生きるのが下手な僕たちは、それでも命を愛したい。

柚鷹けせら

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第2章 新人冒険者の奮闘

閑話:クルトの視点から『界渡りの祝日』一日目

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 ※暗いです。綺麗な気持ちばかりじゃないよねっていうクルトの話。
 ※閑話は飛ばしても本編に支障ありません。

 ***


『界渡りの祝日』は前夜祭から後夜祭まで三日間に渡って催される。
 一日目はロテュスに移住することを望んだ祖先が集まった事を祝い、二日目は光の道を通してくれた主神に感謝し、三日目は未来の幸福を祈るのだ。




 10月の15日、水の日、午前6時半。
 半年前から暮らし始めたレイナルドパーティのクランハウスはとても大きくて、皆が朝食のために集まる食堂までは駆け足で移動しても3分くらい掛かってしまう。

「おはようございます」
「おはよ、よく眠れた?」

 クルトが挨拶をすると、先客ことアッシュがそう声を掛けて来る。

「昨夜は夜中まで大騒ぎだったけど大丈夫だったかい?」

 そう心配するのはアッシュの夫で、彼女と同じウマ科シュヴァル。ものすごく仲が良くて、いまも朝食にシリアルを用意しているアッシュをバックハグ中だ。
 独り身のクルトは視線の置き場に困りつつ答える。

「全然問題ありません。家が広いってすごいです」
「ふふっ、そうね」

 このクランハウスはレイナルドの兄が用意したと聞いているが、造りが珍しく、この食堂や、キッチン、皆が集まって宴会――昨日は昼間から夜中まで遠征の打ち上げ兼レンの昇級祝いと称した飲み会をしていたホール、話し合う会議室なんかを備えた中央館から四方向に渡り廊下が設えられていて、それぞれが独立した建物と繋がっているのだ。
 南東の建物にはレイナルド。
 南西の建物にはゲンジャル夫妻と娘達。
 北西の建物にはミッシェル夫妻とアッシュ夫妻。
 そしてクルトの部屋は北東の建物の3階で、ウォーカー夫妻が2階に住んでいるけど、先述の渡り廊下が各階にあるおかげで、同じ建物に住んでいたって他のメンバーのフロアに立ち入ることはないのだ。
 金級オーァル冒険者がすごいのか、レイナルドの正体がすごいのか、……それとも両方か。
 何にせよ自分には場違いだ、身分不相応だと頻繁に思い知るのだが、依頼に赴いた時の扱かれ方がとんでもなく厳しいからこそ、なんとか此処に居続けられている。

「クルトは今朝は何にする? シリアル?」

 アッシュが手にしていた袋を差し出して来るので「いいえ」と断った。

「今朝はパンが良いので、あっちのサンドイッチにします」
「さっきレイも持って行ってたけど、まだあるかしら」
「えっ」

 不安になって足早に近付き、蓋を開けるのは時間停止機能が付いた大きな箱型魔導具で、中に保管されているのはレンが作ったパン各種だ。

「残り二つしかない!」

 思わず声を上げてしまったクルトに、アッシュ夫妻が「あらあら」と笑う。
 半年前――クルトをレイナルドパーティに勧誘するために箱いっぱいのパンをこの家のキッチンで作ったあの日から、レンは此処を訪れてはメンバーとパンを作っている。
 理由はただ一つ。
 彼が作るパンは美味しくて、全員が普段から食べたいと希望したからである。

「一個じゃ足りないけど俺が最後っていうのは……あ、でも……いや……っ」
「食べちゃいなさいよ。そしたらレンを誘ってまた一緒に作ればいいんだもの」
「そうだね。祝日の間は子ども達も帰って来るし、せっかくだから顔合わせもしたらいいんじゃないかな」
「でも誘うにはまずレンくんの都合というものが……!」
「今日会う約束していたじゃない。聞いて来たら?」
「……そうします」

 そうと決まれば、と。
 クルトは最後のパン二つを手に入れた。


 キッチンこそ住んでいるフロアにはないけれど、シャワー室や冷蔵庫は普通に設置されていて自由に使えと言われている。この好待遇で以前の家と同じ一月500ゴールドの家賃(食費・魔石代含む)は破格だ。
 おまけに彼らがいるから金級オーァルダンジョンにだって挑戦できる。
 挑戦させてもらえるまでの、半年間の修行はとてつもなく厳しかったけれど、たった一回、半月の遠征で借金の八分の一を返済なんて以前は想像もしなかった。

(もう、死ぬまで銅級依頼で稼ぎ続けるしかないと思ってたもんな……)

