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2.異世界転移

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「今日は驚かされてばかりだな……」

 驚いたというよりは呆れた調子の声を発するその人物……否、神は、真っ暗だった空間を間接照明を付けたような夕暮れ色の部屋に変え、じっとこちらを見つめて来た。

(え。神様? その見た目は悪魔じゃ?)

 考えている事が顔に出たのだろう。
 不思議な色をした瞳に僅かに険が混じった。

「いま失礼なことを考えたな?」
「えっ。あ、いえ……」
「ふーん?」
「っ……」

 ドキッとした。
 唐突に顎を掴まれたからだ。
 右、左、右とじっくり顔を観察され、動揺し過ぎて言葉が出て来ない。
 床の上を這うほど長い髪は限りなく白に近い紫色で、同じように引き摺るくらい長い真っ黒なローブの上に広がっている。それだけでも非現実的な姿だと言うのに、頭上には巨大な角。
 長く枝分かれしたシカみたいな角が生えているのだ。
 人形のように整った面立ちは間違いなく美形。しかし優一と違って性格はキツそうだし威圧感が凄まじい。
 そんな男神が息さえ掛かりそうな至近距離にいる。

(……やっぱり神様じゃなくて魔王なんじゃ……?)

 何とか落ち着こうと、自身に言い聞かせるようにそんな事を考える。
 しばらくすると顔を見るのに満足したのか、相手との距離が開く。
 そのことにホッとした。

「さて……」
「ぁ、あの……」
「ん? あぁ、俺はリーデンだ。ユーイチとは雰囲気が違い過ぎて不安になったか?」
「そん……っ、えっと、……少し、だけ」
「正直で結構」

 ククッと喉の奥で笑った男神は、自分とユーイチは所属こそ違うが上司と部下みたいなもので、俺を受け入れてもいいと言った大勢の内の一神だと話す。

「そうだったんですね。ありがとうございます。私は木ノ下蓮きのしたれんと申します」
「知っている。それにもう地球ではないのだから普通に話せ」
「普通、ですか?」
「ああ。敬語は不要だし畏まる必要もない」
「……わかりま……わか……、すみません、敬語無しは勘弁してください」
「ハッ」

 リーデンが声を上げて笑う。
 敬語無しは無理だと早々に諦めたのが面白かったのか、あんなにビリビリしていた威圧感まであっさりと霧散している。

(笑ってる……、って、そうじゃない!)

 その変化にうっかり心臓が跳ねそうで、握った拳の中で爪を立てた。
 痛みは平常心を取り戻すのに有効なことを経験で知っているからだ。
 一頻り笑ったリーデンが気を取り直すようにローブを払う。

「さて。おまえが争いの無い世界を希望したからウチは用済みかと思ったが、心変わりしたようだ。天界エデンはおまえのような人間が好きだからな。条件次第では協力してやっても」
「ゆう君を助けられますか⁈」
「っ」

 思わず身を乗り出すと、リーデンが仰け反る。
 さすがにやらかしたと判った。

「す、すみません。気が逸ってしまって……」

 慌てて元の位置に戻って身を縮めた。
 と、複雑そうな色を纏った吐息が落ちる。

ね……ユーイチとの付合いは長かったのか?」
「長い……と思います。5歳から12歳まで、結構な頻度で会っていたので」

 会うのは専ら彼が入院していた病室で、食材の制限こそなかったが量が食べられないという彼の見舞い品を一緒に食べながら色々な話をした。
 自宅に帰れるのも月に一度有るか無いかだという彼に、孤児院のこと、学校のこと、流行っているもののこと……優一に話して聞かせるためだけに勉強もスポーツも頑張った。クラス委員まで引き受けて学校行事を張り切ったのは、いま考えると良い思い出かもしれない。

