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疑似恋愛だったのに
しおりを挟む王城の庭園は一言で言うと素晴らしかった。
先程までの気まずさは何処へやら、私はたくさんの花々に目が釘ずけになっていた。
「この花は母の象徴花なんだ。花言葉は“輝くばかりの美しさ”」
「王妃様の・・・!殿下は花言葉に随分と詳しいのですね。王族とは花言葉も勉強するのですか?」
「まさか。妻・・・バイヤンがいつも悲しそうな顔をしていたからよく花を送っていたんだ。折角花を送るなら花言葉も知っていた方がいいだろう?だから勉強したんだよ」
「王太子妃殿下のために・・・素晴らしいですね」
奥様がいる事は最初からわかっていた事なのに胸がツキツキと痛む。
もう殿下と二人で歩くのはこれが最後だと思うと、綺麗な花も見る気になれず足取りは重くなっていった。
「チェルシーはそうだな・・・赤い薔薇ってところかな」
「私が薔薇!?似合いません!」
「そう?でも君は薔薇は薔薇でも蕾かな」
「蕾・・・?」
「うん。赤い薔薇の蕾は“純粋と愛らしさ”。ピッタリだと思わない?」
「そんな・・・」
意図せず頬が熱くなる。
諦めなきゃいけないのに、こんな事を言われたら諦めきれなくなってしまう・・・。
「でも私が君に送りたいのは大輪の赤い薔薇だけどね」
「?なぜですか?」
「それはねーー」
殿下が言いかけた時、人の言い合う声が聞こえた。何事かと振り返ると上品なドレスを着た女性と騎士らしき人がこちらに向かっていた。
「なりません!妃殿下!」
「いいじゃない、ちょっとだけよ!」
妃殿下?・・・王太子妃殿下!?
慌ててカーテシーをする私の目前で王太子妃殿下は歩みを止めた。
「貴女がチェルシー様?」
「は、はい。お初にお目にかかります」
「そんなに畏まらないで。わたくしずっとお会いしたかったの」
「え?」
頭を上げると長いストロベリーブラウンヘアをキッチリと結い上げ、少しキツめだけど整った顔立ちの女性が凛と立っていた。
この方が王太子妃殿下・・・。見た目だけじゃなく、纏う空気まで上品で美しい・・・。
ぼうっと見蕩れていると妃殿下はにこりと笑った。
「貴女とっても可愛らしいわね!」
「はい?」
「バルサ殿下の事はどう思っているの?一緒にいて楽しい?もし良かったら今日は王城に泊まっていってもいいのよ。わたくし貴女とたくさんお話がしたいわ!」
矢継ぎ早に言われ、私が目を白黒していると騎士らしき人と殿下の制止が掛かる。
「妃殿下、チェルシー嬢が困っております」
「そうだよ、バイヤン。チェルシーを困らせないでやってくれ」
「あら二人して。いいじゃない、おめでたい事なのだから」
唇を尖らせた妃殿下は私に向き直るとぎゅっと両手を握ってきた。
「え、えっと」
「わたくし貴女とバルサ殿下の仲を応援しているのよ」
「ふぇ?」
動揺し過ぎて変な声が出てしまったのにも関わらず、妃殿下はにこにことしている。
「わたくしたちも政略結婚だったから貴女の気持ちは凄くわかるの。しかも聞けば貴女の婚約者は不貞を働いたそうじゃない。そんなの許せないわ」
「ありがとう・・・ございます?」
「だからわたくし色々考えたの。貴女バルサ殿下の公妾になりなさいな」
「おい!バイヤン!勝手なことを言うな!」
妃殿下の勢いに押されていると、とんでもない事を言われ慌てて王太子殿下が止めに入る。
「あらだって不公平じゃない。わたくしには恋人を認めて下さってるのに、殿下本人は我慢なさるの?」
「別に我慢など・・・」
「わたくしたちが離縁できたら一番ですけれど・・・今は無理ですわよね。そしてチェルシー様は側室として侯爵家に入らなければいけない。我が国で公妾は婚姻済みのご夫人しか認められていないのですから、もうこの方法しかありませんわ」