 それも、借金を残して死ぬのだと。
 獄鬼ヘルネルをトゥルヌソルに侵入させた。
 住居を爆破。
 多くの人々の生活を壊し、多くの冒険者に参戦協力を要請し、僧侶に治癒を願った
 その後の弁償や、保証を含め掛かった費用の総額がおよそ100万ゴールド。前のパーティで約30万ゴールドを負担し、同額をトゥルヌソルという街が負担してくれた。
 残り40万ゴールドが借金として残り、これを冒険者ギルドが無利子無催促という好条件で貸し付けてくれたわけだけど、ソロの銀級冒険者が生活しながら40万ゴールドを稼ぐのは難しい。
 人生の幸福を諦めるしかない、はずだったのだ。

(こんなに幸せで良いのかな)

 身支度を整え、鏡に映る自分に自問する。
 夜は温かなベッドで眠り、お腹が空けば美味しい食事が口に出来、気軽に言葉を交わせる仲間と一緒に依頼を受け、ダンジョンに潜り、充分過ぎる稼ぎが手に入る。
 解散したパーティの皆は今ごろどうしているだろうか。
 借金を背負いたくないからクルトを捨ててトゥルヌソルを出て行ったと言われている彼ら。結果だけを見ればそうかもしれないが、彼らに迷いがなかったとは、クルトは思っていない。
 もしかしたら今だって苦しんでいるかもしれない、そう思う。

(連絡先でも判れば「もう大丈夫だ」って伝えられるのに……)

 調べる術もないことにクルトの握った拳が震えた。




 午前9時半。
 レンとの約束の時間を前にクランハウスを出ようとしたクルトは、中央館の出入り口に向かう途中に必ず通る談話室でゲンジャル、レイナルドと顔を合わせ、ダンジョンで入手した素材の査定結果が出るから午後4時に冒険者ギルドに集合だと告げられる。

「レンくんが一緒でもいいですか?」
「もちろんだ」
「つーか、もうレンもうちに住まわせようぜ。パンがなくなった」

 ゲンジャルがジト目でクルトを見る。
 どうやら最後の二つを持っていたのが誰かはバレているらしい。

「理由がパンってどうなんだ?」

 レイナルドが呆れたように言うけど、彼もあのパンが好きなのは周知の事実。レンが頷けばすぐにでも此処に住まわせたいのでは。

「予想よりずっと早く銅級に上がったんだぞ。今後は一緒に依頼に行くことも増えるだろうし」
「それはそうなんだが……ダンジョンに行っている間はどうする? チロルのところに居た方が安心だと思わないか」
「あー……あいつ危なっかしいもんな……っと、約束に遅れるぞ」
「あっ」
「引き留めて悪かったな、人が多いからいろいろ気を付けろよ」
「はい!」

 二人に見送られてクランハウスを出たクルトは、そのまま約束の待ち合わせ場所である冒険者ギルドまで移動した。
 レンが宿泊している『猿の縄張り』とレイナルドパーティのクランハウス、二カ所のちょうど中間地点で、商い通りにも近いからだ。

(それにしても……ほんと、祝日期間中の教会方面はすごいな……)

 まるで吸い込まれるみたいに森の中に消えていく何組もの親子連れ。
 理由なんてただ一つ。
 今日は秋の『洗礼の儀』が教会で行われるからだ。
 これらの儀式をいつ行うのかはその土地によって異なるため、毎月行う土地もあれば年一回しか行わない土地もある。トゥルヌソルは年4回、季節ごとに行っていて、秋の儀式は『界渡りの祝日』の初日だ。
 そしてそれは世界中が同じ。
 年一回しか儀式を行わないなら、それは間違いなくこの三日間だ。

(お祝いだし、僧侶が教会にいるとみんな喜ぶって聞くけど、レンくんはどうするんだろう)

 初日は『洗礼の儀』、二日目は『成人の儀』、そして三日目が『雌雄別の儀』。
 行きたいと言えば付き合うのも楽しそうな気がする。
 それにあの子の願い事なら可能な限り叶えたい。
 それがせめてもの恩返しになったらいい、……そう思う。

「クルトさん!」

 先に待ち合わせ場所にいたレンが、笑顔で手を振っていた。
 その眩さにクルトは目を細めた。




 レンと合流して最初に向かったのは商通り5番目の曲がり角を右に折れた先にある比較的新しい門構えの店だ。
 看板には魔導具専門店の文字。
 冒険者ギルドのすぐ近くということもあり、冒険者に必須の魔導具が勢揃いしていて、クルトも昔から世話になっている。門構えが新しいのは、それだけ盛況だって事だろう。

