上 下
19 / 27

妻からお誘いを受けまして①

しおりを挟む
 まだ昼下がりと言ってもいい時分に帰った夫を玄関ホールで出迎えたセレナは案の定目を丸くした。

「ずいぶん早くお戻りになったのですね」

 驚きに満ちた眼差しを向けられ、エミリオは気まずく頬をかく。

「部下たちが休みをとれとうるさくて、今日は強制的に休みにされてしまった。私は仕事中毒だそうだ」
「まあ……ふふ、でもちょっと分かる気がします」

 くす、と彼女がほのかに笑う。
 急遽与えられた休みに対して妻が特にいやそうな素振りを見せなかったことにエミリオはホッとする。

 嫌われてるとは思っていないが、関係を深める間もないまま夫婦になったので、初夜の一件以降は、拙速に距離を詰めて彼女に負担をかけてしまわないように細心の注意を払っていた。
 とはいえ、一緒の時間を過ごさないことには仲の進展もないので、今朝のお茶の誘いは慎重にセレナの反応を窺いつつ踏み出した一歩だったのである。

 そんな切実さを内心に抱えたエミリオは、妻の愛らしい表情に思わず見蕩れそうになって、微妙に視線を逸らした。

「……あなたにも、私は気負いすぎいているように見えるだろうか?」
「い、いいえ! ……むしろ、とても泰然としてらっしゃるので、見習わなければと思っているくらいです。ただ、いつもお忙しそうなので、もう少しお休みをとられてもいいのでは、とは思います」
「休みか……」

 エミリオは独り言のように呟いて、チラとセレナを見る。

 エミリオが休暇をとれば、必然的に夫婦で過ごす時間が増えることになる。それを歓迎してくれているのか、それともそこまで考えていないのか、彼女の瞳にはただ夫を案じる色だけがあった。

 エミリオはしばし思案して、セレナの手をそっととった。

「だったら、今から出かけないか? 妻との時間も大切にしろと部下に言われたんだ」

 少し思い切って口にしてみたが、答えを聞くまでもなくそれは失敗だったと分かった。セレナがふっと眉を下げて難しい顔をしたからだ。

「お誘いは嬉しいのですが、このあと仕立て屋を呼んでおりまして……申し訳ありません。今度出席する夜会のドレスを作らないといけないのです」
「ああ、社交期の最初に王家が主催するものだな。私たちが夫婦として初めて公の場に出る機会だから、既存のドレスを着ていくわけにもいかないか」

 セレナは深く頷く。それからパッと顔を上げた。

「ですが、少しなら時間がありますから。よかったら、仕立て屋が来るまでお話しませんか?」

 彼女の提案はエミリオにとって願ってもないものだった。しかし、それを口にする彼女の眼差しはどこか気迫がこもっているように感じられ、エミリオは内心で不思議に思った。

「それは、かまわないが……」

 戸惑いつつ答えた夫をセレナは家族で使う談話室に連れていく。
 握っていた手は、並んで長椅子に座るときにさり気なく振り払われて、エミリオはかすかに寂しさを覚えた。

「それで、なにか話したいことでもあるのか」
「はい。その……」

 セレナは気持ちを落ち着かせるためにか深く息を吸い、それからぎゅっと胸元で拳を握る。

「もし、エミリオ様が、わたくしのために我慢や無理をされていることがあるなら、それは全くの無用です……ということを、お伝えしたくて」
「――うん?」

 なんとも抽象的な言い方に、エミリオは思わず首をひねる。
 彼女の言わんとしていることを掴みかねて――突如ひらめく。

 もしや、毎夜妻に触れたくて悶々としていることを悟られてしまったのだろうか。

 セレナが自然とエミリオを受け入れられるようになるまで、身体を結ぶことはしないと決めていた。

 かといって愛しい女性と同じ寝台に入ってなにもしないというのはさすがに拷問でしかないので、エミリオは結婚の翌日から個人の書斎に付属している仮眠室で睡眠をとっていた。
 だから、身の内に抱える欲求不満もうまく隠せているつもりだったのだが。

 ――つまりこれは、セレナからのお誘いということ……か?

