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第1章 異世界に転移しました

14.新しい風と疑惑 side ララ

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 この世界ロテュスは主神リーデンによって創造された獣人族救世の地――洗礼の儀ですべての子どもたちが教会の先生から聞かされる創世神話の一節だ。

 約1,000年前、に迫害されていた獣人族ビーストを憐れんだ神々は新世界の創造を生と死の神リーデンに命じ、リーデンは364日間掛けてロテュスを命が育まれる環境に整えた。
 そして365日目の満月の晩に光の道を繋いで祖先をロテュスに導いた。
 その際に獣人族ビーストに心を寄せているという理由で同じように迫害されていた少数の人間も一緒に受け入れたが、人間というだけで彼らを恐れる獣人族ビーストも少なくなく、リーデンは人間が決して獣人族ビーストに危害を加えないよう「暴力を振るうことが出来ない代わりに振るわれる事もない」という楔を人間の血に刺したという。
 以来、ロテュスで共生する獣人族と人間は、愛で結ばれることも自然なくらい良好な関係を築き上げ、混じり合う血が森人族エルフ地人族ドワーフ水人族ウェーヴェという新たな種族を誕生させた。
 一方で純血がいなくなった人間は、祖先に近い容姿を受け継いだ者達を新たに人族ヒューロンと称し、ロテュスの5つの種族が定まったのである。

 また、リーデンが人間の血に刺した楔は獣人族の血と混ざりあうことで「加護」に変わった。
 これは創世の初めから定められていた変化。
 神々の世界には、神が創造した世界を破壊したい者達が存在しており、いずれはロテュスにもその魔手が伸びることが危惧されていたからだ。
 獣人族ビーストと人間の関係が改善したならロテュスは永く続く。
 いつか必ず襲い来る厄災との交戦に備え、世界には「癒す者」が必要だった。

 僧侶。

 楔より変じた加護をその身に、神力を宿す癒し手。
 僧侶がいれば怪我人や病人は治癒し、疫病は流行らず、世界に破滅をもたらす者――獄鬼ヘルネルを近づけさせないと言われている。
 故に、ロテュスの民は僧侶を身近に欲する。
 辺境では僧侶を村ぐるみ、町ぐるみで囲い込もうと必死になるし、僧侶が多く出入りする土地なら心地良く過ごし長居してほしいと、干渉を控える傾向にある。

 ロテュスの民は知っている。
 神は実在し、祖先を救世し、そして来る厄災から世界を護るために僧侶を地上に遣わす事。

 ロテュスの民は、それを知っているのだ。




 移住した満月の晩から、今年で998年。
 トゥルヌソルの街に新たな僧侶が訪れる事になるその日。
 冒険者ギルドは、朝から普段とは異なる喧噪に包まれていた――……。




 〇●〇




「どうか! 頼むからっ!」

 聞き慣れた冒険者の切羽詰まった声に、何事かと気になって奥の事務室から受付ホールに移動する。
 するとカウンターに座っている女性職員が、予想した通りリス科エキュルイユの獣人族クルト・デガータに詰め寄られて青い顔をしていた。
 彼らしくない態度に眉を寄せ、行き過ぎた要求をしているようなら止めさせなければと一歩踏み出したところで、再びの声。

「それじゃあ借金奴隷にされちゃうんだよ⁈ 頼む、この通り!!」
「そうは言われましても、……ご自身の不注意なんですよね?」
「そ、そう、だけどっ」
「でしたら特例は認められません。既定に則り保証金の300ゴールドを支払って身分証紋の再発行を行ってください」
「財布も掏られたんだってば! 依頼受けるのも身分証紋ないと無理じゃん!」
「パーティメンバーの方にお借りするとか……」
「今日は休みで皆バラバラなの! すぐに呼べないの! あと10分で俺売られちゃう!!」

 想定外もいいところの遣り取りに頭痛がした。
 クルトは想像力が逞し過ぎて思い込みが激しいという短所はあるものの、責任感が強く何事にも真面目に取り組める元気いっぱいの好青年だ。
 借金奴隷など出来れば回避させてあげたいが、自身の過失だと認めている以上、ギルドの職員として手を貸す事は出来ない。
 それでも何とかならないものかとそわそわしていると、不意にホールいっぱいに声が響き渡った。

「クルト!」
「ひゃっ」

 こちらも聞き慣れたイヌ科シアンのレイナルドがクルトを呼んだらしかったが、後に続いた可愛らしい悲鳴は一体……?
 見ると、レイナルドは肩の上に小さく愛らしい子どもを担ぎ上げていた。
 耳を見る限り人族ヒューロンだと思われるが信じられないくらい華奢だ。

