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[66]王子と魔王

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「ああ、ヴィンセント!私の息子……!」 

 クラリス王妃は、ざわつく兵士たちをかき分け、必死にヴィを抱き寄せた。頭に手をやり、彼の顔をぐっと引き寄せる。ヴィにすがりつく私のことはまるで目に入っていない。王妃の瞳は涙に濡れていた。

「ヴィンセント、だと……?」

 陛下が呆けたように呟いた。完全に顔色を無くしている。

「あの子が帰ってきてくれたのです!私達のもとへ」

「だが、あの子は死んだはず。───まさか、お前あの子を」

「さぁ、ヴィンセント、お父様にお顔を見せてあげて!」

 王妃により、ヴィが陛下の前へと押し出された。陛下の目が徐々に見開かれ、そして、

「ヴィンセント。ああ、なんてことだ………」

 よろよろと王座に沈んだ。

「ね、あの子でしょ?ね!」

 いったい、何が起こってるの……?

 ヴィが私の腕から離れたときですら、私は固まったまま動けなかった。ジークも、アレクも、ダートネル宰相も、お父様も、みんな同じだった。一言も発せず、ただ呆然と彼らのやり取りを見ている。

『クラリス王妃が最初に身籠った、けれども死産したとされる王子が、実は生きているかもしれない』

 噂を耳にしたのはいつだったか。

 最初の王子が生きていれば───
 彼は、妾腹の第一王子よりも歳上となり、王妃の子として血筋も申し分なく、誰の文句も寄せ付けず王太子となっていただろう。そう、以前に考察したのだった。

 その、最初の王子が、ヴィだった。

 ────どうして気づかなかったのかしら。

 ヴィは、王妃によく似ている。こうして二人が並ぶと、一目瞭然で彼らは親子だった。疑いようもないほどに。
 ………そういえば前に、ちらと思ったことらあった。王妃様の赤い唇、その笑顔を見て、彼に似ている気がする、と。思って、いたのに───ヴィが私に隠していたのは、このことだったの?

 ヴィの表情に答えを求めようとして、彼の顔を見る。だけど、何かが変だ。ヴィはまるで道に迷ったかのように、途方に暮れた顔をして、陛下と王妃の間に視線を彷徨わせている。

「彼を見つけて連れてきたのは私です」

 ルルが陛下と王妃の前に進み出た。

 そうだわ、ルル。あまりの衝撃のせいで彼女のことをすっかり忘れていた。

「まぁ、ルル!貴女が?」

「王妃様の最初の子どもが、実は生きているかもしれないっていう噂を聞いて、それで、彼が王妃様にそっくりだったから、もしかしたらって」

「まぁ……!」

 王妃は感極まったように、口元に手を当てて泣いた。

「あり得ない」

 そう、意見を挟んだのはお父様だ。

「王子が生きていることを知っている者は、私とクラリスしかいない。協力者は皆、墓の中だ。王子が生きているなどという噂が、流れるはずがない」

 私は信じられない思いで、お父様を見た。お父様は、初めから知っていたんだわ。

 お父様は疑いたっぷりにルルを睨んた。彼女は怯むことなく、肩をすくめる。

「そんなことはどうでもいいの」と王妃が言う。
「この子が元気で生きていてくれた。それだけで、私は幸せ」

 陛下、と自らの夫に向きなおる。

「───かつて、私達は罪を犯しました。これは神が与えてくださった償いの機会よ」

「クラリス、何を言っている……?」

 陛下が亡霊のように立ち上がった。

「今度こそ、あの子を王家の一員として迎え入れるのです!」

 途端に、陛下の顔が真っ赤に染まった。

「お前……っ!自分が何を言っているのかわかっていないのか!? あいつは、"魔王"かもしれないんだぞ!」

 魔王……?

 私が疑問に首を傾げる一方、ルルが陛下に呼びかけた。

「まさかあんな・・・迷信を信じて、王子・・を殺したりしませんよね? みんなが、見てます」

 陛下がひゅっと息を呑んだ。まるで恐ろしい怪物でも見るように、目を見開いてルルを見る。

「どういうことだ……? いったい、何が、どうなってる」

 呟いたのは、ヴィだ。震える彼は、誰よりも混乱の中にあるようだった。

 そんな、まさか──、ヴィも、自分が王子であることを知らなかったの? 私に隠していたのは、このことじゃないの?

