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あなただけに背負わせたりしない
しおりを挟む暗い廊下の中、カツカツと靴音が響く。
最後はあそこに行かなければならない。
重く、長いような短いような時間が過ぎる。
かなり奥に進んだ所にその部屋はあった。かつて宮殿だった時、何人もの王妃がそこで死んだという曰く付きの部屋だというその部屋は、薔薇の花があしらわれた紋章が描かれていた。
何故か鍵が開いている。
疑問に思うも、ゆっくり扉を開き…その場の匂いに思わず鼻を手で覆う。
見ると放置された糞尿が辺りに散らばっており、それが悪臭の原因かとも思われる。
ここに閉じ込めた人間に相当恨まれていたのだろう、全く掃除もされた様子もないその有様に、思わず涙が溢れた。
人とはここまで酷いことが出来るものか。
嫌な予感が胸の中によぎる。なるべく糞尿の落ちてないところを探しながら歩調を早めて進む。
流石王妃の住む部屋だ。
矢鱈と広い部屋に、イライラする。
奥の部屋でなされようとしていることに、思わず声を荒げた。
「辞めなさい!!!」
刃を何かに向かって振り上げようとする者の手を、思い切り蹴飛ばすと、ナイフが宙を舞い冷たい音を立てて落ちた。
「ルイ!!」
そこにいた人物が余りにも予想通りで、誰が教えたのだと怒りすら湧いてくる。
「リル様…。」
呆然とした顔で、私を見つめるルイを見てほっとため息をついた。
ルイの足元には人が蹲っている。かつてはかなりの美貌を誇っていたという話だが、痩せ細った身体に、糞尿にまみれた姿が哀れと思う。
始終、自分の身に何が起こっているのかも分からぬといった体で、ぼーとしている。
糞尿の匂いで気が付かなかったが、わずかに『香』が焚かれているのが見えた。
こんな姿になってまで、香からは離れられなかったのか。
「王太后陛下ですか?」
女が、細い肩をピクリと震わせた。虚ろな目で私を見つめると、
「……アドラー公爵様…。やっと…やっと助けに来てくれたのですね…。」
そう呟いた。
一瞬、私のことを知っているのかと驚いたが、こんな所に長年閉じ込められた元王妃が知るはずもない。家紋を見て父と思ったのかもしれない。
母に続き今度は父にまで間違えられるとは…。
今の私は髪も短く、服装も動きやすいように男物を着ている。見ようによっては確かに男に見えるかも知れないが…。
「リル様、香の効果で混乱しているようです。男には見えないので安心してください。」
余計なことを言うルイを小突き、黙らせる。
彼には後で事情を聞かなければならないが、この哀れな女性と対峙する方が先だと思った。
「ずっと、ずっと怖かったのです。もう二度と、あなたは私を許してはくれぬのだと。」
「…許す?何を?
「…だって私はあなたと婚約する身でありながら…。」
「苦しかったでしょう。」
必死に私の足元に縋り泣きじゃくるこの女を、私はどうにも憎めなかった。そっと彼女の頭に手を添えた。
当時の父の気持ちは分からないが、父がこの女に惚れていれば、父が助けたのは母ではなかったろうから。辛かったろう、苦しかったろう。せめて、前国王がこの人を大事にしていれば別だったかも知れないが、彼は彼で母に妄執していた。彼女が母を憎んでしまうのも、仕方ないことだったのかも知れない。
かといって、彼女がしたことを許せるわけではないが…。
もう歩くことも出来なくなっているだろう、骨と皮だけの足が、長いスカートから覗きそれが一層彼女を哀れに思わせた。
こんな仕打ちをする必要があったのだろうか。
侯爵家出身のこの人が、誰もいないこんな場所で何年も過ごしていたことを思うと心が痛む。第一王子は幽閉されたとだけ聞いていたのだろうか。それとも彼もこれに加担していたのだろうか。
今となっては分からなかった。
奥に、ハエの集る何かがあるのが見えた。
目を凝らすと、それは半分白骨化した死体のようで、思わず吐きそうになる。
「あぁ…、公爵様。体調が優れないのですか。ミーシャ!ミーシャ!!…全くあの子ったら、寝てばかりでここ数日返事をしないのです。」
若い令嬢のような口調。動かぬ死体に話しかける女。その異様さに心が痛んだ。
きっとあれは、彼女と共に宮殿に来たというメイドだったものだろう。
彼女は数日と言っているが、少なくとも数カ月は経っているように見えた。
こんな所でまで、あの人は彼女の世話を欠かさずしていたのだろう。彼女が生きていることが何よりの証拠だと思えた。
「王太后陛下。ミーシャは疲れて眠っているようです。少し、休ませてやりましょう。」
そう言うと、そう…そうよね。と彼女が呟く。
「貴女も、もうお休みください。」
ぎょろり、とした大きな瞳が私を見つめる。
「やっと、休めるのですね。」
それを聞いて私はほっと息を吐き…小瓶を取り出す。
瞳に涙を溜めて、何も知らぬ少女のように明るく微笑んだ彼女が、はっとして辺りを見回す。
「クロウ殿下…。公爵様、あの子はどこですか?」
慌てた様子で動かない身体で辺りを探す。
あの人の名前が出て、思わず私も動揺した。
「公爵様、どうか許してください。あの子は、あの子は、何も悪くはないのです。」
「落ち着いてください。大丈夫ですから。」
「でも…!!あの子は私の可愛い子どもなのです。あの子は何も、悪いことはしていません!私の小さな坊やを許してやってください…。」
彼女なりにクロウ様のことを愛そうとしていたのかも知れない。クロウ様は覚えていなかったが、きっと普通の母親のように彼のことを愛している時期もあったのだろう。
骨と皮だけになり、動けなくなっても必死で我が子を探すその姿は、どこにでもいる母親のように見えた。そんな彼女に本当の事など言えず、ぐっと涙を堪えて微笑む。
「大丈夫です。王太后陛下。私は殿下のことを憎んではいません。」
「本当に?」
「ええ。」
それを聞いたルイが恭しく頭を下げた。
「王太后陛下。安心してください。殿下は公務に行かれているのです。眠りから覚めたらきっと、貴女のところに戻ってきますから。」
「本当に?」
「えぇ。」
そう言って、ルイは私の手の中の小瓶を奪った。奪い返そうとするも、彼は既に彼女の手に小瓶を渡してしまっている。
「こちらを。よく眠れる薬です。」
「ルイ!!だめ!!」
「やっと、終わりますのね。」
ルイを非難するも、元王妃はそれを一気に飲み、そして動かなくなった。
「俺はもうあなたに守られるだけの子供じゃない。この罪をあなたにだけ背負わせたりしない。」
感情がぐちゃぐちゃで泣きたいけど泣けない。
呆然とする私を見て、ルイは私の手を取り口付けたのだった。
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