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第2章
第39話 お嬢様、犬を飼いたい
しおりを挟む翌日。
マリアベルの従者、ミハエルのもとに潜らせたノアは夜が明けても戻ってこなかった。
夜は報告に戻ってくるかなって思ってたんだけどな。
ミハエルの側を離れられない理由が、何かあるのかもしれない。
あと少しで、重要な情報がわかりそう、とか?
ノアの隠密能力は高い。
影に潜んだノアに、ミハエルが気づくことはないだろう。
仮に、何らかの事態が生じてミハエルと戦うことになったとしても、人間ごときに負けるノアじゃない。
その点では全く心配はしていない。
あのあと夕食時、マリアベルがしつこく視線を向けてきたけれど、話しかけられることはなかった。
話しかけるなオーラを出していたからかな?とも思ったけど、それを気にするマリアベルじゃない。
ぼくが普段、どんなに冷たくあしらっても話しかけてくる、あの心の強さはいっそ称賛に値する。
ぼくなど放っておけばいいものを。
何がそんなに気になるんだろう。
マリアベルこそ、ぼくの黒髪や金の目が珍しくて、側に置いておきたい部類の人間なのかもしれない。
───さて。
ぼくが不穏な空気に落ち着かない今日このごろ、アルティアは呑気にこんなことを言い出した。
「犬を飼いたいと思うの」
「また突然ですね」
「レジーナ様……キースウッド伯爵令嬢ね。そのレジーナ様が自慢なさるのよ。最近買い始めた犬がすっごく可愛いって」
ああ、この間、サンロード家の茶会に来ていた令嬢が、そんな話をしていたな。
キースウッド伯爵令嬢のレジーナは、アルティアのダンスの先生であるキースウッド伯爵夫人の娘さんだ。薄茶の真っ直ぐな髪を持つ、落ち着いた雰囲気の女性。
アルティアよりも3つ年上で、13歳。15歳になれば、親戚すじの子爵家の時期当主に嫁ぐことが決まっていて、現在花嫁修業中。本来、王立学園に通われているはずの歳だが、そういう事情もあって、学園には通っていない。
王立学園は、別に通うことが義務になっているわけではないので、レジーナのようなケースも多いようだ。
一方で、アルティアはあと一年半後、12歳で学園に入学することが決まっている。
アルティアとレジーナは、歳は離れているものの、仲の良い幼馴染で、気心のしれた仲。
姉妹のような関係、というものらしい。
だからか、これまでも、ドレスや宝石など、お互いに真似したがることも多かったとか。サラの証言によると。
「それで、犬ですか……」
「お父様はダメって言うかしら」
「どうですかねぇ。旦那様はあまり動物が好き、という風には見えませんが」
「でも、サンダーのことは可愛がってるわ」
「サンダー? どなたです?」
「お父様のワイバーンよ」
「ワイバーンは動物ではなく魔物ですよ」
「そんなことは関係ないのよ。生き物を可愛がるお心はお持ちってことが重要なの」
「頼んでみてはいかがですか。言ってみなければ始まりません。ダメって言われたらそのとき、またどうするか考えましょう」
「そう……そうよね!よし、ちょっとお父様の所へ行ってくるわ!」
「あ、お嬢様!?ちょっと!」
ぼくらはいま、ムーアに敷物を広げて、レシド先生とサラも一緒にお茶をしているところだった。
このあとレシド先生の授業があるというのに、アルティアは止めるまもなく走って行ってしまった。
基本的に、思い立ったら即行動の人なのだ。
「私が行くわよ」
ぼくが追いかけようとしたところで、サラがそう言ってアルティアを追いかけて行った。
「旦那様からお許しが出るといいね~」
レシド先生は、お嬢様の突然失踪にも慣れたもので、平然とお茶をすすっている。
もう諦めているのかもしれない。
「すみません」
「いいえ~。それにしても、このりんごのパイは美味しいね。甘い中に少しの塩味がまたいいアクセントで」
「うん、美味しいですよね~。口の中が幸せです」
このりんごのパイは昨日、ディックに頼んでいたものだ。
ぼくがお土産に買ってきた香辛料も少し使っているようで、香りがいい。
ディック、いい仕事してるよ。
「ところでジェシーくん。例の歴史書の件だけど」
「はい。何かわかりましたか?」
「まず、著者のクリスだけどね、彼の名前は、我がソイユ家の家系図に載っていなかった。ソイユの人間ならば、養子に出した者もすべて載っているはずなんだけどね」
「クリスさんは、ソイユ子爵家の方ではなかったということですか」
「もしくは、何らかの犯罪を侵して、ソイユ家から追放されたか」
「その場合は、家系図から名前が消されるのですか」
「うん。貴族は、体裁を気にするからね。家から犯罪者が出た場合、その人物の出生ごと事実を消してしまおうとするんだ」
「ほかに、名前がない理由に心当たりは?」
「いや、これくらいだね」
「そうですか……。だとしても、クリスさんは何をしてしまったんでしょう」
あの本の文章は理路整然としていて、著者の頭の良さを感じた。クリスさんはとても優秀な人だったはずだ。
そんな人が何らかの犯罪を?
