【完結】闇狩

柚鷹けせら

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闇狩の血を継ぐ者

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 北海道の地で墓参りを終え、再び鏡から鏡に通じる道を通って本部へ帰ろうとしていた光と雪子は、しかしその場で立ち止まり、互いの顔を見合わせていた。

「ねえ、本当に大丈夫? 泣いたのばれるような顔してない?」
「心配ありませんよ。いつもの雪子さんです」

 小さな笑いを交えた光の返答に、雪子は二度頷いて「よしっ」と気合を入れなおす。

「本部に戻ったら、影見君と一対一で勝負よ!」
「お手柔らかに。あの人はどうしても雪子さんと岬君に弱いですからね」

 霊園での出来事などまるで感じさせない二人の姿は、それでも何かを吹っ切ったような
 落ち着きを取り戻していた。
 雪子の目からは不安定な精神状態に揺れる危うさが消えていた。
 それが光を安心させる。

「ではそろそろ戻りましょうか」
「うん」

 応える態度にも迷いがない。
 こういう雪子の姿が嬉しかった。
 もう大丈夫だろうと、そう信じられた。
 これから辛い結末を迎えることになってしまっても、きっと自分が彼女を支える。
 岬のことも、薄紅のことも。
 きっと大丈夫だと、光はそう信じたかった。
 だが悪い予感というものがよく当たるように、不運は唐突に訪れる。
 光がまだ呪いをかける前だというのに全身を映す鏡が黒く染まり、本部から通じる不思議の道が開かれた。

「誰か来ますね…」

 まさか河夕も「名雪」の墓参りをしたくなったのだろうかと考えて、すぐに違うと思い直す。
 異変なんてものじゃない、これは異常事態。
 この不快感は、魔物に取り付かれた狩人が放つ拒否反応の波動。

「! 雪子さん!!」

 ものすごい速度で向かってくる、何か。

「きゃあっ!」

 間一髪で光の腕が間に合い、雪子は無傷で済んだ。だが鏡から放たれたのは疑いようもなく殺傷を目的とする刃の閃き。雪子を狙って放たれたのだ。

「大丈夫ですか雪子さん!」
「う、うん…それより緑君は…」
「あぁ…どうやら失敗だったか」
「?!」

 唐突な声に振り返った光は、そこに紫紺の姿を認める。それがいつもの、闇狩十君の紫紺でないことも一目で分った。
 禍々しい赤い色の瞳。
 放たれる不快な波動…、紫紺は、闇に憑かれていた。

「…まだ十君から追放するだけの理由がないからと、その位を取り上げられずに済んだのに、まさかご自分でその理由をお作りになるとは…、河夕さんの希望に沿った行為を仕出かして下さるなんていったいどういう風の吹き回しですか?」

 不快に言い放つ光に、男は低く笑った。

「あのガキが言ったことなど構うものか。闇狩一族の新しい王は私だ。私が今度こそ正しい影主として一族を率いる」
「馬鹿なことを…闇に憑かれた貴方が王になって、誰が従うというんです」
「従わねば殺すまで。おまえは最初の見せしめだ、深緑」

 言い、赤い目が雪子を見る。

「その娘を手渡すなら、考え直してやってもいいがな」

 勝ち誇った顔で高飛車に言い放つ男を、雪子はキッと睨み付け、光は心底呆れた目で見返す。

「愚かな人だ…、玉座が狩人としての誇りも尊厳もなくした狩人を相応しい者として認めるはずがないでしょう。貴方のような愚か者を座らせて自己満足を満たせる場所というなら、その方がよっぽどマシなのかもしれませんが」
「…何が言いたい」
「玉座は父王を殺した者の罪の証だと、それを知ろうともしない貴方に従う狩人などいるはずがないと言っているんです」
「…」
「僕は河夕さんが王だからここに在るんです。あの人を亡くした一族に未練などありはしない、貴方が河夕さんを排除して王になるというなら勝手にしたらどうですか? たった一人あの本部に残り、言葉を交わす相手も触れる相手もないまま、王様ごっこがしたいのなら勝手に一人ですればいい。ええどうぞ、僕は決して止めませんよ」