「この坊主がおまえに話があるそうだ。知り合いか?」
「い、いや……?」
「この街に来る途中でこれを拾ったんです!」

 子どもが慌てた様子で手から垂らしたのは冒険者登録した時に必ず手渡されるネームタグだ。常に持ち歩く必要があるため、それに身分証紋を刻む冒険者は多い。

「クルト・デガータさんですかっ?」
「そうですっ!!」

 どうやら失くしたタグで間違いがなかったらしく、クルトは泣きながらそれを受け取ると、何度も感謝を口にし、礼がしたいから此処で待っていて欲しいと言い置いてギルドから飛び出していった。
 もう少し落ち着きなさいとは思うものの、いまは借金を返済するのが先だろう。
 で、あるならば……そう思い、少年に近付くため周囲に群がっていた冒険者を散らす。
 これでもサブマスターの肩書を持っているのだ。
 冒険者の扱いには慣れている。

「さぁ通常業務に戻りますよ。冒険者の皆様もご自身のすべきことをどうぞ」

 パンパンと手を鳴らすだけでホールはいつも通りの雰囲気に戻っていく。その間にレイナルドの肩から下ろされた少年は、彼に丁寧にお辞儀している。
 ……本当に可愛らしい。

「こんにちは」

 声を掛けると、弾かれるようにこちらを振り向いた子どもは、無造作に伸びた真っ黒な黒髪に、目も黒という珍しい組み合わせをしていた。

「こちらのギルドには初めてお越しになられた方だとお見受けします。私はこのギルドのサブマスターを務めているララ・シアーヌと申しますが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「えっ、はいっ」

 大きな目に驚いや戸惑いを滲ませつつも、冷静を装って対応しようとする言動は、見た目に反して堂に入っている。
 差し出される右手の甲には、グローブに刻まれた正教会の紋。

「正教会所属の旅の僧侶、レン・キノシタと申します」

 聞き慣れない名前の響きだったが、二階の応接室に案内した後で彼の身分証紋で確認したのだから間違いなく本名だ。
 ……否、確認したら名前がどうこうという問題ではなかった。
 今すぐにギルドマスターを呼び出したい衝動に駆られた。

 ◇◆◇

   名前:レン・キノシタ
   年齢:12
   性別:男(未別)
   種族:人族ヒューロン
   所属:正教会
   職業:旅の僧侶
  所持金:口座有/残金***G
  犯罪歴:無し
  出身地:地球
 特記事項:異世界からの転移者/人間/主神リーデンの愛し子

 ◇◆◇

「……っ」

 ごくりと喉が鳴った。
 表情を取り繕えているだろうか。
 笑顔になっているだろうか。

「ありがとうございました。そして、改めて感謝申し上げます――」

 会話を気力で続けるけれど、受けた衝撃はこれっぽっちも緩和されない。
 冒険者ギルドや商業ギルドなど、は街の出入りで確認するそれよりも表示される情報量が多く、出身地と特記事項についてはサブマスター以上の権限を持っている者にしか見えない。
 ここで言うなら自分とギルドマスターと、あと一人だけ。
 だから出身地の「地球」という聞いたこともない地名にも驚きはしたが、特記事項に書かれた文字に震えが走った。
 そこに文字があるというのは、それだけで緊急事態なのだ。
 特記事項とは『お忍びだから身分を知られたくなくて証紋に手を加えている』だとか『王の庶子だから扱い注意』といった、そういうことを弁えている上層部の者同士の伝達事項を記載する場所だ。
 そのため、此処に手を加えられるのはの許可を得た場合のみ。
 冒険者ギルドなら各大陸本部のギルドマスターだけ。
 商業ギルドなら各大陸本部の商会長だけ。
 王族なら、国の君主だけ。
 正教会に至ってはだ。
 これは秘さなければならない。
 それゆえの特記事項。
 表情を作る。
 話題を変える。
 取り繕え。
 気付いた事に、気付かれるな。

「例えこの街を拠点にしている冒険者であっても、街の外に出れば、戻って来る時には門の兵士が必ず身分証紋を確認します。もし外で犯罪行為に手を染めていたら拘束しなければなりませんから」
「身分証紋ってそんな事まで判るんですか?」

 え。
 驚きのあまり思わず固まってしまったら、彼もまずいと思ったのだろう。

「す、すみません……その、俺、常識に疎いところがあるだけで決して怪しい者では……っ」
「いいえ、大丈夫ですよ。身分証紋ではそういう事も判りますからレンさんが正教会に所属するに相応しい方なのは承知しております」

 必死に弁明しようとする姿はとても可愛らしいが、生まれて初めて主神への怒りが湧いて来た。
 自分に特記事項まで晒した証紋照合具に握り込む勢いで触れる。
 隠す気はあるのですか。
 守る気はあるのですが。
 それくらいの常識も教えずに放り出すなんてどういうお考えですか……!

