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13.呪い(2)

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 ロシュが食われた。
 丸飲みにされた。

「ロシュ!!」
「ロシュ様⁈」

 駆け付け、素手でそれを引き剝がそうとしたが触れた部分から強烈な痛みが走り、腐食するように黒く爛れて煙が上がる。
 構うものか、とクロヴィスは掴みに掛かる。
 胴体と思しき更に巨体な塊に絡みついて拘束している木々だって声にならない悲鳴を上げ続けている。危機に瀕したロシュを目の前にして自分が退くなど出来るはずがなかった。

「ロシュ! ロシュ!!」

 しかしそれは、掴んでもすぐに手の中で形を崩し指と指の隙間から逃げていく。
 ボタッ、ボタッと地面に落ちていく。
 ロシュの返事はない。

 ない。

「ロシュ……!!」

 クロヴィスの必死の呼び掛けに負けまいとイライザも自分の手が爛れるのも構わず剥がそうと挑む。
 立ち込める悪臭。
 強過ぎる痛みは、しかし怒りには及ばない。

 守れなかった……!!

 この命に代えても守ると誓った。
 剣を捧げた主。
 護衛として。
 騎士として、現状は決してあってはならないことだ。

「ロシュ様……っ」

 必死に黒くおぞましいそれを払い続けて、しばらく。
 変化があったのはクロヴィスの魔力によって巨体を拘束していた木々の消費魔力が急激に減り始めた時だった。何が、と視線を転じればまだ抵抗を試みていた巨体側の生命力をマリアンヌが完全に吸収し終えようとしていた。
 痙攣すらしなくなったそれから流れるように黒いものが落ちていく。
 そうしてだんだんとそれに覆われていた中身が明らかになっていくが、まさかと全員が目を見開いた。30メートルはあろうという巨体を覆うのは月の輝きに似た鱗。
 1対の翼。
 長い尾。
 鋭い爪を武器とする手腕と、足。
 首から上はない。ロシュが斬り落としたそれが頭だったからだ。それでも見間違うはずがない。
 絵本で知り、憧憬と恐れを抱く神話の獣。

「……竜……? 白銀の……」

 白銀の竜。
 それは――。

「神竜……⁈」
「っ、く、クロヴィス様!」
「っ⁈」

 イライザの呼び掛けに、頭で理解するより先に身体が動いた。
 傾いだ黒い塊を咄嗟に腕で抱き留めれば、ダバダバと黒いそれが流れ落ちた後に残ったのは全身を爛れさせた己が主。

「ロシュ!!」

 返事をしてくれと叫ぶ。
 マリアンヌも彼女には珍しく動揺していたが、強い意思で抑え込む。いま大事なのは驚く事ではない。
 見誤るな。
 目の前の首のない竜を収納空間に移し、あれが木々を薙ぎ倒したことで出来たスペースに家を出す。

「クロヴィス中へ! 治療するの!」
「っ……!」

 弾かれるようにロシュを抱き上げた。




 ロシュは呼吸していなかった。
 だが、心臓は弱いながらも辛うじて動いていた。だからマリアンヌは先ほどの化け物――真っ黒に覆われていた神竜から奪った生命力をロシュに注ぎ込んだ。

「あれが本物の神竜だったかどうかは、この際どうでもいいわ。おかげで生命力はたっぷりだもの」

 マリアンヌは心臓の上に手を置き、そこからロシュの中へ力を注ぎ続ける。

「このままじゃ消化不良を起こしそう……存分に欲しがってちょうだい」

 ふふっと微笑う吸血族ヴァンピールに、クロヴィスは顔を歪めた。おかげで青白く固まっていた表情筋が動き僅かに赤味が増す。

「……こんな時だというのに貴女は」

 はぁと呆れた調子の吐息は、しかし震えていた指先を止める効果があったらしい。
 目に力が戻り、元より露出していた顔や、あの粘液に着衣が溶かされて露わになった部分など黒く爛れた肌を回復魔術で丁寧に癒し始めた。

