再会は、異世界で。

柚木音哉

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第一章

3.腹が減っては戦は出来ぬ

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「よし!」

 気合いを入れた私は、長い金色の髪を後ろ手に束ね、口に咥えていた紺色の紐で結わえて、ピナフォアエプロンドレスをつけた簡素なドレスの袖口を捲り上げた。
 それから、水瓶の水をボゥルですくって丁寧に手を洗うと、リーザはおもむろに竃の前で軽やかに親指と人差し指でパチりと指を鳴らした。こうすることで予め師匠が魔力を注入してあるこの家の竃は、オレンジ色の火が点火する仕組みだ。

 最初の頃、私が容易く火を点けられるようにと拵えてくれた魔法具だ。
 初めて師匠に会ったあの日、師匠は「魔法が使え無いならば手を使いなさい」と言っていたのに、こんな便利なものをしっかり用意してくれたのだ。

 曲がりなりにも子爵令嬢育ちで、しかも文明の利器も豊富だった現代日本で暮らしたことのある私は、初日と言わず数日粘ったが、結局、慣れないおが屑と木の棒でゴリゴリする錐揉み式や火打ち石での点火では――日が暮れても火をおこすことが出来なかったからだ。
 ……うん。師匠、ごめんなさい。私、前世むかしからキャンプとか苦手だったの。不器用過ぎて。

 そんなわけで「しょうがないですねー」と、苦笑しながらも師匠が見るに見兼ねて拵えてくれたのが、この魔法具。
 あちらの世界で言うガスコンロを竃版にしたようなものなのだが、これが優れもの。私にとってはとても重要な、肝心のガスの代わりをしている部分は予め注入蓄積されている師匠の魔力が動力源なので、魔法を使う必要が無い。
 つまり、魔力がなくても使えるのだ!

 但し、これには一つだけ、難点があった。
 それが、この指パッチンの点火動作だ。
 あちらの世界でなくとも、普通の生活で指パッチンなんてそうそう使うことは無いと思う。アラサーの結衣ですら、指パッチンなんて身近なものではなかったのだが、歌でも歌う方ならリズムをとるのに使うんだろうか。直近で言えば、転生する前に友人と観に行ったとあるヒーロー物の映画でやってたのを思い出したが、どうにもその映画のシーンが頭を過ぎって微妙な気持ちになった。そんな指パッチンを、まさかこんなファンタジーの世界で自分が……しかも、コンロのツマミ代わりに毎日鳴らす日が来るなんて、誰が予想出来ただろうか。
 ちょっと想像してみて欲しい。
 コンロの前で指パッチンをしている私を。

 ……あ。何か、客観的に状況とか想像したらシュールで恥ずかしくなって来た。
 これ、深く考えてはいけないな。うん。

 ……まぁ、そんなこと言っていられる場合ではなかったのだけれど。
 なんせこの点火方法……最初の頃は、まず、鳴らし方が分からなかった。そして、どうやら音に反応するのか、それとも摩擦の度合いが関係するのか、初心者だった私は、カスッカスッとした音しか鳴らせず、チロチロとした弱い火しかおこせなくて、強い火を起こせるようになるまで随分時間がかかってしまった。
 え?
 だったら、力技で火おこしする火打ち石とか、錐揉み式の方を試した方が早かったんでは? って?
 いやいやいやいや。自分で言うのもなんだけど、毎日、朝昼晩不器用な自分があれらの方法で火おこししてたら体力と精神力をごりごり削られる自信がありますよ。その点、指パッチンて指しか使わないから手軽じゃないですか。
 それ考えたら手軽に出来る方が良かったと言えば……良かったと思うの。多分ね。

 色々と不器用すぎる私の為に、こんな特別な魔法具まで拵えてくれた師匠の心遣いは本当に嬉しいが、全くもって魔法具へのそのセンスは謎である。
 そんな私ではあるけれど、そんなこんなはあっても弟子になってからというものの、きちんと毎日欠かさず師匠の食事は作っているわけで。
 転生したとは言え、元アラサーで、一人暮らしで自炊に慣れてて本当に良かったと思う。

 ……それに、五年も経てば、立派に指パッチンも鳴らせるようになりましたとも。ええ。めでたし、めでたし――ではなく!

