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4.記憶を失くした令嬢と、寡黙な青年と、温かな老夫婦(3)
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翌朝。
部屋にはローレルが再訪し、家の主だという老夫婦ドヴィーとニーシャを紹介された。
暗がりの中で雷神ペルンと見間違えたローレルの風貌は、陽の光りの下で見るとよりいっそう彼の御方を連想させた。闇夜を切り裂く稲妻のように見る者の目を奪う金の瞳に、光の当たり具合によっては藍色にも見える艶めいた黒髪。抱えられた昨夜も思ったがしっかりと引き締まった体躯は正に彫刻のようだし、そこにいるだけで圧倒的な存在感を放っているからだ。
そして、そんな彼の隣で口元に穏やかな微笑みを湛えている老夫婦。
「今年で70になるんじゃが、体のあちこちにガタが来ておってのぅ。坊が一緒に住んでくれると言うんで甘えることにしたんじゃよ」
そう話したのはドヴィー。
白と濃い灰色が混ざり合った髪は短く刈り上げられ、髭はなく、現役時代は国の騎士団に所属して武勇を誇っていたという体躯は年老いても頑強で、清潔感と精悍さがバランスよく配されている。
いまは妻と余生を楽しく過ごしていると告げた時に刻まれた笑い皺には可愛らしさも同居していた。
そして、彼と同じ年齢だと教えられたニーシャも、とても可愛らしい女性だ。
むらのない白髪は緩やかにウェーブしているが女性には珍しいショートヘアなので快活な印象を与える。少し腰が曲がっているけれどとても健脚で、街までの買出しや友人との会話、散策といった具合に、毎日往復二時間以上も歩いているそうだ。
「ローちゃんは自分が行くって言ってくれるんだけどね。お散歩は昔からの趣味なのよ」
そう言ってニーシャは微笑む。
どうやらローレルのことを「ローちゃん」と呼んでいるらしい。
「……ローレルさんはお孫さんではないのですか?」
「ああ。しかし血は繋がっていなくとも孫みたいなもんじゃよ」
「えぇえぇ、昔からずっと一緒なの。ローちゃんは強くて、優しくて、本当にいい子なんだから」
二人に言われて顔を逸らすローレル。
目元が赤くなっているのは照れているせいだろう。
そのローレルは、シーニャが毎日通っていると話してくれた最寄りの街「グルブ」に帝都から派遣されている憲兵隊に所属する21歳だ。
憲兵隊は帝国が組織し属国に派遣している、民の安全を守るための実施部隊のことで、八人ずつ五つの小隊に分かれており、その内の第二小隊の小隊長が彼だという。
今日の勤務は昼からで、彼の足なら街までは片道10分だそうだ。
「さて、自己紹介も済んだところで次は嬢ちゃんの番だのぅ」
ドヴィーは言う。
「少々不快な思いをさせてしまうかもしれんが、……坊。ここ数日間で近隣地域から行方不明の令嬢の捜索願いや、事件性のある報告は本当にないのかい」
「ない」
「ふむ……」
難しい顔になるドヴィーに代わって、シーニャ。
「お嬢さんは手指がとても綺麗だわ。肌は日焼けしていないし、透き通るような銀色の髪と同じでとても艶々しているの。どう見ても貴族のお嬢さんなのだけど、何も思い出せないかしら」
「私が貴族ですか……? でも、罪人用の馬車に乗せられていたんですよね……?」
少女が言うと、老夫婦はローレルを見上げ、ローレルは決まりが悪そうに咳払い。
「反応が見られればと思ったんだ。だが、記憶が無いというし、……本当に覚えていない様子だったから、なにか情報を得てから改めて確認しよう、と。本当に近隣諸国から貴族令嬢が罪人として護送されていて、いまこうして此処にいるのなら、該当する地域から知らせが無いはずがないからな」
「正論じゃのう」
ドヴィーが頷いた。
ローレルは話を続けたが、その表情は更に渋いものに変わっていく。
「それに……あの状態の馬車の傍に馬も、御者の……死体も、なかった」
「……」
言葉にしないだけで、考えていることは全員が同じだ。
