上 下
43 / 47

番外編SS2 ワーグマンと馬鹿者のススメ(前)

しおりを挟む
 ルーデンワイス王国の王族は決して少なくはないと思う。
 ただ、前王は男児に恵まれるまでが大変だったようで、現国王である兄上がお生まれになったのは前王が四〇を過ぎてからだったのだ。
 それまでに公爵家からの養子であったりと後継の確保に余念はなかったものの、直系の男児誕生に国は喜びに沸いた。
 それから三〇年余り。
 王位は兄に譲られ、彼は王妃との間に次々と子を得て今や四男二女の父親だ。つまり、後継に関しては前王に比べれば何の憂慮もないように思われた。
 それを。

「あの馬鹿者がっ」

 思わず声に出してしまったが許して欲しい。
 もはや「馬鹿者」以外にヤツに相応しい呼称が思い当たらない。
 現王の長男であり、つい先日に王立学園を卒業したばかりの十八歳で王位継承権第一位である甥、エルディンは、その立場を盤石なものにするために公爵家の長女ルークレア・クロッカス嬢との政略結婚が決まっていた。
 王族であれば国のため、民の為、己の心すら偽って公務に身を費やすのが義務である。
 そうでなければ快適な城での生活も、贅沢な食事も、美しい衣を身に纏うことも、ましてや下位の者に平伏させることなど出来はしないのだ。
 それを。

「あの馬鹿者が……!!」

 歯を食いしばれば奥の方でギリリと嫌な音がしたが、それが何だ。
 エルディンは学園卒業のダンスパーティ会場で、ミリィ・ストケシアと言う名の男爵令嬢を自身の婚約者とするべくルークレア嬢に謂れなき断罪までして見せたと言うではないか。
 エルディン側にいたというバーディガル侯爵家の長男が直前でエルディンらの愚行を暴露し、恥を掻いたのは連中の方だけで済んだらしいが、そもそもが国のために国王と公爵家の間で取り交わした婚約を自身の宣言で解消出来ると思い込んでいる時点で嘆かわしい。

「ぉ、王弟殿下、どうか落ち着かれてください……っ」
「これが落ち着いていられるか!?」

 後ろから息を切らしながらも必死で付いてくるのは俺付きの侍従だ。日頃から鍛錬を欠かさない俺の速足に付いてくるのは、運動とは無縁の侍従には相当しんどいだろう。
 解っている。
 彼を気遣うならもっとゆっくりと、そして王族であるならば優雅に歩くべきなのだろうが、だがっ。
 しかしだ!

「行先は判っているだろう、おまえはゆっくりで構わん!」
「そ、そん、殿下……!」

 俺は侍従を置き去りにする勢いで目的地――今頃は国王夫妻、宰相、エルディンらが集まっているだろう広間へと猛進した。


 ***

 目的地の扉の前で、衛兵達の敬礼を受けながら俺は深呼吸で気持ちを落ち着かせる努力はした。
 だが、実際に室内でエルディンの顔を見ただけで怒りが表情に出たらしく、兄上から「落ち着け」と叱咤が飛んできた。

「申し訳ございません陛下。御前で殺気を飛ばすなど不敬であることは重々に承知しておりますが、いまばかりはどうかお許し頂きたい」
「気持ちはわかるが、……せめてもう少しで構わぬから抑えろ」
「努力します」

 即答するが、恐らく無理だ。
 と言うよりも室内にいて怒気を放っていない者の方が圧倒的に少ないのだ。
 国王夫妻はもちろんだが、中央で青い顔をして小さくなっている彼らの親である宰相、魔法師団団長も青筋を立てているし、子は不在だが関係者として同席している騎士団団長、クロッカス公爵からも相当な圧が感じられる。
 ……もう一人の関係者はどうなっているのだ?

「騎士団長、件の男爵令嬢は」
「すでに自宅謹慎を命じ監視の者を付けております」

 側にいた騎士団団長に小声で問い掛けると、相手からも同じような小声で答えを得る。
 俺は納得すると同時に嘆息し、思わず「信じ難いことをしてくれたものだな」と呟いていた。
 それがエルディンの耳にも届いたのだろう。

「し、信じられないと言うのなら私もです……!」

 声を震わせながらも反論してきたのは、叔父と甥、時には剣の稽古相手にもなっていた関係の気安さからだろうか。

「わた、私はミリィを愛しただけです! 愛する者と結婚したいと望むことの何が悪いと言うのですか!」
「庶民であればめでたい話だがおまえは王族だ、めでたいのはその頭の中身だけにしろ」
「なっ……私だってルークレアとの婚約が国のために最良だとは判っています! ですがあいつは私のミリィを悪し様に罵り、危害まで」
、だと……?」
「!!」
「ワーグマン退け!」
「殿下っ」