 その甘い申し出につい舞い上がりそうになって、いや待て、と努めて冷静さを保とうとする。

 あらためて彼女の様子を観察してみれば、強ばった頬は照れているという雰囲気ではなく、ただただ緊張感だけが伝わってくる。
 その発言をそのまま鵜呑みにしていいとはとても思えない。
 だが、それだけの強い意志で口にしてくれたということでもあるのだろう。さらりと流すのも気が引ける。

 ――もう少しだけなら、踏み込んでみてもいいのかもしれない。それで彼女の許容範囲を見定めよう。

「……だったら、私からも言っておきたいんだが。私にされていやなことがあったら、正直にその場で言ってほしい」
「え……?」
「あなたに触れたい。かまわないか」
「えぇ……っ!?」

 こうまで直球で返されるとは想定していなかったのか、彼女にしてはめずらしいくらいに大きな声を出しておろおろと狼狽える。
 それでもエミリオが答えを求めてじっと見つめると、「は、はい……」と目元を赤らめつつも頷いてくれた。いつでもどうぞとばかりに夫に身体を向け、じっとこちらの動きを待つ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】王太子と宰相の一人息子は、とある令嬢に恋をする

冬馬亮
恋愛
出会いは、ブライトン公爵邸で行われたガーデンパーティ。それまで婚約者候補の顔合わせのパーティに、一度も顔を出さなかったエレアーナが出席したのが始まりで。 彼女のあまりの美しさに、王太子レオンハルトと宰相の一人息子ケインバッハが声をかけるも、恋愛に興味がないエレアーナの対応はとてもあっさりしていて。 優しくて清廉潔白でちょっと意地悪なところもあるレオンハルトと、真面目で正義感に溢れるロマンチストのケインバッハは、彼女の心を射止めるべく、正々堂々と頑張っていくのだが・・・。 王太子妃の座を狙う政敵が、エレアーナを狙って罠を仕掛ける。 忍びよる魔の手から、エレアーナを無事、守ることは出来るのか? 彼女の心を射止めるのは、レオンハルトか、それともケインバッハか? お話は、のんびりゆったりペースで進みます。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】【R18】男色疑惑のある公爵様の契約妻となりましたが、気がついたら愛されているんですけれど!?

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
「俺と結婚してくれたら、衣食住完全補償。なんだったら、キミの実家に支援させてもらうよ」 「え、じゃあ結婚します!」 メラーズ王国に住まう子爵令嬢マーガレットは悩んでいた。 というのも、元々借金まみれだった家の財政状況がさらに悪化し、ついには没落か夜逃げかという二択を迫られていたのだ。 そんな中、父に「頼むからいい男を捕まえてこい!」と送り出された舞踏会にて、マーガレットは王国の二大公爵家の一つオルブルヒ家の当主クローヴィスと出逢う。 彼はマーガレットの話を聞くと、何を思ったのか「俺と契約結婚しない?」と言ってくる。 しかし、マーガレットはためらう。何故ならば……彼には男色家だといううわさがあったのだ。つまり、形だけの結婚になるのは目に見えている。 そう思ったものの、彼が提示してきた条件にマーガレットは飛びついた。 そして、マーガレットはクローヴィスの(契約)妻となった。 男色家疑惑のある自由気ままな公爵様×貧乏性で現金な子爵令嬢。 二人がなんやかんやありながらも両想いになる勘違い話。 ◆hotランキング 10位ありがとうございます……! ―― ◆掲載先→アルファポリス、ムーンライトノベルズ、エブリスタ

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】殿下は私を溺愛してくれますが、あなたの“真実の愛”の相手は私ではありません

Rohdea
恋愛
──私は“彼女”の身代わり。 彼が今も愛しているのは亡くなった元婚約者の王女様だけだから──…… 公爵令嬢のユディットは、王太子バーナードの婚約者。 しかし、それは殿下の婚約者だった隣国の王女が亡くなってしまい、 国内の令嬢の中から一番身分が高い……それだけの理由で新たに選ばれただけ。 バーナード殿下はユディットの事をいつも優しく、大切にしてくれる。 だけど、その度にユディットの心は苦しくなっていく。 こんな自分が彼の婚約者でいていいのか。 自分のような理由で互いの気持ちを無視して決められた婚約者は、 バーナードが再び心惹かれる“真実の愛”の相手を見つける邪魔になっているだけなのでは? そんな心揺れる日々の中、 二人の前に、亡くなった王女とそっくりの女性が現れる。 実は、王女は襲撃の日、こっそり逃がされていて実は生きている…… なんて噂もあって────

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

処理中です...