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[13]ミッション③遂行中(2)
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雨が上がり、しっとりと濡れた夜風が吹く月夜。私は今夜が初対面の男と二人きりで馬車に揺られていた。──あの、死神のせいで。
……
………
…………
馬車の中で、死神は私の目元に網目の大きな黒いレースを巻いた。
顔の半分が隠れる赤い仮面は取り上げられ、黒い霧に飲み込まれてしまった。
「まさか、これを仮面にしろというの? こんなの、私が誰だか丸わかりじゃない!」
「それでいい。うむ、ピンクのドレスに黒いレースの組み合わせもなかなかエロいなぁ」
「えろ……?」
「眉尻下げろ、悲しい顔を作れ。ああ、やりすぎだ。言ったろ、悲しみは女を綺麗に見せてくれるアクセサリーだ。上品に、けれど嫌らしくなく、ほどよく纏え。よし、いいな。さ、行こう!」
「ちょっと!」
死神のエスコートで会場に足を踏み入れたとき、すでに集まっていた客達からどよめきが起きた。
うっと歩みが止まってしまう。
「皆こっちを見てるわ。きっと、王子に捨てられたばかりで他の男を伴ってパーティーに参加するなんて図々しい女だと思われているのよ」
「はぁ、お前はどこまでもネガティブ思考だな」
「そう思うのは普通だわ。婚約破棄から10日ほどしか経っていないのよ? どんな顔をしていればいいの」
「目線は少し下。薄く微笑みを浮かべろ」
言われたとおりにする。人と目が合わないだけで、だいぶ気分が楽になった。
「まぁフィオリア様!お待ちしておりましたわ!」
赤と黒のドレスを纏ったカーライル子爵婦人が目ざとく私を見つけ、挨拶にやってきた。
「今夜はご招待頂き、ありがとうございます」
「来てくれてよかったわ。美しい貴女の噂を聞きつけて、若くてハンサムで有能な殿方がたくさん来られているのですよ」
子爵婦人は爛々と目を輝かせている。彼女を突き動かしている原動力の大半は親切心なのだろうけど、滲む好奇心が隠せていない。王子に捨てられた女が次に選ぶのは一体どんな男なのか。社交界での新たな話題作りのため、情報集めに余念がないのだ。
それでも彼女の親切に向けて、感謝を込めて微笑む。
「だけど私、新しい恋はまだ……」
「そんなこと言わないで。気負わず、気軽に楽しめばいいのよ。──あら、そちらの方は?」
子爵婦人が私の隣にいる死神に視線を向ける。死神は胸の前に手を当て、優雅に一礼した。
「お初にお目にかかります、カーライル子爵婦人。私は今夜限定で彼女のエスコート役に任命された者ですよ。………もっとも、私は今夜限定の男になる気はさらさらないのですが」
「あらあら、まぁ!」
死神がちらと私を見ながらあまりに甘い声で囁くから、子爵婦人の興味が全面に押し出されてしまった。
「残念だけれど、貴方が今夜限定のエスコート役という事実は、この先も変わることはないわ」
言うと、死神はやれやれと首を振る。
「と、この調子です。先は長そうだ。まぁ、諦める気はありませんがね」
「うふふ。いいわねぇ。私もあと10若かったら───」
二言三言交わすうち、死神は難なく子爵婦人を籠絡してしまった。彼女は死神の名前や出自さえ聞かずに「楽しんで」と去っていく。困惑が顔に出ていたのか、それに答えるように死神は言った。
「名前を聞かないのは仮面舞踏会の暗黙のルールなんだよ」
「そうなの?」
