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第2章
閑話[1]とある"烏"の独り言
しおりを挟むサンロード公爵家には、"烏"という組織がある。
いわゆる、間者集団だ。
雇い主である公爵一家の命令で、彼らができない汚い仕事の遂行や、諜報などを生業とする。
どの貴族家にも少なからず間者はいると聞くが、サンロードの"烏"は少し特殊だ。
まずはその数。自家や他家の使用人として潜り込ませていたり、一般の平民や貧民、商人として潜ませていたりと、その数は多く、もはや間者同士でも、互いに誰が仲間なのかわからない状態だ。
次に質。それだけ多くの間者がいるにも関わらず、彼らの中には一人として仕事を失敗する者はいない。腕が立つ、というだけでなく、謀略を企てる優秀な頭脳を持ち、美しい容姿を持つ。彼らはそれらの武器を使い、時には人畜無害な人好みする青年に化け、酒屋で対象と友人になり、その酒に毒をもる。時には誰もが振り向く美しい未亡人の貴族に化け、対象を誘惑し、敵対派閥の貴族家の情報をつかむ。時には商人に化け、各地で偽の情報を流して物流をコントロールする等々……"烏"にできないことはないのだ。
そしてもう一つ。
"烏"は、他家の間者には絶対に不可能であった王家への侵入も果たしている。
王家が持つ情報収集能力は侮れず、貴族家が差し向けた間者など、普通、一発で見つかってしまう。どんなに周到に準備をしても、その準備に数年もの歳月をかけたとしても、なぜだかすぐにバレてしまう。間者発見機なる特殊な魔道具でも持っているのだろうというのが業界でのもっぱらの見解だ。だが、そんな都合のいい魔道具がないことは、我がサンロードの"烏"が証明している。現に、潜入を成功させることによって。
すべての優秀な人材が集まるはずの王家をも出し抜くサンロードの"烏"。
……これほどの人材を抱えるサンロードとは、いったいどれほどの力を持っている家なのか、"烏"の一人である俺でも恐ろしく感じることがある。
俺は8歳のときに、当時14歳だったサンロードの時期当主であるアデル様に拾われ、以来8年間、アデル様専属の"烏"として働いてきた。
アデル様は孤児であった俺にも気さくに接してくださるお優しい方だ。アデル様はそのままでいてくださればいい。彼を汚す煩わしい仕事はすべて俺が引き受ける。拾われた恩があるからというだけじゃない。それだけの価値が、アデル様にはあるのだ。
そんなアデル様の目下の心配事は、妹のアルティア様のこと。
最近彼女が側に置いている貧民の孤児出身の従者についてだ。
アデル様は言う。やはり、タイミングが良すぎるのだと。
アルティア様が従者を探されていた時期にちょうど、彼女が気に入る同年代の少年が現れるなど。
アデル様は、その少年をどこかの家が差し向けた間者だと考えている。
当初、サンロードの現当主であるローランド様も同様に考えていたそうだが、アルティア様が彼女の"烏"を飛ばし、その少年の出自を確かめられたので、それ以上は追求されていない。
サンロードの"烏"は優秀だ。彼らが間違うはずがない。
ローランド様にも、アルティア様にも、その安心があるからこそ、それ以上の追求をされなかったのだと思われる。
しかし、その安心が、時に驕りとなって大きな失敗を生む。信頼と盲信は違うのだ。
そのことを、アデル様はよくご存知だ。
アデル様は俺に、もう一度少年の出自を確認するよう命令された。そして、少年の動向を監視するようにとも。
俺は貧民街に出向き、少年の出自を調べた。親は誰で、どこで生まれ、どのように育ち、誰と接触があったのか。敵対派閥の関係図を頭に描きながら、一つ一つ、可能性を潰していく。