「どうして委員まで?」
「ぇ、っと……優一はすごい奴なので……ただ参加するだけじゃ、話すのが恥ずかしくて……?」
「……あぁ、だからこの辺りからこの色が主張し出すのか」
「色?」
「おまえの魂を染めている『努力』の色だ」

 思い掛けない話に目が瞬いた。
 リーデンは笑う。

「他にもユーイチとの思い出を聞かせてみろ」
「ぁ、はい。えっと……」

 促されるまま語らされた内容は楽しいものばかりじゃない。
 孤児に対する世間の目はいつだって厳しくて、優一の優しさを「同情か」と疑った事だってあったし、両親に愛される彼が羨ましくて八つ当たりした事もあった。

「そしたらあいつ、羨ましいのは自分の方だって怒鳴り返してきて」

 どこにでも行けるし、なんにでも挑戦出来る健康な体が羨ましい。
 何かあるたびにもう最期かと恐れて泣く両親への申し訳ない気持ちが判るかって、真っ青な顔で、息を切らしながら。

「友達とのケンカも満足に出来ないって」

 お互いに無い物ねだりだな、って。
 二人で泣いて笑った。

「優一に会って、俺ももっとちゃんと生きなきゃって……12歳で優一が亡くなった時に、彼のご両親に約束したんです。絶対に忘れない、優一がしたかったかもしれない事、代わりに何でも出来るように頑張るんだって」
「なるほど。それで『献身』に『支援』が被さり、こうなるわけか……さて……」

 リーデンがまたよく判らない事を言う。
 その視線は虚空を忙しなく動く指先を追っていて、恐らく見えない何かがそこにあるのだと思う。

「やはりこれか……違うな……そうか、こうだな」
「……リーデン様?」
「おまえの色を見ていると天界エデンの連中はつくづくこういうのが好きだなと少し呆れてしまってな……まぁおかげで転移させろなんてお優しい対応になったわけだが」

 説明されてもやはり判らない。
 そもそも優しい対応だと言うなら自分のことよりも優一の処遇を――。

「しかし、蓮。おまえは本当に25歳か」
「……はい?」
「性経験の無しは構わんが、恋愛経験すらまともに無いとは」
「なっ、何を見てんですか⁈」

 驚いて何も見えないリーデンの手元に飛び込む。見えないのだから、無いに決まっているのに、それを消してしまいたい。

「ヘンなもの見ないでくださいプライバシーの侵害です! 大体どっちもって何ですか俺は男ですよ⁈」
「ムキになって主張するのはそう思い込みたいからだろう」
「なっ……」
「もう一度言う。ここは地球ではないし、おまえが地球に戻る事は二度とない。常識なんて思い込みは早々に通用しなくなるぞ」
「……?」

 眉が寄る。
 地球に戻れないのは判ったが、その後が頭に入って来ない。

(バレてる……?)

 違う。
 そんなつもりはない。
 だけど「神様にはなんでもお見通しだ」とでも言われたら否定できる自信はない。

(俺……やっぱりなのかな……)

 脳の中心を鉄の塊で叩かれたような衝撃と、腹の底からせり上がってくるような不快感。
 気付きたくない。
 知りたくない。
 そんな普通じゃないこと、許されない。

「ふっ……」

 不意に響く、面白がるような声。イラっとして顔を上げたら驚くほどの至近距離に意地悪な笑みを浮かべたリーデンがいる。

「っ、ぁ……」

 苦手な話題に動揺し、近付き過ぎていた事をようやく思い出した。
 そっと距離を取り、今までの倍ほど遠くで足を止める。

「……」

 束の間の沈黙を終わらせたのはリーデンの咳払いだった。


「んんっ。よく判った」
「……何がですか」
「いろいろだ」

 つい睨むようになってしまったのに、リーデンに気にした様子はまるでない。
 それが、何故か悔しいと思った。

「おまえが俺の条件を飲めるならユーイチの減刑を大神様に頼んでやる」
「っ、本当ですか⁈」

 突然の提案に反射的に声を上げると、金色の瞳とかち合った。

(金色……?)

