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誓い抱きし者達
十
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「…里界…」
虚ろな眼差しで、自分から出た魔物と竜騎の姿を見ていた光は無意識の中で呟いた。
闇狩一族の始祖里界神(りかいしん)が住まう郷。
深海・紅蓮・蒼空・永緑、四匹の竜を従えた神々の聖なる星、里界。
「…は…はは…」
思わず笑ってしまって…、自分でもおかしくなるくらい力ない声に、またおかしくなって。
「光君?」
ずっと彼を支えていた裕幸が、不安そうな目で見つめてくる。
いつでも優しかった裕幸。
“彼女”を死なせてしまった時でさえ光の存在を拒まず、あるがままを受け入れて叱咤してくれ、五年も会わずにいたというのに、こうして傍にいてくれる。
光のために雪子を遠ざけ、人から闇を分離させるなんて神業を成し遂げて、光に狩人のまま死ねる場所を作ってくれた。
…どうして今日に限って、名雪の墓前に花を置いてきたのだろう。
裕幸と竜騎がどう思うかが怖くて、墓参りには行っても、来たという足跡は残さずに帰っていたのに、どうして今日に限って自分の存在を残してきたのか。
雪子という、守りたい存在を手にしたことで気持ちに変化があったから、というのも一つの理由だ。
河夕が今後どんな手段でもって是羅を倒すか、それを知ってしまった後で深く考えることをしていなかったからかもしれない。
――だが本当は甘えていた。
助けて欲しかったのだ。
五年前に自分を救った、影主の輝きに似た彼らの力に。
「僕は…いつだって気付くのが遅いんですね……」
視界が定まらず、自分がどこを見ているのかも、もう判らない。
ただ竜騎が傍に戻ってきたのを気配で感じながら、…光は笑んだつもりだった。
「姉が苦しんでいるのに気付かず…、この手で、殺めて…、自分が狙われていることにも気付かずに名雪さんを死なせてしまって…、本当なら裕幸さんと竜騎さんにもう一度会うなんて…、決して許されるはずがなかったのに……」
「光君…」
「…ぇれど…けれど、これだけは…まだ間に合うのなら……」
ふと頬に温かな雫が落ちてきて、光は手を持ち上げた。
目的もないまま宙を彷徨っている手を、裕幸が強く握り締める。
「お二人に…、ここで、祈れば……、願いは里界神に届きますか……?」
闇と戦い、是羅を滅すために闇狩一族を興した始祖にこの願いは届くだろうか。
そう問う光に、裕幸は小さく、けれどはっきりと頷いた。
「…言ってごらん」
時を追うごとに冷たくなっていく体で、か細く、今にも消えてしまいそうな声で必死に紡がれる言葉を、裕幸は受け入れたいと思った。
裕幸も、竜騎も。
ほんの一時とはいえ弟のように愛した少年の願いを無視することなど出来ない。
認められて、促されて、…そうして今度こそ光は笑んで見せた。
これが最期。
この世に残す最後の願い。
「…どうか…どうか河夕さんを救ってください……」
閉じた瞼に映る王の姿。
漆黒の髪に黒曜石の瞳。是羅を倒すために自らの死を選ぼうとしているたった一人の自分の主。
「あの人を…河夕さんを、一族から奪わないでください…、もう…もう誰も泣かせたくはないんです…っ」
彼の弟妹を。
一族の同志を。
岬と、雪子を。
「勝手な…自分勝手な願いです…僕は貴方から名雪さんを奪ったのに…名雪さんと、生まれてくる子供を奪ったのに…、こんな、勝手な……けれど…お願いです…河夕さんを…」
「光君…」
「河夕さんを死なせないで下さい……っ…」
魔物に侵され、人としての機能を果たさなくなった体には、もはや涙さえ存在しない。
けれど必死な想いは、その言葉だけで充分だった。
「…光君…、…光君、判るかい?」
裕幸は静かに問いかけ、光の目線の高さを少しだけ下げてやる。
そうして数秒、裕幸に握られていた手に、小さくて暖かい何かが触れた。――子供の手が重なった。
「……?」
「見えるかな…、名雪の娘だよ」
「……っ?!」
「名雪の子供だよ。今日で五歳になった」
「…今日…?」
彼女の命日、この日が彼女の娘の誕生日。
光は信じ難い言葉に自分の耳を疑い、力を振り絞って開けた視界に映った小さな少女に目を見開く。
有葉よりも幼く、小さな小さな手で光の手を包み込む女の子に、あの日の名雪の面影を確かに見出して、震えた。
人懐っこい仔犬のように愛らしい大きな目。
「おにいちゃんが、ひかるくん?」
そう呼びかける彼女の声。
「そんな…っ」
