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第2章
第25話 従者の中に芽生える欲望
しおりを挟むあのあと結局、王子は気分が優れないと、すぐに帰っていってしまった。
滞在時間、1時間ほどだろうか。
いったい何しに来たんだ?
王子があまりにも早い退出だったから、何か粗相があったのかと、執事のセーロンがぼくのもとへ飛んできた。
別に、何もしてませんよ。たぶん。
お前のいうことは信用ならん!と、セーロンはサラたちメイドのもとへと話を聞きに行ってしまった。
それにしても、あの王子は噂に違わずの我儘王子だったな。
あいつが将来、アルティアの夫になるのだと思うと、胃がムカムカする。
アルティアは結婚でこの家を出ても幸せにれるのか?
いったい、彼女の平穏はどこにあるのだろう。
いっそぼくが────
カチャ、と手に持っていたカップが滑る音で我に返る。
いま、ぼくは何を考えようとしていた……?
とんでもない!あり得ない!
お茶の用意をして、先に自室に戻っているアルティアのもとへと向かいながら、マリアベルの件に意識を切り替える。
帰り際の王子とマリアベルのやり取りを思い返す。
その時も、あのゾワッとした不快感があったのだ。
『また、チャーム使ってたね』
と、ノアに念話を飛ばす。
『そのようですね』
マリアベルは玄関ポーチで王子を呼び止めて言った。
──私、ハロルド様が頑張ってること、知ってるよ? でもね、頑張りすぎちゃだめだよ? ハロルド様は、ハロルド様のままでいていいんだよ──
まるで詩でもそらんじるように一息に言って、あの不快感を与える笑顔を浮かべた。
王子とマリアベルの間に、その前後の会話があったわけでもない。唐突な発言に、一同は面食らった。
ぼくもわけがわからない。
『得体の知れなさを感じて不気味ですよねぇ』
『うん、ほんとに。鳥肌が立ったもん』
『それはチャームの影響では?』
『半分はね』
コンコン、とアルティアの部屋のドアを叩く。
「アルティア様、ジェシーです。失礼します」
「ああ、ジェシー。さっきはごめんなさい。止めてくれてありがとう」
アルティアが駆け寄ってきて、ワゴンから離れたぼくの手を握って言った。
「いえ」
「それに……嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
「大丈夫です。気にしないでください」
人間の悪意なんて、もっと酷いものをたくさん知っている。
あの王子程度の悪意など、かわいいものだ。
それよりも、
「ぼくこそすみません。ぼくのせいで、アルティア様に恥をかかせてしまいました」
「恥なんかかいてないわ。ジェシーの淹れたお茶は今まででも1番くらいに美味しかったもの。あれは単なる言いがかりだわ」
「それは、そうかもと思いましたが……、そうではなく、ぼくがこんな見た目だから、ペットなどと……」
「ジェシー!私はあなたのことをペットだなんて思っていないわ!!」
アルティアが叫んだ。きゅ、と彼女の手に力がこもる。
「わかっています。でも、もしかしたら、周りの人間はそういう目でぼくらを見るのかもしれません。いまはペットですが、もう少しぼくらが大きくなったら、……ぼくは愛人だと言われるかもしれません。それは、アルティア様にとって、とても不名誉なことです。ぼくを、このまま側に置いていてもいいのですか?」
監視者として、対象の1番側にいることができる従者の地位は魅力的だ。
だというのに、ぼくは何を言い出すのか。
その地位を自ら手放そうとするなんて!
自分でも、なぜこんなことを言ってしまったのかわからない。
「言いたい者には言わせておけばいいわ!」
「それではダメです。アルティア様は、王子殿下と結婚して、王族になる方なのですよ。悪い噂は、後々、アルティア様の足を引っ張ってしまう」
「何がいけないの!何がいけないのよ!嫌よ、ジェシー!だからあなたは、私の側を離れるというの? 離れて、平気だというの!?」
「アルティア様……」
パン、と叩くようにして、アルティアがぼくの両頬を包んだ。
「いい? これは命令よ。何があっても、絶対に私の従者でいて。私がもういらないというまで」
潤んだ青い目が、まっすぐに見つめてくる。
離れるべきと進言しておきながら、従者でいて、と言われて安心する。アルティアに望まれたことで、"監視者"として側にいることさえ、許されたように感じる。自分の卑怯な考えに吐き気がした。
「わかりました。約束します」
このところ、ぼくの思考は脈絡がない。
ふとしたことで激情に駆られ、喜び、落ち込む。
感情も、言動も、矛盾だらけだ。
いったい、どうしてしまったのだろう。
「……ところでアルティア様、あの王子の態度はなんですか。いつもあのような調子なのですか?」
「だいたいいつもああね。あの方は私のことが嫌いなのよ。昔からね」
「なにかあったのですか。喧嘩をして仲直りをしないまま、とか」