死神は肩をすくめる。
どこまで本当のことを言ってるんだか。死神の言葉は話半分で聞かないと危険だわ。
ダンスフロアでは、既にダンスが始まっていた。何組かが舞う中に、死神が私をエスコートしていく。
「まさか、踊るつもりなの?」
「もちろん。ファーストダンスの相手を務めるのは、エスコート役の特権だろう?」
私は唇を噛んだ。
たしかに、社交界ではそんなルールがある。だけど、
「貴族でもない貴方がなぜそんなことを知っているの?」
「俺は何でも知っている」
死神は楽しげに笑った。腰に添えられた手に力が入り、引き寄せられる。よろけた私の手をさっと握り、あっという間にダンスのポージングが取られる。ゆったりとしたワルツに合わせ、踊りだす。長年の練習で型が染み込んだ私の体は、無意識に彼の動きを追っていた。
死神のリードは、とても踊りやすくて、びっくりする。
「ダンスもできるのね?」
「俺にできないことはない」
「まったく、どこまでも自信過剰な人」
「その方が何事も上手く行く。真実は、ハッタリの後についてくるもんさ」
促され、ターンする。死神は難なく私を受け止める。
なんだか変な感じ。あと38日後、私の死体から魂を刈り取る死神と今、ダンスしてるなんて。
思えば絶対にあり得ないはずの非現実的な世界を、最近の私は過ごしているのだわ。それも、いつの間にか、当たり前のように。
すぐ近くにある、泣き顔と笑い顔のお面を見上げる。
死神のお面は、仮面舞踏会でも、その珍妙さで少し目立っていた。けれど、彼が人間でないことには、誰も気がつけないだろう。私だけが、この男の正体を知っている。
「ねぇ、魂の味がどうとか言ってたでしょう?」
「うん?」
「貴女は、その、刈り取った私の魂を食べるの?」
死神はさも可笑しそうに笑った。
いいか?と、死神は秘密を打ち明けるみたいに、声を落として囁いた。
「例えばりんごをかじるみたいに物理的に、食べるわけじゃない。死神はな、魂を刈り取りたいというある種の食欲に似た欲求を持っているのさ。俺たちは魂を刈り取る時、その味を感じる。魂が幸福であればあるほど、魂の味は美味しく感じ、その分多く欲求が満たされる」
「………変なの」
「そう決まってる」
「じゃあ、私の魂が美味しくなればなるほど、貴方の欲求──空腹?は満たされるのね?」
「ああ。死神はいつでも、良質な魂を求めている」
「どの死神も魂を美味しくするために、こんなふうに人間に手を加えたりするの? 貴方が私を幸福にしようとするみたいに。もしかして、あの人も、あの人も、実は死神だったりするのかしら」
ちょっと悪そうな男達を目で指し示す。
人間の側で、人間のような顔をして、魂の刈り入れ時を待つ死神。
そんな存在がいることを知ってしまえば、他もそうなのかという目で見てしまう。
「あの人とあの人は人間だが、そうだな、あそこにいるあいつは死神だな」
死神が指差したのは音楽隊のホルン演奏者。音楽家然とした白髪のウィッグを着けていて、目元は白い仮面。どう見ても、人間にしか見えない。
「嘘でしょ」
「いやぁ、本当だ」
「やっぱり、気づかないだけで、貴方みたいな存在が社会に紛れているのね」
ドキドキする。世界の見え方が一気に変わった気がした。
死神の視線に気づいてはっと表情を引き締める。
柄にもなくはしゃいでしまった。恥ずかしさを隠すために怒ったふりをする。
「じっと見ないでよ。そのお面、表情が見えなくて苦手なの」
「え、あ……ああ、すまん」
死神がさっと顔をそらした。
あら……?
