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妻からお誘いを受けまして①
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まだ昼下がりと言ってもいい時分に帰った夫を玄関ホールで出迎えたセレナは案の定目を丸くした。
「ずいぶん早くお戻りになったのですね」
驚きに満ちた眼差しを向けられ、エミリオは気まずく頬をかく。
「部下たちが休みをとれとうるさくて、今日は強制的に休みにされてしまった。私は仕事中毒だそうだ」
「まあ……ふふ、でもちょっと分かる気がします」
くす、と彼女がほのかに笑う。
急遽与えられた休みに対して妻が特にいやそうな素振りを見せなかったことにエミリオはホッとする。
嫌われてるとは思っていないが、関係を深める間もないまま夫婦になったので、初夜の一件以降は、拙速に距離を詰めて彼女に負担をかけてしまわないように細心の注意を払っていた。
とはいえ、一緒の時間を過ごさないことには仲の進展もないので、今朝のお茶の誘いは慎重にセレナの反応を窺いつつ踏み出した一歩だったのである。
そんな切実さを内心に抱えたエミリオは、妻の愛らしい表情に思わず見蕩れそうになって、微妙に視線を逸らした。
「……あなたにも、私は気負いすぎいているように見えるだろうか?」
「い、いいえ! ……むしろ、とても泰然としてらっしゃるので、見習わなければと思っているくらいです。ただ、いつもお忙しそうなので、もう少しお休みをとられてもいいのでは、とは思います」
「休みか……」
エミリオは独り言のように呟いて、チラとセレナを見る。
エミリオが休暇をとれば、必然的に夫婦で過ごす時間が増えることになる。それを歓迎してくれているのか、それともそこまで考えていないのか、彼女の瞳にはただ夫を案じる色だけがあった。
エミリオはしばし思案して、セレナの手をそっととった。
「だったら、今から出かけないか? 妻との時間も大切にしろと部下に言われたんだ」
少し思い切って口にしてみたが、答えを聞くまでもなくそれは失敗だったと分かった。セレナがふっと眉を下げて難しい顔をしたからだ。
「お誘いは嬉しいのですが、このあと仕立て屋を呼んでおりまして……申し訳ありません。今度出席する夜会のドレスを作らないといけないのです」
「ああ、社交期の最初に王家が主催するものだな。私たちが夫婦として初めて公の場に出る機会だから、既存のドレスを着ていくわけにもいかないか」
セレナは深く頷く。それからパッと顔を上げた。
「ですが、少しなら時間がありますから。よかったら、仕立て屋が来るまでお話しませんか?」
彼女の提案はエミリオにとって願ってもないものだった。しかし、それを口にする彼女の眼差しはどこか気迫がこもっているように感じられ、エミリオは内心で不思議に思った。
「それは、かまわないが……」
戸惑いつつ答えた夫をセレナは家族で使う談話室に連れていく。
握っていた手は、並んで長椅子に座るときにさり気なく振り払われて、エミリオはかすかに寂しさを覚えた。
「それで、なにか話したいことでもあるのか」
「はい。その……」
セレナは気持ちを落ち着かせるためにか深く息を吸い、それからぎゅっと胸元で拳を握る。
「もし、エミリオ様が、わたくしのために我慢や無理をされていることがあるなら、それは全くの無用です……ということを、お伝えしたくて」
「――うん?」
なんとも抽象的な言い方に、エミリオは思わず首をひねる。
彼女の言わんとしていることを掴みかねて――突如ひらめく。
もしや、毎夜妻に触れたくて悶々としていることを悟られてしまったのだろうか。
セレナが自然とエミリオを受け入れられるようになるまで、身体を結ぶことはしないと決めていた。
かといって愛しい女性と同じ寝台に入ってなにもしないというのはさすがに拷問でしかないので、エミリオは結婚の翌日から個人の書斎に付属している仮眠室で睡眠をとっていた。
だから、身の内に抱える欲求不満もうまく隠せているつもりだったのだが。
――つまりこれは、セレナからのお誘いということ……か?
