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想い忘れ得ぬ者
六
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「……ぁ」
「岬!」
「ぁ……ぁゆ……?」
「岬ちゃん!!」
「ぅき、こ……?」
言葉には聞こえない声。それでも岬の唇が音を奏でたことに違いはなかった。立ち上がっていた有葉がストンと再びソファに座った瞬間、安堵のためか声を上げて泣き出し、紅葉が幼い少女の頭を撫でる。
「岬、俺らが判るな?!」
「……?」
「岬っ」
「河夕さん」
詰め寄る河夕を光が柔らかく制し、落ち着いてくださいと目で訴える。
そうして次に雪子の肩を叩いて微笑んだ薄紅が、河夕の横に立って岬の額に手を当てた。
「頭は痛くない?」
聴いたことのない声に、岬はしばらく無反応だったが、そのうち小さくうなずいて薄紅の言葉に応えた。
「河夕様や雪子様のことも解るわね?」
岬はもう一度うなずいて、ようやく視界が開けて目にした初対面の少女に少なからず不安を覚える。
「ぁ、あなたは……」
言葉に聞こえる声。
岬の声。
「岬ちゃん……っ」
雪子はそれきり膝から崩れ、膝立ちの体勢でベッドに額を押し当てた。
泣き顔を隠しても、小刻みに揺れる肩が彼女の気持ちを代弁する。
河夕も大きく息をつき、泣き笑いに近い表情で岬の顔を見下ろした。
「岬……、こいつは俺の仲間だ。だから心配しなくていい」
「河夕……」
「ここにいるのは全員俺の仲間でおまえの味方だ」
「みか……た……」
そっと首を傾けて河夕の背後に目をやると、輪郭がぼやけてはいるものの大きな男の人や外国人みたいな人、それに河夕の妹・有葉が声を上げて泣いているのが判った。
「……有葉ちゃん……泣いてる……?」
「おまえがこんな馬鹿な真似するからだろ」
少なからず責めるような口調になってしまうが、それを責めることは誰もしない。河夕が、そして雪子がどんなに岬を心配していたかこの場にいる全員がわかっているからだ。
「どうして俺の話も聞かずにこんなことをしたんだ」
「……こんなこと……?」
河夕の言葉を復唱して、岬は自分の右手を持ち上げた。
手のひらを顔の前で広げ、じっと見つめているうち、ふと不思議な感情が溢れ出す。
「……なんで……」
呟く岬の眉間に縦皺が刻まれ、声音には怒りに似た音色が含まれる。
「なんで俺……生きてるの……?」
「――岬?」
「俺……死んだのに……」
思いがけない台詞に河夕は絶句し、雪子は顔を上げ、虚ろで青白い幼馴染の顔を凝視する。
「俺……死んだんでしょう……、だって心臓……銀のナイフが……」
「岬ちゃん……っ!」
「岬っ、おまえ自分が何を言ってるか判ってるのか?!」
「俺……死んだんだ……、死ななきゃ駄目だ……」
「岬!!」
これが本当に本物の岬なのか、河夕は疑った。
彼の中にもう一人、悲しみの中で死ぬことさえ出来なかった少女がいることを知っている河夕は、彼女が外に出てきているのではないかと思った―いや、そう思いたかったのだ。
岬の口からこんな台詞を聞きたくない。
そんなふうに思わせなくない。
けれど今目の前に横たわり、自分は死んだんだと呟く岬は紛れもなく高城岬本人だ。
「なんで俺……生きてるの……っ」
「――っ、岬!」
河夕はたまらずに叫んで乱暴に岬を起こす。
「いい加減にしろ!! おまえの勝手な行動のせいで俺や松橋がどんな思いしたか解ってるのか?!」
「河夕さ……」
「いったい誰がおまえに死んでくれと頼んだ!!」
「俺が死ななかったら河夕が死ぬんじゃないか!!」
「――?!」
「俺が死ねば是羅は死ぬ! それが出来なかったら河夕が自分のこと犠牲にして是羅を封印するんだろ?! 河夕のずっと昔のお祖父さんが速水にしたように!!」
「なっ……」
「岬くん、どこでそんなことを……」
光が驚愕の声を上げるも、それは本人の耳に届かない。
死んだはずの自分がまだここにいる。