仮にこの少女が本物の罪人だったとして、崖の下に落下していたのが彼女と壊れた馬車だけだなんて状況はおかし過ぎるのだ。
「……私は、死んだことに、なっているのでしょうか」
少女のその言葉には、ローレルも、老夫婦も表情を陰らせた。
特にニーシャは痛々しい表情を浮かべて少女の手をしっかりと握り締める。
「お嬢さん。お嬢さんさえよければ、……少なくとも傷が癒えるまでは私たちと此処で暮らしてはどうかしら?」
「……でも……」
「迷惑だなんて言わないでね? 私たちを怪我しているお嬢さんを追い出すような人でなしにしないで欲しいわ」
「……身元不明の令嬢を監視しておくにも都合がいい」
ぽつりとローレルが言う。
「そうじゃのぅ。拾っちゃったからには責任を取るのが大人ってもんだわなぁ」
くっくっと喉を鳴らすドヴィー。
少女の目はだんだんと潤み始めていた。
自分達の都合のような言い方をしておいて、結局は自分を保護する気しかないのが明らかな態度が眩いと思った。
なんて優しい人達だろう。
その優しさが沁みる。
沁みて、
「痛い……っ」
「あらあら傷口が開いたかしら」
「坊、医者を」
「ああ」
「違っ……違うんです! 皆さんが優しくて……どうしてか判らないんですけど、胸が痛いんです……痛いんです……っ」
ぼろぼろと零れ落ちる大粒の涙が握り締めた拳を、布団を、握りしめてくれるニーシャの手を濡らす。
「ごめんなさい……ごめ……、でも、……でも、ごめんなさい……っ」
泣きじゃくる少女に、三人は顔を合わせて頷き合う。
そうして最初に言葉を掛けたのはニーシャだ。
「じゃあ、新しい家族に名前を考えないとね?」
「っ……」
「シエル、なんてどうじゃろうか? 遠い国で虹という意味じゃ。虹の橋の先には幸せの国があるというからのぉ。嬢ちゃんへの願掛けじゃ」
「どうかしら?」
名前。
新しい、家族。
胸がこんなにも痛いのは嬉し過ぎるせいだろうか――?
「シエル……新しい、私の名前……シエル……はい、はい……っ」
少女の名前が決まった。
記憶を失くした令嬢と、寡黙な青年と、温かな老夫婦。
四人での新しい生活はこうして始まるのだった。
部屋にはローレルが再訪し、家の主だという老夫婦ドヴィーとニーシャを紹介された。
暗がりの中で雷神ペルンと見間違えたローレルの風貌は、陽の光りの下で見るとよりいっそう彼の御方を連想させた。闇夜を切り裂く稲妻のように見る者の目を奪う金の瞳に、光の当たり具合によっては藍色にも見える艶めいた黒髪。抱えられた昨夜も思ったがしっかりと引き締まった体躯は正に彫刻のようだし、そこにいるだけで圧倒的な存在感を放っているからだ。
そして、そんな彼の隣で口元に穏やかな微笑みを湛えている老夫婦。
「今年で70になるんじゃが、体のあちこちにガタが来ておってのぅ。坊が一緒に住んでくれると言うんで甘えることにしたんじゃよ」
そう話したのはドヴィー。
白と濃い灰色が混ざり合った髪は短く刈り上げられ、髭はなく、現役時代は国の騎士団に所属して武勇を誇っていたという体躯は年老いても頑強で、清潔感と精悍さがバランスよく配されている。
いまは妻と余生を楽しく過ごしていると告げた時に刻まれた笑い皺には可愛らしさも同居していた。
そして、彼と同じ年齢だと教えられたニーシャも、とても可愛らしい女性だ。
むらのない白髪は緩やかにウェーブしているが女性には珍しいショートヘアなので快活な印象を与える。少し腰が曲がっているけれどとても健脚で、街までの買出しや友人との会話、散策といった具合に、毎日往復二時間以上も歩いているそうだ。
「ローちゃんは自分が行くって言ってくれるんだけどね。お散歩は昔からの趣味なのよ」
そう言ってニーシャは微笑む。
どうやらローレルのことを「ローちゃん」と呼んでいるらしい。
「……ローレルさんはお孫さんではないのですか?」
「ああ。しかし血は繋がっていなくとも孫みたいなもんじゃよ」
「えぇえぇ、昔からずっと一緒なの。ローちゃんは強くて、優しくて、本当にいい子なんだから」