「あの本を書いたことこそが罪」
「え?」
「かもしれないよ」
「───そうか」
「うん。クリスは、人間が隠そうとした真実を後世に正しく伝えようとあの本を書いたんだと思う。当時の国家か、それとも教会か……ともかくそれらが、クリスの表現活動を許すとは思えない」
「教会なら、異端審問にかけそうですね」
「ああ。あるいは、国家に反逆しようとしたってことで、反逆罪に問われたかもしれない」
「教会か、処刑場の記録には何か残っているかもしれませんね」
「うん。……しかし、教会の記録は、関係者じゃないと閲覧できない。それに、処刑場の記録は、王家と、処刑人、ベッケンハーデン侯爵家の預かりだから、貴族といえど他家の者では閲覧できない」
「そうなると、手詰まりですね」
「今のところそうなるよ」
「うーん、残念」
「まぁそれも、クリスが本当にソイユ家の者だった場合だけどね」
「名を騙った可能性があると? でも、平民が貴族の名前を騙るのは重罪ですよ。罰を受けるとわかっていて、わざわざ名乗る必要性がありません」
「そうだよね。特に、クリスはあの本を後世に残そうとしていたんだから、名騙り容疑で目をつけられるような行動をとるとは思えないね」
「そうなると、やっぱりクリスさんはソイユ子爵家の人間だったと考えるのが自然ですね」
「私も、クリスが我がソイユ家の人間であったことを信じるよ。彼は偉大な歴史家だ。私にも同じ血が流れているのだとしたら、光栄だ」
「内容はどうでした?」
「面白かったよ!私の研究結果の大筋と合致している。実はね、あの本の内容を裏付ける証拠がいくつもあるんだ。当時の人間も爪が甘い。だいたい、歴史を隠蔽しようなんて無理がある話なんだ。当時を生きていた人間を無視できないからね。歴史の真実を知る彼らが少しずつ、史実の証拠を持ち出して、現代まで隠してくれている。私に暴かれることを待っているんだ!」
レシド先生は鼻息荒く語る。
本当に歴史の研究が好きなんだな。
「クリスもまた当時を生き、真実の歴史を残そうとした者だ。私は彼の意思を継いで、必ずやこの真実を公に認めさせようと思う」
そうなればいいな、とぼくも思う。
ぼくは魔族だ。
人族の、そして人間の監視者だ。
そのことを誇りに思っている。
人間は、魔族に人殺しの化け物の汚名を着せて、魔族を貶めた。絶対に許されることじゃない。
間違いは、正すべきだ。
だけど……
「教会も、国も、真実を公にすることを許さないでしょうね」
「そうだね」
「先生まで異端審問にかけられたり、国家反逆罪で処刑されかねません」
ぼくは後悔していた。
クリスさんの本を渡して、先生に火をつけてしまったのはぼくだ。
魔族の正しい認識が、世の中に広がれば嬉しい。
だけど、それを望んだせいで、先生に危険が及ぶのはいやだ。
先生も、憎むべき人間と同じ種族であるのに、なぜだか大切に思ってしまう。
アルティアや、サラ、ディック………
いつの間にか、"大切"が増えていく。
魔族には、家族を人間に惨殺された者も多い。
長命ゆえ、人間との戦争を何度も経験している。
人間を、心から憎む者ばかりだ。
ぼくは将来、そんな彼らの長となる。
そのぼくが、人間に肩入れしていいはずがない。
それでも───
「私一人の力じゃ足りないのはわかっている。だから、私はまず、仲間を見つけようと思う。同じを研究している者に、何人か宛があるんだ」
「そうですか……」
「そうして心から信頼できる仲間が得られたら、その時は、あのクリスの本をその者達に見せてもいいだろうか」
「それは………」
ぼくは言い淀んでしまう。
先生が誰かに話してしまうということは、それだけ先生の身の危険が高まるということだ。
「ジェシーくん、君は気に病まないでくれ。もし、私が道半ばで倒れることがあったとしても、それは君のせいじゃない」
「レシド先生……」