「もう少し奥に行くとダンジョンのドロップ品を売買しているお店もあるけど、今日は動作確認もしっかりしてある新品の中から選ぼうね」
「はい! 旅にどんな魔導具が必要かも判らないのでいろいろ教えてください」
「うん、こういうことなら経験もあるし任せてくれて大丈夫」

 そんな会話をしながら店内に入ると、途端に奥から「いらっしゃいませ」と声が掛かった。祭りの最中と言う事もあってか店内の人気は少なく、もちろんそれを狙って来たのだが、ゆっくりと見て回れそうだ。

「わっ、クルトさんあれは何ですか?」
「え。ああ、魔獣除けだよ。野営の必需品だから目立つところに置いてある……」

 長さ20センチくらい、太さ3センチくらいの八角形の棒状で、上下の先が鋭く尖っているそれは硬質な素材で出来ており、あまり他の形は見ないのだが……と考えて、ふと気付く。

「見た事ないの?」
「ぁ……えっと、そう、ですね。他の人が使ってくれてたのかな……?」
「そっか」

 故郷からトゥルヌソルまで旅をして来たと言っても、この見た目だ。同行していた人が積極的に世話を焼いたんだろうことは想像に難くないし、そう考えると本当に野営の知識はゼロだと思った方が良いのかもしれない。
 先ずは店内全体を見せてあげたくなった。

「他にも気になるものはある?」
「……あっちのいろんな形があるのはランタンですよね?」
「そう。魔力で起動するものとか、使う時に魔石を嵌め込む型とか、好みで選べばいいけど、今回は要らないよ」
「でも野営には必須じゃ?」
「レイナルドさんが、パーティにあるものを使えって言ってたろ? 個人で欲しいものがあれば使い勝手や自分自身の好みを把握してから順番に揃えて行けば良いってことだよ」
「な、なるほど……!」

 目を輝かせて納得しているレンが可愛いくて、クルトの表情は自然と柔らかくなる。
 店内を回りながら折り畳み式の卓や椅子、寝袋、マットなど見ていくがレンが一番興味を持ったのは調理器具で、取手を外して重ねられる5種類の鍋に興奮する姿はおもちゃを積み上げて喜ぶ子どもみたいだった。
 それからさらに店の奥に進むと、広いスペースを取って展示されていたのは――。

「テント?」

 レンが意外そうな声を上げる。

「テントも魔導具なんですか?」
「そうだよ。ただし普通のテントに比べると値段が跳ね上がるから新米冒険者は此処じゃ買わない」
「あ、やっぱり……」
「うん。それにテントもパーティのがあるから今回は買わないで大丈夫だよ。しかもこういうの」
「ほんとですかっ」

 わくわくしているのがよく判る表情で聞き返され、大きく頷く。

「見た目より中が広くて、防寒がしっかりしているテントだった」
「それって、えっと……術式で、ってことですよね」
「うん」

 魔導具は、技術者が研究に研究を重ねて完成させた術式が組み込まれた道具だ。
 パーティのテントには内部拡張と防寒、それから魔獣が接近すると警鐘が鳴り出す術式が組み込まれていて、もちろん交代で見張りはつくけど、いざと言う時に起こす手間を省けるのは大きい。

「他にテントに組み込まれる術式ってどんなのがあるんですか?」
「そうだなぁ。床がふかふかとか、中が複数の部屋に仕切られていたり……? あと、換気がしっかりしているのもあったかな」
「換気?」
「そう。雨の日でも中で火を焚いたり、あとは身分の高い人が野営する時には料理が出来るようにって意味もあったかな」
「テントの中で火や料理ですか……!」
「すごいよね」

 贅沢仕様と思えばテント一つ取ってもいろいろ出来るという事である。
 そんな感じに一通り見て回ってから、今回の目的の魔導具売り場に移動する。

「今後の事も考えて、容量が多めの内部拡張型の鞄と、防寒がしっかりしているマントが最優先。予算に余裕があるようなら、レンくんは靴にも補助の術式付を用意した方が良いかも」
「靴ですか?」
「うん。なんせ護衛対象は馬車に乗ってて、冒険者は成人済みばかりだから、……その、小さいレンくんは付いてくるのも大変だと思うんだ」
「確かに……」

 傷つくかなと言葉を躊躇ったけど、レンはあっさりと受け入れた。

「一人遅れて皆さんに迷惑を掛けるわけにはいきませんもんね。ただ、予算はありますけど、現金をそれほど持ってないです」
「ここは証紋で購入できるよ」
「じゃあ大丈夫です!」