是羅がまだ生きているという事実が岬には……、そして岬の内で、彼と心を一つにしつつある速水には恐ろしかった。
また影主を失ってしまう、その未来が怖かった。
「なんで助けたりしたんだよ……、あのまま死なせてくれればよかったんだ! それで是羅は滅びて万々歳じゃないか! それで何もかも終わったのにどうして……どうして俺は生きてる――」
「馬鹿!!」
雪子の怒声に肌と肌がぶつかりあう軽快な音が重なった。
彼女の平手が岬の頬を殴ったのだ。
「っ……」
「岬ちゃんの馬鹿! なんでそんなこと言うのよ!! 影見君の話、聞こうともしないでなんでそんな勝手なこと言うの?!」
ぶった雪子の手の方が痛い。
泣くのを必死にこらえようとする潤んだ瞳が切ない。
「なんで自分が死ねばよかったなんてっ、影見君の気持ち解ってない岬ちゃんにそんなこと言う資格ない!!」
「松橋……」
「雪子さん……」
「岬ちゃんが死んで是羅が死んで……そんなの誰が喜ぶのよ……っ!!」
雪子の悲痛な叫びが室内に響く。
蒼月や白鳥、黒炎はその場から動くことも出来ず、そして真っ青な顔をしてガタガタ震える有葉を紅葉がしっかりと抱きとめていた。
こんな話を有葉に見せるべきじゃない、聞かせるべきじゃない。
普段の河夕や光ならそれくらいの判断は出来たが今は無理だ。
自分の不注意のせいで岬を死なせてしまうところだった、それをずっと後悔していた少女に岬の発言は地獄を見るも同然で、目を逸らすこともできないのが、残酷で。
「なんで判らないの……っ? なんでこんな……!」
「……じゃないか……」
不意に岬が口を開く。
「判ってないのは雪子や河夕の方じゃないか……!」
「岬……、岬!」
言い放ったかと思った直後、今まで昏睡状態を続けていたはずの少年は機敏な動作でベッドを飛び降り、呆気にとられた光の脇をすり抜けて壁際に立った。
同時にベッドを囲んでいた医療機器を倒し、無残な姿へと変えていく。
「岬動くな!」
「うるさい!!」
闇狩一族の術で傷をふさいだとは言え、あれからまだ一日も経っていないのだ。無理に動いて体を酷使したり、声を張り上げれば傷に障る。そう言ったところで今の岬は素直に聞き入れない。それがなおさら河夕の我慢の限界を振り切った。
「おまえ……っ、助けられていったい何が不満だ!! 俺に心配させて松橋泣かせて! 光と蒼月に徹夜で看病させて白鳥にクソジジイの相手させて! おまえを助けようとしてる俺ら全員相手にケンカ売ってンのか?!」
「助けてくれなんて頼んでない!」
「岬?!」
「俺は死にたかったんだ! それで是羅が死ぬ、それが判ったから死のうとしたのになんで助けたんだよ!! 人の気持ち解ってないのは河夕の方じゃないか!」
――解ってらっしゃらないのは、貴方の方ではありませんか……――
「!」
壁際に立って声を張り上げていた岬、その背後に、何の前触れもなく女の姿が重なった。
黒く長い髪に白磁の肌。
大きな目を哀しげに細め、美少女といって差し支えない顔立ちを悲しみに歪めた彼女、その名を、河夕だけが知っている。
「速水……」
「え?!」
河夕の口から紡がれた、今さっきまで聞いていた少女の名前に、突然の現象に驚きを隠せずにいた面々が息を呑む。
「あれが速水……?」
雪子と光、それに十君の彼らも初めて対面する、闇の女帝と信じられてきた少女。
河夕の話を聞いた後でもあるせいか、副総帥から聞く『闇の女帝』などそこには存在せず、ただどこまでも哀しく儚い少女がいるだけだ。
岬と同じ動作で、同じ唇の動きで、二人の声が重なって響く。
顔立ちは似ても似つかず、二人の間には少年と少女という明らかな違いがあるにもかかわらず同一に見えるのは、長い間、二つの魂が一つの体を共有してきたせいなのか。
――解ってらっしゃらないのは貴方のほう……、私が死ななくても是羅を倒す方法はあるからと優しい嘘で私を騙して……
――貴方を失ったときの私の気持ちなど考えても下さらなかった……!!
