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8.聖峰への旅路(2)
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ロシュには前世の記憶がある。
しかし彼は以前の自分が何者だったかまでは覚えていない。思い出すのはほとんどが一軒屋のリビングで日中を一人きりで過ごす自分だ。
掃除や洗濯、食事・お菓子作り。毎日、毎日、1日に何度も繰り返していたおかげで世界が変わった現在もやり方を覚えている。
家事がしやすい動線。
無駄のない手順。
それらに必須の便利家電……「こんなのがあったらいいな」を二人の師は競うように実現してくれた。
「非常に興味深い」
ロシュが普通ではない知識を、記憶を語るようになった当初。
クロヴィスはそう言って多くの時間をロシュと過ごすようになってくれた。
「魔導具の開発なんて地味な仕事かと思っていたけど、これはクセになるわね」
マリアンヌは妖艶に笑いながらどちらかが死ぬまで続く従属契約を望んだ。
ロシュの意思に反することはしない。
秘密は守る。
代わりにこれからも開発・研究に携わらせて欲しい――。
これらの便利道具を世に出せば騒がれるのは明らかで、出自的にもなるべくひっそりと暮らしたいロシュが自分たちの家でしか使わないと伝えたところ、
「彼の従うことを信じてもらうため」
……と言って強引に契約を結ばされたのも、今となっては悪くない思い出になった。
ただ一つ、ロシュの右手の小指にはマリアンヌを従属させた証となる蔦植物を模った真っ赤な印が、まるで指輪のように刻まれており、以降、それを目にする度にクロヴィスが気を悪くするのが問題といえば問題だ。
「ロシュ、上から決して外せない指輪を被せるというのはどうだろう」
「あら。そんなことをされたら私との繋がりが邪魔されちゃって、うっかりロシュ様のためにならないことをしちゃうかも」
「……契約をするにしても方法を変えないかい?」
「ざぁんねん、死ぬまでの契約なのよね~」
「……手袋」
「あなたも素手で触れなくなっちゃうわね。もしかしたらロシュ様の料理の仕上がりにも影響出ちゃうかも。うふふっ」
「あははは」
それからしばらく笑い合う二人に、イライザと、当時はまだ存命だった彼女の母でありロシュの乳母だったケイトが本気で怯えていた。
あの日から、もう12年が経つ。
ケイトは病によって別離を余儀なくされてしまったが、ロシュ、クロヴィス、マリアンヌ、イライザはずっと一緒にいる。
家電に似せた魔導具は増え、住処は変わり。
生活のために冒険者になったら、目立ちたくなかったはずなのに師二人の名声のおかげで特級パーティ『東の月輪』の名が大陸中に知れ渡るようになった。
そうしたら音信不通だった兄から便りが届き、現在は未開の森を抜けて不可侵の聖峰に登ろうとしている。
「明日からしばらくは大変だし、しっかり血肉になって健康を維持できるものを食べてもらいたいな……となると、やっぱり肉か」
冷蔵庫の中身を確認したロシュは、思いついた献立に必要な材料を次々と傍の調理台に乗せて行く。
まずはメインに使う、魔力をたっぷり含んだ魔物肉はサッパリした食感の角兎を選び、二頭分を一口大にぶつ切り。
にんにく、しょうが、酒、卵、少しの油を混ぜたもので下味を付けたら小麦粉と片栗粉を混ぜたものを満遍なく塗し、コルザという花から採れる油を熱し、一度目は低温で5分ほど。二度目は高温で2分くらい追加揚げするそれはいわゆる唐揚げだ。
本当は醤油も欲しいが発酵食品は未だ発見した事がなく、削って振りかけるとそれっぽい味を楽しめるルルジャの実を適量準備しておく。
それから、卵とほうれん草のオムレツを人数分。
「ロシュ、まだ手伝えることはあるかい?」
良いタイミングで声を掛けて来たクロヴィスは、先ほどのロシュと同様に湯浴みを済ませて着替え済みの部屋着の上にエプロンを着装中だ。
「レチュを千切って、トマトを切ってもらってもいいですか?」
「もちろんだよ」
「終わったら棚の中にコッペパンが入っているので、トースターで温めてください」
「ああ、任せてくれ」
森人族の師は肉も魚も普通に食すが、そもそもが森の中で木の実や花をそのまま食べて生きていける長命種だ。
