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第2章
第24話 王子の来訪②
しおりを挟むぼくらは王子が通された客室へとやってきた。
いたる所に、東方の珍しい花々が飾られている。オステンブルクで見る花のように豪華な花弁ではないが、質素であっても上品な装いが美しい。その花々が、落ち着いた清らかな空間を演出している。東方では、こういった空間美を"侘び寂び"というらしい。
王子の世話役と護衛の数人は、壁際に控えている。
こちら側の世話役は、サラともう一人のメイドだけ。その二人も後ろの壁際に控えている。
今日はアルティアの指示の下、従者であるぼくが給仕をするので、彼らはお目付け役としてここにいる。
「マリアベル、殿下に失礼ですよ。離れなさい」
アルティアが眉をひそめて言う。
彼女の向かいのソファには王子が座り、その隣にはマリアベル。マリアベルは王子にだらりとしなだれかかり、腕を絡めていた。その姿が、公爵にしなだれかかっていた彼女の母親と重なる。
親が親なら、子も子とはよく言ったものだ。
マリアベルのにやけ顔が、さきほどのチャームで感じた不快感も手伝ってか、ひどく気に触る。
自分の姉の婚約者に、その姉の前で人目もはばからずにベタベタと触れる。これが、周りからどんなふうに見られるのか、マリアベルはわかっていないのだろうか。
無知、とは恐ろしい。
アルティアは肝を冷やしていることだろう。
幼さゆえ、と一言で片付けられる問題じゃない。マリアベルはもう平民ではなく、貴族になったのだから、それくらいの分別は持つ必要がある。そもそも、9歳という年齢は、そこまで幼くもないし。……マリアベルの貴族教育はどうなってるんだ?
「お姉様、ハロルド様はいいって言ってますよ。ねぇ、ハロルド様?」
「好きにしろ」
「ほら!」
「……殿下がそうおっしゃるのでしたら」
アルティアは腑に落ちないって顔だ。
だよね。何この状況?
ぼくは呆れながらも無表情をよそおって、お茶を淹れにかかる。
香りが逃げないように密閉された茶葉の瓶は今朝開けたばかり。
新鮮な香ばしい香りが辺りにただよった。
誰ともわからない視線を感じながら黙々と作業する。
優雅に、流れるように。
時間をかけ、じっくりとむらす。
こうすることで、渋みの少ない甘くまろやかな味わいになるのだ。
ちらりとアルティアを見ると、微笑まれる。
大丈夫よ、と言われている気がした。
ぼくは小さく頷いておく。
この日のために、美味しいお茶が淹れられるよう何度も練習した。
アルティアにはその試作品をずっと飲んでもらっていた。
そして、一流のお茶に親しみ慣れている彼女が、太鼓判を押してくれたのだ。ぼくは自信を持ってお茶を出せる。
音が鳴らないように注意しながら、3人の前にティーカップを置いていく。
そして、一礼してからアルティア様の後ろへ下がった。
「今日は東国、アズマノ国のお茶を用意致しました。緑茶、というんですの」
アルティアが説明する。
「わぁ、すごい!緑茶だぁ!懐かしい」
マリアベルはそう言って、客人の王子より先にお茶を飲んでしまう。
いちいち呆れるのも疲れるので、もう放っておこう。
王子がじろ、とぼくを見た。無遠慮な視線だ。少し不愉快に感じながらも、ぼくはさりげなく目線を下げる。
偉い人の目はじっと見てはいけないそうだから。
これも、セーロンからうるさく教えられたマナーのひとつ。
「なんだ?渋いぞ」
お茶を飲んですぐ、王子が眉間にシワをよせてうなった。
ぴくり、と眉が上がりそうになる。
緑茶の特性上、多少の渋みが出るのは仕方ないんだよ。
我慢して飲め!
「この時期は体調を崩されやすいでしょう? この渋みが、風邪の予防にもいいそうですわ」
すかさずアルティアがフォローを入れてくれる。
そうなのだ。
この王子はあまり体が丈夫ではなく、季節の変わり目ごとに体調を崩し、ベッドから起きられなくなるらしい。
季節はもうじき、梅雨に入る。
アルティアがもてなしのお茶に緑茶を選んだのはそういう事情も考慮してのことだ。
だというのに、この馬鹿王子はアルティアの思いやりにも気づかずにのうのうと言い放った。
「ふん、俺がひ弱だといいたいのか」
深読みもいいところだ。
性格悪すぎるだでしょ、この王子サマ。
「そんな、ただ殿下の体調を案じているだけですわ」
「どうだか。……不味い。下げろ」
この我がまま王子め!