「河夕が死なずに済むなら……死なずに済むなら俺なんか死んで構わなかったのに……っ、五百年も経ったのに河夕は俺の気持ち解ってない……!」
「――! そんなもの解るわけないだろ! 何が五百年だ! 俺は生まれて二十年のガキだぞ!!」
「河夕は……っ」
――貴方は……っ
「しっかりしろ岬!」
二人の声を遮って河夕は怒鳴る。
「おまえは誰だ! 速水とは違うだろ!! おまえはおまえだ、違うか!!」
強く言い放ちながら、河夕は光に手を出した。
「薬をよこせ」と素早く言い放ち、戸惑う光から目的の錠剤を受け取る。
「けれど河夕さん、今の岬君が素直に飲むはず」
水もなくてどうするんですかと続ける光を完全に無視して、河夕は一歩一歩岬に近づいた。
「誰から何を……、その速水から何をどこまで聞いたのか知らないけどな、おまえが死んで是羅が死んだってちっとも有り難くない。俺はそんな方法を選ぶために王になったわけじゃないんだ!」
「けど……っ」
「黙れ!」
一つ怒鳴った河夕の手が岬の腕を捕らえる。
光から受け取った錠剤を、河夕は自分の口に放り込んだ。
「え、河夕さん……?」
光がまさかと目を見張ると同時。
「っ、かわ……」
「影見君?!」
雪子の上げた甲高い声も河夕をとめることは出来なかった。
近づいてくる河夕の美貌に驚き声を上げた岬。その開いた唇に、河夕は迷わず自分の唇を重ねた。
「―――っ?!」
岬に重なっていた速水の姿は驚いたように揺れ、一瞬で消え失せる。
口移しで光から受け取った錠剤を岬の咽に流した河夕は、これで吐き出すのは無理だと確信してから唇を放した。
「……」
「え……あ……」
背後のギャラリーも岬も絶句して動くことも出来ずにいる。
だがそれもほんの数秒で、唐突に岬の足の力が抜けて倒れこむと、光や薄紅が一拍遅れて動き出した。
「か、河夕……」
「もう少し眠れ。体がちゃんと回復したらケンカでも何でも付き合ってやるから」
「かわ……」
河夕……と、名を呟きながら意識を手放した岬は脱力して河夕の腕に倒れこむ。
岬に飲ませたのは即効性の睡眠薬で、眠れない怪我人を二十四時間眠らせて治りきっていない傷を完治させる効果がある。日常的な戦の中に生きる狩人達に必要不可欠な薬だ。
「河夕さん……、やることが唐突過ぎやしませんか?」
呆れた様子の光に、河夕は苦虫を噛み潰したような顔で相手を睨む。
「素直に薬飲ませられるならそうしたさ」
「確かに飲んでくれそうにはありませんでしたけど……」
光はチラと背後を振り返って、異質なオーラを発し始めた少女に苦笑いする。
「僕は知りませんよ」
「あ?」
眠った岬を光が抱き上げてベッドに運ぶため河夕から離れていくと、それと交代するように一人の少女が怪しい笑いを漏らしつつ河夕の腕を引いた。
「か~げ~み~く~ん……?」
「っ……」
不気味な声を発して自分を見上げる少女に、河夕は思わずあとずさる。
「松橋っ、今のは……!」
「問答無用!!」
――その後、雪子のお怒りは河夕を直撃し、蒼月や白鳥以下数名は滅多に見られない河夕の哀れな姿に失笑を禁じえなかった。
地球で―日本で二月が終わったこの日、彼らの知らぬところで最終決戦への歯車はゆっくりと、だが確実に回り始めたのだった……。
「岬!」
「ぁ……ぁゆ……?」
「岬ちゃん!!」
「ぅき、こ……?」
言葉には聞こえない声。それでも岬の唇が音を奏でたことに違いはなかった。立ち上がっていた有葉がストンと再びソファに座った瞬間、安堵のためか声を上げて泣き出し、紅葉が幼い少女の頭を撫でる。
「岬、俺らが判るな?!」
「……?」
「岬っ」
「河夕さん」