「私はクリスの本がなくても、いずれ同じ決意に至っただろう」
先生が、ぼくをまっすぐに見つめる。
ぼくはため息をつく。
先生の決意はかたそうだ。
「わかりました。あの本は先生に預けたままにしておきます。ご自由に、使ってください」
「ありがとう」
ぼくは祈る。
このぼくの発言を、後悔する日が来ないように。
それでも、もしもそんな日が来てしまったら───ぼくは先生を必ず護ると誓う。
先生をむざむざ殺させたりしない。
先生は、この世界に必要な人間だ。
ああ、と気づく。
ぼくは監視者として、先生という人間を見て、判定しているのだと。
「ところで、先生はクリスさんの本を読んだのでしたら、当然気づいてますよね」
ふむ、と先生が考え込む。
「それは、サンロード公爵家が、旧王家の末裔かもしれない、ということにかい?」
クリスさんの本には、当時、魔法を使って侵略戦争を繰り広げていた人族の王朝、その王家としてサンロードという家名が出てくる。読めば当然、サンロード公爵家との繋がりを疑うだろう。
「サンロード公爵家への影響を心配しているのかい?」
「やはり、真実が公になれば、アルティア様を困らせることになりますか?」
真実を隠蔽した王朝の王家の一族として、非難の的になるだろうか。
「どうだろう。しかし、公爵家は、このオステンブルク王国の貴族として盤石の基盤がある。旧王家であることが知れたとしても、その地位は揺るがないと思うけどね」
そうだろうか。
話はそんなに簡単じゃない気がする。
ふと、寒気を感じる。
なんだろう、このかんじ。
ぼくは何か、重大な間違いを犯しているような、そんな───
「ジェシー!!!お父様にお許しを頂けたわー!!!!」
アルティアが満面の笑みで駆けてくる。
その後ろを、サラが息も絶え絶えで走っているのが見えた。
アルティアはその勢いのまま、ぼくの胸に飛び込んできた。
支えきれずに芝生の上に転がる。
アルティアのふわりとした金髪がぼくの頬にかかった。
太陽を背にして、眩しく光る青い目を見上げる。
「よかったですね、アルティア様」
「うふふ、やったわ!ジェシーのおかげよ!」
「それなら、仔犬は私が用意しましょう。最近、友人の家に産まれたばかりなのですよ」
レシド先生が提案する。
まぁ!とお嬢様が飛び上がった。
「お願い致しますわ、レシド先生!」
「おまかせを。ただ、あと一月は母犬の母乳を飲ませなければならないはずなので、仔犬に会えるのは、早くても一ヶ月後になりますが、よろしいですか?」
「ええ、一ヶ月くらい待ちますわ!ああ、楽しみだわ。ねぇ、ジェシー、一緒にお散歩させましょうね!」
「はい、アルティア様」
この日のアルティアは、終始期限がよく、嫌な夕食の席でも笑顔を浮かべていた。
公爵は、少し微笑ましそうにお嬢様を見ていた気がする。
仔犬がやってきて、アルティアにもっと笑顔が増えればいいと思った。
ぼくは使用人寮の自室のベッドの上で、ゴブリンの魔石わを弄んでいる。無傷の魔石だ。
屋敷に帰ってきてからずっと、この魔石に、時間を見つけては浄化魔法をかけている。
最初は赤黒かった魔石が、今は薄茶になっている。
魔石は、浄化されると透明になると、ハンターギルドの職員さんが言っていた。
ぼくの浄化の力はとても弱い。
それでも、時間をかければ浄化はできるような気がする。
魔石に魔力を込め、黒く淀んだ湖の水が、澄んだ水に変わっていくところを想像する。
ぼくの浄化のイメージだ。
と、壁際の影が揺れ、ノアが現れた。
「おかえり、ノア。どうだった?」
「黒ですね」
「そう。それは、お仕置きしなきゃね」
ぼくはね、アルティアの1番近くにいたいんだ。
彼女は大切な監視対象者だからね。
それなのに……
ミハエルさん、ぼくの邪魔をするなら、許さないよ?
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