料理の腕は壊滅的なのは自他ともに認める彼の欠点で、しかし一人座っている事も出来ないため、彼に頼める内容は必然的にサラダと温め作業になる。
「ふっ」
「どうした?」
「いえ……」
温める作業に胸を張って「任せてくれ」と宣言する姿が微笑ましかったとは言えず、笑いを噛み殺すロシュに、クロヴィスは首を傾げた。
が、そのすぐ後にイライザが戻ってきたことであっという間に場が賑わった。
「美味しそうな匂いです……!」
「もうすぐ出来るよ。暖炉の方を任せてもいいかい? 部屋を暖めておいて欲しいんだ」
「わかりました!」
こちらも壊滅的ではないが「ロシュ様が作ったご飯の方が美味しいので……」と家事に消極的なイライザが調理以外の手伝いに飛びつく。
寝室には師が作った暖冷房具があって温度調整も完璧だが、リビングだけは「雰囲気も大事」と言い張るマリアンヌの希望で暖炉を設置してある。
もちろん「薪集めは自分で」が約束だ。
「今日のスープはどうするんだい?」
「昨日の夜に食べようと思って作っておいたコーンスープが冷蔵庫に冷やしてあるので、それを温めます」
「私が温めてもいいかい?」
「……弱火で、ですよ?」
「大丈夫だ。もう二度と焦がしはしない」
キリッと真顔で宣言するのが、他の事では失敗知らずのクロヴィスだからこそ口元が緩んでしまう。それを必死に隠しながら料理を続けている内にマリアンヌも帰宅する。
「ただいま、ロシュ様。……ところでその人ってばどうしちゃったの?」
「スープを温めているところです」
「まぁ。いまならロシュ様を抱き締めても気付かなさそうね」
「師匠は真剣なんですから、揶揄うだけなら止めてくださいね?」
「判ってるわよ」
マリアンヌが「ふふふ」と笑う。
しばらくして、ダイニングの食卓には欠片も黒色の混じらないキレイなコーンスープが配膳された。
とても満足した様子のクロヴィスと、嬉しいロシュ。
とても楽し気なマリアンヌ。
そして目の前に並ぶ料理にお腹を泣かせたイライザが揃って席についた。
「神竜よ、今宵もあなたの恵みに感謝します――いただきます」
彼らだけの、食事前の大事な祈り言葉。
四人は笑顔で夕飯を楽しんだ。
しかし彼は以前の自分が何者だったかまでは覚えていない。思い出すのはほとんどが一軒屋のリビングで日中を一人きりで過ごす自分だ。
掃除や洗濯、食事・お菓子作り。毎日、毎日、1日に何度も繰り返していたおかげで世界が変わった現在もやり方を覚えている。
家事がしやすい動線。
無駄のない手順。
それらに必須の便利家電……「こんなのがあったらいいな」を二人の師は競うように実現してくれた。
「非常に興味深い」
ロシュが普通ではない知識を、記憶を語るようになった当初。
クロヴィスはそう言って多くの時間をロシュと過ごすようになってくれた。
「魔導具の開発なんて地味な仕事かと思っていたけど、これはクセになるわね」
マリアンヌは妖艶に笑いながらどちらかが死ぬまで続く従属契約を望んだ。
ロシュの意思に反することはしない。
秘密は守る。
代わりにこれからも開発・研究に携わらせて欲しい――。
これらの便利道具を世に出せば騒がれるのは明らかで、出自的にもなるべくひっそりと暮らしたいロシュが自分たちの家でしか使わないと伝えたところ、
「彼の従うことを信じてもらうため」
……と言って強引に契約を結ばされたのも、今となっては悪くない思い出になった。
ただ一つ、ロシュの右手の小指にはマリアンヌを従属させた証となる蔦植物を模った真っ赤な印が、まるで指輪のように刻まれており、以降、それを目にする度にクロヴィスが気を悪くするのが問題といえば問題だ。
「ロシュ、上から決して外せない指輪を被せるというのはどうだろう」
「あら。そんなことをされたら私との繋がりが邪魔されちゃって、うっかりロシュ様のためにならないことをしちゃうかも」
「……契約をするにしても方法を変えないかい?」
「ざぁんねん、死ぬまでの契約なのよね~」
「……手袋」
「あなたも素手で触れなくなっちゃうわね。もしかしたらロシュ様の料理の仕上がりにも影響出ちゃうかも。うふふっ」
「あははは」
それからしばらく笑い合う二人に、イライザと、当時はまだ存命だった彼女の母でありロシュの乳母だったケイトが本気で怯えていた。