 違う。
 青空の下に咲くタンポポみたいな、力強くて温かな春の色だ。

「ただし俺の条件は厳しいぞ」
「構いませんっ、頑張ります!」
「頑張るだけではダメだな」
「え……」

 言葉尻は優しいのにひどく冷たく聞こえる言葉。
 急に息をするのが苦しくなり、リーデンの存在が視界いっぱいに広がる。
 湧き上がるのは恐怖に似た感覚。

「……ぁ……っ」

 声が喉から出て来ない。
 リーデンはそんな状態を正しく察しているのか、薄く笑いながら掌に丸い光球を浮かばせた。

が死んだ後、しばらくは「彼が安心して成仏出来ますように」「彼の代わりに頑張って生きる」と本気で自分に言い聞かせていたようだが、高校に入学した辺りからは誰でも良くなっていただろう?」
「っ……」
「理由が優一だけじゃ生きていけなくなったか? 関係なんて無いに等しい同級生のため、教師のため、同僚のため、会社のため、ただひたすら自分以外の誰かのために『努力』『支援』『献身』を尽くして自分に生きる事を許していた感じだな。この球はおまえの魂の模造だ。真珠みたいに真っ白でキレイだが、おまえ自身の欲はどこにある。純粋過ぎて人間の三大欲求も知らないなんてことはないだろうな」
「それくらいは知ってます……っ、でも、普通に、生きてますし、問題なんて何も」
「生きているだからな」
「ぐっ……」

 心臓にグサリと刺さる言葉の刃。
 自分でもそう思ったばかりなのに、既に忘れそうになっていたことを自覚して更に胸が痛む。

「ユーイチはおまえの運命が歪められるのを放っておけずに禁を犯したが、おまえが新たな世界で生活し始めたところで他人のために『努力』『支援』『献身』を尽くし真っ白なまま死んでいくなら、ユーイチがおまえを守った意味はあるのか?」
「それ、は……っ、だか、ら、だからこそ条件を言ってください! ゆう君の減刑のためなら」
「優一を生きる理由にして、また時間と共に他人にすり替えていくか」
「――……っ」

 言われて、何も返せない。
 でも急にそんなことを言われても困るのだ。
 最初は優一が安心するように、という気持ち。
 次は優一がやりたかった事を代わりに、という気持ち。
 でも13歳の彼がやりたいこと、14歳の彼がやりたいこと、15歳、16歳……年齢を重ねるうちにだんだん想像し難くなり、何でも出来るようにと考えて勉強を頑張り優秀な高校に進学したら、思い掛けず院長先生が褒めてくれたのだ。
 勉強を教えたら孤児院の幼い子たちが喜んでくれて。
 優一のやりたい事より、それ以外の人の喜びそうなことの方が察し易くなって、……だから、楽な方に、逃げた。

「……って……」

 だって。
 親にも捨てられたんだ。
 理由がなくちゃ、生きていけない。

「そこまで酷いのか……」

 リーデンが低い声で囁いた。

「おまえがおまえで在ろうとするだけで良いのに、なぜそれほど真っ白なままでいようとする……?」
「俺は……」
「自分自身の幸せを考えろと言っているんだが」
「……!」

 ポフッと、頭頂から額までがリーデンの手に覆われる。
 温かくて大きな手だった。
 迂闊にも縋って泣きたくなるくらいには久しい他人の温もり。

「まずは菓子でも色でも、何でもいい。好きなものを一つずつ見つけて、増やせ」
「で、も……」
「今度こそちゃんと生きろ。それがだろう?」
「――……っ」
「俺がユーイチの擁護に回るための条件はただ一つ。おまえの魂を自分の色に染め直せ」