詰め寄る河夕を光が柔らかく制し、落ち着いてくださいと目で訴える。
そうして次に雪子の肩を叩いて微笑んだ薄紅が、河夕の横に立って岬の額に手を当てた。
「頭は痛くない?」
聴いたことのない声に、岬はしばらく無反応だったが、そのうち小さくうなずいて薄紅の言葉に応えた。
「河夕様や雪子様のことも解るわね?」
岬はもう一度うなずいて、ようやく視界が開けて目にした初対面の少女に少なからず不安を覚える。
「ぁ、あなたは……」
言葉に聞こえる声。
岬の声。
「岬ちゃん……っ」
雪子はそれきり膝から崩れ、膝立ちの体勢でベッドに額を押し当てた。
泣き顔を隠しても、小刻みに揺れる肩が彼女の気持ちを代弁する。
河夕も大きく息をつき、泣き笑いに近い表情で岬の顔を見下ろした。
「岬……、こいつは俺の仲間だ。だから心配しなくていい」
「河夕……」
「ここにいるのは全員俺の仲間でおまえの味方だ」
「みか……た……」
そっと首を傾けて河夕の背後に目をやると、輪郭がぼやけてはいるものの大きな男の人や外国人みたいな人、それに河夕の妹・有葉が声を上げて泣いているのが判った。
「……有葉ちゃん……泣いてる……?」
「おまえがこんな馬鹿な真似するからだろ」
少なからず責めるような口調になってしまうが、それを責めることは誰もしない。河夕が、そして雪子がどんなに岬を心配していたかこの場にいる全員がわかっているからだ。
「どうして俺の話も聞かずにこんなことをしたんだ」
「……こんなこと……?」
河夕の言葉を復唱して、岬は自分の右手を持ち上げた。
手のひらを顔の前で広げ、じっと見つめているうち、ふと不思議な感情が溢れ出す。
「……なんで……」
呟く岬の眉間に縦皺が刻まれ、声音には怒りに似た音色が含まれる。
「なんで俺……生きてるの……?」
「――岬?」
「俺……死んだのに……」
思いがけない台詞に河夕は絶句し、雪子は顔を上げ、虚ろで青白い幼馴染の顔を凝視する。
「俺……死んだんでしょう……、だって心臓……銀のナイフが……」
「岬ちゃん……っ!」
「岬っ、おまえ自分が何を言ってるか判ってるのか?!」
「俺……死んだんだ……、死ななきゃ駄目だ……」
「岬!!」
これが本当に本物の岬なのか、河夕は疑った。
彼の中にもう一人、悲しみの中で死ぬことさえ出来なかった少女がいることを知っている河夕は、彼女が外に出てきているのではないかと思った―いや、そう思いたかったのだ。
岬の口からこんな台詞を聞きたくない。
そんなふうに思わせなくない。
けれど今目の前に横たわり、自分は死んだんだと呟く岬は紛れもなく高城岬本人だ。
「なんで俺……生きてるの……っ」
「――っ、岬!」
河夕はたまらずに叫んで乱暴に岬を起こす。
「いい加減にしろ!! おまえの勝手な行動のせいで俺や松橋がどんな思いしたか解ってるのか?!」
「河夕さ……」
「いったい誰がおまえに死んでくれと頼んだ!!」
「俺が死ななかったら河夕が死ぬんじゃないか!!」
「――?!」
「俺が死ねば是羅は死ぬ! それが出来なかったら河夕が自分のこと犠牲にして是羅を封印するんだろ?! 河夕のずっと昔のお祖父さんが速水にしたように!!」
「なっ……」
「岬くん、どこでそんなことを……」
光が驚愕の声を上げるも、それは本人の耳に届かない。
死んだはずの自分がまだここにいる。
是羅がまだ生きているという事実が岬には……、そして岬の内で、彼と心を一つにしつつある速水には恐ろしかった。
また影主を失ってしまう、その未来が怖かった。
「なんで助けたりしたんだよ……、あのまま死なせてくれればよかったんだ! それで是羅は滅びて万々歳じゃないか! それで何もかも終わったのにどうして……どうして俺は生きてる――」
