運命の番は真実の愛の夢を見る

むつき紫乃

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 リーゼは幸せな花嫁になるはずだった。
 運命の恋だと信じた。
 それが呪いに変わるなんて。



 シャイデン国の始祖には獣人の血が混じっていて、大抵の貴族はその血を引いている。
 獣人の世界には運命で決められるつがいという存在がいる。誰にでもただ一人、出会った瞬間に惹かれ合う運命の相手がいるというのだ。だから普通はその相手と結婚する。
 シャイデン国でも昔はそうだった。けれど血が薄まった今では運命の番なんて滅多にいない。だから、運命の恋を夢見る令嬢たちも、やがては家のためにどこかの貴族に嫁ぐのだ。

 男爵家に生まれたリーゼもそうなるはずだった。
 運命が変わったのはデビューの夜会だ。
 きらめく会場には、誰もが振り向く美しい青年がいた。

 彼と目が合った瞬間、リーゼの身体を雷のような衝撃が貫いた。わけのわからぬ感覚に呆然としていると、視線の先でも同じように相手が目を見開く。
 彼はすぐに我に返ってリーゼの目の前にやってきた。
 間近で見たその容姿は、絵本から抜け出してきた王子様のようだった。さらさらの金髪に、深い青の瞳。相貌は整いすぎて作り物めいて見えるほどだったけれど、柔和な微笑が冷たさを打ち消し、温かな人柄を伝える。
 彼は優雅にお辞儀し、形のいい唇から柔らかな美声を響かせた。

「ヴェルマン公爵家のアルベルトです。君の名前を尋ねても?」
「リーゼ、と、申します。ラング男爵の娘です」
「では、リーゼ。君に結婚を申し込みたい」
「は、え……え?」

 周囲にどよめきが広がった。けれど、アルベルトは一心にリーゼだけを見つめている。
 見つめ合うだけで、胸の鼓動が速くなっていくのが分かった。頬が熱い。彼の表情にも同じ高揚が窺えた。

「君も気づいただろう? 僕たちは運命の番なんだよ。それとも、この胸の高鳴りは、僕の勘違いかな」

 照れくさそうな顔にちらりと不安の影がよぎって、リーゼはぎゅっと胸元を押さえた。苦しいほど胸が高鳴っている。

「い、いえ……私もそう、思います」

 答えると同時にわっと歓声が沸いた。
 今やシャイデン国ではめずらしい運命の番は、始祖の血を象徴する尊いものとなっていた。そして番は、生涯を添い遂げるべきものである。つまり、衆目の前で運命の番だと認めた時点で結婚に同意したも同然なのだった。
 けれど、リーゼの胸に後悔はなかった。アルベルトに接したほんのわずかな時間のうちにどんどん惹き付けられていく心を自覚していたからだ。

 この人となら素敵な恋ができる。
 だって運命なんだもの。

 このときのリーゼはそう信じて疑わなかった。



 ほどなく正式な婚約が結ばれた。
 貴族の結婚にまつわる手続きは煩雑で、取り決めることが多岐にわたる。二人は、その隙間を縫うように逢瀬を重ね、互いへの思いを深めた。
 ときにたくさんの花が咲き誇る庭園で。ときに昼下がりの光が満ちるテラスで。二人きりで語り合える時間は長くはなかったけれど、その分濃密に過ぎた。

 アルベルトは優しい。公爵家の嫡男だというのに偉ぶったところもなく、男爵家のリーゼを丁重に扱ってくれる。物腰も穏やかで、決して声を荒らげることはない。
 こんな素敵な男性だから、きっと過去には恋人の一人や二人いたのだろう。
 少し面白くない気持ちでリーゼが尋ねたときだけ、彼は表情を強張らせた。すぐに笑顔に戻って、そんなことないよと否定してくれたけど、一瞬その瞳にのぞいた暗い陰の色にリーゼは怯え、そのままうやむやにしてしまった。

 もしこのとき少し立ち止まって、隠された事情に思いをめぐらせていたら、結果は変わっていたのだろうか。

 リーゼはなにも気づかないまま結婚の日を迎えた。
 壮麗な大聖堂で二人は愛を誓った。公爵邸の広間で開かれた宴には、結婚を祝福するために多くの人が詰めかけた。
 隣には愛するアルベルトがいて、このとき確かにリーゼは幸せな花嫁だった。

 雲行きが怪しくなりはじめたのは、人酔いしたリーゼが一人で広間を離れ、外の空気を吸っていたときだ。

「クラウディア様は、まだ塞ぎ込んでらっしゃるのですって」
「仕方ないことじゃないかしら。将来を誓い合った恋人を横取りされたのだもの。夜会でお見かけしたときだって、とても仲睦まじそうだったのに。まさかこんなことになるなんて、ねえ……」

 物陰から聞こえてきたのは、才色兼備で有名な第二王女の噂話だった。リーゼは、遠目に見た美しく品のある佇まいを思い出し、非の打ち所のない彼女でも失恋することがあるのかとのんきに同情した。だから、続いて登場した身近な人の名前に息を呑むほど驚いた。

「アルベルト様も罪なことをなさいますわね。いくら運命の番が現れたからって恋人をこうも冷たく捨てるだなんて」

 その恋人がくだんの王女を指していることは、いくら察しが悪いと言われるリーゼでも分かった。

 つまりクラウディア様は、私のせいで捨てられた?

 二人が並ぶ姿を想像する。美しい王女と美しい公爵令息。怖いくらいにお似合いだった。彼らは仲睦まじく、将来を誓い合っていたという。
 先ほど聞こえてきた横取りという言葉がふっと頭に浮かぶ。

 ――それでも、今愛し合っているのは私のはず。

 自分は間違ってなんかいない。そう強く思い込もうとする。なにかが食い違っているような違和感が胸に広がったけれど、リーゼは気付かないふりをした。
 これは運命の恋なのだ。だから、間違いなどあるはずがない。
 懸命に自分に言い聞かせ、もと来た道を戻った。

 広間の真ん中では、リーゼと対になる衣装をまとったアルベルトが人に囲まれて談笑していた。そばに近づくと、彼はすぐにリーゼに気がついた。

「気分はよくなった? ……まだ少し顔色が悪いみたいだね。もう少し休んできたら?」

 真っ直ぐこちらを見つめる瞳は、後ろ暗いことなどなにひとつないかのように澄んでいる。胸の違和感が、また強くなった気がした。

「……大丈夫。あなたにばかり、お客様の相手を任せるのは申し訳ないもの」
「いいんだよ。リーゼはデビューして間もないんだし、僕を頼って、ゆっくり慣れてくれれば」
「でも……」

 リーゼがなおも遠慮しようとすると、アルベルトは苦笑し、さっと広間の様子を見回した。

「でも確かに、そろそろ僕らは退場してもいい頃合いかもね」
「え?」
「結婚の宴で主役が途中で抜けることは知っているだろう?」
「ええ、もちろん」

 宴に最後まで付き合っていたら日付けが変わってしまう。結婚した二人には、それより優先すべきものがある。
 昨日までのリーゼは、その先に待つものを想像しては真っ赤になっていた。けれど、今は別のことが引っかかる。
 なにも言えずにいるリーゼを恥じらっているとでも思ったのか、アルベルトは安心させるように微笑みかけると、客人たちに暇を告げ、リーゼを広間から連れ出した。
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