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第44話 盗み聞き
しおりを挟む組織の中は、思っていた以上に質素だった。
家具や機器は必要最低限の物しか置いてない。全体的に寂しい雰囲気が漂う地下の通路にはいくつもの扉が並んでおり、その部屋の中からは数人分の魔力反応を感知した。
一部屋に大体五人という割合だ。隣の部屋との距離を考えると、小さな部屋だと予想される。そこに五人で生活するのは狭いのではないかと思うが、そこで私は一つの考えに至る。
もしかすると、ここは彼らの休憩スペースなだけで、生活する場所は他にある。またはゆっくりと生活する暇が無いほど動いているのではないか? と。
ここは最低限の暮らしが出来れば良いという考えなのだろう。食事は王都に建ち並ぶ店を利用すれば問題ないだろうし、汚れを落とすのはそこらに流れる川を使えばいい。……中には汚れを落とさない者も居るのだろう。汗臭い男達の臭いが、鼻を刺激する。
まだ血の臭いならば嗅ぎ慣れているので、そこまで文句を言うことはない。だが、汗臭い男の臭いはダメだ。まだ数日ならば仕方ないと許せるが、何日も洗っていない男の側には近寄りたくもない。それは私が女に生まれ変わってから、より強く思うようになっていた。
「さ、中に入れ」
と、そう考えを巡らせているうちに、目的の部屋に到着したらしい。
サイレスは一瞬だけ後方……私の居るであろう方向に視線を向け、ゆっくりと扉を開ける。私は取り残されないようにピタリと彼にくっつき、部屋の中に侵入することに成功した。
そして、私は入ってすぐに顔を顰めることになる。
『…………っ、…………』
部屋に充満していたのは、刺激の強い葉巻の臭い。
ここは地下なので、換気は十分ではない。そのせいで部屋中に臭いがこびり付き、私は声が出そうになるのを必死に押し殺しながら、流石に我慢出来ないと鼻を摘まんだ。
部屋の奥で椅子にどっしりと腰掛け、偉そうに踏ん反り返って葉巻を吸っている丸い男が、おそらくベッケン。……なるほど。サイレスの言う通り、確かに頭部が寂しい。
「──で、進捗はどうなっている?」
ろくな挨拶もなく、ベッケンが口を開き本題に入った。
サイレスも無駄な会話はしたくないのだろう。そのことに機嫌を悪くさせるような雰囲気はなく、ただ平坦に得た情報を説明し始めた。
「双子の居場所が判明した」
「──なんだとっ!?」
これは事前に私が言ってもいいと許可していた情報だ。
どうやらサイレスを取り込んだ後、こうしてベッケンと会うことが無かったらしく、この情報は奴にとって初耳だったのだろう。ベッケンはガタッ! と立ち上がり、早く教えろと催促する。
「白狼族の双子を匿っているのは、公爵家。アトラフィード家だ」
「アトラフィード家……厄介なことになった。まさか、国王のお膝元が関わっているとは……くそっ、面倒なことをしてくれる!」
ベッケンは先程の嬉しそうな表情から一変、顔を歪めて机に拳を振り下ろし、憎々しげに呻いた。
「調べた情報によると……公爵家当主、ヴィードノス・ノーツ・アトラフィードが屋敷を出た際に拉致されようとしていた双子を発見。保護したそうだ」
「……おのれぇ……ヴィードノスめ。……だが、相手が公爵家当主ともなれば、あいつらが返り討ちにあったのも納得だ」
父親は、あれでもかなりの実力者だ。
学生時代は剣術と魔法の成績はどちらもトップクラスを誇っており、頭脳面でも陛下の補佐として十分な働きをして
いるらしい。……家族と接している時とは別人格すぎて想像はつかないが……時折見せる彼の表情が、その片鱗なのだと私は思っている。
「だが、騎士団の連中ではなかっただけ、まだマシだと思うべきか……」
シルヴィア様が所属している騎士団は、陛下が、この国が抱える最大戦力だ。強者ばかりが集められ、そのトップを担っている各師団長とその副団長は、類稀なる強さを称して『化け物』と呼ばれ、頼りにされている。
