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7.令嬢の新生活(3)
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荷台と繋がる腹に傷のある馬が、ドヴィーとシエルが乗ったのを確認するように首を動かした後で歩き出した。
もう一人の馬が並んで歩く荷台はガタガタと揺れるが、シエルにそんなことを気にする余裕などあるはずがなく、日傘でドヴィーの頭上に影を作ると肌に水を掛けてひたすら手で仰ぎ続けた。
「しっかりして下さいドヴィーさん……っ」
手、顔、首。
素肌が見える箇所はもちろんのこと、脇や股関節なども冷やした方がいいことを、シエルは何故か知っていた。
水を掛け、手で仰ぐ。
何度も何度も場所を変えて繰り返す内に、今度はシエル自身が眩暈に襲われた。
「っ……」
呼吸が苦しい。
体が重くなってくる。
町までローレルの足なら10分だと言っていた。自分を診てくれたという医師のいる場所までは?
今の時点でどれくらいの時間が経過しているのか。
「ブルッ」
隣を歩いていた馬の鼻が腕に触れる。
その動きに誘導されて視線を転じた先に、……門。
「ぁ……」
シエルが気付いたことを確認するようにして、隣を歩いていた馬が門に向かって駆け出した。
門の傍にはきっと誰かしらいるはずだ。
すぐに此方に気付いてくれるはず……そう思ったら気が抜けて、シエルはそのまま荷台に倒れた。
◇◆◇
その少女が覚えていた一番古い記憶は、自分を見下ろすように並ぶ3体の神像だった。
雷と戦の神ぺルン
天の神スヴァローグ
獣と豊穣の女神ヴェーレス
教会のステンドグラスから差し込む朝日に照らされる姿は、幼子の目には神々そのものだった。
それくらい荘厳だったのだ。
以来、少女は生涯を神への奉仕に捧げた。
その命尽きるまで修道衣を脱ぐことはなく、朝日と共に目覚めて教会を清め、孤児院の子供達の世話をし、訪れる礼拝客の案内を担った。
お金のない人々が病に倒れた時、怪我で働けなくなった時、しばしの安息の地として彼らを保護し看病した。
旅の途中で立ち寄る巡礼者に食事と寝床を提供した。
たったの19歳で病で儚くなったその日まで、ひたすらに神を信じ、教会の教えに従い、信仰に殉じたのだ。
そうして最後の日。
教会の司祭は彼女に言った。
生まれ変わったら、今度は自分のために生きなさい。
頑張って生きた君にはきっと素敵な未来が用意されている。
少女は答えた。
「私はいまでも充分に幸せです。でも、もしも生まれ変わるなら今度はお姫様がいいわ……ーー」
両親がいて、弟妹がいて、美しいドレスを着て王子様と踊るようなお姫様。
それくらい恵まれた、幸せな身の上なら。
「きっと、国をもっと豊かで幸せに……子どもを捨てる親のいない……お腹が空いて泣く子どものいない……お金が無くて治療が受けられないなんて事のない、そんな、国を……」
愛する人と、育て、守っていきたいと――。
◇◆◇
「……雷神ぺルンさま……」
「またか」
苦笑混じりのローレルの声。
うすぼんやりとしていた視界がだんだんと鮮明になると共に意識もはっきりとして来て、シエルはハッとして体を起こした。が、急な動きに身体がついてこられず激しい眩暈によって逆戻り。
