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妻との距離を詰めかねておりまして②
しおりを挟むエミリオが彼女のことを気にかけるようになったのは、あの雨の日、庭園の片隅で一人涙する少女を見つけたときからだ。その日を境に、自分の中で彼女の印象は大きく変わった。
それまでの二人の交流は、夜会で二、三度挨拶を受けた程度という希薄なものだった。
セレナが社交界に仲間入りしたのは十四歳のときである。それは周りの令嬢たちに比べるといささか早いデビューだった。
モニエ侯爵が王家に献上するために磨き上げた掌中の珠というのは誰もが知るところだったので、彼女が社交の場に初めて姿を現すという噂が広がったときには、ひそかな注目を集めたものだ。
一体どんな令嬢が出てくるか、とやや意地の悪さも含んだ好奇の眼差しを十四歳の彼女は見事に跳ね返してみせた。
まだあどけなさを残していていい年頃なのに、そのときセレナはすでに大人びて完璧な淑女だった。外見は清楚で美しく、佇まいには気品が漂い、会話についていくだけの教養も申し分ない。それでいて人柄は寛容で控えめなので、無闇に敵を作ることもなく、彼女はどの集まりでも歓迎された。
非の打ちどころのない侯爵令嬢を未来の王妃にと望む声が上がるのも当然の成り行きだった。エミリオもそれが順当だと思っていたし、モニエ侯爵はもとよりそのつもりだったから、先王が戦で負った傷がもとで亡くなったとき、陛下とセレナの婚約はとんとん拍子で成立した。
だが――あの日泣いていた彼女は、年相応の弱さを持った少女で、人々が誉めそやすその姿は必死の努力で作り上げたものなのだとエミリオは知った。
『もう少し彼女に優しくしてあげてもいいのではないですか。いつか夫婦になる相手なのですから』
クロードとセレナが婚約していた頃、彼に一度そう上申したことがある。
『お前が政務以外で私に意見するのはめずらしいな。だが、私の性格を分かっているだろう? 細やかな気遣いなど煩わしくてかなわん。セレナが無理だと音を上げるなら早いほうが互いのためだろう。それに、彼女があてがわれた夫に順応できないような無能だとも思っていない』
分かりきっていたことではあるが、彼は臣下から差し出された令嬢一人のために己を曲げたりはしなかった。そんなことに労力を割くくらいなら、民や国のことを考えるのに時間を費やしたほうが有意義だと考えているのだ。
それは合理性という意味では正しいのだろう。
クロードはこの国唯一の王なのだから、彼にしかできぬ仕事に集中してもらうのが国民にとっては有益だ。陛下に無用の負担をかけるくらいなら、セレナが耐えるべきだと誰もが言うだろう。
エミリオだって彼女の涙を目にする機会がなければ、そこにある問題に気づきさえしなかったに違いない。それくらいセレナは己に課された役割を文句のつけようもないほどしっかりと果たしていた。
だが、注意深く観察していれば、彼女が感情の揺らぎをかすかに垣間見せる瞬間は確かにあって、クロードと接するたびに神経をすり減らしていることはなんとなく推察できた。
あれほど完璧に立ち回れる彼女が隠しきれぬのだ。その胸の内にどれほどの辛抱を抱えているのかと想像すると、エミリオは腹立たしい感情に苛まれた。
自分なら、そんなつらい思いはさせないのに。
優しくして、いっとう大切にして、いやな思いなど決してさせぬよう慈しんでやるのに。
けれど、セレナは懸命に耐え忍んでいる。それもひとえに陛下の妃となるために。不満の一つもこぼさず、常に優美な微笑を浮かべて、陛下と王家のために尽くそうと努力してくれている。
あれほど一途に頑張れるのは、やはり彼を愛しているからなのだろうか?
その健気さがエミリオには苦しくて、けれど彼女の努力は応援してやりたいから、結局さりげなく手助けしてやることで支えることしかできずにいた。
まさか自分がセレナと結婚することになるとは夢にも思わずに。
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