。どこか……あ、ウェルカムセンターならコインロッカーがあるかも」
来た道を戻って閑散としたセンターに入ると、予想通りにたくさんのロッカーが並んでいて、スーツケースが入るサイズも揃っている。
ホテルをチェックアウトした後も滑って帰るという人が多いからだろう。
ただーー。
「700円……持って歩くか」
一時間弱にその値段を払うのは勿体無い気がして、そのままウェルカムセンターを後にした。
それから、しばらく。
いっそ道道までスキー場にして滑走してもいいんじゃないかと思うような傾斜を登り下りした。
バスが行き交うため幅広い坂道の両サイドにはたくさんの建物が並んでいる。
ホテルやペンションといった宿泊施設はもちろん、オシャレなカフェや、こじんまりとした居酒屋、スキー用品の販売店、みやげ屋、などなど。平地まで下りると道道沿いに何処ででも見かけるコンビニや飲食のチェーン店。
馴染みのある看板に少しだけホッとしたが、振り返って坂道を見上げると溜息が零れる。
「……ふはぁ……」
坂道と言うより、もはや登山だ。
コンビニに行くだけでこれの往復かと思うとなかなかしんどい。
しかし夏場のレストラン業務に比べたら活動量が減るだろうフロント業務。コンビニまで往復するのが運動だと考えれば悪くない……かもしれない?
歩くのを楽しんでいたらあっという間に時間が経ってしまい、幸いコンビニにも人気がなかったので腹ごしらえはイートインで済ませることにした。そして待ち合わせの五分前にはうちのホテルの前へ。
坂道の、真ん中よりやや上に建っていて、利便性はもっと上にある大手ホテルに比べたら悪いものの、その分だけ宿泊費が抑えられる点と、料理が美味しいという理由で一定の評価有り。
明るい青紫色の壁色で目立つ三階建て。
客室数は120、総収容人数約400名の宿泊施設、それが今日からの職場『ホテル ブロンシュ』だ。
※国の道が国道、○○県の道路が県道、北海道の道路は道道です。
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