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焦れておりまして②
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「すまない。耳飾りに髪が引っかかっていたから」
どうやら己の髪と彼の指が耳に当たってこすれたらしい。ぴくんと肩を跳ねさせたあとでセレナが振り向くと、予想以上の至近距離にエミリオがいて息を呑んだ。
そのまま下ろされるかと思った彼の指は耳から顎へと移動して、優しい動作で視線を合わせられる。じわりと頬が熱を持つのを感じて、彼と触れ合うことになかなか慣れることができずにいるのをセレナは恥ずかしく思った。
エミリオから向けられる慈しみに満ちた眼差しに、とろけるような熱が溶け込むようになったのは、一体いつからだろう。最初は気のせいかと思っていたが、何度も確かめたのでもう確信している。
彼の顔が少しずつ近づいてきていることに気づき、セレナは反射的に目を閉じようとした。だがその直前で、「いけない……」という吐息のような囁きが二人の間に落とされた。
そのままあっさりと身を引いた夫は、呆気にとられている妻を目にして苦笑する。
「あまり触れては、せっかくの美しい装いが乱れてしまうだろう?」
言われてセレナは、かあぁっとさらに赤面した。
口づけなどすれば、少なくとも紅は引き直さなければならないだろう。それでなくとも、この部屋にはネリーもいるというのに。
そんな現実の一切を忘れてしまうほど自分は彼とのキスを切望してしまっているのだ。そのことを悟って顔を覆ってしまいたいほどの羞恥に襲われる。
――だって、仕方がないじゃない……!
エミリオに想い人がいるかもしれないとアリスから知らされたあの日、セレナはかなり落ち込んでいた。だが、すぐに思い直したのだ。エミリオも年頃の男性なのだから、好きな人がいても全く不思議ではない。それでもセレナを妻として尊重しようとしてくれているのだから、むしろ感謝したいくらいだ。
もし彼が、セレナのために己の慕情を殺そうと努力しているのだとしたら、それは心苦しいことだった。
アリスによればエミリオが焦がれる女性はどうやら結ばれる見込みのない相手らしい。だが、ラウレンティスの姫君からクロードに突然縁談が舞い込むことなどなければ、エミリオは今でもその想いを大切に胸に秘めておくことは許されたはずなのだ。
誠実な彼のことだから、セレナと結婚した以上はいずれ心に区切りをつけてくれるだろう。そうと信頼できたから、セレナは自分のために我慢や無理はしなくていいと伝えることにしたのだ。エミリオとはゆっくりと本当の夫婦になっていければそれでいいという思いで。
なのにどうしたことか、彼から返ってきたのは想定とは真逆の反応だった。愛する夫から『あなたに触れたい』と真剣な声音で告げられれば、舞い上がってしまうのはいたしかたないと思う。
それからエミリオに触れられる頻度が格段に増えた。
といっても顔や髪を撫でたり手を握ったりされるくらいで、口づけは一度もされていない――正しくは、成功していない。いつもタイミングが悪く、来客があったり急ぎの用事が生じたりと邪魔が入ってしまうのだ。
さすがに夜の寝室ならば、誰も新婚の夫婦に水を差したりはしないはずだが、相変わらずエミリオは別室で就寝しているので、その時間を狙うこともできない。
狙う、なんて、まるで夫とキスしたくてたまらない欲求不満であるかのようだ。だが、実際そうなのだから仕方がない。好きな人に触れられるのは嬉しいし、こんなに寸止めばかりされているといい加減焦れてくる。
――わたくしったら、なんてふしだらなの……!