二人に言われて顔を逸らすローレル。
目元が赤くなっているのは照れているせいだろう。
そのローレルは、シーニャが毎日通っていると話してくれた最寄りの街「グルブ」に帝都から派遣されている憲兵隊に所属する21歳だ。
憲兵隊は帝国が組織し属国に派遣している、民の安全を守るための実施部隊のことで、八人ずつ五つの小隊に分かれており、その内の第二小隊の小隊長が彼だという。
今日の勤務は昼からで、彼の足なら街までは片道10分だそうだ。
「さて、自己紹介も済んだところで次は嬢ちゃんの番だのぅ」
ドヴィーは言う。
「少々不快な思いをさせてしまうかもしれんが、……坊。ここ数日間で近隣地域から行方不明の令嬢の捜索願いや、事件性のある報告は本当にないのかい」
「ない」
「ふむ……」
難しい顔になるドヴィーに代わって、シーニャ。
「お嬢さんは手指がとても綺麗だわ。肌は日焼けしていないし、透き通るような銀色の髪と同じでとても艶々しているの。どう見ても貴族のお嬢さんなのだけど、何も思い出せないかしら」
「私が貴族ですか……? でも、罪人用の馬車に乗せられていたんですよね……?」
少女が言うと、老夫婦はローレルを見上げ、ローレルは決まりが悪そうに咳払い。
「反応が見られればと思ったんだ。だが、記憶が無いというし、……本当に覚えていない様子だったから、なにか情報を得てから改めて確認しよう、と。本当に近隣諸国から貴族令嬢が罪人として護送されていて、いまこうして此処にいるのなら、該当する地域から知らせが無いはずがないからな」
「正論じゃのう」
ドヴィーが頷いた。
ローレルは話を続けたが、その表情は更に渋いものに変わっていく。
「それに……あの状態の馬車の傍に馬も、御者の……死体も、なかった」
「……」
言葉にしないだけで、考えていることは全員が同じだ。
仮にこの少女が本物の罪人だったとして、崖の下に落下していたのが彼女と壊れた馬車だけだなんて状況はおかし過ぎるのだ。
「……私は、死んだことに、なっているのでしょうか」
少女のその言葉には、ローレルも、老夫婦も表情を陰らせた。
特にニーシャは痛々しい表情を浮かべて少女の手をしっかりと握り締める。
「お嬢さん。お嬢さんさえよければ、……少なくとも傷が癒えるまでは私たちと此処で暮らしてはどうかしら?」
「……でも……」
「迷惑だなんて言わないでね? 私たちを怪我しているお嬢さんを追い出すような人でなしにしないで欲しいわ」
「……身元不明の令嬢を監視しておくにも都合がいい」
ぽつりとローレルが言う。
「そうじゃのぅ。拾っちゃったからには責任を取るのが大人ってもんだわなぁ」
くっくっと喉を鳴らすドヴィー。
少女の目はだんだんと潤み始めていた。
自分達の都合のような言い方をしておいて、結局は自分を保護する気しかないのが明らかな態度が眩いと思った。
なんて優しい人達だろう。
その優しさが沁みる。
沁みて、
「痛い……っ」
「あらあら傷口が開いたかしら」
「坊、医者を」
「ああ」
「違っ……違うんです! 皆さんが優しくて……どうしてか判らないんですけど、胸が痛いんです……痛いんです……っ」
ぼろぼろと零れ落ちる大粒の涙が握り締めた拳を、布団を、握りしめてくれるニーシャの手を濡らす。
「ごめんなさい……ごめ……、でも、……でも、ごめんなさい……っ」
泣きじゃくる少女に、三人は顔を合わせて頷き合う。
そうして最初に言葉を掛けたのはニーシャだ。
「じゃあ、新しい家族に名前を考えないとね?」
「っ……」
「シエル、なんてどうじゃろうか? 遠い国で虹という意味じゃ。虹の橋の先には幸せの国があるというからのぉ。嬢ちゃんへの願掛けじゃ」
「どうかしら?」
名前。
新しい、家族。
胸がこんなにも痛いのは嬉し過ぎるせいだろうか――?
「シエル……新しい、私の名前……シエル……はい、はい……っ」
少女の名前が決まった。
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