 陛下に大声で命じられ、騎士団長の呼び声がやけに近く聞こえるなと思えば、エルディンの胸倉を掴んでいる自分に気付いた。

「陛下の御前で暴力はなりません!」
「……ああ」

 騎士団長に諭されてエルディンを放せば、甥は腰が抜けたようにその場に崩れ落ちた。
 同時に彼の中で心の何かが壊れたのかもしれない。

「私はミリィを守らなければならないのです。ミリィを守らなければ……願いを叶えてやらなければ……っ」

 ぶつぶつと呟くエルディンに苛立ちが募り、衝動的に手が出そうになるが、騎士団長の腕がいまだ俺を制していたために実行は出来なかった。
 更にはエルディンと同じように宰相の息子も、魔法師団団長の息子も、

「ミリィが愛しているのは俺で……だが願いを叶えてあげるためには殿下の……」
「殿下と結婚しても愛を捧げるのは僕だと……」

 ――……狂っている。
 恐らくはその場の誰もがそう思ったはずだ。
 国王陛下は額を手で覆うと、珍しく顔を伏せて長い息を吐き出され、王妃殿下は毅然とした御姿ではあったが顔色が悪かった。
 宰相も、魔法師団団長も、拳を震えるほどにきつく握り。
 壁際に控える侍従や文官たちの瞳にははっきりと恐怖の感情が見て取れた。

 そんな中で、ゆっくりと語り出したのはクロッカス公爵だった。

「いまだ詳細は不明なれど、我が娘と王太子殿下の婚約につきましては白紙に戻して頂きますぞ」
「……うむ、当然であろうな。此方でも急ぎ調べさせたがルークレア嬢の非は皆無だ。名誉回復のため出来る限りの事はさせてもらう」
「いいえ。此処に参じる前に息子から確認した限りバーディガル侯爵のご子息のおかげで名誉に傷がついたのは王太子殿下ご自身のようですし、我が娘への気遣いは不要にございます」
「しかし……」
「どうしても何かしらの詫びをと言う事でしたら、御子息には二度と我が娘の婚約者面をさせないで頂きたい」
「……わかった」

 国王陛下と俺は兄弟だが、陛下とクロッカス公爵は義兄弟だ。
 身内だけになれば態度が砕ける二人を知っていればこそ、慇懃が過ぎる公爵の態度からは明らかな怒りが感じられた。
 王は臣に謝罪することはない。
 しかし今は、兄の気持ちが痛いほどに伝わってきて、……俺はまた奥歯をギリリと鳴らしてしまった。


 その後、エルディンら三人は国の調査機関によって今回の不祥事の原因や経過を調査されることとなり、処罰が決定されるまでの間は自宅謹慎が命じられ、騎士団から監視の者が付く事になった。
 エルディンはまだ王太子の立場を維持しているが、近いうちに王位継承権を剥奪されるのはほぼ間違いないだろう。

 第一王子エルディンの次の王位継承者は第二王子だが、年齢はまだ十二だ。兄上に万が一の事があった場合に国を背負うにはあまりにも幼過ぎる
 そうなれば中継ぎという形であれ俺を王に推そうとする者も出てくるだろう。

 だからこそエルディンには己の立場と言う者を自覚させてきたつもりだった。

「あの馬鹿者が……っ」

 国を割らせてはならない。
 良き王の永い治世こそが民の幸せであると。
 その一翼を担えと、あれほどに――。

「王弟殿下」

 不意の呼び声に振り返れば、クロッカス公爵が其処に居た。
 まるで心の奥深くまで見透かそうとするような深い青色の瞳に、俺は内心で後退した。

「先ほどは娘の為に怒って頂き感謝致します」
「いや……愚かな甥のせいで、ルークレア嬢には申し訳ないことをしたと思う」
「確かに、開いた口が塞がらないなんて経験をしたのは初めてでしたが」

 侯爵は意味深に微笑むと、声を潜め顔を近づけて来た。
 それはまるで――。

「ところで王太子の座が空くようですが、王弟殿下がお座りになるご予定は?」
「――」
「我が娘にはそのお手伝いが出来るかと」
「それっ、は、あまりにも不敬が過ぎるぞ……!!」

 思わず声を荒げてしまったが、公爵は不敵に笑っただけだ。

「王妃教育には最短でも一年が必要です。必要でしたら早めにご連絡下さい。そもそもがその予定でしたから講師陣は準備万端です」
「公爵!」
「では」

 優雅に去って行くその背にうすら寒さを感じた。
 俺は臣だ。
 この国は兄上が、そしてその子が、穏やかに治め民を守るべきなのだ。

 ――……愛する者と結婚したいと望むことの何が悪いと言うのですか……

 エルディンの先刻の叫びが思い出され、強く振り払う。
 民はそれで良い、むしろ幸せになってくれねば王族の存在意義が失われるだろう。
 貴族も、望めるのならば政略ではなく恋しい相手と添い遂げられれば良いと思う。
 しかし、王族は。

「俺は……」

 考えるなと自身を戒めた。
 脳裏を過った銀の髪に蒼い瞳を持つ少女の笑顔に視界を閉ざし、俺は。


 ――まさか翌日に自身が『六花の戦士』に選ばれ、彼女達と行動を共にすることになろうとは思いもしなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

