196 / 335
第6章 変遷する世界
181.一時帰還(2)side レイナルド
しおりを挟む
空がすっかり暗くなり、ギルドの酒場の賑やかさも一段落という時分になってようやく事務所から移動するハーマイトシュシューの気配を感じ取り、対話していた相手に辞去する。用件はとっくに終わっていて、時間潰しに付き合ってもらった礼はマーヘ大陸の件が落ち着いてから酒に付き合うことで合意済みだ。
「無事の御帰還を」
これから大陸間で起こることを危惧し同胞の身を案じてくれるのには、片手を上げて応えるしかなかったが。
冒険者ギルドの建物から出て来るハーマイトシュシューを、その壁に寄り掛かって待っていれば本人は特に表情を変えることもなく横を通り過ぎていく。
一言の声掛けもなし。
理由は判らないが、……いや、幾つか考え得る理由はあれど、実際にどれなのか判断出来ない。
全部か、と。
それが正解な予感を覚えつつも怒っているらしいその背に話しかける。
「忙しそうだな」
「……随分と君らしくないことをする」
どうやら無視するつもりはないらしい。
その事に安堵しながら隣に並ぶ。
「こちらにその気がないと示せばそれきりになると思っていたけど」
「お節介が多くてな」
言ったら、冷えた視線を向けられる。
最後に会った記憶の中の彼よりもずいぶんと細く――否、やつれたと表現した方が適切か。顎のラインが変わり、そこだけは変わらずに艶めいている長い銀色の髪に隠れる首筋、衣服の下の体付き、もっと言えは骨ばった手指。
顔色は化粧で誤魔化しているのか。
目の奥には、今まで見る事のなかった疲労感が滲んている。
「……相当辛いんじゃないのか」
毎日見ていればそうとは気付かない変化。
誤魔化し方にも本気が伺える。
しかし最後に直接会ったのが1年以上前の自分の目には、ハーマイトシュシューの変化が哀れなほど明確だった。70年~80年ある獣人族の寿命に比べて半分以下になる場合も多い森人族。
40を過ぎている彼は、もういつ目覚めぬ眠りについても不思議はない。
「……心配しなくてもギルドマスターの業務は引継ぎを始めているよ」
「そうじゃない」
「君が気になるのはトゥルヌソルの治安が揺るがないかどうかだろう」
「当然だ」
「だったら」
「だが」
声量は小さくともはっきりと拒絶を示すハーマイトシュシューに、だが、退けない。
嘘は吐かない。
最初にそう約束した。
「10年以上も国のために尽くして来た同志を心配しないほど無情ではない」
「……っ」
そこで初めてハーマイトシュシューの表情が歪んだ。
「どうして、いま、帰って来たの……あの時、これが最後だって言ったのに」
「そのつもりだった」
解放してあげるよ――ハーマイトシュシューはそう言った。
年単位でトゥルヌソルに戻れなくなるだろうと話したあの夜に、これが最後だ、と。
森人族が長く生きられないのはどうしようもない事実で、心機能が衰えている自覚は、その日が近いことを嫌でも実感させる。
次はいつ会えるか、なんて。
そんな女々しい質問も、期待も、したくないと彼は言い切った。
だから最初の約束ごと破棄した。
「もう二度と会いたくなかった」
「すまん」
「声も聞きたくなかった」
「判ってる」
「だったらどうしてここにいるの……!」
荒げる声は弱々しい。
少し感情が乱れるだけで呼吸が整わなくなっているのが判る。
もう、本当に、長くないのだ。
それが判ったところで明日の出発を無しに出来るはずもなく、傍にいられないなら会うべきではなかった。判っていた。
……判ってはいた、けれど。
「シュー」
ビクリと震える体を引き寄せれば抵抗はなかった。
しても無駄だと思っているのか。
抵抗するだけの体力が、そもそも無いのか。
腕の中に納まるそれが記憶より随分と細く、脆くなっているのを直に感じたことで胸の奥に針で刺されたような痛みが走る。
後悔……違う。
罪悪感でもない。
同情と言われたらそれが最もしっくりくるがそれだけでもなかった。愛情が欠片もないわけじゃない。しかしハーマイトシュシューが『特別』ではない以上、彼が望んでいるものとは違い過ぎる。
「シュー。俺はおまえに嘘は吐かないと約束した。だから愛しているとも、好きだとも、言ってやれない」
「……今更だよ」
「あぁ、今更だ……だが、おまえが恋人ごっこを止めても、最初の約束を破棄しても、……おまえが死ぬまで俺は俺の約束を果たす」
「……っ」
「嘘は吐かない。おまえ以外は抱かない。おまえを一人で死なせはしない」
「明日にはいなくなって、またいつ帰って来るかも判らないなら、それは、嘘だよ」