「名前は瑞乃。…本当はあの時に教えてあげられればよかったんだけど、名雪が死んだ後に生まれて、ずっと集中治療室に入ったままだったんだ。母体が酷い状態だったからこの子も助からないと思った方がいいと言われていた…、けれど助かった。名雪は君だけじゃなく自分の娘も守ったんだ。彼女は俺に、何より大事な子供を遺してくれたんだよ」
「っ……」
「…光君が闇に憑かれたのは気配で察していたから、結界で隠していたんだ。瑞乃は普通の人間、このくらいの子供は闇に狙われやすいし、ああいう化け物を見せたくはなかったからね」
闇の魔物が何より好むのは無垢な子供の血肉。今まで光がその身を晒してきたような場所に、こんな幼い子供が無防備な状態でいれば、一瞬後には髪の毛一本さえ残さずに消えてしまうだろう。
それほど危険だと解っていて、それでも光と会わせるために連れてきてくれた。
そんな彼らの気持ちが嬉しくて、もったいなくて。
「君は五年前のことを後悔して今まで苦しんできた。それでも守りたい人を見つけて一人前の狩人になって、名雪が君を庇った現実を無意味なものにせず生きてきた。そんな君を俺達は誇りに思う」
「…僕は…僕は名雪さんに償えましたか…? 貴方に…償えたんですか…っ?」
「償いなんて考えなくてよかったんだよ」
言って、裕幸は微笑んだ。
「俺にはこの子がいた。竜騎が傍にいてくれた。だから彼女の死は悲しかったけれど、独りじゃなかったから自分らしく生きてこられた。君も、ずっと傍にいてくれた人がいるなら判るはずだよ」
言われて思い出すのは影見の三兄妹や一族の仲間達。
そして失ったものを取り戻させてくれた雪子の、照れ隠しに怒る、あの愛らしい表情。
独りではなかったから。
彼らが傍にいてくれたから、今の自分でいられた。
「……っ…」
「君は償うことを考えるより俺達に会いに来てくれればよかったんだ。元気にしている姿を見せてくれれば、もっと早く瑞乃のことを伝えられた。もっと早く君を過去から解放できたんだから」
「っ…」
「この五年間、君のことだけが心配だったけれど…、君にも大事な人がいたんだとわかって嬉しかったよ」
「…裕幸…さ、ん…」
「君の祈りは必ず里界神に届く。約束しよう」
「…ぁ……あぁ…っ」
最期の最後に、こんなに満たされていいのかと思う。
闇の力を自ら呼び込んで、雪子さえ守れればいいと考えていたのに、守られたのは…、救われたのは、自分自身だ。
虚ろな眼差しで、自分から出た魔物と竜騎の姿を見ていた光は無意識の中で呟いた。
闇狩一族の始祖里界神(りかいしん)が住まう郷。
深海・紅蓮・蒼空・永緑、四匹の竜を従えた神々の聖なる星、里界。
「…は…はは…」
思わず笑ってしまって…、自分でもおかしくなるくらい力ない声に、またおかしくなって。
「光君?」
ずっと彼を支えていた裕幸が、不安そうな目で見つめてくる。
いつでも優しかった裕幸。
“彼女”を死なせてしまった時でさえ光の存在を拒まず、あるがままを受け入れて叱咤してくれ、五年も会わずにいたというのに、こうして傍にいてくれる。
光のために雪子を遠ざけ、人から闇を分離させるなんて神業を成し遂げて、光に狩人のまま死ねる場所を作ってくれた。
…どうして今日に限って、名雪の墓前に花を置いてきたのだろう。
裕幸と竜騎がどう思うかが怖くて、墓参りには行っても、来たという足跡は残さずに帰っていたのに、どうして今日に限って自分の存在を残してきたのか。
雪子という、守りたい存在を手にしたことで気持ちに変化があったから、というのも一つの理由だ。
河夕が今後どんな手段でもって是羅を倒すか、それを知ってしまった後で深く考えることをしていなかったからかもしれない。
――だが本当は甘えていた。
助けて欲しかったのだ。
五年前に自分を救った、影主の輝きに似た彼らの力に。
「僕は…いつだって気付くのが遅いんですね……」
視界が定まらず、自分がどこを見ているのかも、もう判らない。
ただ竜騎が傍に戻ってきたのを気配で感じながら、…光は笑んだつもりだった。
「姉が苦しんでいるのに気付かず…、この手で、殺めて…、自分が狙われていることにも気付かずに名雪さんを死なせてしまって…、本当なら裕幸さんと竜騎さんにもう一度会うなんて…、決して許されるはずがなかったのに……」
「光君…」
「…ぇれど…けれど、これだけは…まだ間に合うのなら……」
ふと頬に温かな雫が落ちてきて、光は手を持ち上げた。
目的もないまま宙を彷徨っている手を、裕幸が強く握り締める。
「お二人に…、ここで、祈れば……、願いは里界神に届きますか……?」
闇と戦い、是羅を滅すために闇狩一族を興した始祖にこの願いは届くだろうか。