 言っていて、だんだん腹が立ってくる。
 河夕のいない闇狩一族。それがすぐに現実のものになるとも知らず、河夕を恨んで、憎んで闇に憑かれ、是羅の欲する雪子を渡せと、彼女を傷つける行為に及んだ。
 なんて愚かで、醜い姿。
 紫紺は知らず知らずのうちに、確かに光の逆鱗に触れていた。

「その前に、貴方は河夕さんに救われるのでしょうけどね」
「なに…っ?」
「闇に憑かれた貴方を河夕さんは心から哀れむだろうと言っているんです。馬鹿な人だ、貴方は絶対に河夕さんに勝てやしないのに」
「貴様…っ」
「勝てるはずがないじゃありませんか、あの人は王になるべくしてなったんです。河夕さんは時代に選ばれた影主だ、貴方のような愚かで醜い人間には触れることさえ敵わないんですよ、紫紺殿!」

 もういいかげんにしてくれ、と。
 これ以上、河夕の存在が一族から消えることを自分に思い知らせるな、と。
 雪子がいなければ言い放っていた。
 決して知らせてはならない彼女の存在がなければ、光はきっと全てを怒りとともにぶつけていた。
 耐えていられたのは雪子がいたから。
 そしてまだ一族には河夕がいて、自分が河夕の十君であることを知っていたからだ。
 なのに。

「?!」

 なのに炎は上がった。

「き…っきゃあああああっ!!」
「っ……?!」

 激しい爆音。
 暴風と鋭い切っ先を持つ硝子の破片が二人を襲った。
 本部との道をつなぐ鏡が爆発し割れたのだと、自覚するまでの数秒間。雪子を全身で庇った光の頬や首筋、衣服の袖や背をその破片が切り裂いていく。

「っ…」
「緑君!」
「動かないで下さい」

 しっかりと雪子の華奢な体を抱き締め、楯となり。
 いまだ止まぬ暴風と凶器から彼女を守った。
 粉混じりの噴煙。
 不気味に暑い熱気。
 そして闇の傀儡と化した男の高らかな笑い声。

「クックックックッ…アハハハハハハ!!」

 散々笑い続け、周囲の煙がようやく薄れてきた頃、紫紺は心底愉快そうに話し出す。

「はっ、今ので何人の狩人が死んだと思う、深緑」
「……っ」
「いったい誰が罠にかかったか判るか?」

 愉悦に歪んだ紫紺の姿…、それに不快感を強め怒りが胸中を占めていた光は、不意に誰かの叫びを聞いた気がした。


 ――――駄目……っ!!


 そう叫んだのは誰だろう。
 その問いを爆発した鏡に向けて、あるべきはずのものがまったく感じられないことに気付いた。

「…河夕さん……?」

 常にそこにあった存在感。
 深緑の名を以って生涯の忠誠を誓った王の力が、まるで捕らえられない。
 完全に消えてしまっている。

「っ、河夕さん……!!」

 まさか。
 そんなことがあるはずはない。
 あってはならない、けれど確認できない、王の生死がつかめない……!

「紫紺…っ、いったいなにをした?!」

 怒りに我を忘れ、彼らしくない物言いで怒鳴った光に、紫紺は笑った。
 光の怒りさえ嬉しそうに受け止めて笑った。

「クククッ、…もし誰かがここまでの道を開こうとすれば爆発するようしかけたのさ。一つではなく、鏡の間におかれた数百の姿見すべてが一度にな。鏡の間だけじゃない。道になりそうなものはすべてだ。クックックックッ…、そう、もしかすると本部そのものが爆発したかもなぁ」
「なんてことを……っ」
「私はなぁ深緑。鏡に呪いをかけようとしたのは影主だろうと確信している」
「っ」
「なに、力が消えてしまったからじゃない。あの情を重んじる愚かなガキが私を追ってくるよう餌を転がしてきたからさ」
「餌…?」
「ああ。脆かったぞ、あの影見とは名ばかりのガキ共は。骨を砕くのにたいした力も必要なかった」
「?!」
「小娘など軽く蹴っただけで壁まで吹き飛ぶ…、あれで王の血族とは情けないと思わないか」
「あんた…まさか有葉ちゃんと生真君を……っ」