内心怒りに燃えるが、努めて顔には出さない。
『殺りますか?』
と、ノアの物騒な提案に危うく乗りそうになる。
ここでキレては公爵のときの二の舞いだ。
ぼくは頭を下げてから、王子の前からティーカップを下げた。
「たしかに。ちょっと苦いね。私もいらない」
と、マリアベルも便乗してくる。いらない、と言う割にはぼくが下げるティーカップを名残惜しそうに見ていたが。
新しく、紅茶をいれる。
サンロード公爵家でいつも飲まれている、最高級の茶葉だ。
これなら文句ないでしょ?と、王子とマリアベルの前に新しく淹れた紅茶を置く。
「ふん、やはり不味いな」
王子が目を細めてぼくを見る。
上から下まで、じろじろと。嫌な感じだ。
そして、王子が出し抜けに言った。
「やはりお前はただの飾りか」
ぼくはびっくりして目を見開いた。
飾り。
ああ、この王子にはぼくがそんなふうに見えているのか。
珍しい色を持つぼくを。
まぁ、それも仕方ないか。
普通の貴族は、貧民街の孤児を側に置いたりしないもんね。
アルティアを、珍しい色の少年を侍らせていい気になっている貴族とでも判断したのだろう。
「なんですって?」
アルティアは顔を赤くして震えだした。
王子は楽しそうに足を組む。
ぼくはすぐに気がついた。これは、王子の挑発だ。
乗ってやるのは王子の思うつぼ。
わざとアルティアを怒らせて楽しむなんて、悪趣味すぎる。
「給仕もまともにできない従者など、聞いたこともない。ああ、確かにそいつの色は珍しいからな。黒髪に、金の目か? 派手だな」
横目に伺ったアルティアは、唇を噛んでなんとか堪えている。
ああ、でも、爆発するのも時間の問題だな。
「お前が貧民街の孤児を拾って側に置いていると聞いて、お前にもそんな殊勝な心があったのかと、少し見直していたのだ。だというのにこれは……」
ふふ、と王子がいかにも面白いというように笑う。
「きれいな服を着せて手懐けて、まるでペットだな。その孤児も可哀想に。人間とすら扱わらていないのに、そのことに気づく頭もない。いや、気づけぬだけ幸せか?」
「この───!」
アルティアが立ち上がる。今にも掴みかかりそうだ。
まずい、止めなければ。
「殿下」
ぼくは目線を下げたまま王子に声をかけた。
「俺はお前に発言を許した覚えはないが?」
ひどく冷たい声が返ってくる。
「このぼくを、『可哀想』と思いやってくださる殿下ならば、発言もお許しいただけるかと愚考いたしました。申し訳ありません」
ぼくのことを可哀想なんて言ってくれるお優しい王子なら、発言のひとつくらい普通は許すよね?
「ふん、口の回る。……なんだ?」
「ぼくは王都の貧民街で、餓死寸前のところをアルティア様に拾っていただきました。あのとき、アルティア様が助けてくださらなければ、ぼくは今頃確実に死んでいるでしょう」
王都は王族領なのだから、そこの孤児や浮浪者の問題を解決する義務は王族のお前たちにあるんだよ。なのに、放置したまま何もしてくれなかったお前ら王族が偉そうなこと言うな。
「だからなんだ?」
王子はぼくの言葉に含ませた本当の意味にまったく気づいた様子がない。
阿呆め。
ぼくは王子をまっすぐに見て、にっこりと笑った。
「ぼくはいま、とても幸せです」
「それはよかったな」
王子は嘲るように鼻を鳴らす。
「拾ってくださったアルティア様に恥をかかせぬよう、今後とも精進いたします。今日はぼくの成長のために、苦言を呈するという嫌な役回りを買って出て下さり、誠にありがとうございました」
そういって、深く頭を下げた。
〈意訳〉はもちろん、こうだ。
お茶がまずいだの、ぼくが飾りだのなんだのうるさいよ。余計なお世話なんだよ。いいから、もう黙りなよ。
これ以上何か言ってこようものなら、王子の狭量が露見するというもの。
壁際に控えている大人たちの目もあるのだ。
さすがに王子も、これ以上ぼくやアルティアをなじるのはまずいと気づいたのか、鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
ていうかこの王子、さっきから鼻鳴らしすぎ。
鼻でも詰まってるの?
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