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第三章 『惚れ薬』騒動
1 楽しいデート
しおりを挟む待ち合わせのカフェに、中村先生はすでに来ていた。
オープンテラスの傘の下で優雅に紅茶を飲む中村先生の姿を見つけるまで、私は今日のデートが現実のことだと信じられなかった。いや、話しかけるまでは気を抜けない。やっぱりデートの約束を取り付けたのは私の妄想で、「お待たせ~」と話しかけた瞬間、「なぜここに?」となる可能性もある。うん、そっちの可能性のほうが高い気がしてきた。
ちょっと自信を無くしていると、中村先生が私に気付き手を振ってくれた。思わず周囲を確認。右、左、後ろ。うむ、あれは私に向けられた視線で間違いなさそう。
「お待たせしました」
「いえ、ぼくが早く来すぎちゃっただけですから」
促され、向かいの席に着く。たまちゃんが選んでくれた花柄のワンピースの股下がスースーして頼りない。黒ぶちメガネも没収されたし……
『背筋伸ばして。しゃきっと前を向く!』
そうだった。たまちゃん、私、がんばる!
中村先生はいつも以上にラフないで立ちだった。紺色のシャツに、白いジーンズ。足首の見えるオシャレシューズ。プライベート感が出ていて、とてもいい。そして彼のプライベートの中にいま自分がいるのかと思うと、悶えるほど嬉しい。
「なんだか、照れますね。職場じゃ見られない森山先生の格好が新鮮で」
「は、はい。ですね」
「あの、今日は森山先生じゃなくて、日奈子さんって呼んでもいいですか……?」
「……」
中村先生の口から紡がれる名前呼びの威力ヤバし!!
「だめでしょうか……」
「いえ、いくらでも! 日奈子と! お呼びくださいませ!」
「ありがとうございます。じゃあ、ぼくのことも、その、出来れば名前で……」
「では失礼して。───敏明さん」
中村先生の名前はスムーズに口にできた。だって毎晩まくらに向かって名前呼びの練習してるんだもん。敏明さん、敏明さん、敏明さん……ぐへへ。たぶん、苗字より呼んでる。
中村先生はふいを突かれたように目をわずかに見開き、口元を手で押さえた。
「すみません。ちょっと、ぐっときちゃって。思った以上に威力が」
かーみーさーまーっ!!!
うう、尊いよぉ、中村先生の照れ顔尊すぎるよぉ。
ありがとう。いまなら私、全人類に優しくできそうな気がする。
これは期待しちゃってもいいのよね?
中村先生と私は両思い。つまり結婚! リンゴーン♪
大丈夫。今日の下着は自分至上一番セクシーなの選んだし、全身のムダ毛処理もばっちり。しかも『魔女のしずく(中級)』とかいう美容クリームを大量に作ってお肌に塗り込んだのでどこ触られてももちもち柔肌よ!!
中村先生に好意を寄せている女性のみなさん、私、勝ちにいかせていただきます!
❖◆◇◆❖
「『町のみなさんこんにちは。私の彼、サイコーにイケてるでしょ? はぁ、願わくば、4年前浮気のあげく私をコテンパンに振ったあの男にこの幸せを見せつけてやりたい』って思ってる顔だな、あれは」
「さすがは4年来のペット。完璧なアテレコだぜ」
「ペットって言うな」
「あっ、動いた! 追うぞ!」
「ええ~、もう帰ろうぜ~」
俺はしぶる黒猫のジジを抱え上げ、ひなこちゃんと中センの後を追った。
尾行なんて趣味が悪い、とジジは言う。お前だって最初はノリノリだったくせに、良く言うぜ。
「ねー、ママのとこいっちゃだめなの?」
シャツの胸ポケットから、ピンキーが顔を出す。ジジは1缶千円の超高級缶詰、ピンキーはチョコアイスでそれぞれ買収済み。今日はとことん俺に付き合ってもらう予定だ。
「いまはだめ。あとでちゃんと出番をやるから。それまでおとなしくしてような?」
「じゃあ、あいちゅもういっこね」
「……お前、したたかだな」
ひなこちゃんと中センがショッピングモールに入って行く。後を追うと、二人は雑貨屋で足を止めた。食器を手に取り、好みのデザインについて語り合っている。かなり盛り上がってるな。腹が立つ。
「俺にはあんな顔向けないくせに」
「そりゃ、お前はただの生徒で、あの男はひなこの好きなやつだからな」
腕の中で、ジジは大きなあくびをする。お前はいいな、のほほんとしてられて。
どうにも腹が立って仕方がいないので、俺は早々に行動を開始することにした。
「ぴん」
「はい!」
「あそこにいる人、わかる?」
「あのひとー?」
「うん。バレないように飛んでって、あいつがいま持ってる皿、落とせるか?」
「まかせてっ」