そう問う光に、裕幸は小さく、けれどはっきりと頷いた。
「…言ってごらん」
時を追うごとに冷たくなっていく体で、か細く、今にも消えてしまいそうな声で必死に紡がれる言葉を、裕幸は受け入れたいと思った。
裕幸も、竜騎も。
ほんの一時とはいえ弟のように愛した少年の願いを無視することなど出来ない。
認められて、促されて、…そうして今度こそ光は笑んで見せた。
これが最期。
この世に残す最後の願い。
「…どうか…どうか河夕さんを救ってください……」
閉じた瞼に映る王の姿。
漆黒の髪に黒曜石の瞳。是羅を倒すために自らの死を選ぼうとしているたった一人の自分の主。
「あの人を…河夕さんを、一族から奪わないでください…、もう…もう誰も泣かせたくはないんです…っ」
彼の弟妹を。
一族の同志を。
岬と、雪子を。
「勝手な…自分勝手な願いです…僕は貴方から名雪さんを奪ったのに…名雪さんと、生まれてくる子供を奪ったのに…、こんな、勝手な……けれど…お願いです…河夕さんを…」
「光君…」
「河夕さんを死なせないで下さい……っ…」
魔物に侵され、人としての機能を果たさなくなった体には、もはや涙さえ存在しない。
けれど必死な想いは、その言葉だけで充分だった。
「…光君…、…光君、判るかい?」
裕幸は静かに問いかけ、光の目線の高さを少しだけ下げてやる。
そうして数秒、裕幸に握られていた手に、小さくて暖かい何かが触れた。――子供の手が重なった。
「……?」
「見えるかな…、名雪の娘だよ」
「……っ?!」
「名雪の子供だよ。今日で五歳になった」
「…今日…?」
彼女の命日、この日が彼女の娘の誕生日。
光は信じ難い言葉に自分の耳を疑い、力を振り絞って開けた視界に映った小さな少女に目を見開く。
有葉よりも幼く、小さな小さな手で光の手を包み込む女の子に、あの日の名雪の面影を確かに見出して、震えた。
人懐っこい仔犬のように愛らしい大きな目。
「おにいちゃんが、ひかるくん?」
そう呼びかける彼女の声。
「そんな…っ」
「名前は瑞乃。…本当はあの時に教えてあげられればよかったんだけど、名雪が死んだ後に生まれて、ずっと集中治療室に入ったままだったんだ。母体が酷い状態だったからこの子も助からないと思った方がいいと言われていた…、けれど助かった。名雪は君だけじゃなく自分の娘も守ったんだ。彼女は俺に、何より大事な子供を遺してくれたんだよ」
「っ……」
「…光君が闇に憑かれたのは気配で察していたから、結界で隠していたんだ。瑞乃は普通の人間、このくらいの子供は闇に狙われやすいし、ああいう化け物を見せたくはなかったからね」
闇の魔物が何より好むのは無垢な子供の血肉。今まで光がその身を晒してきたような場所に、こんな幼い子供が無防備な状態でいれば、一瞬後には髪の毛一本さえ残さずに消えてしまうだろう。
それほど危険だと解っていて、それでも光と会わせるために連れてきてくれた。
そんな彼らの気持ちが嬉しくて、もったいなくて。
「君は五年前のことを後悔して今まで苦しんできた。それでも守りたい人を見つけて一人前の狩人になって、名雪が君を庇った現実を無意味なものにせず生きてきた。そんな君を俺達は誇りに思う」
「…僕は…僕は名雪さんに償えましたか…? 貴方に…償えたんですか…っ?」
「償いなんて考えなくてよかったんだよ」
言って、裕幸は微笑んだ。
「俺にはこの子がいた。竜騎が傍にいてくれた。だから彼女の死は悲しかったけれど、独りじゃなかったから自分らしく生きてこられた。君も、ずっと傍にいてくれた人がいるなら判るはずだよ」
言われて思い出すのは影見の三兄妹や一族の仲間達。
そして失ったものを取り戻させてくれた雪子の、照れ隠しに怒る、あの愛らしい表情。
独りではなかったから。
彼らが傍にいてくれたから、今の自分でいられた。
「……っ…」
「君は償うことを考えるより俺達に会いに来てくれればよかったんだ。元気にしている姿を見せてくれれば、もっと早く瑞乃のことを伝えられた。もっと早く君を過去から解放できたんだから」
「っ…」
「この五年間、君のことだけが心配だったけれど…、君にも大事な人がいたんだとわかって嬉しかったよ」
「…裕幸…さ、ん…」
「君の祈りは必ず里界神に届く。約束しよう」
「…ぁ……あぁ…っ」
最期の最後に、こんなに満たされていいのかと思う。
闇の力を自ら呼び込んで、雪子さえ守れればいいと考えていたのに、守られたのは…、救われたのは、自分自身だ。
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