 少し昔を思い出してしまったが、その間にもちゃんと私はせっせと朝食の準備をする為動いていますよ。

 師匠が食べ損なっていた昨日の夕食に作った具沢山の野菜スープは、鍋にまだたっぷりある。それを魔法コンロの上に置いて温め直しながら、次の作業をするべく魔法コンロの隣に置いてある大きな冷気が漂う四角い箱の方へと向かった。
 この箱は保冷庫だ。凍結の魔法が掛けてあるらしい。
 この保冷庫だけは拵えたものではなくて、師匠が私がやって来る前から使っていたものだ。蓋を開けると肉や魚は勿論、野菜や果物など様々な食品が詰め込まれている。
 これらは月に一度の転移魔法で市場に行って買い込んで来ておいたものだ。水属性の凍結魔法と、師匠オリジナルで時を止める魔法が絶妙なバランスでかけられているらしいので、食品はほぼ腐ることが無い。
 几帳面な割には出無精でめんどくさがり屋の師匠が、買い物に行く時間を惜しんで一から開発した……この世界では画期的な発明品だ。
 冷気の立ち昇る保冷庫の中から新鮮なままパリッとした青々しい葉野菜と、他にも目についた色鮮やかな生で食べられる野菜と、鳥の卵を取り出す。プロス鳥は家畜として飼われているもので、人間と同じくらいの大きさの大人しい鳥だ。プロス鳥も普通に食されるし、美味しいが、その卵もまた身近な食材としてよく食べられている。味は鶏の卵によく似ているのだが、大きさが三倍くらいあるのと、殻に茶色の水玉模様がついているのが特徴だ。
 おっと! 
 ワーカムのチーズも忘れてはいけない。
 ワーカムも牛に似ているのだが、このワーカムもあちらの世界の牛に比べると二、三倍の大きさがある。
 どうやらこの世界は、全体的に生き物のサイズが大きいらしい。

 スープが温まって良い香りがして来た頃、金属製のフライパンをコンロに置き、熱している間に水瓶から水を汲み出して野菜を洗った。更にそれを千切って、他の野菜と共に皿に盛り付けていると、いつのまにかやって来た師匠がテーブルに着席していた。

「師匠、少しお待ちをー」
「はい」

 熱くなったフライパンにワーカム牛のバターを落とし、それが溶けていくに従ってキッチン中に香ばしい匂いが広がった。
  プロス鳥の卵は大きいので片手では割れない。卵の真ん中辺りに金属製のスプーンやナイフなどでコンコン叩いてヒビを入れてから、少しずつ穴を開けて中身を取り出すのだ。ボゥルに卵と、それからワーカムの乳を絞ったものを少し入れてよーく溶いてからフライパンに流し込むと、じゅわじゅわと美味しい音がして来た。
 黄色いとろとろのオムレツを目指すのだ。
 卵が少し固まり始めたらフォークでふわふわになるように混ぜて、脇に用意してあった固まりのチーズをナイフで削って素早く巻き込む。
 火加減は最初の着火の時点で調節してあるけれど、濡れ布巾を使えばある程度調節出来る。
 ……うん。美味しそう。
 皿に盛り付けて香草をパラパラと振り掛けて終わりという頃、脇からにゅっと手が伸びて、オムレツの載った皿を掻っ攫っていった。

「!?」

 突然のことに振り返れば、先程までテーブルの前に座って窓の外を見ていたはずの師匠の手には、スープの入った器と出来立てのチーズオムレツの載った皿がしっかりと納まっていた。

「はいはい。後は並べるだけですよねー? さくっと用意しましょ。手伝いますねー」
「あ、ありがとうございます? 師匠、こういう時は素早いですね」

 基本的に師匠はめんどくさいことが大嫌いだ。でも、こういった日常の些細なことは嫌いでは無いらしく、何くれとなく手伝ってくれる。

「だって、お腹空いたんですよ。早く食べたいじゃないですか。リーザのご飯」

 にこにこと口の端だけを曲げて笑いながら、彼はさらりとそんなことを言って来た。
 


 


 
 
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