「馬鹿!!」
雪子の怒声に肌と肌がぶつかりあう軽快な音が重なった。
彼女の平手が岬の頬を殴ったのだ。
「っ……」
「岬ちゃんの馬鹿! なんでそんなこと言うのよ!! 影見君の話、聞こうともしないでなんでそんな勝手なこと言うの?!」
ぶった雪子の手の方が痛い。
泣くのを必死にこらえようとする潤んだ瞳が切ない。
「なんで自分が死ねばよかったなんてっ、影見君の気持ち解ってない岬ちゃんにそんなこと言う資格ない!!」
「松橋……」
「雪子さん……」
「岬ちゃんが死んで是羅が死んで……そんなの誰が喜ぶのよ……っ!!」
雪子の悲痛な叫びが室内に響く。
蒼月や白鳥、黒炎はその場から動くことも出来ず、そして真っ青な顔をしてガタガタ震える有葉を紅葉がしっかりと抱きとめていた。
こんな話を有葉に見せるべきじゃない、聞かせるべきじゃない。
普段の河夕や光ならそれくらいの判断は出来たが今は無理だ。
自分の不注意のせいで岬を死なせてしまうところだった、それをずっと後悔していた少女に岬の発言は地獄を見るも同然で、目を逸らすこともできないのが、残酷で。
「なんで判らないの……っ? なんでこんな……!」
「……じゃないか……」
不意に岬が口を開く。
「判ってないのは雪子や河夕の方じゃないか……!」
「岬……、岬!」
言い放ったかと思った直後、今まで昏睡状態を続けていたはずの少年は機敏な動作でベッドを飛び降り、呆気にとられた光の脇をすり抜けて壁際に立った。
同時にベッドを囲んでいた医療機器を倒し、無残な姿へと変えていく。
「岬動くな!」
「うるさい!!」
闇狩一族の術で傷をふさいだとは言え、あれからまだ一日も経っていないのだ。無理に動いて体を酷使したり、声を張り上げれば傷に障る。そう言ったところで今の岬は素直に聞き入れない。それがなおさら河夕の我慢の限界を振り切った。
「おまえ……っ、助けられていったい何が不満だ!! 俺に心配させて松橋泣かせて! 光と蒼月に徹夜で看病させて白鳥にクソジジイの相手させて! おまえを助けようとしてる俺ら全員相手にケンカ売ってンのか?!」
「助けてくれなんて頼んでない!」
「岬?!」
「俺は死にたかったんだ! それで是羅が死ぬ、それが判ったから死のうとしたのになんで助けたんだよ!! 人の気持ち解ってないのは河夕の方じゃないか!」
――解ってらっしゃらないのは、貴方の方ではありませんか……――
「!」
壁際に立って声を張り上げていた岬、その背後に、何の前触れもなく女の姿が重なった。
黒く長い髪に白磁の肌。
大きな目を哀しげに細め、美少女といって差し支えない顔立ちを悲しみに歪めた彼女、その名を、河夕だけが知っている。
「速水……」
「え?!」
河夕の口から紡がれた、今さっきまで聞いていた少女の名前に、突然の現象に驚きを隠せずにいた面々が息を呑む。
「あれが速水……?」
雪子と光、それに十君の彼らも初めて対面する、闇の女帝と信じられてきた少女。
河夕の話を聞いた後でもあるせいか、副総帥から聞く『闇の女帝』などそこには存在せず、ただどこまでも哀しく儚い少女がいるだけだ。
岬と同じ動作で、同じ唇の動きで、二人の声が重なって響く。
顔立ちは似ても似つかず、二人の間には少年と少女という明らかな違いがあるにもかかわらず同一に見えるのは、長い間、二つの魂が一つの体を共有してきたせいなのか。
――解ってらっしゃらないのは貴方のほう……、私が死ななくても是羅を倒す方法はあるからと優しい嘘で私を騙して……
――貴方を失ったときの私の気持ちなど考えても下さらなかった……!!