「ここに俺を置いておけ」
薄い胸元に手と共に置くそれは、見事に等分された赤い魔石。
証紋を押すだけで完成する術式を刻んだ特別紙と一緒にレンに持たせられたものだ。魔力量によって通話距離が変わるなら、俺と、ハーマイトシュシューならかなりの長距離でも可能なはずだと。
……根拠もないくせに、なぜか自信満々に。
「独りだと思ったらこの魔石に魔力を流せ。そうしたら俺と会話が出来る……ように、これから加工するから」
「……?」
意味が解らないと言いたげなハーマイトシュシューの顔に、今日初めて笑いが込み上げて来た。
そうだろう、判らないだろう。
本当に、レンの発想には理解が追い付かない。
だが、声の一つも届けられないならハーマイトシュシューの言う通りにあの日で終わりにするつもりだった。全部に片が付いてトゥルヌソルに戻った時に「マスターは亡くなられました」とララあたりから聞かされて終わるだろうと思っていた。
だが。
……なんだろうな。
声、だけでも。
この魔石一つでハーマイトシュシューを孤独に死なせずに済むなら、もう一度会うことに意味を見い出せると思えたから。
「この魔石の件も含めて、いろいろ説明したいんだが……部屋に上がっても?」
問うと、ハーマイトシュシューは目を瞠り。
それから俯いて俺の袖を掴んだ。
「……嘘かどうかは確かめた方がよさそうだからね」――。
「無事の御帰還を」
これから大陸間で起こることを危惧し同胞の身を案じてくれるのには、片手を上げて応えるしかなかったが。
冒険者ギルドの建物から出て来るハーマイトシュシューを、その壁に寄り掛かって待っていれば本人は特に表情を変えることもなく横を通り過ぎていく。
一言の声掛けもなし。
理由は判らないが、……いや、幾つか考え得る理由はあれど、実際にどれなのか判断出来ない。
全部か、と。
それが正解な予感を覚えつつも怒っているらしいその背に話しかける。
「忙しそうだな」
「……随分と君らしくないことをする」
どうやら無視するつもりはないらしい。
その事に安堵しながら隣に並ぶ。
「こちらにその気がないと示せばそれきりになると思っていたけど」
「お節介が多くてな」
言ったら、冷えた視線を向けられる。
最後に会った記憶の中の彼よりもずいぶんと細く――否、やつれたと表現した方が適切か。顎のラインが変わり、そこだけは変わらずに艶めいている長い銀色の髪に隠れる首筋、衣服の下の体付き、もっと言えは骨ばった手指。
顔色は化粧で誤魔化しているのか。
目の奥には、今まで見る事のなかった疲労感が滲んている。
「……相当辛いんじゃないのか」
毎日見ていればそうとは気付かない変化。
誤魔化し方にも本気が伺える。
しかし最後に直接会ったのが1年以上前の自分の目には、ハーマイトシュシューの変化が哀れなほど明確だった。70年~80年ある獣人族の寿命に比べて半分以下になる場合も多い森人族。
40を過ぎている彼は、もういつ目覚めぬ眠りについても不思議はない。
「……心配しなくてもギルドマスターの業務は引継ぎを始めているよ」
「そうじゃない」
「君が気になるのはトゥルヌソルの治安が揺るがないかどうかだろう」
「当然だ」
「だったら」
「だが」
声量は小さくともはっきりと拒絶を示すハーマイトシュシューに、だが、退けない。
嘘は吐かない。
最初にそう約束した。
「10年以上も国のために尽くして来た同志を心配しないほど無情ではない」
「……っ」
そこで初めてハーマイトシュシューの表情が歪んだ。
「どうして、いま、帰って来たの……あの時、これが最後だって言ったのに」
「そのつもりだった」
解放してあげるよ――ハーマイトシュシューはそう言った。
年単位でトゥルヌソルに戻れなくなるだろうと話したあの夜に、これが最後だ、と。
森人族が長く生きられないのはどうしようもない事実で、心機能が衰えている自覚は、その日が近いことを嫌でも実感させる。
次はいつ会えるか、なんて。
そんな女々しい質問も、期待も、したくないと彼は言い切った。
だから最初の約束ごと破棄した。
「もう二度と会いたくなかった」
「すまん」
「声も聞きたくなかった」
「判ってる」
「だったらどうしてここにいるの……!」
荒げる声は弱々しい。
少し感情が乱れるだけで呼吸が整わなくなっているのが判る。
もう、本当に、長くないのだ。
それが判ったところで明日の出発を無しに出来るはずもなく、傍にいられないなら会うべきではなかった。判っていた。
……判ってはいた、けれど。
「シュー」
