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参 本編 戦国石田三成異聞(壱)

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 天正十七年十二月。
 大坂城主関白豊臣秀吉と相州小田原に拠る北条氏政・氏直父子との従属交渉は決裂。

 天正十八年に入ると、秀吉は二十万を超える軍勢を動員し、駿河口と信濃口の二方向から北条氏の領国への侵攻作戦を開始した。

 世に言う「小田原征伐」である。

 ◇◇◇

 その目元涼やかで見目麗しい若い男は、いつものように搬入され、山のように積まれた米俵の数を確認していた。

 その男が一息ついたところ、使者らしき者に声をかけられた。

 「石田様」

 振り向いたその男、石田治部少輔じぶしょうゆう三成に、使者らしき者は更に続けた。

 「関白殿下(秀吉)がお呼びです」

 「そうか。だが・・・・・・」

 搬入された米俵の確認はまだ全て終えていないのだ。

 「兵站の仕事は他の者に任せる故、すぐに来るようにとのことです」

 「そうか。分かった」

 記録用の帳面を所定の場所に置くと、三成は崇拝する主君秀吉のもとに急いだ。

 「あ」

 別の男が同じ方向に歩いてくる。

 この男も三成に負けず劣らず、麗しい外見をしている。

 だが、目を悪くしているらしく、目を凝らし、三成の方を見つめ直してから、声をかけてきた。

 「佐吉」

 「紀之介か」

 紀之介。大谷刑部少輔ぎょうぶしょうゆう吉継。佐吉。石田治部少輔三成の昔からの親友である。

 「どこへ行く?」

 「関白殿下(秀吉)のところだ。呼ばれた。紀之介は?」

 「わしもだ。何用だろうなあ」

 ◇◇◇

 長かった戦国の世も終わりに近づいていた。

 いくさというものは、多少は戦術の優劣や地形効果などに左右されるが、大原則としては数が多い方が勝つ。

 ある程度優れた戦術であっても、圧倒的な兵力差の前には押しつぶされてしまう。

 だから、戦国の世も後になるにつれ、何としても敵より多い数を集めようとするようになる。

 しかし、ただ数を集めればいいというものではない。

 集めた大人数を食わせなければならない。

 兵站、補給が重要な要素となっていく。

 それに伴い、昔ながらの武勇に優れし者より、計数に明るい者が重用されるようになる。

 それが、石田三成であり、大谷吉継なのである。

 だが、その新しき者の栄達は、時代の潮流についていけない多くの者たちの妬みも買っていた。

  ◇◇◇

 「おおっ、佐吉。紀之介。よくぞ参った」
 陣中の真ん中で床几にかけた秀吉は上機嫌で二人を迎えた。

 秀吉の右隣には、この時期、駿府左大将すんぷさだいしょうと呼ばれていた徳川家康。

 左隣は一人の男が遠慮がちに座っていた。

 三成は秀吉の左隣の人について問う。
 「殿。この方は?」

 秀吉は上機嫌なまま答える。
 「ああ。北条左衛門大夫さえもんだゆう殿だ」

 北条左衛門大夫さえもんだゆう氏勝うじかつ。北条一門の中でも重鎮のはずだ。確か相州玉縄そうしゅうたまなわの城主だったはずだが・・・・・・

 三成の気持ちを察したように、秀吉は笑顔で続ける。
 「今回は、駿府左大将(家康)殿が骨を折ってくださってな。熱心に説得を続けてくれた甲斐あって、
 我らについてくれることになったのだ」

 「北条左衛門大夫でござる。関白殿下(秀吉)にお仕えさせてもらうことになり申した。お役に立ちたいと思っておりまする」
 氏勝は丁寧に三成と吉継に頭を下げた。

 だが、三成の心中は穏やかではなかった。
 「駿府左大将(家康)。敵方のこれほどの者を降らせるとは・・・・・・ 油断のならぬ」

 ◇◇◇

 「それでな。早速、左衛門大夫殿が案内役を引き受けてくれることになった。佐吉、二万の兵を持たせる故、龍森たつもりおしの城を攻め落として参れ。紀之介はその補佐をせよ」

 「はっ」
 三成と吉継は一斉に秀吉に頭を下げた。

 秀吉は満足そうにうなずいた。

 そして、立ち去り際、秀吉は三成に小さく声をかけた。
 「佐吉。武功を立てよ」

 更には吉継にも声をかけた。
 「紀之介。佐吉をよろしく頼む」

 ◇◇◇

 三成、吉継の二人は駒を並べ、最初の目的地龍森たつもり城に向かっていた。

 吉継はふと何気なしに三成の方を見た。
 (む?)

 吉継は持病の影響で最近視力が落ちて来ている。最初はそのせいかとも思った。
 だが、もう一度、見るとそれは確かに認められた。
 (佐吉。震えているのか?)

 三成の手綱を持つ手が震えている。

 吉継は声に出して、問うた。
 「佐吉。震えているのか?」

 「馬鹿を申すな。紀之介。このわしが震える訳がない」
 三成は吉継の方を向かず、前を向いたまま答えた。
 
 「いや、おぬしは震えている。わしらは友だろう。隠し事をいたすな」

 「もし、わしが震えているとすれば・・・・・・」
 三成はいったん言葉を切ったが、すぐに続けた。

 「それは武者震いだ」

 吉継はそれ以上問わなかった。無理のない話ではある。

 今回のことは明らかに「人たらし」秀吉の配慮である。

 計数に長け、秀吉に重用される三成、吉継らは多くの者に妬まれている。
 とりわけ、知に走り、二言三言多いところのある三成は最大の妬みの対象になっている。

 妬む者が三成に向ける言葉はほぼ決まっている。
 曰く「ろくに戦場いくさばで武功を立てたことのない者が偉そうに」

 秀吉は今回の事で武功を立て、そいつらを黙らせろと言っているのである。

 そのために、これ以上ない機会を三成に与えたのだ。

 そのことが三成には十分過ぎるほど、伝わっている。
 だからこそ、重圧になっているのだ。
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