もし彼らが関わっていたのなら、ベッケンは国の最大戦力を相手することになっていた。騎士が正式に保護することになった瞬間、双子は王宮で匿われる。最悪の場合、最大戦力だけではなく、スレイブ王国そのものと対峙することになっていた可能性もあった。
そう考えれば、まだアトラフィード家なだけマシなのだろう。
……まぁ、今こちらにはその化け物の一人であるシルヴィア様が付いているのだが、ベッケンはそのことを知らずに、相手が公爵家の者のみだと思っている。
「潜入は出来るのか?」
「出来ると思っているのか?」
サイレスの有無を言わさない迫力に、ベッケンは押し黙る。
騎士団の全てが守りを固めている王宮の警備には敵わないとしても、アトラフィード家はその次に警備がしっかりしている場所なのだ。部外者の侵入を知らせる罠が何重にも張ってあって、屋敷には何人もの兵士と魔法使いが警備を続けている。
あの時、私がサイレス達の接近に気が付かなかったとしても、侵入は出来ていなかっただろう。
騎士団という最大戦力を相手にしないからまだマシ?
──だが残念。
うちの警備だって厳重なのだ。そこらの暗殺者集団程度に侵入を許すわけがないだろう。
だが、私がいなければ侵入されていたかもしれないと思うと、サイレス達の技量は凄まじいの一言だ。
「どうすればいい……!」
ベッケンは、すでに皆無となっている頭部を、更に激しく引っ掻いた。その様子を酷く冷静に見つめるサイレスと──私。
「諦めればいいだろう」
「諦められるわけがないだろう!」
小さく呟かれた言葉に激昂したベッケンは、机の上に乗っている物を全てぶちまけた。激しい音を立てて食器類が割れるが、どちらも気にした様子はない。
「今回の依頼者は特別なのだ! 俺の命にだって関わるかもしれん! これくらい重要な依頼だった。なのに……! 公爵家ぇ……どこまでも俺の邪魔をしやがって、この借りは絶対に……いつか!」
その公爵家の一人娘がここにいるのだが、それを教えるのはまだ先だ。
「命に関わるだと? 一体、お前の依頼者とは何者なのだ?」
それは私が知りたかった情報だ。
サイレスには、どうにかしてその質問をしてくれと言ってあったのだ。
「…………わからん」
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やはり、黒幕は別にいた。
……その者に関する情報は無いに等しいが、存在するとわかっただけでも警戒することは可能だ。今回の件で、そいつが公爵家に興味を持たないとは言えない。
今日聞いたことは全て、父親に報告するつもりだ。
──ちょんっと、サイレスの背中を軽く叩く。
もう十分だという、私の合図だ。
「……報告は以上だ」
「ああ。お前は公爵家の穴を──」
サイレスはゆっくりとした動作でナイフを抜き、ベッケンが座る椅子の背もたれに投擲した。顔面すれすれに飛んだ凶器に、ベッケンはゆっくりと顔を動かし、そして引き攣った笑みを浮かべる。
「お、お前……何のつもりだ……」
「俺はただ、主の命令に従っているだけだ」
「──っ、お前! 裏切ったのか!?」
「裏切ってなどいない。最初から俺達は利用し、利用される関係。仲間ではなかった」
「ふっっざけるな! お前が、お前っ!? これ、は……!」
ベッケンは顔を真っ赤に染め、掴みかかろうと椅子から腰を上げようとして──ピクリとも動かない自分の体に驚愕して声を詰まらせた。
私が魔法で体を縛ったのだ。
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「お前! 何をした!」
「……ああ、言い忘れていた」
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彼の瞳は「なぁ、我が主?」と語っているような気がして、私は軽く微笑みながらゆっくりと頷き、姿を現した。
「なっ、貴様……いつからそこに……!」
「いつから? ふふっ、最初から……ですわ」
私は冷笑を顔に貼り付け、ベッケンを見据える。
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