ピンクのシルエットが飛んでいく。すごい早さなので、誰の目にも止まらないだろう。
ぴんはまもなく中センの手元に到着し、「えいっ」と手の中の皿を蹴った。
「あっ」
落ちていく皿。パリーンと不吉な音が響き渡った。中センが慌だす。店員が駆けつける。ぺこぺこと頭を下げる中セン。かっこわりー。と作戦の成功を喜んだのもつかの間。俺は敵に塩を送ったのだとすぐに気づく羽目になる。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
「だ、大丈夫です」
「手、よく見せてください」
「あ……」
ひなこちゃんに手を取られ、途端にデレデレしだす大の男。うげえ。
「……さいあく」
「やったよ~! ぴん、じょうずだった??」
「次行くぞ」
二人が入ったアイスクリーム屋。中センが選んだのはコーンの上に三種類のフレーバーが重ねられたアイス。俺はピンに指示を出し、中センの頭をアイスに沈めた。でろでろになる顔面。いくらおっちょこちょいでも、これはない。さすがのひなこちゃんも引くだろう。そう思ったのに、ひなこちゃんは軽蔑の表情を浮かべるどころか労わるように微笑み、中センの顔をハンカチで優しく拭いていく。俺のせいで着実に縮まっていく、二人の距離。
「もうさ、諦めたら?」
俺に抱かれたまま傍観を決め込んでいたジジが言った。
「女なんて他にも腐るほどいるじゃんか」
「……俺はひなこちゃんが欲しいの。他の女はいらない」
「お客様」
「趣味わりぃぜ」
「お前だってご主人様大好きなくせに」
「お客様」
「は、はぁ!? 好きくねーし!!」
「お客様!!」
トン、と肩を叩かれ振り返る。強面の警備員のおっさんが俺を睨んでいた。
「当館はペットの同伴は禁止されております」
おっさんがジジを見下ろす。俺もジジを見下ろす。お互いに顔を見合わせる。
俺は即座に反論した。
「ペットは連れていません」
「は……?」
一瞬ぽかんとしたおっさんは、気を取り直すように咳払いした。
「あの、胸に抱えておられるの猫ですよね」
「猫の人形です」
「は?」
「猫の人形です」
おっさんがジジをじーっと見つめる。ジジも見つめ返す。こてっ。ジジの頭が骨のない動きで横に倒れる。俺はここぞとばかりにジジを掲げ、高らかに宣言した。
「こいつは人形です! 胸ポケットにも妖精の人形がいます! そういう趣味なんです!!」
おっさんはおもむろにトランシーバーを取り出し、口元にあてがった。
「こちらA2広場。不審者を拘束。連行します」
俺たちは一目散に逃げ出した。
15分後、ようやくおっさんを撒けたときにはすっかりひなこちゃんたちの姿を見失っていた。『気配察知』を使えば居場所はわかるだろうけど、能力を発動する気にはなれなかった。正直、楽しそうな二人の姿はもう見たくない。
非常階段の白い壁に背中をこするようにして、俺は鉄筋の床に沈んだ。
「だいじょーぶー?」
ぺちぺち。ぴんの小さな手が俺の額を叩く。
小さくても、温かいんだな。
胡坐をかいた俺の膝にジジが収まり、丸くなる。ぬくい。
うっ。だめだこれ。泣きそう。
「ひなこちゃんはさ、勘違いって言ったんだ。俺がひなこちゃんを好きだって気持ちは、魔女への憧れであって恋愛感情じゃないって。じゃあさ、なんで心臓が痛いわけ。もし、ひなこちゃんへの気持ちが勘違いならさ、なんでだよ」
俺の目の前でイチャついてんなよ。勝手に見に来たのは俺だけどさ。
───苦しいよ。
頬を伝い落ちた滴を、ざらりとした舌がなめとった。ジジの肉球が頬にあてられ、ああ、気持ちいなと思っていると爪を立てられる。そのままジジは俺の頬をひっかいた。
「いたっ! なんで猫パンチ!? 俺いまめちゃくちゃ落ち込んでんだけど!」
「ぐじぐじ、ぐじぐじ。それでも男かよ。そんなんじゃぜってーあの男に勝てねえぞ!」
「もう負けてるし。完敗だし」
「かっこわりーこと言うなよバカ!!」
「いてっ」
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「……」
はぁ────
なんか、また腹立ってきた。
だいたい中センなんて、ひなこちゃんが魔女だってことも知らないくせに。ひなこちゃんの正体知ったら、どうせしっぽ巻いて逃げ出すんだろ。でも俺は違う。俺は『魔女の騎士』だから。一生ひなこちゃんのそばで、ひなこちゃんを守る。
俺、決めた。裏山の魔女を狩る。
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