「ううっ……」
「無理をするな」
顔を伏せて唸っていたら笑いを含んだ優しい声が降って来る。
ローレルだ。
彼がこんな風に穏やかなのは、きっとドヴィーが大丈夫だからだろうと思うも、そこははっきりとさせておきたい。
「……ローレルさん。ドヴィーさんの様子はいかがでしょうか……?」
「問題ない」
彼は即答と同時に頭を下げた。
「君のおかげだ。ありがとう」
「っ……そんなことは、あのっ」
「ドヴィーは2時間ほど前に目を覚まして話も出来た。いまは別の部屋で休んでいて、ニーシャが付き添っている。森の中で眩暈がして倒れた後の事は何も覚えていないから、起きたら病院にいて驚いたそうだ」
「怪我は、なかったですか? お腹に傷のある馬が森の中から引き摺って来たので、よく調べないと全身傷だらけということも……」
「医師がきちんと診てくれた。大丈夫だ」
はっきりとした答えにホッとする。
と、ローレルが「くくっ」と喉を鳴らす。
「そうか、あいつらが……君の、その細腕でどうしたらあんなことが出来たのかと思ったが……」
ドヴィーの意識が戻っても、彼が病院で目を覚ますまでの過程を知っているのはシエルだけだから、彼女から話を聞くまでローレルは不思議でならなかったのだ。
「……そうか。もう、君だけの恩人ではなくなったな」
ローレルは言う。
「ドヴィーとニーシャも反対はしないだろう。正式にうちの馬として登録するか」
「! 本当ですか?」
思わず身を乗り出して聞き返せば、勢い余って顔が近くなり過ぎた。
「っ……」
「ぁ、も、もうしわけございません……っ」
慌てて引くも、顔の熱は簡単には引いてくれなかった。
だが、あの馬達を正式に迎え入れてくれるなんて、そんな嬉しいことはない。シエルを彼女自身の家に連れ帰れる可能性があるからと留め置かれていた二頭は、しかし実際に「帰れるか」という質問には答えなかった。騎乗し「家へ」と指示を出しても無反応だった。
動物相手に……と思うだろうが、シエルを助けるためにローレルを連れて行こうとしたのは事実。
そして今回のドヴィーを救出した件。
あの二頭がとても賢いのは、もはや疑いようがない。
にも拘らずシエルの「家」を教えようとしないのだから、考えられる答えは二つ。本当に「知らない」のか、もしくは「帰りたくない」のか。
もしも後者だった場合、それは誰を家に帰さないためなのか――。
「……登録のためには名前を考えなければな」
「! はいっ、名前……っ、はい……!」
喜びの余り潤んだ瞳を輝かせるシエルの笑顔に、ローレルは息を詰まらせた。
もう一人の馬が並んで歩く荷台はガタガタと揺れるが、シエルにそんなことを気にする余裕などあるはずがなく、日傘でドヴィーの頭上に影を作ると肌に水を掛けてひたすら手で仰ぎ続けた。
「しっかりして下さいドヴィーさん……っ」
手、顔、首。
素肌が見える箇所はもちろんのこと、脇や股関節なども冷やした方がいいことを、シエルは何故か知っていた。
水を掛け、手で仰ぐ。
何度も何度も場所を変えて繰り返す内に、今度はシエル自身が眩暈に襲われた。
「っ……」
呼吸が苦しい。
体が重くなってくる。
町までローレルの足なら10分だと言っていた。自分を診てくれたという医師のいる場所までは?