 悔しい。
 イラっとする。
 言い返したいのに言い返せない。
 判っていたのに判らないフリをして来た自分が、あまりにも滑稽だった。
 優一のためとか、誰かのためとか、そんなのは言い訳だ。
 いまだって結局は神様が理由をくれた。
 自分に正直になることすら他の何かのためじゃなきゃ出来ない。
 一人では生きる意味を見い出せない自分自身の弱さでしかないのだ。

「さて……」

 リーデンの声に重なる風切り音。
 手が離された事で戻った視界に入ったのは、それこそ転移物でよく見るステータス画面だった。

 ◇◆◇

  名前:木ノ下 蓮(キノシタ レン)
  年齢:25
  性別:男
  職業:旅人
  状態:良好
 所持金:7,404,512G
 スキル:言語理解/鑑定/幸運/通販
 所持品:神具『住居兼用移動車両』
  加護:下級神ユーイチの加護

 ◇◆◇


「ふむ……大神様の命令通りに衣食住は保証されているようだが、これだと俺の世界ではすぐに死んでしまいそうだ。少し弄るぞ」

 言うが早いか画面が光り出し、わずか数秒で内容が書き換えられていく、……のだが、おかしなことになった。
 光っているのはステータス画面のはずなのに、リーデンの手の平だけじゃなく、他にも二つの光の玉が何処からともなく飛んで来て身体の中に吸い込まれてしまった。

「え……」
「貴様ら勝手なことを……」

 リーデンは溜息を吐く。

「はぁ。仕方あるまい」
「え。えっ⁈」

 急に全身が痛くなり、しゅるしゅると糸が解けていくように身体から伸びる光の帯が螺旋を描いて周りを取り囲んでいった。
 増していく輝き。
 一体何が起きているのか……戸惑っている間にもステータス画面は書き換えられ、光もゆっくりと収束していく。
 そうしてようやく気付いた変化。

(……俺、……!)

 ◇◆◇

  名前:木ノ下 蓮(キノシタ レン)
  年齢:12(25)
  性別:男
  職業:旅の僧侶
  状態:良好
 所持金:7,404,512G
 スキル:言語理解/鑑定/幸運Ex./通販
 所持品:神具『懐中時計』
     神具『住居兼用移動車両』Ex.
 装備品:檜の棒
     樫の盾
     皮の鎧
     皮のズボン
  加護:主神リーデンの加護
     異世界の主神カグヤの加護
     異世界の主神ヤーオターオの加護
     下級神ユーイチの加護

 ◇◆◇

「12歳⁈」
「ユーイチが死んだ年齢からやり直せという理由が一つ。あとは洗礼の儀がその年齢なのと、俺の世界の平均寿命は70に届かないから若返らせて帳尻を合わせたというところだ。取り上げた13年分の経験値で獣人族の子だろうと問題なく孕める術式を用意しておくから、必要になれば教会に来い」
「は……ちょ、なっ、は⁈」
「『ロテュス』はまだ人口が少ないから産みたい者が産めるようになっているんだ。余計な連中がちょっかいを掛けて来るせいで死亡率も高いしな」

 余計な連中というのは優一が転移先を選ぶ時に少しだけ話していた獄界ヘルゾーンの連中のことだろう。神が創った世界を破壊することこそ至高って公言して憚らない悪党連中で、その扱いには神々も手を焼いているんだとか。
 ロテュスはリーデンの世界の名前だと思われる。

(……って、そうじゃなく!)

「いや、あの……!」
「ああ、紹介だけはしておこう。カグヤは、ユーイチがおまえを送ろうとしていた世界の主神。ヤーオターオは俺達の会話を聞いておまえに同情したんだろう。二人とも善性の神だ、加護はありがたく受け取っておけ」
「違……!」
「詳細はロテュスに転移した後でステータス画面から確認しろ。この空間に命ある人間が留まっているのもそろそろ限界だ」
「待っ」
「では、健闘を祈る」
「なっ……!!」

 暗転。
 俺の異世界転移は、主神に背中を押し出されて完了した。
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