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第1章
1. 少女は過去に戻る
しおりを挟む「ノア・レイリア。どうした、ノア・レイリア」
「──っ!」
「どうした。急に立ち止まって」
「…………は?」
全身鎧を纏った男性の声に、私は困惑を隠せなかった。
なんだこれは。
一体、どういうことだ?
「これからゴンドル様と会うのだ。しっかりしろ」
「ゴン、ドル……?」
「ゴンドル様だ。俺の前だから咎めないが、本人の前ではちゃんと『様』を付けろよ」
──ゴンドル・バグ。
シェラザード王国にて伯爵位を持ち、権力と金だけは豊かな男。
私を利用した挙句、私のことを邪魔だと言って切り捨て、大切な家族を殺した最低の屑野郎だ。
「なん、で……」
誰にも聞こえない声量で、私はポツリと疑問を口にした。
ゴンドル・バグ。
忘れない。
忘れていない。
私は確かに、奴に殺されたはずだ。
……なのに、どうして私はまた『ここ』に居る?
「初めてで緊張しているのかもしれないが、ゴンドル様は寛容なお方だ。少しばかりの失礼があっても許されるだろうから、安心するといい」
初めて……?
そんなわけない。
私は何度かゴンドルと会っていた。
奴の依頼を遂行するために、奴の口から直接内容を聞いていた。
今更緊張するなんて、あり得ない。
「さぁ、着いたぞ」
考えている間に、私はとある扉へ辿り着いていた。
そこはゴンドルの私室だった。
前に来たのは奴と初めて会った時以来だけれど、豪華な飾り物がいっぱいあって、誰が見ても金の無駄遣いをしているとわかる内装だったので、何年と経った今でもハッキリと覚えている。
「ゴンドル様、ノア・レイリアを連れて参りました」
騎士風の男は何度か扉をノックし、やがて内側から開かれ、廊下からでも中の様子が伺えた。
置物の場所も壁紙も、何もかもが以前と変わらない。
気味が悪いと思ってしまうほどに、私の記憶のままだった。
でも、それは珍しい……というかあり得ない。
ゴンドルは呆れるほどの無駄金使いだ。
どんな高価な物でもすぐに飽きてしまい、次の日には新しい家具が置かれているくらいに、大量の金を溶かしまくる。
そんな男が、何年も部屋の内装変えをしないなんてあり得るのか?
「……よく来てくれた。君が件の『糸使い』か」
でっぷりと肥え太った体型の男。
ちょっと禿げかかった頭皮。愛用の喫煙具。
何もかもが──あの時と同じだった。
「どうしたのかね? ……ああ、緊張しているのか。どうか楽にしてくれたまえ」
ブワッ、と全身の毛が逆立つのを感じた。
溢れ出した殺気が気付かれることはなかったけれど、奴の護衛がピクリと動いたことだけは確認できた。
すぐに燃え上がるような感情を押し留め、小さくお辞儀をする。
「長旅で疲れただろう。今日はゆっくり休むといい」
ゴンドルはゆっくりと歩み寄り、私の肩に手を置いた。
反射的にその汚らしい手を弾き、無防備な奴の股間に蹴りを入れてしまいそうになる。
でも、今ここで事を荒くするのは危険だと、全身を硬くして自らそれを封じた。
「明日から君にお願いしたいことがある。使いの者を呼ぶから、それまで部屋で待機していてくれ。……もう下がっていいぞ」
ぺこりと、一礼だけして部屋を退出する。
最初に私を案内していた騎士は、次に私を客室へと導いた。
「そこのクローゼットの中に服がある。適当に着替えて今日は休むといい。何かあったら侍女を呼べ。明日の朝、また来る」
それだけを伝えられ、私は部屋に一人取り残された。
「…………」
部屋に立て掛けられている全身鏡の前に立つ。
所々がほつれている安っぽい服。
腰まで伸びた母親譲りの自慢の白い髪は、大きく二つに結ばれている。
まだ幼さが残ったその顔は、久しく見ていなかった若い頃の私の顔だ。
「はぁ……」
溜め息を一つ。
ボロい服を脱ぎ捨て、クローゼットの中にある服の中から動きやすそうなものを適当に選んで袖を通す。
「…………」
ベッドに倒れ込む。
抵抗なく私の体は沈み、洗剤の良い匂いが鼻をくすぐった。
「…………あはっ」
我ながら馬鹿げたことだとは思っている。
でも、私はこれ以上、自分の感情を我慢できそうになかった。
「ははっ、あはは──っ、あっはははははははっ!」
おかしくなり、ベッドの上で笑い転げる。
「夢じゃ、ない……んだよね」
手を握る。
頬を抓る。
確かな感触が、そこにはあった。
「……ああ、良い気分だ」
地獄が始まり、ノア・レイリアの全てが終わった日。
後悔して助けを望んで、失望した場所に──私は戻った。
時間が巻き戻った。
理由はわからない。
普通は信じられないと思うだろう。
私だって最初は戸惑いを隠せずにいた。
でも今私は、こうして生きている。
「──殺してやる」
裏切られたあの日の夜。
最後に呟いた、『復讐』の誓い。
まさか本当に叶うとは思わなかった。
「ああ、神様……感謝します」
もう一度やり直せる。
次は絶対に──間違えない。
「ねぇ、ゴンドル?」
目を閉じると、憎き相手の顔が浮かび上がってきた。
「ぜぇったいに、殺してあげるからね」
私はポツリと、呪詛を吐き出した。
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