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第2章
第49話 チャームの呪縛を解く
しおりを挟むまだ辺りも薄暗い早朝。いつもの早朝稽古で使う馬小屋に背を向け、ノアと二人、北の森にある竜舎に向かう。『浄化能力石』のアンクレットをしっかり抱えて。
しんと静まり返った浅い森を進む。竜舎に近づくと、ワイバーンたちがぼくらの気配を察知したらしい。うめき声や金属を引きずるような音がした。
鉄格子の向こうから、ルルが充血した目で睨んでくる。まくれあがった唇と覗く鋭い牙。地響きのような唸り声──いつもの優しげな雰囲気はまるでない。
ぼくをアルティアの友人だと、認識できていないようだ。
ガシャガシャン!
ルルが鉄格子に体当たりした。鉄の首輪と鉄格子が勢いよくぶつかる。
「我が君」
「大丈夫、ぼくが行く」
鉄格子を外し、中に足を踏み入れると一転、ルルは威嚇をやめて後退る。──怯えと、混乱が見て取れた。チャームはルルの精神に、悪い影響を与えているのかもしれない。魅了とはつまり相手に無理やり好意を持たせる、精神支配の魔法だ。影響がないという方がおかしい。それも、短期間に複数回もチャームをかけられれば。マリアベルはルルを気に入り、あの日から毎日ルルに会いに来てはチャームをかけていた。ぼくは彼女をルルから遠ざけることも、チャームを阻害することもできず、歯がゆい日々が続いた。
ルルはもはや、ぼくが知るルルじゃない。『浄化能力石』のアンクレットで元に戻せるのか不安になる。
「大丈夫、これを着ければ治るからね」
自分とルルに言い聞かせるようにして、アンクレットを掲げてゆっくりと近づいていく。手を伸ばし、ルルの目に警告を送る。
ふっと、その目に懐かしい色が映った。
いける。
そっと前足に触れた。
ルルが大人しくしているうちに、手早くアンクレットを装着する。マリアベルが外してしまわないように、アンクレットに『拘束』の闇魔法をかけて、完成だ。ぼくがこの『拘束』を解かない限り、もう二度と外れない。
白金の石が光る美しいシルバーリング。
と、リングから放たれた白金の光がルルを包みこんだ。そして、パチンとシャボン玉が弾けるように唐突に光が消える。あとには深く寝入った様子のルルが残された。
「これって、成功したのかな?」
ノアがルルのまぶたを開き、瞳を覗き込む。
「おそらく。瞳孔も正常ですし、嫌な気配はしません」
「よかった……」
長く、辛い戦いは終わった。
業務時間が迫っていた。すぐにでもルルのことをアルティアに知らせに行きたいけど、そうもいかない。マリアベルを起こしに行かないと。
後ろ髪引かれる思いで、マリアベルの部屋へ向かう。
彼女にしては珍しく、特にぐずることもなく起き出した。
「なんかね、最近すっごい寝起きがいいの。きっと、ルルに乗って運動してるからだと思うんだ。ルルをもらって正解だよねぇ。ジェシーくんも私を起こす手間が省けて嬉しいよね?」
「そうですね」
後半だけは、激しく同意します。
ルルは上機嫌に身支度をする。朝食後、今日もルルに乗りに行くと言う。元に戻ったルルが主人でもないマリアベルの言うことを聞くことはもうない。乗せるのを拒否すらするかも。
変わり果てたルルを見て、マリアベルはどう思うだろう。その顔が悔しさに歪むのを早く見たくてうずうずする。
「今日もアレは起きてこんつもりか」
朝食の席で、公爵がうめく。アルティア分の朝食を受け取りに来ていたミハエルが「まだ体調が優れないそうで」と答えた。
アルティアはあの日からずっと部屋に閉じこもっていた。
初日、体調が悪いと夕食を断ったアルティアは、その後本当に熱を出して3日ほど寝込んだ。もう良くなっているはずだけど、家族の前に姿を現すことはない。マリアベルと顔を合わせたくないのだと思う。当然だよね。
「いつまでああしているつもりだ。ワイバーンも魔物とて、人の心根がわかるという。あの子竜がアレでなくマリーを選ぶのも当然だな」
『ルルが私の方が好きって言うから、お姉さまは怒ってるの』
マリアベルが早速報告したことで、アルティアが塞ぎ込んでいる理由を公爵は知っていた。知っていてこれだ。つまりどういうことかっていうと、公爵は"人の心根がわかる"魔物以下だってこと。
「マリアベル様、お姉様を誘われてはいかがですか?」
朝食後、早速竜舎に向かおうとするマリアベルを呼び止めて提案した。
「うーん、そうだねぇ……」
何事か思案し、
「いいよ」
マリアベルはあっさりと承諾した。なにか企んでいそうだけど、彼女はまだルルに起きた変化を知らない。何にせよ、彼女の計画は失敗する。
鼻歌を歌うマリアベルを玄関先で待たせ、ぼくは一人でアルティアの部屋に向かった。
アルティアはこちらに背を向けてベッドに潜り、断固応答拒否の態度を示している。部屋にミハエルはいなかった。
「絶対に嫌」
「ちょっとだけでも、会いに行ってみましょうよ。こないだはほら、そう、ルルも機嫌が悪かっただけですよ」
「機嫌が悪いときでも、私に対してあんなふうな態度を取るなんて、今までなかったもの。私、ルルに嫌われるようなことなにかしちゃったのかしら………」
「ベッドの中でぐじぐじ悩んでても解決しませんよ。ね、ぼくも一緒に行くから」
「マリアベルもでしょ」
「そりゃ……ぼくは彼女の従者なんで」
「お父様も、ジェシーもルルも、私の大切なものはみんなあの子が取っていくわ……」
