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35. サンドバッグ
しおりを挟む本日の授業の全てが終了し、剣術学科の所属する生徒達が活動する時間。
訓練場の隅っこで走り込みをする者や、筋トレをする者、ひたすら素振りをする者、誰かと模擬試合をする者と、生徒はそれぞれが自由に行動している。
でも、今日の彼らはあまり剣に集中できていない様子だ。
皆がチラチラと視線を向ける先には──私が居た。
訓練場に備え付けられているベンチに腰掛けて腕と足を組み、感情を表に出さない鉄仮面を顔に貼り付けた私は、これまでに一度も口を開いていなかった。
「……あの、お嬢様?」
誰も近寄ろうとしない私の近くに歩み寄る影が一つ。
私のただ一人の従者、ルディだ。
「…………なによ」
視線を彼に向けることなく、私は鉄仮面を継続させながら言葉を発した。
「あのですね、もう少し機嫌を直してくれると嬉しいのですが?」
「…………なぜ」
「皆が集中できないと」
「チッ」
「うっわ、露骨な舌打ち」
年季の入ったベンチが僅かに軋む。
ルディが私の隣に座ったのだ。
「マリアーヌ様ですか?」
「だとしたら、なに?」
チラッと、観客席を一瞥する。
そこには今ようやく手続きを済ませたマリアーヌ一行が、キャッキャと機嫌良さそうに席選びをしているところだった。
──本当に来やがった。
私の機嫌は急下降していく。
「どうしてそんなに彼女を嫌うのですか?」
「……どうして、ですって?」
ルディを睨む。
「考えてみなさい。私と彼女が関わって何の意味があるの?」
「え? ……いや、それは……無いですけど」
「でしょう? なのに、彼女は私にしつこく関わってくる。しかも毎日大勢のご友人を連れて。それはどうしてだと思う?」
「単純に仲良くなりたいだけでは?」
「な訳がないでしょう!」
「えぇ……?」
私の怒気に当てられた生徒はビクッと体を震わせ、それを間近で受けたルディは困り顔を作った。
この場所から観客席までは遠い。普通の会話は聞き取れないとしても、万が一という場合もある。私は声を潜め、マリアーヌの企みを予想してみせる。
「彼女は私を笑おうとしているんだわ」
「笑う。お嬢様をですか?」
「ええ。いつも大人数でやって来て、私がヘマをする瞬間を待っているのよ。そしたら大勢で笑って、私を痴れ者にするつもりだわ」
二つの公爵家は、当然のことながら地位が同じだ。
……となれば優劣を付けたがるのは当然のことで、マリアーヌは自分の方が優れていると証明する瞬間を待っているのだと、私は予想している。
だから私の後を付け回し、強い眼差しを向けてくる。
ほとんどの令嬢が気にしない些細なミスでも、逃さずに指摘するつもりなのだろう。
マリアーヌは様々な夜会や茶会に参加していると聞く。
令嬢としての作法はもちろんのこと、未成年という立場で社交界の上位に立っていると言っても過言ではない。
対してヴィオラは、あまり社交界に参加しなかったらしい。
つまり、社交界やマナーを見れば、マリアーヌの方に軍配が上がる。彼女は優位に立てるものを武器に、私のことを陥れようとしているに違いない。
そのことをルディに説明すると、何とも言えないような顔をされた。
「お嬢様。流石にそれは考え過ぎかと」
「甘いわねルディ。貴方はあの女の視線に気が付いていないの? ……あの熱い視線。私の動作一つ一つを注視している視線よ。下手なところを見せたら、後で絶対に陰口を叩かれるわ」
「…………やばい、これは重症だ」
何が重症だと言うのか。
油断していれば、敵に良いようにやられるだけだ。
だから最初から警戒心を剥き出しにさせ、彼女の思い通りにはさせない。
「これは女の戦いなの!」
グッと拳を握りしめ、熱く語る。
「……さよで」
ここまで言っても、ルディは呆れ顔のままだった。
「では、今日の稽古は見学ですか?」
「いいえ。稽古はするわよ」
ここから動かず、何もしなかったとする。
そしたらマリアーヌは「ヴィオラ様は腰抜けだ。あのダイン・マクレスに勝利したという噂も不正だったのだろう」と他の令嬢達に陰口することだろう。
彼女に弱みを握らせるのは悪手だ。
「では、俺とやりますか?」
「ルディは私の従者よ。貴方を圧倒しても、従者の方が手を抜いていたと思われるわ。そうすれば接待プレイを強要していると言われてしまう」
だから私は待っているのだ。
「ちょうど良いサンドバッ──ダインと戦って彼をコテンパンにすれば、馬鹿にされることは無いでしょう。ついでに決闘で私が勝利したのは運でも不正でもなく、単純な実力勝負の結果だったと証明することができるわ!」
「ダインって本当に不憫だよなぁ……もう完全なお嬢様専用サンドバッグだもんなぁ」
遠い目をしながら、ルディがポツリと呟いた。
そして──
「お、噂をすれば何とやらですよ」
その言葉に視線を訓練場の出入り口に向けると、ちょうどダインが入ってくるところだった。
私は立ち上がり、にこやかに彼の元へ歩み寄る。
「こんにちはダイン。早速で悪いけれど、私のサンドバッグに──」
「だぁからぁあああああ! その言い方をやめろって言ってんでしょうがぁああああああああ!!」
私の言葉を掻き消すように、ルディの怒号が響き渡った。
──ちなみに、その後しっかりとボコボコにした。両方。
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