神様ぁ(泣)こんなんやだよ

ヨモギ丸
BL
突然、上から瓦礫が倒れ込んだ。雪羽は友達が自分の名前を呼ぶ声を最期に真っ白な空間へ飛ばされた。 『やぁ。殺してしまってごめんね。僕はアダム、突然だけど......エバの子孫を助けて』 「??あっ!獣人の世界ですか?!」 『あぁ。何でも願いを叶えてあげるよ』 「じゃ!可愛い猫耳」 『うん、それじゃぁ神の御加護があらんことを』 白い光に包まれ雪羽はあるあるの森ではなく滝の中に落とされた 「さ、、((クシュ))っむい」 『誰だ』 俺はふと思った。え、ほもほもワールド系なのか? ん?エバ(イブ)って女じゃねーの? その場で自分の体をよーく見ると猫耳と尻尾 え?ん?ぴ、ピエん? 修正 (2020/08/20)11ページ(ミス) 、17ページ(方弁)

その男、有能につき……

大和撫子
BL
 俺はその日最高に落ち込んでいた。このまま死んで異世界に転生。チート能力を手に入れて最高にリア充な人生を……なんてことが現実に起こる筈もなく。奇しくもその日は俺の二十歳の誕生日だった。初めて飲む酒はヤケ酒で。簡単に酒に呑まれちまった俺はフラフラと渋谷の繁華街を彷徨い歩いた。ふと気づいたら、全く知らない路地(?)に立っていたんだ。そうだな、辺りの建物や雰囲気でいったら……ビクトリア調時代風? て、まさかなぁ。俺、さっきいつもの道を歩いていた筈だよな? どこだよ、ここ。酔いつぶれて寝ちまったのか? 「君、どうかしたのかい?」  その時、背後にフルートみたいに澄んだ柔らかい声が響いた。突然、そう話しかけてくる声に振り向いた。そこにいたのは……。  黄金の髪、真珠の肌、ピンクサファイアの唇、そして光の加減によって深紅からロイヤルブルーに変化する瞳を持った、まるで全身が宝石で出来ているような超絶美形男子だった。えーと、確か電気の光と太陽光で色が変わって見える宝石、あったような……。後で聞いたら、そんな風に光によって赤から青に変化する宝石は『ベキリーブルーガーネット』と言うらしい。何でも、翠から赤に変化するアレキサンドライトよりも非常に希少な代物だそうだ。  彼は|Radius《ラディウス》~ラテン語で「光源」の意味を持つ、|Eternal《エターナル》王家の次男らしい。何だか分からない内に彼に気に入られた俺は、エターナル王家第二王子の専属侍従として仕える事になっちまったんだ! しかもゆくゆくは執事になって欲しいんだとか。  だけど彼は第二王子。専属についている秘書を始め護衛役や美容師、マッサージ師などなど。数多く王子と密に接する男たちは沢山いる。そんな訳で、まずは見習いから、と彼らの指導のもと、仕事を覚えていく訳だけど……。皆、王子の寵愛を独占しようと日々蹴落としあって熾烈な争いは日常茶飯事だった。そんな中、得体の知れない俺が王子直々で専属侍従にする、なんていうもんだから、そいつらから様々な嫌がらせを受けたりするようになっちまって。それは日増しにエスカレートしていく。  大丈夫か? こんな「ムササビの五能」な俺……果たしてこのまま皇子の寵愛を受け続ける事が出来るんだろうか?  更には、第一王子も登場。まるで第二王子に対抗するかのように俺を引き抜こうとしてみたり、波乱の予感しかしない。どうなる? 俺?!

強制結婚させられた相手がすきすぎる

よる
BL
※妊娠表現、性行為の描写を含みます。

嫌われ者だった俺が転生したら愛されまくったんですが

夏向りん
BL
小さな頃から目つきも悪く無愛想だった篤樹(あつき)は事故に遭って転生した途端美形王子様のレンに溺愛される!

異世界に召喚されて失明したけど幸せです。

るて
BL
僕はシノ。 なんでか異世界に召喚されたみたいです! でも、声は聴こえるのに目の前が真っ暗なんだろう あ、失明したらしいっす うん。まー、別にいーや。 なんかチヤホヤしてもらえて嬉しい! あと、めっちゃ耳が良くなってたよ( ˘꒳˘) 目が見えなくても僕は戦えます(`✧ω✧´)

悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。

ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。

弟いわく、ここは乙女ゲームの世界らしいです

BL
――‥ 昔、あるとき弟が言った。此処はある乙女ゲームの世界の中だ、と。我が侯爵家 ハワードは今の代で終わりを迎え、父・母の散財により没落貴族に堕ちる、と… 。そして、これまでの悪事が晒され、父・母と共に令息である僕自身も母の息の掛かった婚約者の悪役令嬢と共に公開処刑にて断罪される… と。あの日、珍しく滑舌に喋り出した弟は予言めいた言葉を口にした――‥ 。

処理中です...