 というわけで、それから一時間以上を掛けて商品を吟味したレンは腰ベルトで装着する内部拡張型の四角いポーチと、背負う鞄、薄青色で防寒と防水、耐火効果があるフード付きの大きめのマント、防寒・防水・疲労回復に加えて弾力効果と軽量化がついたブーツ、それから、何がそんなに気に入ったのか保温効果しか付与されていない薄紫色の毛布を最後まで大事そうに抱えて購入していた。

「鉄級依頼で稼いだ分を貯めておいて良かったです」

 そう言いつつも笑顔が輝いているのは、満足のいく魔導具が購入出来たからだろう。

「レンくんが良い買い物をする手伝いが出来たなら良かったよ。あとは傷薬なんかも自分で準備しないといけないから、薬屋にも寄っていこうか」
「はい。痛み止めや解毒なんかの状態異常を治すのが欲しいです」
「そっちは余裕があればで大丈夫だよ?」
「ふふっ。ちょっとした怪我なら治せるようになりましたから、今後は頼ってくださいね!」
「……え?」

 一瞬、言われた意味が判らなくて聞き返してしまった。
 待って。

「治せるようになった、の?」
「なりました」
「洗礼の儀を終えてまだ半年だよね?」
「最初から僧侶の回復魔法だって判ってるから練習出来るって教えてくれたのはクルトさんじゃないんですか」
「それは……言った、かもだけど」

 例え練習が出来たとしても、12歳の洗礼の儀で初めて体内に形成される魔力回路を意識し、そこに流れる魔力を動かしたり、ましてや魔法を発動するなんて簡単なことじゃない。

「教会の先生にはやり過ぎだって怒られましたけど」
「おこ、え?」
「集中し過ぎると周りが見えなくなるみたいで、いっつも先生に「そこまでにしなさい」って怒られるんです。邪魔しないでよって思ってたんですけど、夏場に気付いたら机の上が汗でびしゃびしゃだったりしたので、反省しました」
「……そ、そう」

 大人だって難しいのに、12歳の子どもがそこまで集中出来るものなんだろうか。
 そんな疑問は、レンの次の言葉で掻き消される。

「早くクルトさんと一緒に依頼に行きたくて、役に立ちたくて、頑張ったんですよ。属性魔法や生活魔法はさっぱりですけど、それが普通だってまた教会の先生に怒られるし……」
「……っ」

 ああ、どうして。
 心臓が痛くて、でもどうにも出来なくて胸元の服を鷲掴んだ。

(主神様、どうしてレンくんみたいな僧侶を此処に遣わしたんですか)

 思い知らされる器の差。
 眩しい。
 辛い。
 嬉しい。
 悔しい。

(どうして俺と出逢わせたんですか)

 ちりりと心臓が焼ける。
 いまの自分はあまりにも不相応な場所にいて、陰でいろいろ言われているのは知っている。
 自分はレンのだ。
 この恐ろしいほど主神に愛された子どもをパーティに引き入れるためという理由がなければ、レイナルドだって自分を誘いはしなかっただろう。
 判ってる。
 全部。
 必要とされているのはこの子。
 自分は要らない子。

(わかってる、のに)

 ずるい。
 ひどい。
 最悪。
 妬ましい、なのに、……どうしようもなくあったかい。こんな自分でも一緒にいたいと言ってくれるこの子の隣に居続けたい。

(俺みたいなダメな奴に、どうして、救いが与えられたのですか)

 クルト、と。
 遠く懐かしい呼び声に背を向けて、ここに立っている自分の、なんて――。

「クルトさん」
「っ、ぁ……」
「お腹空きましたか?」

 吸い込まれそうな黒い瞳に浮かぶ気遣う色と、優しい声。
 年下なのに。
 彼のような弟がいればって思ったのに。

「……レンくん、お母さんみたいだ」
「はい?」
「ふはっ」

 怪訝な顔を向けられて楽しくなるとか、もう、ごめんねとしか言えないけど。

「レンくん、明日って予定ある?」
「いえ、何もないです」
「じゃあさ、明日は教会に付き合ってくれないかな」
「教会は、明日だと成人の儀が行われていますよね? 関係ないのに入って良いんですか?」
「僧侶はむしろ歓迎されるよ」

 それも知らないのか……と不思議に思ったけれど、全部まとめて受け入れよう。
 弱くて、汚くて、醜い感情でいっぱいの自分だけど。
 現在いまがいつまでも続いて欲しいと願う理由が、どんなに自分勝手でも。

「主神様に感謝を伝えに行きたいんだ。明日は二日目……新しい生活を始められることを感謝する日だからね」――。
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