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[77]王太子、即位《あと0日》

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 ヴィが、エンデ伯爵邸で王太子になると宣言してからわずか数日後の今日、王城にて、ヴィの王太子即位式が開かれる。

 急遽、案内をもらった貴族家当主たちは、そのために、今日の予定を全てキャンセルせねばならなかった。式に代理を送り込む、という選択肢は彼らにはない。どうすれば、新しい王太子に取り入ることができるか、彼らの頭の中は、今後の計画でいっぱいだ。それを隠そうともせず、会場のあちこちで、すでに駆け引きが始まっている。

 ヴィの王太子即位を、お父様やお兄様が、この短期間にどうやって陛下に認めさせたのか───考えるまでもなく、想像がつく。たぶん、あらゆる脅し文句を使ったに決まってる。私の誘拐事件も、一役買っていそう。
 貴族たちからの反発も、多少なりともあったと聞く。だけど、ヴィと比べるのが、アレクとジークという最悪な問題児たち(アレクは私との身勝手な婚約破棄から始まり、その後のルルとのあれこれで信用を失っているし、ジークははりつけ事件に見られる横暴さで恐れられている)だから、"幻の王子"が見つかって、その彼が王太子になると聞き、ほっとしている貴族も多いようだった。

 ヴィは、産まれてすぐに誘拐された、ということになっている。黒髪赤目を理由に、捨てられたという事実は、当たり前だけど伏せられている。
 その王子が見つかり、めでたい空気に包まれている中での、王太子即位となる。

 式典の会場となるホールの中、私はお父様とお兄様に挟まれ、王座の右側、貴族席の最前列に立っている。全てが見渡せる、特等席だ。
 今日、この場で王太子の座を剥奪されるアレクは、今にも透けてしまいそうなほど顔を青白くさせている。
 ジークは、ひたすら陛下を睨んでいる。改心したわけでは、絶対になさそう。
 王妃様は、傍目にもわかるほど浮かれている。仏頂面の陛下に、何かしきりに話しかけている。その頬は上気しきっていた。

「フィオ、緊張してる?」

 お兄様が聞く。

「ええ、少し」

「心配ないよ。悪い事は、何も起こらないから」

 お兄様の茶色い瞳は穏やかで、その瞳を見つめると少し落ち着くことができた。

「前を向いていなさい」

 お父様がこちらに視線を向けることなく、硬い口調で言った。私もお兄様も、「はい」と返事をして従う。

 お父様とは、あれから少し話した。

『彼が好きか』

『ええ、心から愛しています』

『そうか』

 それだけの、会話だった。だけど、ぽんと肩に置かれた手がとても温かかった。
 お父様のそっけない態度の裏にある優しさを、今の私はちゃんと感じることができる。もう、嫌われているなんて、思わない。
 
 ファンファーレが響き渡る。一同に緊張が走った。すべての視線は、まっすぐ王座まで敷かれた赤い絨毯の向こう、閉じられた扉に向けられる。

 いよいよだわ。

 観音開きの扉が、二人の兵士により、開けられた。

 ヴィは、全身真っ黒な衣装で現れた。すっと背筋を伸ばして佇む姿は気品に溢れている。一朝一夕ではとても身に着けられない。あれは、彼が産まれながらに持つものだ。無数の、ハッとしたような息遣いを聞く。野次は飛ばない。その余裕もないほど、誰もが彼の美しさに圧倒されている。

 ヴィのすらりと長い足が、前に出される。信じられないほど優雅に、一歩一歩。靴の音はほとんどしない。

 ヴィの髪は栗色、瞳の色は青のままだ。いまの容姿を保つために、金のブレスレットはそのままに、魔法を封じておくこと。それが、陛下から出された、ヴィが王太子になるための唯一の条件だったという。魔法を、封じたまま。それは、彼の手足を縛りつけるも同然で、私は納得できなかった。それでも、混乱を避けるためにはこれしかないと、いずれどうにかすると言われてしまえば、それ以上、私は何も言えない。

 少し長くなった彼の髪は、今日は後ろでひとつに結ばれている。彼の髪を縛るリボンは、ラミに教えを請い、私が作ったものだ。私の腕前について、ラミにはかなり馬鹿にされたし、少し不格好な仕上がりになってしまったけれど。銀と、紫の糸を使った。私の髪と瞳の色。お守りになればと昨夜、渡した。

 流された切れ長の目が、私を見つける。彼の表情が、ふっと柔らかくなった。顔が熱くなるのを自覚しながら、微笑みを返した。だけど、ああ、なんてことをしてくれたの。今の貴方の表情で、女性たちがいっせいに恋に落ちたわよ。みてよ、あの子達の真っ赤な顔。嫌になっちゃうわ。

 ヴィが陛下の前に跪く。陛下は、難しい顔を崩さない。即位式では、初代国王の持ち物であった大きな宝石のついた槍が、引き継がれる。陛下が槍を手にしたときには、どきりとしてしまった。そのまま切っ先をヴィに向け、首を跳ねてしまうのではないか、気が気じゃなかった。だけど、それは杞憂で───

 陛下は槍の柄を横にして両の手のひらに乗せた。それから、ヴィに差し出す。ヴィが受け取り、謝辞を述べる。儀式は、滞りなく進んだ。

 会場内が、拍手に包まれる。ヴィはすでに、そのカリスマ性を発揮しつつある。手を掲げ、微笑むだけで皆が笑顔になる。会場内にいる誰もが、この美しく聡明な王太子の行く末に期待を寄せているのがわかる。体が震えた。とても、感動的で──きっと、この光景は生涯忘れない。彼の妃となることが、とても誇らしい。

 ヴィが私を呼んだ。深呼吸をひとつして、完璧な微笑みを浮かべながら、彼の元へ向かう。これから、私との婚約も発表されるのだ。ヴィは正式に王太子となり、そして、私という妃と共にディンバードの後ろ盾を得る。そうなればもう誰も、彼が王太子であることに文句を言えない。

 ヴィが私の腰を抱く。彼のとろけるような青い瞳から目が離せない。ああ、彼が私のものだなんて、信じられない。こんなに、幸せでいいのかしら。──なんだか、怖いわ。

 その時。

 キン、キン、と2回、側で鋭い音がした。

「フィオリア!下がって!」

 ラミが叫んだ。足元に、鉄くずが落ちている。

 え───?

 キン、キン、キン、立て続けに何かが打ち込まれる・・・・・・
 ラミはそれを、剣で弾き落としていた。

 一拍遅れ、会場のあちこちから悲鳴が上がった。逃げ惑う人々で、たちまち混乱に陥る。

 お父様とお兄様が、警備を固めている。何も起きるわけがない。一番暴走しそうなジークですら、何も出来ないように対策が講じられているはずだった。それなのに、なぜ。
 
 ラミも、ラニも、ヴィも、兵士達も、打ち込まれる鉄くずの対処に集中していた。だから、気づかなかったのかもしれない。ナイフを構え、私に向かってくるルルの姿に。その刃が、腹部に吸い込まれていく様を、やけにゆっくりとした時間の中、眺めた。

 どん、という衝撃と共に、私は後ろに倒れた。高温の湯をかけられた時のようなひりついた熱が、腹部に広がる。

「迎えに来たよ。フィオリアさん」

 肩口から覗いた彼の笑顔に戦慄する。

「ア、シュリー……」

 呟いた言葉がちゃんと声になっていたのかどうか、私にはわからなかった。



 
 
 
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