「……さすがでしたね、吸血族ヴァンピール
「あら。イライザちゃんの頑張りと森人族エルフの秘術が時間をくれたおかげだわ」

 にこりと笑う。
 それ以上の言葉は必要なかった。


 一方、部屋の外にいたイライザの目からはいつまでも涙が止まらなかった。
 治療の役には立たないからせめて家事をしようと、汚れた床を掃除し、スープを温め、治療のためにと乱雑に脱ぎ捨てられた装備を拾い集めて土間に並べ手入れする。
 その間もずっと涙が溢れて止まらない。
 もっと自分が動ければ。
 魔力が多ければ。
 盾だけじゃなく攻撃にも加われていたら……!
 ロシュは言う。
 一人で全部するのは無理だから仲間と協力するんだ、と。
 彼の言葉は何度もイライザの心に響く。
 それでも彼女は後悔した。

「ロシュさまぁ……」

 大丈夫。
 マリアンヌとクロヴィスは自分と違って凄いのだ、きっとロシュは助かる。そう信じても、イライザの涙は止まらなかった。


 ボロボロだった装備を外させ、爛れた肌を癒し、体を拭き、ようやくこの家で過ごす彼らしい姿を取り戻してもロシュは目を覚まさない。
 そればかりかマリアンヌが注ぐ生命力は何かに吸い取られているんじゃないかと思うくらいあっという間に彼の中から消えていく。

「どこかに穴でも開いているのかしら」
「怪我をしているということか?」
「いいえ、そうじゃなく……」

 マリアンヌは考える。
 あれは竜だった。
 先ほども言ったがあれが神竜かどうかは関係ない。30メートル以上の巨躯に、鋭利な爪を持つ手足と長い尾。その全身を覆う白銀色の鱗。同色の勇壮な一対の翼。御伽噺で語られるから、世界中の誰もがその外見を知り、聖峰に住まうと信じている。
 だが、それだけだ。
 世界中を探しても実際に見た者はいない。
 その小型版だと言われるワイバーンを倒した冒険者は少数ながら存在しても、竜は。
 あれは。

「……怨嗟のせいか、黒い粘体のせいかは知らないけど、あれは間違いなく弱っていた……それでも私の許容量を超える生命力に溢れていたんだもの。普通に考えれば人族ヒューロンの器には余りある量だわ」

 なのにロシュの体内は満たされない。
 そればかりか注ぐ先から消えていく。
 竜の生態なんて知らない。死後にどうなるかも、そもそもあの黒い粘体だって謎なのだ。いま考えたって判る事は何もない。
 それでも目の前で消えていく生命力を実感している以上、考えないわけにいかないのだ。

「他の何かに消費されているような気がするわ」
「他と言うが……心臓は生きている」
「ええ。他の機能も正常でしょう?」
「魔力を流して調べた限りでは」

 二人の賢者は考える。
 生命力とは生きる力。
 魔力とは異なるが、魔力と共に体を維持する必要不可欠な力だ。

「……足りるか」
「どうかしら。いざとなれば収納したあれの身体から残りを引き出すけど……ここで出したら家が壊れるでしょうし、かと言ってロシュ様から離れたらその瞬間に心臓が止まるかも」
「……私の生命力は」
「全然足りないわ。私が戻る前に二人とも死ぬでしょうね」

 となれば結論は決まっている。

「家は直せる」
「賛成よ」

 その許可に安堵の笑みが零れる。
 既に力尽きた塊に残っている生命力などたかが知れているが収納空間に入っている間は保持されるし、無いよりあった方がいい。




 幸か不幸か家は壊れなかった。
 途中から注ぐ生命力がロシュの体内を満たし始め、命の危機を脱したからである。

 しかしロシュは高熱を出し、それから1週間以上も目を覚まさなかった。 
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