「べつに。喧嘩にもならないわよ。あの方が文句を言って、私が謝って終わりですもの。そう考えると、今日は危なかったわね。ジェシーが止めてくれなかったら殴り合いの喧嘩になっていたかも」
アルティアがくすりと笑う。
「笑い事じゃないですよ……」
背中がひやりとした。……止めてよかったよ。
「でも、無視されるよりはましだわ。文句を言うということは、少なくともその間は、私に向き合っているということだもの」
「そんな向き合い方は……悲しいです」
「私だって嬉しいわけじゃないけど、貴族の夫婦のあり方としてはマシなほうだわ。会話もない、仮面夫婦なんてよく聞く話だもの。かくいう私の実の母と父がそうだったのだけど………もう、そんな顔しないで、ジェシー。貴族は政略結婚が当たり前なんだもの。私だって、公爵家の娘。とっくの昔に覚悟は決めているわ」
「はい」
アルティアの顔は晴れやかだ。
無理をして言っているわけではなさそう……に思う。
「我が君、あの娘が気に入ったのなら、いっそのこと魔界へ連れ去ってしまえばどうです?」
使用人寮のぼくの部屋。
影から出てきたノアが、そんなことを言った。
思いがけない話だった。
魅力的な提案だと、一瞬思ってしまった。
「連れ去るって。ぼくは"監視者"だ。光魔法の保持者を見極めるのが仕事だ。私欲に走るわけにはいかない」
「自分の中にその欲があると認めるのですね」
「………わからない」
一拍、言葉につまる。欲と言われ、ぼくが人間に懸想している可能性に行き着いて。
とんでもない事態に、目眩がする。
その僅かな隙に、ノアは畳み掛けてくる。
「よいのではないですか? 魔王様も、人間で光魔法の保持者であったジャクリーヌ様を娶られました」
はぁ、と深く息を吐く。
簡単に言わないでくれ。
「そして母上は人間をやめた。大切な人にも、二度と会えなくなった。ノアも知っているでしょう? 魔界で長く過した人間は、二度と人間界に戻ることはできなくなる」
魔界で長く過した人間は、体内に空気中の魔素を取り込み、半魔族化してしまう。
魔族化した元人間が人間界に行くと、体内の魔素が一気に放出される。人間の細胞はその変化に耐えらず、たちまちバラバラに引き裂かれる。結果、待つのは苦しい死だけ。
「アルティアの生活の基盤はここにあるんだ。父親……はまだしも、兄やサラや他家の令嬢の友人、大切な人たちがこちらにはいるんだ。ぼくには、ここから彼女を連れ出すことはできない」
「何も、無理やりにと言っているわけではありません。アルティアさんを説得するのです」
「アルティアはサンロード公爵家に連なる貴族として誇りを持っている。そんな彼女が簡単に家を捨てるとは思えない」
「ふむ……我ながら良い提案かと思いますがね。魔界に連れて行けば、光魔法が発現しなくなる可能性もありますし。そうなれば認定される『聖女』も誕生せず、戦争も起きない。万々歳です」
半魔族化した母上は、光魔法の力をほとんど失っている。
そうであれば、現時点でアルティアを半魔族化してしまえば、光魔法の発現さえしなくなる可能性を、ノアは説いているのだろう。
戦争の発生を止めることだけを考えるならば、その可能性にかけるのも一つの手かもしれない。
だけど──
「まだマリアベルがいるでしょ。彼女が『聖女』となるかもしれない」
「……ああ、そうでした」
「それに、ぼくが魔族と知ったら、アルティアはぼくを嫌ってしまうだろうからね。魔界になんて、一緒に来てくれないよ」
肩をすくめて、冗談を滲ませて言う。
アルティアは、ぼくに家族のような親愛を向けてくれる。
ぼくが彼女に向ける感情は、親愛なのか、それとも……よくわからないけれど、アルティアに嫌われるなど、口にするだけで胸が張り裂けそうになった。
ぼくはもう、本気でだめなところまできているのかもしれない。
「アルティアさんは、きっと魔族の真実を信じてくださる方ですよ。魔族であるだけで、我が君を嫌いになるなど、ないはずです」
「ノア、いつから人間に肩入れするようになったの?」
「……さぁ、いつでしょう」
ノアは本気で不思議そうに、顎に手を添えて思案する。
ぼくはその横顔に、つぶやく。
「……考えるだけ無駄だよ。結局ね、魔族の真実を知っても、アルティアはぼくを嫌うよ。ぼくはサンロード王家を潰した魔王の息子だから」
かつてのサンロード王家こそが、教会と手を組み、魔族に汚名を着せて迫害を仕向けたのだと父上は言っていた。魔王に魔法を奪われた腹いせだと。
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──変に希望を持つより、悪い方に考えたほうがずっと楽だ。
「我が君、本当にそのように思われるので?」
ノアは目ざとく、ぼくの逃げ腰な心情を突いてくる。
「もう、この話は終わり。二度と話題にしないで」
ぼくは心の底に、仄暗い欲望を押し隠す。
決して再び湧き上がってくることがないように。
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