内心で煩悶するセレナに対して、エミリオはすっかり気持ちを切り替えてしまったらしい。落ち着き払った仕草で優雅に馬車までエスコートしてくれる。
互いに手袋をしていてじかに触れ合えないのを寂しいと感じてしまったセレナは、いけない、と気持ちを引き締めた。
馬車が用意されているのは、踵の高い靴を履いているセレナが少しでも歩かずに済むようにという配慮からであって、舞踏会が開かれる本宮は青藍宮から目と鼻の先である。
赤くなった顔を急いで冷まそうと、セレナは高揚した心を懸命に静めようとした。
どうやら己の髪と彼の指が耳に当たってこすれたらしい。ぴくんと肩を跳ねさせたあとでセレナが振り向くと、予想以上の至近距離にエミリオがいて息を呑んだ。
そのまま下ろされるかと思った彼の指は耳から顎へと移動して、優しい動作で視線を合わせられる。じわりと頬が熱を持つのを感じて、彼と触れ合うことになかなか慣れることができずにいるのをセレナは恥ずかしく思った。
エミリオから向けられる慈しみに満ちた眼差しに、とろけるような熱が溶け込むようになったのは、一体いつからだろう。最初は気のせいかと思っていたが、何度も確かめたのでもう確信している。
彼の顔が少しずつ近づいてきていることに気づき、セレナは反射的に目を閉じようとした。だがその直前で、「いけない……」という吐息のような囁きが二人の間に落とされた。
そのままあっさりと身を引いた夫は、呆気にとられている妻を目にして苦笑する。
「あまり触れては、せっかくの美しい装いが乱れてしまうだろう?」
言われてセレナは、かあぁっとさらに赤面した。
口づけなどすれば、少なくとも紅は引き直さなければならないだろう。それでなくとも、この部屋にはネリーもいるというのに。
そんな現実の一切を忘れてしまうほど自分は彼とのキスを切望してしまっているのだ。そのことを悟って顔を覆ってしまいたいほどの羞恥に襲われる。
――だって、仕方がないじゃない……!
エミリオに想い人がいるかもしれないとアリスから知らされたあの日、セレナはかなり落ち込んでいた。だが、すぐに思い直したのだ。エミリオも年頃の男性なのだから、好きな人がいても全く不思議ではない。それでもセレナを妻として尊重しようとしてくれているのだから、むしろ感謝したいくらいだ。
もし彼が、セレナのために己の慕情を殺そうと努力しているのだとしたら、それは心苦しいことだった。
アリスによればエミリオが焦がれる女性はどうやら結ばれる見込みのない相手らしい。だが、ラウレンティスの姫君からクロードに突然縁談が舞い込むことなどなければ、エミリオは今でもその想いを大切に胸に秘めておくことは許されたはずなのだ。
誠実な彼のことだから、セレナと結婚した以上はいずれ心に区切りをつけてくれるだろう。そうと信頼できたから、セレナは自分のために我慢や無理はしなくていいと伝えることにしたのだ。エミリオとはゆっくりと本当の夫婦になっていければそれでいいという思いで。
なのにどうしたことか、彼から返ってきたのは想定とは真逆の反応だった。愛する夫から『あなたに触れたい』と真剣な声音で告げられれば、舞い上がってしまうのはいたしかたないと思う。
それからエミリオに触れられる頻度が格段に増えた。
といっても顔や髪を撫でたり手を握ったりされるくらいで、口づけは一度もされていない――正しくは、成功していない。いつもタイミングが悪く、来客があったり急ぎの用事が生じたりと邪魔が入ってしまうのだ。
さすがに夜の寝室ならば、誰も新婚の夫婦に水を差したりはしないはずだが、相変わらずエミリオは別室で就寝しているので、その時間を狙うこともできない。
狙う、なんて、まるで夫とキスしたくてたまらない欲求不満であるかのようだ。だが、実際そうなのだから仕方がない。好きな人に触れられるのは嬉しいし、こんなに寸止めばかりされているといい加減焦れてくる。
――わたくしったら、なんてふしだらなの……!
内心で煩悶するセレナに対して、エミリオはすっかり気持ちを切り替えてしまったらしい。落ち着き払った仕草で優雅に馬車までエスコートしてくれる。
互いに手袋をしていてじかに触れ合えないのを寂しいと感じてしまったセレナは、いけない、と気持ちを引き締めた。
馬車が用意されているのは、踵の高い靴を履いているセレナが少しでも歩かずに済むようにという配慮からであって、舞踏会が開かれる本宮は青藍宮から目と鼻の先である。
赤くなった顔を急いで冷まそうと、セレナは高揚した心を懸命に静めようとした。
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