こうして調べていくと、一見、何も問題はないように感じられた。やはり、"烏"の判断に間違いはないのだ。少年は間違いなく貧民街の生まれ。どの派閥とも繋がりはない。……そう、思いかけた。
しかし、
少しおかしなところがある。
それは、貧民街の住人への聞き取りの結果についてだ。
俺は貧民街で慈善活動として炊き出しを行う商人に化け、貧民街の住人たちから少年の話をそれとなく聞いていった。
「お世話になっている公爵家のご令嬢が彼を従者にしたそうで、大出世ですねぇ。やはり、ここでも優秀な子だったので?」
彼らの答えは「知らない」が主だろうと考えた。生きるか死ぬか極限の環境で、他人を気にしている余裕などないからだ。
しかし、予想外なことに、
彼らは少年についてよく語った。
頭がよく、母に似て美人、優しい子、こんな小さい頃から知っている、食事をわけてくれた、面白い話をたくさん聞かせてくれた、冗談のわかる子で………
それは不自然なほど、よく語った。
少年は、この貧民街でよほど愛されていたのだろう。
だが、おかしい。
彼らは少年の容姿の質問になると、途端に一貫性を持たなくなる。
黒髪だった、いや、茶色だったろう? 目は青かった、うそだ、茶色だったさ、いや、黒だったような……
それだけ愛されていた少年の容姿を、忘れるなんてことがあるだろうか。
"ジェシー"という名前を出すと、彼らは弾かれたように少年のことをよく語りだす。しかし、容姿のことになると曖昧。
"ジェシー"という単語が発露となり、彼らが少年の情報を語りだすよう、誰かに設定されたとしか思えない。まるで、魔法。
そんなことができる者は、人間にはいない。だとするとそれは……
「おや、子猫が一匹迷い込んできましたか」
屋敷の廊下。
全身を貫くような悪寒と共に、真っ黒な男が現れた。
黒い炎をまとい、赤く怪しく光るあの目は……
「魔族!」
俺は懐からナイフを取り出し、予断なく構えた。
が、男の放つ炎の方が早く、俺の体を一瞬で包み込んでしまった。
途方もなく大きな力が、俺の体を犯す。
「や、やめろ!ぐぁああああ」
数秒ほどで、ちりりと炎が消えた。
体は燃えるように熱いが、実際に燃えたところはない。
やつの黒い炎は俺の偽装のみを焼いたのだ。
「その黒い耳としっぽ。あなたもやはり魔族。猫の獣人ですね?」
「その名で俺を呼ぶな!」
荒い息を付きながら叫ぶ。
嫌悪感が、胃の腑からせり上がってくる。
ぐっと喉を抑え、吐き気を飲み込む。
「魔族など……っ 魔族などっ……ただの化け物のように俺を呼ぶな!!俺の母は人間だ!だから俺も人間だ!」
「ふむ。あなたは魔族の真実を知らずに育ったのですね」
「真実だと!?」
「魔族は化け物ではなく、"人間の監視者"だということです。人間の上位種である魔族が人間の使いっぱしりをしているとは、情けない」
「だまれ! 魔族が何を偉そうに語る!」
一息に距離を詰め、男の首筋にナイフを当てる。男は血が流れるのも厭わず、俺に哀れむような視線を向けてくる。
「出自は違えど我らは同族だというのに、悲しきこと」
足を踏み込め!ひと思いにナイフを引き抜け!今なら殺れる!
しかし、足は地面につなぎ止められたように動かない。
「あなたに、人間を殺したくてたまらないというような衝動がおありで?」
その男の目が、俺の心を揺さぶる。
「ッ……あるわけないだろう!たとえ殺すとしても、主の命令を受けたときのみだ!」
「我らにも、人間を殺したくてたまらないなどという衝動はありません。あなたはご自分が闇魔法を使えることを知っている。魔族であることも知っているでしょう。そうだとして、あなたはご自分が、人間が言うような"化け物"だと本当に思うのですか」
耳を貸すな、殺せ!殺せ!