あの日から、もう12年が経つ。
ケイトは病によって別離を余儀なくされてしまったが、ロシュ、クロヴィス、マリアンヌ、イライザはずっと一緒にいる。
家電に似せた魔導具は増え、住処は変わり。
生活のために冒険者になったら、目立ちたくなかったはずなのに師二人の名声のおかげで特級パーティ『東の月輪』の名が大陸中に知れ渡るようになった。
そうしたら音信不通だった兄から便りが届き、現在は未開の森を抜けて不可侵の聖峰に登ろうとしている。
「明日からしばらくは大変だし、しっかり血肉になって健康を維持できるものを食べてもらいたいな……となると、やっぱり肉か」
冷蔵庫の中身を確認したロシュは、思いついた献立に必要な材料を次々と傍の調理台に乗せて行く。
まずはメインに使う、魔力をたっぷり含んだ魔物肉はサッパリした食感の角兎を選び、二頭分を一口大にぶつ切り。
にんにく、しょうが、酒、卵、少しの油を混ぜたもので下味を付けたら小麦粉と片栗粉を混ぜたものを満遍なく塗し、コルザという花から採れる油を熱し、一度目は低温で5分ほど。二度目は高温で2分くらい追加揚げするそれはいわゆる唐揚げだ。
本当は醤油も欲しいが発酵食品は未だ発見した事がなく、削って振りかけるとそれっぽい味を楽しめるルルジャの実を適量準備しておく。
それから、卵とほうれん草のオムレツを人数分。
「ロシュ、まだ手伝えることはあるかい?」
良いタイミングで声を掛けて来たクロヴィスは、先ほどのロシュと同様に湯浴みを済ませて着替え済みの部屋着の上にエプロンを着装中だ。
「レチュを千切って、トマトを切ってもらってもいいですか?」
「もちろんだよ」
「終わったら棚の中にコッペパンが入っているので、トースターで温めてください」
「ああ、任せてくれ」
森人族の師は肉も魚も普通に食すが、そもそもが森の中で木の実や花をそのまま食べて生きていける長命種だ。
料理の腕は壊滅的なのは自他ともに認める彼の欠点で、しかし一人座っている事も出来ないため、彼に頼める内容は必然的にサラダと温め作業になる。
「ふっ」
「どうした?」
「いえ……」
温める作業に胸を張って「任せてくれ」と宣言する姿が微笑ましかったとは言えず、笑いを噛み殺すロシュに、クロヴィスは首を傾げた。
が、そのすぐ後にイライザが戻ってきたことであっという間に場が賑わった。
「美味しそうな匂いです……!」
「もうすぐ出来るよ。暖炉の方を任せてもいいかい? 部屋を暖めておいて欲しいんだ」
「わかりました!」
こちらも壊滅的ではないが「ロシュ様が作ったご飯の方が美味しいので……」と家事に消極的なイライザが調理以外の手伝いに飛びつく。
寝室には師が作った暖冷房具があって温度調整も完璧だが、リビングだけは「雰囲気も大事」と言い張るマリアンヌの希望で暖炉を設置してある。
もちろん「薪集めは自分で」が約束だ。
「今日のスープはどうするんだい?」
「昨日の夜に食べようと思って作っておいたコーンスープが冷蔵庫に冷やしてあるので、それを温めます」
「私が温めてもいいかい?」
「……弱火で、ですよ?」
「大丈夫だ。もう二度と焦がしはしない」
キリッと真顔で宣言するのが、他の事では失敗知らずのクロヴィスだからこそ口元が緩んでしまう。それを必死に隠しながら料理を続けている内にマリアンヌも帰宅する。
「ただいま、ロシュ様。……ところでその人ってばどうしちゃったの?」
「スープを温めているところです」
「まぁ。いまならロシュ様を抱き締めても気付かなさそうね」
「師匠は真剣なんですから、揶揄うだけなら止めてくださいね?」
「判ってるわよ」
マリアンヌが「ふふふ」と笑う。
しばらくして、ダイニングの食卓には欠片も黒色の混じらないキレイなコーンスープが配膳された。
とても満足した様子のクロヴィスと、嬉しいロシュ。
とても楽し気なマリアンヌ。
そして目の前に並ぶ料理にお腹を泣かせたイライザが揃って席についた。
「神竜よ、今宵もあなたの恵みに感謝します――いただきます」
彼らだけの、食事前の大事な祈り言葉。
四人は笑顔で夕飯を楽しんだ。
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