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第2章
第34話 招かれざる客side教会①
しおりを挟む教会の朝は早い。
司祭やシスターは5時半には教会に来ていて、6時から早朝の祈りを神に捧げ、7時からは一般の市民も交えて朝の祈りの儀を執り行う。
今、一人の司祭が早朝の祈りを終え、一般の市民に教会の門扉を開くため、聖堂内の大きな観音扉の前にやってきた。
白い衣を纏った司祭はすっと背筋を伸ばし、一つの儀式を彷彿とさせるような洗練された動きで扉に手をかけた。
両扉が開かれると、朝の冷たい空気が聖堂内に吹き抜ける。
齢50を迎えようとする彼は、成熟した大人の余裕と穏やかさの滲む笑みを浮かべた。
深夜に降っていた雨はすっかり上がり、あとに残された雨のしずくが星屑のように散らばり、街を煌めかせている。
──美しい。今日もきっと良い一日になります。神に感謝を───
彼、ゴズリング司祭は心の中で祈りを捧げた。
創造神セイレーンとエウロを信仰する教会は、オステンブルク王国の西の端に聖都市ヨハンネを置き、そこを聖地とする。
発祥より千年、途中聖書の改編があるも、教会は徐々にその勢力を拡大してきた。そして今やオステンブルク王国だけでなく、他国にも多くの拠点と信者を持つ、この世界でほとんど唯一と言っていい公の宗教となっている。
信仰の拠点となる教会の建物それぞれには、『司祭』が置かれる。そして、地域ごとに数十の教会を束ねる12人の『司教』がおり、その上には全てを統べる『大司教』がいる。12人の司教と大司教の計13人が教会上層部と呼ばれている。
ここ、オステンブルク王国・王都にほど近いサイラーの町にある教会の司祭は、次の司教候補が務めるのが慣例であった。30年前、神学校を主席で卒業したゴズリング司祭は出世の約束されたこの教会に配属され、順当に年を重ねてきた。
そしてついに明日、聖地から彼の元へ迎えがやってくる。
ゴズリング司祭はそこで、12人の現司教と大司教から新たな司教となるための祝福の盃を受けるのだ。
司教となるのは彼の悲願で、ついに叶うと思うと心が震えるほどうれしい。しかし、彼を喜ばせる理由はもう一つあった。
神学校では、13人の教会上層部になることができれば、"新たな神の教え"が授けられると習う。
ゴズリング司祭はこの教えを知りたくてたまらなかった。知ればさらに神の御心に近づける気がして。
10年前、ゴズリング司祭と交友深い司祭が司教となった際、ゴズリング司祭は彼に尋ねたことがある。いったい、どんな教えが授けられたのかと。彼は答えた。
『お前は司教になるのだから、いずれ嫌でも知ることになるさ』
それもそうだと、ゴズリング司祭は楽しみを先に取っておくことにした。一方、彼はこうも言った。
『全てを知れば良いというものでもない。知らないほうがいいこともある』
たしかに、神の教えを知りたければ、その御心を知ろうとより一層努力するものだ。全てを知ればいいというものでもない。彼は良いことを言うものだと思ったし、早計に知ろうとした自分を恥じた。
ゴズリング司祭が司教になる日は近い。ついに"新たな神の教え"を知る日が来たと、彼は喜んでいるのだった。
………さて、ゴズリング司祭が知りたがった13人の教会上層部にしか知らされない"新たな神の教え"とはいったい何なのか。
答えを言ってしまえば、それは『魔族の真実に関する教え』である。
かつて創造神・セイレーンとエウロは泥から人間を創った。そして、二人が神界に帰るとき、弱い人間の未来を憂い、人間に魔法を授けた。──ここまでは皆が知るところだ。
しかし、真実の歴史には以下の通りの続きがある。
人間が正しく魔法を使っているか監視させるため、セイレーンとエウロは自身の体の一部を掛け合わせ、"派生神"ゼノビアを創った。ゼノビアは人間の監視者として中立神を表明し、人間と契約を結んだ。『魔法を同族殺しの侵略戦争に使ったら、罰として千年の間魔法を取り上げる』と。セイレーンとエウロは今後はゼノビアを神と崇めよと人間たちに命じた。そして、彼ら二人の神は神界へと帰って行く………
しかし、古よりセイレーンとエウロを唯一神として信仰し、人間至上主義を謳っていた教会は、新たに創造されたゼノビアを神と崇めることに抵抗を示した。
いわば人間とゼノビアは同じ創造神より生まれた兄妹なのである。だというのに、一方は泥から創造され、一方は神の体から創造され直接に神の血を引く。
教会は、ゼノビアの存在が人間の価値を低下させているように感じた。それは兄が出来のいい妹に嫉妬するようなものであった。
ゼノビアの子孫・魔族が生まれた後、その嫉妬は間接的に神の血を引く魔族にも及んだ。
教会はどうしても、ゼノビアや魔族が憎かった。そして思い至る。──ゼノビアと魔族が消えれば良い。さすれば人間が唯一の神の子になれる──と。
その頃、サンロードが治める魔導王国は、魔法を戦争に利用した領地の拡大を計画していた。