その甘い申し出につい舞い上がりそうになって、いや待て、と努めて冷静さを保とうとする。
あらためて彼女の様子を観察してみれば、強ばった頬は照れているという雰囲気ではなく、ただただ緊張感だけが伝わってくる。
その発言をそのまま鵜呑みにしていいとはとても思えない。
だが、それだけの強い意志で口にしてくれたということでもあるのだろう。さらりと流すのも気が引ける。
――もう少しだけなら、踏み込んでみてもいいのかもしれない。それで彼女の許容範囲を見定めよう。
「……だったら、私からも言っておきたいんだが。私にされていやなことがあったら、正直にその場で言ってほしい」
「え……?」
「あなたに触れたい。かまわないか」
「えぇ……っ!?」
こうまで直球で返されるとは想定していなかったのか、彼女にしてはめずらしいくらいに大きな声を出しておろおろと狼狽える。
それでもエミリオが答えを求めてじっと見つめると、「は、はい……」と目元を赤らめつつも頷いてくれた。いつでもどうぞとばかりに夫に身体を向け、じっとこちらの動きを待つ。
「ずいぶん早くお戻りになったのですね」
驚きに満ちた眼差しを向けられ、エミリオは気まずく頬をかく。
「部下たちが休みをとれとうるさくて、今日は強制的に休みにされてしまった。私は仕事中毒だそうだ」
「まあ……ふふ、でもちょっと分かる気がします」
くす、と彼女がほのかに笑う。
急遽与えられた休みに対して妻が特にいやそうな素振りを見せなかったことにエミリオはホッとする。
嫌われてるとは思っていないが、関係を深める間もないまま夫婦になったので、初夜の一件以降は、拙速に距離を詰めて彼女に負担をかけてしまわないように細心の注意を払っていた。
とはいえ、一緒の時間を過ごさないことには仲の進展もないので、今朝のお茶の誘いは慎重にセレナの反応を窺いつつ踏み出した一歩だったのである。
そんな切実さを内心に抱えたエミリオは、妻の愛らしい表情に思わず見蕩れそうになって、微妙に視線を逸らした。
「……あなたにも、私は気負いすぎいているように見えるだろうか?」
「い、いいえ! ……むしろ、とても泰然としてらっしゃるので、見習わなければと思っているくらいです。ただ、いつもお忙しそうなので、もう少しお休みをとられてもいいのでは、とは思います」
「休みか……」
エミリオは独り言のように呟いて、チラとセレナを見る。
エミリオが休暇をとれば、必然的に夫婦で過ごす時間が増えることになる。それを歓迎してくれているのか、それともそこまで考えていないのか、彼女の瞳にはただ夫を案じる色だけがあった。
エミリオはしばし思案して、セレナの手をそっととった。
「だったら、今から出かけないか? 妻との時間も大切にしろと部下に言われたんだ」
少し思い切って口にしてみたが、答えを聞くまでもなくそれは失敗だったと分かった。セレナがふっと眉を下げて難しい顔をしたからだ。
「お誘いは嬉しいのですが、このあと仕立て屋を呼んでおりまして……申し訳ありません。今度出席する夜会のドレスを作らないといけないのです」
「ああ、社交期の最初に王家が主催するものだな。私たちが夫婦として初めて公の場に出る機会だから、既存のドレスを着ていくわけにもいかないか」
セレナは深く頷く。それからパッと顔を上げた。
「ですが、少しなら時間がありますから。よかったら、仕立て屋が来るまでお話しませんか?」
彼女の提案はエミリオにとって願ってもないものだった。しかし、それを口にする彼女の眼差しはどこか気迫がこもっているように感じられ、エミリオは内心で不思議に思った。
「それは、かまわないが……」
戸惑いつつ答えた夫をセレナは家族で使う談話室に連れていく。
握っていた手は、並んで長椅子に座るときにさり気なく振り払われて、エミリオはかすかに寂しさを覚えた。
「それで、なにか話したいことでもあるのか」
「はい。その……」
セレナは気持ちを落ち着かせるためにか深く息を吸い、それからぎゅっと胸元で拳を握る。
「もし、エミリオ様が、わたくしのために我慢や無理をされていることがあるなら、それは全くの無用です……ということを、お伝えしたくて」
「――うん?」
なんとも抽象的な言い方に、エミリオは思わず首をひねる。
彼女の言わんとしていることを掴みかねて――突如ひらめく。
もしや、毎夜妻に触れたくて悶々としていることを悟られてしまったのだろうか。
セレナが自然とエミリオを受け入れられるようになるまで、身体を結ぶことはしないと決めていた。
かといって愛しい女性と同じ寝台に入ってなにもしないというのはさすがに拷問でしかないので、エミリオは結婚の翌日から個人の書斎に付属している仮眠室で睡眠をとっていた。
だから、身の内に抱える欲求不満もうまく隠せているつもりだったのだが。
――つまりこれは、セレナからのお誘いということ……か?
その甘い申し出につい舞い上がりそうになって、いや待て、と努めて冷静さを保とうとする。
あらためて彼女の様子を観察してみれば、強ばった頬は照れているという雰囲気ではなく、ただただ緊張感だけが伝わってくる。
その発言をそのまま鵜呑みにしていいとはとても思えない。
だが、それだけの強い意志で口にしてくれたということでもあるのだろう。さらりと流すのも気が引ける。
――もう少しだけなら、踏み込んでみてもいいのかもしれない。それで彼女の許容範囲を見定めよう。
「……だったら、私からも言っておきたいんだが。私にされていやなことがあったら、正直にその場で言ってほしい」
「え……?」
「あなたに触れたい。かまわないか」
「えぇ……っ!?」
こうまで直球で返されるとは想定していなかったのか、彼女にしてはめずらしいくらいに大きな声を出しておろおろと狼狽える。
それでもエミリオが答えを求めてじっと見つめると、「は、はい……」と目元を赤らめつつも頷いてくれた。いつでもどうぞとばかりに夫に身体を向け、じっとこちらの動きを待つ。
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