そんな、本気じゃなかったのだけど。
───今の発言は軽率だったかしら。死神には死神なりに、お面で顔を隠す理由があるのかもしれないのに。
少し気まずくなっていると、曲が終わった。お互いに礼をする。
「失礼、次は私と一曲いかがですか」
麻色の髪にエメラルド色の目の青年が、声をかけてきた。
顔の片側だけ隠れる仮面をつけているけれど、すぐにわかった。彼は確か、カーライル子爵家の跡取りの……甘いルックスとその地位で、踊る女の子には苦労しないはずだけど。そんな方がなぜ私なんかにダンスを申し込んでいるのかしら。
困惑していると、耳元で死神が囁いた。
「行ってこい。これから7人と踊るまで戻ってくるな。いいか? 今夜はネガティブな発言は一切禁止だ。嫌な誘いも『ノー』ではなく『そうですね』とはぐらかせ」
「えっ!?」
「さぁ、行け」
とん、と背中を押され、死神が私を促す。彼と繋いでいた手はいとも簡単に離れ、すぐにまた別の男性の手が繋がれるのだった。
雨が上がり、しっとりと濡れた夜風が吹く月夜。私は今夜が初対面の男と二人きりで馬車に揺られていた。──あの、死神のせいで。
……
………
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馬車の中で、死神は私の目元に網目の大きな黒いレースを巻いた。
顔の半分が隠れる赤い仮面は取り上げられ、黒い霧に飲み込まれてしまった。
「まさか、これを仮面にしろというの? こんなの、私が誰だか丸わかりじゃない!」
「それでいい。うむ、ピンクのドレスに黒いレースの組み合わせもなかなかエロいなぁ」
「えろ……?」
「眉尻下げろ、悲しい顔を作れ。ああ、やりすぎだ。言ったろ、悲しみは女を綺麗に見せてくれるアクセサリーだ。上品に、けれど嫌らしくなく、ほどよく纏え。よし、いいな。さ、行こう!」
「ちょっと!」
死神のエスコートで会場に足を踏み入れたとき、すでに集まっていた客達からどよめきが起きた。
うっと歩みが止まってしまう。
「皆こっちを見てるわ。きっと、王子に捨てられたばかりで他の男を伴ってパーティーに参加するなんて図々しい女だと思われているのよ」
「はぁ、お前はどこまでもネガティブ思考だな」
「そう思うのは普通だわ。婚約破棄から10日ほどしか経っていないのよ? どんな顔をしていればいいの」
「目線は少し下。薄く微笑みを浮かべろ」
言われたとおりにする。人と目が合わないだけで、だいぶ気分が楽になった。
「まぁフィオリア様!お待ちしておりましたわ!」
赤と黒のドレスを纏ったカーライル子爵婦人が目ざとく私を見つけ、挨拶にやってきた。
「今夜はご招待頂き、ありがとうございます」
「来てくれてよかったわ。美しい貴女の噂を聞きつけて、若くてハンサムで有能な殿方がたくさん来られているのですよ」
子爵婦人は爛々と目を輝かせている。彼女を突き動かしている原動力の大半は親切心なのだろうけど、滲む好奇心が隠せていない。王子に捨てられた女が次に選ぶのは一体どんな男なのか。社交界での新たな話題作りのため、情報集めに余念がないのだ。
それでも彼女の親切に向けて、感謝を込めて微笑む。
「だけど私、新しい恋はまだ……」
「そんなこと言わないで。気負わず、気軽に楽しめばいいのよ。──あら、そちらの方は?」
子爵婦人が私の隣にいる死神に視線を向ける。死神は胸の前に手を当て、優雅に一礼した。
「お初にお目にかかります、カーライル子爵婦人。私は今夜限定で彼女のエスコート役に任命された者ですよ。………もっとも、私は今夜限定の男になる気はさらさらないのですが」
「あらあら、まぁ!」
死神がちらと私を見ながらあまりに甘い声で囁くから、子爵婦人の興味が全面に押し出されてしまった。
「残念だけれど、貴方が今夜限定のエスコート役という事実は、この先も変わることはないわ」
言うと、死神はやれやれと首を振る。
「と、この調子です。先は長そうだ。まぁ、諦める気はありませんがね」
「うふふ。いいわねぇ。私もあと10若かったら───」
二言三言交わすうち、死神は難なく子爵婦人を籠絡してしまった。彼女は死神の名前や出自さえ聞かずに「楽しんで」と去っていく。困惑が顔に出ていたのか、それに答えるように死神は言った。
「名前を聞かないのは仮面舞踏会の暗黙のルールなんだよ」
「そうなの?」
死神は肩をすくめる。
どこまで本当のことを言ってるんだか。死神の言葉は話半分で聞かないと危険だわ。