「河夕が死なずに済むなら……死なずに済むなら俺なんか死んで構わなかったのに……っ、五百年も経ったのに河夕は俺の気持ち解ってない……!」
「――! そんなもの解るわけないだろ! 何が五百年だ! 俺は生まれて二十年のガキだぞ!!」
「河夕は……っ」
――貴方は……っ
「しっかりしろ岬!」
二人の声を遮って河夕は怒鳴る。
「おまえは誰だ! 速水とは違うだろ!! おまえはおまえだ、違うか!!」
強く言い放ちながら、河夕は光に手を出した。
「薬をよこせ」と素早く言い放ち、戸惑う光から目的の錠剤を受け取る。
「けれど河夕さん、今の岬君が素直に飲むはず」
水もなくてどうするんですかと続ける光を完全に無視して、河夕は一歩一歩岬に近づいた。
「誰から何を……、その速水から何をどこまで聞いたのか知らないけどな、おまえが死んで是羅が死んだってちっとも有り難くない。俺はそんな方法を選ぶために王になったわけじゃないんだ!」
「けど……っ」
「黙れ!」
一つ怒鳴った河夕の手が岬の腕を捕らえる。
光から受け取った錠剤を、河夕は自分の口に放り込んだ。
「え、河夕さん……?」
光がまさかと目を見張ると同時。
「っ、かわ……」
「影見君?!」
雪子の上げた甲高い声も河夕をとめることは出来なかった。
近づいてくる河夕の美貌に驚き声を上げた岬。その開いた唇に、河夕は迷わず自分の唇を重ねた。
「―――っ?!」
岬に重なっていた速水の姿は驚いたように揺れ、一瞬で消え失せる。
口移しで光から受け取った錠剤を岬の咽に流した河夕は、これで吐き出すのは無理だと確信してから唇を放した。
「……」
「え……あ……」
背後のギャラリーも岬も絶句して動くことも出来ずにいる。
だがそれもほんの数秒で、唐突に岬の足の力が抜けて倒れこむと、光や薄紅が一拍遅れて動き出した。
「か、河夕……」
「もう少し眠れ。体がちゃんと回復したらケンカでも何でも付き合ってやるから」
「かわ……」
河夕……と、名を呟きながら意識を手放した岬は脱力して河夕の腕に倒れこむ。
岬に飲ませたのは即効性の睡眠薬で、眠れない怪我人を二十四時間眠らせて治りきっていない傷を完治させる効果がある。日常的な戦の中に生きる狩人達に必要不可欠な薬だ。
「河夕さん……、やることが唐突過ぎやしませんか?」
呆れた様子の光に、河夕は苦虫を噛み潰したような顔で相手を睨む。
「素直に薬飲ませられるならそうしたさ」
「確かに飲んでくれそうにはありませんでしたけど……」
光はチラと背後を振り返って、異質なオーラを発し始めた少女に苦笑いする。
「僕は知りませんよ」
「あ?」
眠った岬を光が抱き上げてベッドに運ぶため河夕から離れていくと、それと交代するように一人の少女が怪しい笑いを漏らしつつ河夕の腕を引いた。
「か~げ~み~く~ん……?」
「っ……」
不気味な声を発して自分を見上げる少女に、河夕は思わずあとずさる。
「松橋っ、今のは……!」
「問答無用!!」
――その後、雪子のお怒りは河夕を直撃し、蒼月や白鳥以下数名は滅多に見られない河夕の哀れな姿に失笑を禁じえなかった。
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