が、それにはかつて人間がゼノビアと交わした契約が邪魔になる。王はゼノビアと魔族の存在を厭うた。奴等さえ存在しなければ、魔法を奪われる心配なぞせず魔法を侵略戦争に使えるのに、と。
サンロード王家と教会の利害が一致した。
彼らは手を組み、ゼノビアと魔族の排除に向けた一歩として、彼らに関する虚偽の事実を世間に流し始めた。
曰く、奴らは人間を家畜にしようと企んでいる。やつらの食料は人間なのだ。ほら、あいつも魔族に殺された。あの行方知らずの子供も、今頃は魔族の腹の中よ───
当時、ゼノビアと魔族は一部で神や神の子と敬われていたものの、まだまだ神として信頼を確立するまでには至っていなかった。そんな中、信頼を揺らがせる噂がまことしやかに囁かれたのだ。人間たちの中で、ゼノビアと魔族に対する不安が膨れ上がるのは早かった。やがて、『奴等を始末すべきだ』との声が上がりだす。殺られる前に、殺るしかない、と。
この混乱に乗じた教会は、それが嘘だと承知の上で、ゼノビアは神の名を騙った悪魔、その子孫たる魔族も化け物だと声高に叫んだ。教会が持つ軍事集団・聖騎士を投入し、人々の前で魔族を捕らえ、火炙りにした。
サンロード王家もこの混乱を嬉々として利用し、『人間救済』の正義を掲げ、騎士を伴い魔界へ軍事進行した。
中立神として人間の不殺生を謳っていたゼノビアと魔族は人間の魔法と刃を前に反撃することさえしなかった。
結果、ゼノビアは死に、また、多くの魔族も死んだ。
ゼノビアも魔族も大したことはない。これを好機と見て取ったサンロード王家は、周辺国への魔法を使った侵略戦争を開始した。
これを良しとしなかった生き残りの魔族は、ゼノビアより長の地位を引き継ぎし魔王を擁立し、ゼノビアと人間が交わした契約の下、人間に警告を発した。今すぐ戦争をやめねば、約束通り魔法を奪うぞ──
しかし、人間は止まらなかった。魔族を完全に侮っていた。
魔族は、契約を遂行するために致し方ない正当行為として、人間不殺生の誓いを一時解除し、攻勢に出た。すると、人間はあっという間に不利な状況に陥った。そもそもの力の差が出たのだ。人間の勢いは衰え、このまま戦争は終決するかに思われた。
──が、そのとき、光の力を身に有する『勇者』が現れた。
勇者は人間の味方として、魔族を滅ぼさんと魔界を攻めた。その結果、魔族は敗北した。闇の力が光の力に劣ると証明された瞬間だった。が、若き魔王は最後の力を振り絞り、人間から魔法を取り上げた。
後には魔法を失い勢いをなくした人間と、それでもなお光の力を身に有する勇者が残された。
………教会が、12人の司祭と大司教にのみ魔族の真実を明かすのには理由がある。
それは、魔族の罪を捏造する役割を、彼らに担わせるためである。
魔族の真実を知り、ありもしない魔族の驚異に躍らされていた事実に気づいた人々の怒りはすべて、魔族の虚像をでっち上げた教会に向くだろう。教会は嘘つきと揶揄され、その権威は地に落ちてしまう。魔族には永遠に化け物でいてもらわねばならない。
しかし現実に、魔族は化け物ではない。魔族に襲い食われる人間などいないのだ。
それでは困る教会は、あたかも襲い食われる人間が存在するように見せかけるため、人間による殺人事件や誘拐事件を魔族のしわざだと断じる必要がある。その役割を担う者が、教会上層部である。
教会の威信を守るため、歴代の教会上層部は一生懸命に魔族を化け物に仕立て上げてきた。
人間から魔法が失われてからの400年は教会が偽装工作に励んだ400年でもある。教会の努力の結果、いつしか人々の記憶の中から魔族の真実は失われ、今や魔族は、人間から魔法を奪い取った恨むべき悪魔、そして人間を食い殺しす化け物でしかない。
全国に数多存在する司祭もまた同じ。魔族は人間を食い殺す化け物だと信じて疑っていない。魔族が捕らえられて教会に連行されれば、速やかに磔にし火炙りにより処刑した。
そんな彼らの一部が上層部となった後、以上の事実を知らされるのだ。彼らの受ける衝撃の大きさは想像に容易い。
どんなに善良な司祭でも、司教になって全てを知ってしまえばもう後戻りはできない。教会のため嘘を付き通すか、反発して死を選ぶか………
かつてゴズリング司祭が友人の司教から言われた通り、『知らないほうがいいこともある』のだ。
ゴズリング司祭はまだ、何も知らない。
朝7時を迎える15分前、教会には信者がやってき始めていた。
女性は白いレースを頭から垂らし、男性は簡素な麻のローブを纏っている。それが、庶民の礼拝時の正装だった。
平日ともあって、やってくる人数はそれほど多くはない。聖堂内の席の埋まり具合はまばらだ。
ゴズリング司祭がシスターから聖書を受け取り、祭壇の前に立ち、信者と向かい合った───ちょうどそのときだった。
ゴーン、と7時を知らせる鐘が鳴り始めたとき、彼らはやってきた。
最奥の扉が開かれ、後光を背負ってやってきた二人。眩しく目を細める司祭の目に写ったのは、ひどく綺麗な男と、妙に雰囲気のある齢10ほどの美しい少年だった。
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