「ああ、私の大切な息子………」

 クラリス王妃が再びヴィを抱きしめる。しかし、

「触るな!」

 そんな王妃を、ヴィは拒絶した。

「お前なんか知らない!」

「そんな、ヴィンセント───」

「その名で呼ぶな……!」

 ヴィが泣きじゃくる子供のように、見えた。彼は泣いていないけれど、引きつるような声が、呼吸の仕方を忘れたように苦しげに吐かれた息が、そう見せたのかもしれない。胸が締め付けられる思いがした。いきなり息子だ、王子だ、なんて言われて、そんなの混乱するに決まってる。

「どういうことか、全て話せ」

 魔法が使えたら、ヴィは迷わず"自白の魔法"をかけていただろう。
 王妃は「仕方なかったの」と言い募るばかりで、説明できていないし、陛下も口を閉ざしてしまっている。

「───私から、話そう」

 結局、重い口を開いたのは───

「事情を知る者は私と、クラリスだけだ」

 お父様は語った。約120年前の予言に始まる、事の真相を。

 ────120年前、ある悪名高き魔法使いが予言を残し、死んだ。
【これから100年のうち、この世に"魔王"が現れ、人々を殺戮し、国を滅ぼすであろう】
 魔王とは、すべての魔法使いの王。そして、異型の怪物たちを、その強大な力で操る存在だとされる。特徴は、濡烏のような黒い髪に血のように赤い瞳。
 王家や貴族たちはこの予言が真実になる事を恐れ、黒髪・赤目の者を悪魔であると、教会の教えを通して吹聴し、その特徴の者を殺させた。
 そして、もうすぐ予言の100年が過ぎるというその年。王妃が産んだ子は、髪が黒く、目は赤かった。貴族に知られれば、絶対に騒ぎになる。
 騒ぎを起こさないため、陛下は"赤子を殺せ"と命じた。しかし、クラリスは処刑人の目をかいくぐり、その子を逃した。信頼のおける侍女に一生楽に暮らせるだけの大金と共に子を託し、遠くに逃した。お父様も、その子を逃がすのに協力した。第一王子に名付けられるはずだった、ヴィンセントという名前。それだけを渡され、その子は───ヴィは、城を出された。陛下には、"命令通り赤子は殺した"と伝えられた。こうして、クラリスの初めての子は、死んだものとして、しかし、平民として生きることとなった。

 どくどくと、嫌な具合に血が巡り、気持ちが悪い。握った拳の中に、じとりと汗が流れる。

 逃げなきゃ。ヴィを、逃がさなきゃ。

 陛下が殺せと命じた赤子……ヴィは、生きていたと、いま発覚した。"魔王"かもしれない彼を、陛下は今度こそ確実に殺す。ヴィを殺せと、今にも兵士達に命じるかもしれない。
 ヴィが王子だと分かったところで、彼が殺される危険が無くなりはしなかった。むしろ、より危険な状況になってしまった。

 ヴィは、生気を失ったように、その場に立ち尽くしていた。動かない彼は、教会に納められた神々の彫像そのものだ。
 こんな状態の彼じゃ、戦えない。ただでさえ、魔法を封じられている。これだけ多くの兵士を前にして、彼に勝ち目はない。なすすべもなく、殺されてしまう。

 ゆっくりと、ヴィを背中に隠すように移動する。何かあれば、私が彼の盾となる。

 しんと痛いほどの静寂が訪れる中、初めに口を開いたのは、アレクだった。

「母上は、いつも上の空だった。僕がどんなに頑張っても、いまいち、僕を見てくれない。大切にしてくれていたとは、思う。だけど、その瞳はいつも違うところを向いていて……気づいていました。その視線の先には、死んだ兄上がいると。僕じゃだめなんだと、虚しかった。母上は、ずっと、兄上を見ていた」

 感情のない目で、ヴィを見つめる。兄が生きていた事実を、アレクもまた知らなかったのだ。
 父親似のアレクと、母親似のヴィ。二人は似ていない兄弟だった。
 二人の兄弟の複雑な心境などかえりみる様子もなく、王妃はひたすらはしゃいでいる。「アレクも喜んで」と手を鳴らす。

「お兄様が生きていていたのよ。ずっと、本当の・・・お兄様が欲しかったと言っていたものね。これからは一緒に遠乗りに出たり、狩りができるわよ。ね、楽しみね」

「母上、僕は嬉しくなど、ありません。兄など欲しくはなかった。そういうふうに言えば、母上の慰めになると思って言っていただけのこと。なのに、こうもあっさり、実は生きていたと、兄上が現れて。僕など、もういらぬ存在ですね。勝手がすぎる、頭の悪い、扱いにくい僕などは……僕のこれまでの努力は、いったい、何だったんだ……っ!」

「あ、アレク……?どうしたのよ」

「───陛下!」

 怒りに震えるような声が、謁見の間に響いた。

「ご命令を。私がやつを処刑します」

 ハッと声の主を見る。ジークだ。彼は燃えたぎるような憎悪をヴィに向けていた。






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