自殺写真家

中釡 あゆむ

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第五章

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 秋を何とか実家へ送り届けた青年は、すっかり日が暮れた辺りを見回す。赤いランドセルを背負った小学生たちの影、独身のサラリーマンの影、退屈しのぎで買い物をしているような主婦の影、誰かにパンツを売る予定の女子高生の影、部活に明け暮れる男子中学生の影、猫の影、電柱の影、建物の影、色んな影が行き交う中、青年の影は秋の家の前から動かなかった。精神的に病んだ人間がここにいることを当然のように誰も知らない。 


 世間に怯え、嘘をつき、そうしてバランスを保っていた存在を誰も知らない。みんな素知らぬ顔をして生きている。秋のしていたことはあまりにも無駄であるように感じた。 


 青年は知っている。案外他人は、自分のことを見ていない。嘘をつかなくたって、誰も誰かの核に触れられない。それは僕も同じだ。誰かの核に触れることなんて出来ない。 


 人は今もずっと一人だ。どれだけ喧嘩をしても、語り合っても、セックスをしても、一人だ。個々の存在なのだということを、知っている。 
 それでも人は勘違いする。人は一人ではないのだと。みんな一緒だ、と呪いの言葉を放ち、個々の存在はかき消される闇を、知っている。 


 青年の影は動き始め、国道沿いを歩いていく。秋の怯えた表情を思い出した。震えた声も、かっこよかった大きな背中を丸めていたことも思い出した。 
 思い出す、という行為は忘れていた訳ではないのだと青年は考える。幾千ものある記憶が一つ二つ引っ張られ、そこに感情が伴うのが思い出だ。 


 現に青年は今、憎しみを抱えていた。彼の怯えた表情を見た時、聞かなくても本当はわかっていた。自分だって感じた恐怖。迫ってくる焦燥感。 
 秋は、それに酷く弱いのだ。支配されてしまうことを恐れている。一方で、守られたいとも思っている。けれど守ってくれる存在はこの世にはいない。だから嘘をつくことで守ってきていたのに。 


 許せない。青年の中で憎悪が膨らみ続けた。真っ赤に染まった空がやがて青へ落ち着いてきた頃には、彼は山奥へ来ていた。 


 眼下に広がる人口の光。頭上には宇宙が広がる。音はなく、匂いもない。視覚だけがフルに活動し、胸の内を焦がす。 
 青年は切り株の上で腰掛け、憎しみが沈殿したのを感じ取ってため息をついた。秋はああなるとしばらく動けないだろう。その間にたくさん依頼を受け持つのもいい。何より人の死に際へ立ち会えるのは、やはり気持ちいい。

 
 目を閉じた刹那、後方で草を踏む音が鳴った。それまで音のなかった世界で鳴った音は、耳があったことを確認させられる。 
 青年は振り向き、前方へ目をやった。たまに来る女だった。知らない女。しかし、少しだけ知っている女。 
 この前彼女が弱っていたのを思い出した。今、息を切らすほどの元気は蘇ったらしい。彼女が横に来るのを待っていると、いつまでも来ないことに気付き、振り向いた。 


「君だったのね」 


 彼女の顔は見えない。至極残念そうに呟く彼女をジッと見つめていると、彼女は近付いてきた。 


 今日は満月だ。やけに闇が薄い星空の真ん中を丸い月が君臨する。月光に晒された彼女の顔は、可憐だった。 
 目が大きく、髪が青年より短い。スレンダーな身体が綺麗に浮き彫りされる。目の前まで近付いてきた彼女は、しかし青年を睨みつけた。 


「君が要島修。……もとい、自殺写真家」 
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