呟かれた言葉はあまりに細く、うまく聞き取れなかった。
「またルルに拒絶されたら私、もう立ち直れない。この先一生ベッドから出ないかも。そのまま100歳まで生きてヨボヨボのお婆さんになるんだわ」
寝たきりでも100歳まで生きるつもりなんだ、と少し笑えたけれど──それは置いといて、
「そんなことには絶対になりません」
「どうしてそう言い切れるの」
「………勘です」
「もし勘が外れたら?」
「外れません」
「でも外れたら?」
「あーもう、そしたら気が晴れるまでとことん付き合ってあげますから!悩むのは後にしましょう!ほら、着替えて。行きますよ」
「うぅ……ジェシーってば私の扱いが酷いわ……」
「何かありましたか」
ミハエルが戻ってきた。口を開かれる前に乗馬服を押し付ける。
「ルルに会いに行くそうです。着替えの手伝いをお願いします。ぼくとマリアベル様もこれから竜舎に行くところなので一緒に行きましょう。では玄関ポーチで待っていますので」
言うだけ言って部屋を出た。
しばらく待つと、乗馬服をまとったアルティアがしぶしぶといった様子でミハエルを伴いやってきた。ほっと息をつく。来ないかと思ったよ。
「楽しみね、お姉さま」
「ええ……」
マリアベルがアルティアの腕に自身の腕を絡めて歩き出す。今にもスキップしそうだ。
半ば引きずられていくアルティアの後ろをミハエルと並び竜舎に向かった。
「やっぱりいい」
鉄格子が見えたところで、アルティアが立ち止まりイヤイヤと首を振った。
「ここまで来て駄々をこねないでください」
小声で耳打ちする。
「だって……」
「ほら行きますよ」
「いや!」
「もう!この意気地なし!」
「なんですって……!?」
「後先考えずに突っ込んでいくいつもの勇敢なアルティア様はどこに行ったんですか!ぐじぐじ、ぐじぐじ!弱虫め!」
葉っぱをかけすぎたかもしれない。
アルティアは真っ赤になり、震えた。
ぼくが記憶する限り、彼女に対して強い言葉を使ったのはほぼ初めてだ。たぶん、混乱と羞恥と怒りとでアルティアは目を白黒させている。
かと思えば、ルルのいる鉄格子に、黙りこくったまま歩いていった。慌てて追いかける。
鉄格子の前ではマリアベルと彼女に付いて先行したミハエルが飼育員のビリーと話していた。
ビリーがルルを連れてくるため鉄格子に入った。
のし、のし、と重い足音。
ルルの目は明るく輝いていて、嬉しそうに羽をバタつかせる。──よかった、元気そうだ。この様子ならチャームも確実に解けている。
マリアベルがすぐに、ルルに飛び乗ろうとする。異変はそのときに起きた。
ルルは身をよじり、マリアベルを避けたのだ。
「え……」
マリアベルが驚きの声を上げる。こちらに背を向けているので表情は見えない。それでも動揺は伝わってきた。
ゾクリ、としたあの嫌な感覚が連続して起こる。マリアベルがチャームを重ねがけているのだ。
けれど、ルルにはまるで効いていない。マリアベルが近づく度、不快に表情を歪ませ、あとずさっている。
「なんで!」
思わずほくそ笑む。
すべてがお前の思い通りになると思っているなら大間違いだ。その傲慢な欲望はぼくが叩き落としてやる。
「ルル……?」
アルティアも、ルルの変化に気づいたようだ。その声でルルはアルティアを見つけ、嬉しそうに走り寄っていく。
「クゥ、キュ!」
恐る恐る伸ばされた手に、遠慮なく頭が押し付けられる。
「ルル……!ああっよかった!あなたなのね……!」
ルルに拒否され、アルティアが知るルルはどこか別の場所に行ってしまったように感じていたのだと思う。アルティアはルルが帰ってきた喜びに涙していた。
「意味わかんない!あんた何かしたの!?」
マリアベルがアルティアに詰め寄る。よき妹のメッキは完全に剥がれ落ちていた。
「え、何かって……?」
「とぼけんな!」
掴みかからんばかりのマリアベルを、ミハエルが止めた。
「どいてミハエル」
「なりません」
「あんた私の従者でしょ!主に逆らっていいと思ってるの? パパに言いつけて──」
「元です。私は今、アルティア様の従者ですから、アルティア様を守る使命があるのです」
マリアベルは歯ぎしりし、訴える相手をビリーに変えた。怒りの形相を向けられたビリーはとんだとばっちりだ。可哀相。
「ルルがおかしいの。たぶん病気だよ。私を避けるなんてあり得ないもん……!」
「とは言ってもなぁ、ルルは元気ですよ。むしろここ数日の方がおかしかったんだ。檻から出たがらないし、食欲はないしでそりゃ大変な思いさせられた。だども、今日はいい。目がキラキラしてやがる」
「おかしいったらおかしいの!もっとよく調べなさいよ!」
「んだどもよぉ……どこもおかしくないんだわ。なぁ、ルル」
悪気なくマリアベルを苛つかせるビリーと、地団駄を踏むマリアベルが可笑しくて笑いが漏れた。耳聡く聞きつけたらしいマリアベルから睨まれてしまう。
「いいよ、わかった。そうだね、今日は調子が悪かったんだよ。私の調子がね!次もこうなるとは思わないほうがいいよ。きっとがっかりするんだから!」
捨て台詞を吐くと、マリアベルは走り去っていく。ルルと仲良しなところをアルティアに見せつけようとでも思っていたんだろうけど、見事に企みは失敗だ。
従者として、ぼくは彼女を追いかけなければならない。けれど足取りは軽やかだった。
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