 雪子が怒りに震えた声を押し出すと、紫紺は笑みを強めた。
 それは肯定の反応。

「影主はさぞ怒っただろう。私に報復しようと追ってくると思うだろう? だが呪いをかけ道を開こうとしたとたんにドカン! 結果がこれだ」

 背後で粉々になった鏡を一瞥し、紫紺はやはり歪んだ笑みを口の端に上らせる。

「たとえ影主であろうと、鏡の間にある数百の姿見が一度に爆発したんだ…、さすがに死んだと思わないか?」
「……っ」
「クククッ…骨ぐらいは拾えるといいがな。ハッ、それも拾ってくれるだけの味方が生き残っていればの話しか。少なくとも…おまえはここで死に松橋雪子は是羅の手に落ちる」

 そうして紫紺の手に日本刀を模った闇狩の力が握られた。
 銀の刃を覆う濃い紫色の輝きは闇狩十君・紫紺の力の色であったが、今は常よりも酷く濁り、薄気味悪く見えた。
 闇に憑かれ、影主は死んだと嘯く男が、それでも使う力は闇狩の力なのだ。

「…馬鹿馬鹿しい」
「あ、緑、君……」
「まったく…救いようのない愚か者だ、貴方は」

 光の口調は、数秒前に比べればいくらか彼らしい。だが声音に含まれた冷笑、色素の薄い瞳に浮かぶ感情…、それらは雪子の知る光よりずっと危険な色を漂わせる。
 だが怖いとは思わなかった。
 彼が怒っている理由は明白だったし、当然、彼女自身が目の前の男に対して我慢の限界に来ているのだ。

「…雪子さん、しばらく一人にしてしまっても大丈夫ですか?」

 彼女に向く光の態度は柔らかい。けれどそれもかなり無理をしていた。笑うだけの余裕もない。紫紺に対する怒り、憎悪はそんな軽いものじゃない。

「緑君があの性悪で救いようのないバカぶっ飛ばすって約束してくれるなら一人になっても全然平気!」

 自分もこんなに怒ってるんだからという気持ちを込めて強く応じると、光は心強いと言いたげに目を細めた。

「貴女の仰せのままに」

 彼らしい言葉を口にし、雪子の周りに強めの結果を施し、光は紫紺と対峙した。
 遠慮はいらない。
 命の保障もしない。
 闇に憑かれた紫紺を闇狩として狩るだけ。
 容赦なく斬るだけだと、光は自分自身に言い聞かせた。
 その手に握られる刀の色は深緑。夏の自然を思い起こさせる生命力に溢れた輝きは光だけの狩人としての力。

「河夕さんは生きていますよ」
「どうかな」

 冷笑と、嘲笑。

「鏡が修復され河夕さんが貴方を追ってくるまで一時間もあれば充分だ」
「来れるものならな」

 信頼と軽侮。

「貴方には、自分のしたことをとくと後悔してもらいます」
「やれるものなら…」


 風が、凪いだ。
 二人の構えた刀の切っ先が陽炎のように揺れる。
 これが闇狩と闇の最終決戦の幕開け。
 始祖里界神の力を手に、狩人は駆ける。

「やってみるがいい!!」

 力は力を求めて閃光を放つ。




 場所は離れ、時は移り、遠ざかってしまったこの心。
 それでも想いが消えることはない。
 薄れることは決してなかった。
 守りたい……、君を。
 貴女を。
 誰よりも愛しい人をこの手で守りたい。


 そのためなら彼らは、己の命さえ惜しまないのだから……――――。
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