ダンスフロアでは、既にダンスが始まっていた。何組かが舞う中に、死神が私をエスコートしていく。
「まさか、踊るつもりなの?」
「もちろん。ファーストダンスの相手を務めるのは、エスコート役の特権だろう?」
私は唇を噛んだ。
たしかに、社交界ではそんなルールがある。だけど、
「貴族でもない貴方がなぜそんなことを知っているの?」
「俺は何でも知っている」
死神は楽しげに笑った。腰に添えられた手に力が入り、引き寄せられる。よろけた私の手をさっと握り、あっという間にダンスのポージングが取られる。ゆったりとしたワルツに合わせ、踊りだす。長年の練習で型が染み込んだ私の体は、無意識に彼の動きを追っていた。
死神のリードは、とても踊りやすくて、びっくりする。
「ダンスもできるのね?」
「俺にできないことはない」
「まったく、どこまでも自信過剰な人」
「その方が何事も上手く行く。真実は、ハッタリの後についてくるもんさ」
促され、ターンする。死神は難なく私を受け止める。
なんだか変な感じ。あと38日後、私の死体から魂を刈り取る死神と今、ダンスしてるなんて。
思えば絶対にあり得ないはずの非現実的な世界を、最近の私は過ごしているのだわ。それも、いつの間にか、当たり前のように。
すぐ近くにある、泣き顔と笑い顔のお面を見上げる。
死神のお面は、仮面舞踏会でも、その珍妙さで少し目立っていた。けれど、彼が人間でないことには、誰も気がつけないだろう。私だけが、この男の正体を知っている。
「ねぇ、魂の味がどうとか言ってたでしょう?」
「うん?」
「貴女は、その、刈り取った私の魂を食べるの?」
死神はさも可笑しそうに笑った。
いいか?と、死神は秘密を打ち明けるみたいに、声を落として囁いた。
「例えばりんごをかじるみたいに物理的に、食べるわけじゃない。死神はな、魂を刈り取りたいというある種の食欲に似た欲求を持っているのさ。俺たちは魂を刈り取る時、その味を感じる。魂が幸福であればあるほど、魂の味は美味しく感じ、その分多く欲求が満たされる」
「………変なの」
「そう決まってる」
「じゃあ、私の魂が美味しくなればなるほど、貴方の欲求──空腹?は満たされるのね?」
「ああ。死神はいつでも、良質な魂を求めている」
「どの死神も魂を美味しくするために、こんなふうに人間に手を加えたりするの? 貴方が私を幸福にしようとするみたいに。もしかして、あの人も、あの人も、実は死神だったりするのかしら」
ちょっと悪そうな男達を目で指し示す。
人間の側で、人間のような顔をして、魂の刈り入れ時を待つ死神。
そんな存在がいることを知ってしまえば、他もそうなのかという目で見てしまう。
「あの人とあの人は人間だが、そうだな、あそこにいるあいつは死神だな」
死神が指差したのは音楽隊のホルン演奏者。音楽家然とした白髪のウィッグを着けていて、目元は白い仮面。どう見ても、人間にしか見えない。
「嘘でしょ」
「いやぁ、本当だ」
「やっぱり、気づかないだけで、貴方みたいな存在が社会に紛れているのね」
ドキドキする。世界の見え方が一気に変わった気がした。
死神の視線に気づいてはっと表情を引き締める。
柄にもなくはしゃいでしまった。恥ずかしさを隠すために怒ったふりをする。
「じっと見ないでよ。そのお面、表情が見えなくて苦手なの」
「え、あ……ああ、すまん」
死神がさっと顔をそらした。
あら……?
そんな、本気じゃなかったのだけど。
───今の発言は軽率だったかしら。死神には死神なりに、お面で顔を隠す理由があるのかもしれないのに。
少し気まずくなっていると、曲が終わった。お互いに礼をする。
「失礼、次は私と一曲いかがですか」
麻色の髪にエメラルド色の目の青年が、声をかけてきた。
顔の片側だけ隠れる仮面をつけているけれど、すぐにわかった。彼は確か、カーライル子爵家の跡取りの……甘いルックスとその地位で、踊る女の子には苦労しないはずだけど。そんな方がなぜ私なんかにダンスを申し込んでいるのかしら。
困惑していると、耳元で死神が囁いた。
「行ってこい。これから7人と踊るまで戻ってくるな。いいか? 今夜はネガティブな発言は一切禁止だ。嫌な誘いも『ノー』ではなく『そうですね』とはぐらかせ」
「えっ!?」
「さぁ、行け」
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