「ただ、レンさんに紋を刻んだ教会は説明不足のようですね。そういう基礎が記された本がこの街の教会にもありますから、もしよろしければ立ち寄ってみて下さい」

 この子を守るためには自分がなんとかしなければいけないのだろうか。
 そんなふうに、思って――。




 緊張してはいたものの、普通に会話が出来ていたはずなのだが、……気付いたら主神の愛し子に心配そうな顔で見つめられていた。

「……? ぁ、レンさん……」
「はい」
「……そちらの出金申請書は私がお渡ししましたか?」
「ええ」
「そう、ですか。すみません。少し……」
「大丈夫ですか?」
「はい。大変失礼いたしました……」

 土地に詳しくないと聞いた気がしたから書庫に地図をはじめとした資料があることを伝えたが、そうしながらも何故か頭から離れない声があった。

 ――……愛し子の件は、まだレンくんには内緒ね♪

 とても愉快そうな女性の声。
 完全には信じ切れていなかったのだろう『主神リーデンの愛し子』という文字列が、ようやくストンと心の内側に落ちた気がした。
 この子は大丈夫だ、そう思えた。




 その後、お金を降ろしたいという彼の希望に応えて500Gを準備していると、無事に借金を清算して戻って来たクルトに声を掛けられた。
 彼本人からも事情を聴くため、……その前にレンから聞いた話を基に調べたい事もあったため、夕方に再度ここに来るよう伝えてから応接室に案内した。
 お礼に街を案内するというクルトと、レンを見送った後は各所に調査の手を伸ばしたが結果は芳しくない。
 そんな状況が一転したのは遅い昼食を買いに外へ出ようとホールを歩いていた時だ。

「レイナルドさんっ、俺の依頼、受けて貰えますかっ?」

 その声を聞いて、思わず話に割り込んでいた。
 二階の応接室はどうかと尋ねると、主神の愛し子は大きく頷き返した。




 〇●〇




 冒険者ギルドの2階応接室で向かい合って座るララとクルトだが、お互いに気心が知れている事もあって間に流れる空気は穏やかだ。

「――……納得しかねる部分も残りますが、先ずはこれで聴取終了とさせて頂きます」
「はい。今回は本当に、ご迷惑とご心配をお掛けしました。申し訳ありませんでした」
「今後は注意してくださいね」
「はい」

 深々と頷くクルトを促して一緒に部屋を出た二人は、他者に聞かれても差し支えない会話に切り替える。口調も普段通りの砕けたものに戻した。

「明日は依頼を受けられますか?」
「受けないとヤバい、このままじゃクランハウスの家賃も払えなくなる」
「パーティの皆様にも怒られそうですね」
「絶対怒られる。っていうかあいつらが帰って来た時が怖い……隠れたい……」
「戻られるのはいつ頃ですか?」
「テルアとマリーは明日の夕方かな。イーサンとルディが明後日の予定」
「そうですか。皆さんはクルトさんを心配して怒るんですから甘んじてお説教されてくださいね」
「はぁい」
「ふふっ。それではまた明日、お待ちしております」
「ありがとう!」

 ギルドの入り口で、クランハウスに向かって歩き始めたクルトの背中を見送る。
 クランハウスとはパーティ名義で借りてメンバーが共有している一軒家の事で、クルトのパーティは六人のメンバー全員がそこで暮らしているというふうにギルドでは把握している。
 一昨日までキャラバンの護衛で遠出していた彼らは、それが一月近い長期の依頼だったことから、今日からしばらくを休養日に充てている。
 行先まで把握していないが、門の出入履歴を確認するとトゥルヌソルにいるパーティメンバーはクルトとジェイの二人だけ。他の四人はそれぞれにパートナー同士で、一組は昨日の昼、一組は今朝、門兵に小旅行だと言って街を出発していた。

「……まさか……と、いまでも半信半疑なのよ……?」

 しかしレンの言葉には否定しきれない説得力があった。
 借金12,000ゴールド――境界は10,000ゴールドだが、それを越えている借金奴隷には返済まで時間が掛かり過ぎるという理由で娼館での奉仕が許可されている。
 つまり、性奴隷として扱うことが法の下に認められているのだ。
 罰則が厳しいのは「そもそも借金をするな!」という警告で、その甲斐あって滅多に身を持ち崩す者はいないのだが、今朝はそれが起ころうとしていた。
 相手させられることになる客が娼館を訪れる有象無象か、個人かは、誰にも判らない。
 しかし完済するまでクルトの身に奴隷紋が刻まれて主人に絶対服従を誓わされるのは確定だった。


 小さくなるクルトの背を、着かず離れず追跡しているのは獣人族のレイナルドと、彼のパーティメンバーたち。
 この不安が的中し、明日にはテルアら他の仲間もトゥルヌソルに帰って来ると言うのなら、……事態は、いまこの瞬間にも動き出すだろう。
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