今の時点でどれくらいの時間が経過しているのか。
「ブルッ」
隣を歩いていた馬の鼻が腕に触れる。
その動きに誘導されて視線を転じた先に、……門。
「ぁ……」
シエルが気付いたことを確認するようにして、隣を歩いていた馬が門に向かって駆け出した。
門の傍にはきっと誰かしらいるはずだ。
すぐに此方に気付いてくれるはず……そう思ったら気が抜けて、シエルはそのまま荷台に倒れた。
◇◆◇
その少女が覚えていた一番古い記憶は、自分を見下ろすように並ぶ3体の神像だった。
雷と戦の神ぺルン
天の神スヴァローグ
獣と豊穣の女神ヴェーレス
教会のステンドグラスから差し込む朝日に照らされる姿は、幼子の目には神々そのものだった。
それくらい荘厳だったのだ。
以来、少女は生涯を神への奉仕に捧げた。
その命尽きるまで修道衣を脱ぐことはなく、朝日と共に目覚めて教会を清め、孤児院の子供達の世話をし、訪れる礼拝客の案内を担った。
お金のない人々が病に倒れた時、怪我で働けなくなった時、しばしの安息の地として彼らを保護し看病した。
旅の途中で立ち寄る巡礼者に食事と寝床を提供した。
たったの19歳で病で儚くなったその日まで、ひたすらに神を信じ、教会の教えに従い、信仰に殉じたのだ。
そうして最後の日。
教会の司祭は彼女に言った。
生まれ変わったら、今度は自分のために生きなさい。
頑張って生きた君にはきっと素敵な未来が用意されている。
少女は答えた。
「私はいまでも充分に幸せです。でも、もしも生まれ変わるなら今度はお姫様がいいわ……ーー」
両親がいて、弟妹がいて、美しいドレスを着て王子様と踊るようなお姫様。
それくらい恵まれた、幸せな身の上なら。
「きっと、国をもっと豊かで幸せに……子どもを捨てる親のいない……お腹が空いて泣く子どものいない……お金が無くて治療が受けられないなんて事のない、そんな、国を……」
愛する人と、育て、守っていきたいと――。
◇◆◇
「……雷神ぺルンさま……」
「またか」
苦笑混じりのローレルの声。
うすぼんやりとしていた視界がだんだんと鮮明になると共に意識もはっきりとして来て、シエルはハッとして体を起こした。が、急な動きに身体がついてこられず激しい眩暈によって逆戻り。
「ううっ……」
「無理をするな」
顔を伏せて唸っていたら笑いを含んだ優しい声が降って来る。
ローレルだ。
彼がこんな風に穏やかなのは、きっとドヴィーが大丈夫だからだろうと思うも、そこははっきりとさせておきたい。
「……ローレルさん。ドヴィーさんの様子はいかがでしょうか……?」
「問題ない」
彼は即答と同時に頭を下げた。
「君のおかげだ。ありがとう」
「っ……そんなことは、あのっ」
「ドヴィーは2時間ほど前に目を覚まして話も出来た。いまは別の部屋で休んでいて、ニーシャが付き添っている。森の中で眩暈がして倒れた後の事は何も覚えていないから、起きたら病院にいて驚いたそうだ」
「怪我は、なかったですか? お腹に傷のある馬が森の中から引き摺って来たので、よく調べないと全身傷だらけということも……」
「医師がきちんと診てくれた。大丈夫だ」
はっきりとした答えにホッとする。
と、ローレルが「くくっ」と喉を鳴らす。
「そうか、あいつらが……君の、その細腕でどうしたらあんなことが出来たのかと思ったが……」
ドヴィーの意識が戻っても、彼が病院で目を覚ますまでの過程を知っているのはシエルだけだから、彼女から話を聞くまでローレルは不思議でならなかったのだ。
「……そうか。もう、君だけの恩人ではなくなったな」
ローレルは言う。
「ドヴィーとニーシャも反対はしないだろう。正式にうちの馬として登録するか」
「! 本当ですか?」
思わず身を乗り出して聞き返せば、勢い余って顔が近くなり過ぎた。
「っ……」
「ぁ、も、もうしわけございません……っ」
慌てて引くも、顔の熱は簡単には引いてくれなかった。
だが、あの馬達を正式に迎え入れてくれるなんて、そんな嬉しいことはない。シエルを彼女自身の家に連れ帰れる可能性があるからと留め置かれていた二頭は、しかし実際に「帰れるか」という質問には答えなかった。騎乗し「家へ」と指示を出しても無反応だった。
動物相手に……と思うだろうが、シエルを助けるためにローレルを連れて行こうとしたのは事実。
そして今回のドヴィーを救出した件。
あの二頭がとても賢いのは、もはや疑いようがない。
にも拘らずシエルの「家」を教えようとしないのだから、考えられる答えは二つ。本当に「知らない」のか、もしくは「帰りたくない」のか。
もしも後者だった場合、それは誰を家に帰さないためなのか――。
「……登録のためには名前を考えなければな」
「! はいっ、名前……っ、はい……!」
喜びの余り潤んだ瞳を輝かせるシエルの笑顔に、ローレルは息を詰まらせた。
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