冷静な自分が命令するのに、口は勝手に呟く。
「魔族とは……なんだ?……人間の、監視者とはなんだ……?」
「神が人間に魔法を授けたのはご存知でしょう? その際、人間が魔法を正しく使うよう監視させるために、神は派生神として闇魔法の力を持つゼノビアを生み出しました。そして、ゼノビアと人間は約束しました。"神から与えられし魔法を、人間が同族殺しの侵略戦争に使ったら、罰として1000年の間魔法を取り上げる"と。人間は400年前に契約を破り、侵略戦争を繰り広げました。我ら魔族は、"人間の監視者"の役目を引き継いだゼノビアの子孫です。我らは母が交わした契約通り、人間から魔法を奪いました。しかし、当時の王侯貴族や教会はそれを逆恨みし、魔族に化け物の汚名を着せ、人間たちが我らを迫害するよう仕向けたのです」
そんな話は聞いたことがない。
魔族は人間を襲い殺して食う鬼。それが、世間の常識。
人間たちは魔族を恐れ、子供や若い娘に街の一人歩きは絶対にさせない。
時々、教会の広場に、捕まって拷問された魔族が貼り付けにされているのを見かける。
次は自分かもしれない。
隠蔽の魔法が何かの拍子に解け、この耳と尻尾が出てきてしまったら……
いつも、落ち着かない毎日を過ごしてきた。
不思議だった。自分は闇魔法を使えることと耳と尻尾があること以外、人間と何も変わらない。
同じものを食べ、飲み、同じ言葉を話し、泣くことも笑うこともある。人間を殺して食べたいと思うこともなかった。
俺は本当に人間が言うような化け物なのか。自問自答した夜は数え切れない。
だというのに、そんなふうに悩む理由も、人間から隠れるべき理由も、殺されるべき理由も、実は何もなかったと言うのか……?
だとしたら、これまでの日々はいったい何だったんだ!
いつの間にか、この黒い男の言い分が真実だと確信している自分がいる。
幼い頃は母に護られ、隠され、母が亡くなってからは必死に隠蔽の魔法を編み出し、暗闇の中をコソコソと生きてきた。
8歳のあの日、俺は盗みを失敗して、そこの店主にひどい暴行を受けた。隠蔽魔法を維持する気力もなくなるほどに……
そして、耳と尻尾を出して道端に倒れている所を、人間に見つかってしまった。俺を見つけたのが、アデル様だった。
アデル様は高級そうなマントが汚れることも気にせず、俺に被せ、家に連れて帰り、食事と服をくれ、仕事をくれた。
アデル様は魔族の真実とやらを知っていたのだろうか。
知っていて、人間の上位種としての魔族の力を利用するためだけに、俺を側に置いたいたのだろうか。
はは、なんだそれ。俺は滑稽だな。
何も知らず、何も気づかず、自分を迫害に追いやった人間と同じ種族の者を主と敬って。
だが……ああ、それでも構わない。
真実がどうであろうと、アデル様が俺にしてくれたことは変わらない。
魔族とか、人間だとか、もはやどうでもいい。
俺はサンロードの間者。アデル様の"烏"だ。
「戯言を抜かすな!俺はそんな甘言には騙されない!」
そう叫んだ瞬間、パリンとガラスが砕けるような音がして、男が目を見開いた。
「私の"催眠"を弾くとは、やりますね」
「やはり魔法を使っていたか!では、さっきの話も嘘、」
「いいえ、嘘は申しておりません。友好にお話ができるようにちょっと場を整えさせていただいただけですよ。……しかし、困りましたね。あなたには我が君の下に付いてもらわないと」
「俺の主は一人、アデル様だけだ!」
「主、ねぇ。サンロードの子供たちは魔族を惑わす魔法でもお持ちなのですかねぇ」
「ここから立ち去れ。同族のよしみで今回だけは見逃してやる」
「それはできぬ相談です。仕方ありません。ちょっと強引ですが、我慢してくださいましね」
黒い炎が、再び俺を包む。
気は抜いていなかったはずだが、いつの間に…!
「離せ!俺を殺すつもりか!魔族め!やはり血も涙もない野蛮な種族!」
「ブーメランという言葉をご存知で? 殺しはしませんよ。ちょっと魔界に送るだけです」
「ま……かい……?」
「はい。魔王様によろしくお伝えくださいませね」
「はっ、ちょ、待ちやがれ!降ろせ、降ろせ、降ろせーーー!!!」
俺の意識は闇に飲まれていく。
ああ、アデル様。
申し訳ありません。あの少年には、やはり何かあります。もしかしたらあの少年も魔族……
この事実をお伝えできぬまま先に逝きますこと、お許しくださいませ……
「だから、殺さないと言っておりますのに。さて、アデルとやらは要注意人物のようですねぇ。情報を探らねば」
ノアの脱力したため息が、暗い屋敷の廊下に消える。
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