確かにこの国の法律で王族の妾は結婚をした夫人のみとなっている。
継承権の争いを避ける為、例え王族との子を成してもその子は結婚している相手との子になる。
そして王太子妃や王妃は簡単には離縁できないし、ましてや再婚など夢のまた夢だ。
「しかしチェルシーの気持ちはどうなる!妾なんて・・・!」
「あら、それなら早く法律を変えて下さいな。あと女性軽視の風習も。わたくし待ちくたびれましたの。ねぇリヴァ」
妃殿下は騎士らしき人へと視線を投げる。
その視線を受けてリヴァと呼ばれた方もうんうんと頷いていた。
「ええ。妃殿下はよく耐えてらっしゃると思います」
「もうっいつもみたいにバイヤンって呼んで」
「職務中です。なりません」
突然いちゃつき出した二人にギョッとする。妃殿下の想い人って・・・
「とにかくだ!チェルシーと私の関係は私たちだけで話し合う。お前たちは口を挟むな!」
バルサ殿下は二人を追い出し、再び二人きりになった。
一息つこうと四阿のベンチに座った瞬間、殿下は大きな溜息を吐いた。
「バイヤンがすまなかったね・・・」
「い、いえ。積極的な方で大変羨ましいです」
なんと言っていいのかわからず、私は当たり障りのない言葉を告げていた。
「あんなに明るくなったのも最近なんだ。堂々とできないとはいえ、やっと想い人と心を通じ合わせる事ができたからだろうな」
「ではやはりリヴァ様と・・・?」
「ああ。だが浮かれ過ぎだな。気を引き締めるようにキツく言わなければ」
お互い苦笑を浮かべ、暫く沈黙が続いた。
「チェルシーは・・・先程のバイヤンの言葉を聞いてどう思った?」
沈黙を破ったのは殿下からだった。
先程の妃殿下の言葉とは、公妾の事だろう。
「まさかそんな事を言われるとは思わず・・・驚きました」
「そうだよな。驚くよな・・・」
だがな、と言って殿下は隣に座る私に向き直り、真剣な瞳で話す。
「私もそうできたらどんなに良いだろうと思っていた」
「殿下・・・」
「今すぐバイヤンと離縁する事はできない。だが、いつかきっと円満に解決してみせる。チェルシーさえ良ければ・・・私のところに来てもらえないだろうか」
「私は・・・」
殿下と一緒にいたいとは思う。だけど、こんな形で本当にいいのだろうか。
私は感情と倫理観の間で揺れていた。
「正直あの家に・・・チェルシーを侯爵家に預けるのは心配なんだ」
殿下のその言葉に私はマンユー様から言われた事を思い出した。
『一生子供を生めないなんて可哀想なチェルシーさん』
思い出しただけでその時の怒りが甦り、手に力が入る。
私が殿下からの申し出を断ってもあの家に入るのは変わらない。
勝ち誇ったように笑うマンユー様に、私にも幸せになって貰いたいと口だけのレスター様。
「正室として迎え入れる事ができないのは申し訳ない・・・だけど私といればあの家で暮らさず王城に住める。そしていつか必ず私の唯一の妃にしてみせる」
そう言って殿下は立ち上がり、私の前に跪き片手を取った。
「殿下!汚れてしまいます!」
「チェルシー嬢、最初の約束で特別な関係にはならないと誓った愚かな私を許して欲しい。私は君を愛しているんだ。愛してしまった。君の泣く姿はもう見たくない。私の元へ・・・来て貰えないか」
真摯な言葉が胸にくる。
私の周りにいる男性は皆女というだけで下に見て、物のように扱う人ばかりだった。
だけど私に恋を教えてくれた女神のように美しい人は、誰からも羨まれる立場にいながら私を尊重し、いつも慈愛に満ちた眼差しを向けてくれる。
この人となら・・・
私は握られた手にもう片方の手をそっと重ねた。
「私でよければ・・・バルサ様のお傍にいさせて下さい」
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