ビクリと震える体を引き寄せれば抵抗はなかった。
しても無駄だと思っているのか。
抵抗するだけの体力が、そもそも無いのか。
腕の中に納まるそれが記憶より随分と細く、脆くなっているのを直に感じたことで胸の奥に針で刺されたような痛みが走る。
後悔……違う。
罪悪感でもない。
同情と言われたらそれが最もしっくりくるがそれだけでもなかった。愛情が欠片もないわけじゃない。しかしハーマイトシュシューが『特別』ではない以上、彼が望んでいるものとは違い過ぎる。
「シュー。俺はおまえに嘘は吐かないと約束した。だから愛しているとも、好きだとも、言ってやれない」
「……今更だよ」
「あぁ、今更だ……だが、おまえが恋人ごっこを止めても、最初の約束を破棄しても、……おまえが死ぬまで俺は俺の約束を果たす」
「……っ」
「嘘は吐かない。おまえ以外は抱かない。おまえを一人で死なせはしない」
「明日にはいなくなって、またいつ帰って来るかも判らないなら、それは、嘘だよ」
「ここに俺を置いておけ」
薄い胸元に手と共に置くそれは、見事に等分された赤い魔石。
証紋を押すだけで完成する術式を刻んだ特別紙と一緒にレンに持たせられたものだ。魔力量によって通話距離が変わるなら、俺と、ハーマイトシュシューならかなりの長距離でも可能なはずだと。
……根拠もないくせに、なぜか自信満々に。
「独りだと思ったらこの魔石に魔力を流せ。そうしたら俺と会話が出来る……ように、これから加工するから」
「……?」
意味が解らないと言いたげなハーマイトシュシューの顔に、今日初めて笑いが込み上げて来た。
そうだろう、判らないだろう。
本当に、レンの発想には理解が追い付かない。
だが、声の一つも届けられないならハーマイトシュシューの言う通りにあの日で終わりにするつもりだった。全部に片が付いてトゥルヌソルに戻った時に「マスターは亡くなられました」とララあたりから聞かされて終わるだろうと思っていた。
だが。
……なんだろうな。
声、だけでも。
この魔石一つでハーマイトシュシューを孤独に死なせずに済むなら、もう一度会うことに意味を見い出せると思えたから。
「この魔石の件も含めて、いろいろ説明したいんだが……部屋に上がっても?」
問うと、ハーマイトシュシューは目を瞠り。
それから俯いて俺の袖を掴んだ。
「……嘘かどうかは確かめた方がよさそうだからね」――。
71
お気に入りに追加
561
あなたにおすすめの小説

迷子の僕の異世界生活
クローナ
BL
高校を卒業と同時に長年暮らした養護施設を出て働き始めて半年。18歳の桜木冬夜は休日に買い物に出たはずなのに突然異世界へ迷い込んでしまった。
通りかかった子供に助けられついていった先は人手不足の宿屋で、衣食住を求め臨時で働く事になった。
その宿屋で出逢ったのは冒険者のクラウス。
冒険者を辞めて騎士に復帰すると言うクラウスに誘われ仕事を求め一緒に王都へ向かい今度は馴染み深い孤児院で働く事に。
神様からの啓示もなく、なぜ自分が迷い込んだのか理由もわからないまま周りの人に助けられながら異世界で幸せになるお話です。
2022,04,02 第二部を始めることに加え読みやすくなればと第一部に章を追加しました。

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

獣人の子供が現代社会人の俺の部屋に迷い込んできました。
えっしゃー(エミリオ猫)
BL
突然、ひとり暮らしの俺(会社員)の部屋に、獣人の子供が現れた!
どっから来た?!異世界転移?!仕方ないので面倒を見る、連休中の俺。
そしたら、なぜか俺の事をママだとっ?!
いやいや女じゃないから!え?女って何って、お前、男しか居ない世界の子供なの?!
会社員男性と、異世界獣人のお話。
※6話で完結します。さくっと読めます。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
とある文官のひとりごと
きりか
BL
貧乏な弱小子爵家出身のノア・マキシム。
アシュリー王国の花形騎士団の文官として、日々頑張っているが、学生の頃からやたらと絡んでくるイケメン部隊長であるアベル・エメを大の苦手というか、天敵認定をしていた。しかし、ある日、父の借金が判明して…。
基本コメディで、少しだけシリアス?
エチシーンところか、チュッどまりで申し訳ございません(土下座)
ムーンライト様でも公開しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる