あをによし ~年下宰相様は日本画家の地味系女子にご執心です~

柚木音哉

文字の大きさ
上 下
30 / 47

30.看病疲れと真夜中の攻防。

しおりを挟む
 ルーデンボルグ家のお世話になっている医師が言うには、レオンハルトが倒れたのは、やはり過労に因るものだったようだ。
 美月は働いている彼の様子を側で見ていた訳では無いが、目の下に浮かぶクマが物語るように、王宮では寝る間も惜しんで働いていたようで、疲労は限界だったのだろう。
 若いレオンハルトにとって、宰相と言う立場は恐らく常に盤石ばんじゃくと言う訳では無い。政権内部からの突き上げや、王宮内での意見の対立もあるだろう。彼が如何に優れた人物であっても、若年であるが故の経験不足を僅かにでも補うには己の努力しか無いのだ。


 美月はレオンハルトの寝室で、彼の眠るその顔を見ながら考えた。

 再来月の美月の誕生日がくれば、レオンハルトは五つ年下となる。
 眠っている姿は年相応に見える。しかし、普段の彼が年齢よりも大人びているから、これはこれで何だか新鮮だ。
「……結構可愛い顔して眠ってる」
 呼吸に合わせて上下する胸に合わせ、女である美月が羨むほど長いまつ毛が微かに震える。僅かに開いた薄い唇からは、すやすやと寝息が聞こえている。
 閉じたままの瞳の奥にある、賢そうな青い瞳は今は見えないが、彼の安らかな寝息が聞こえることに美月は安堵を覚えた。

(レオンが倒れた時……私……)
 ひどく狼狽していた。
 倒れたレオンハルトに縋り付き、彼の呼吸を確かめる手が震えた。その手で彼の胸に手を置き、呼吸をしていることに安心はしものの、何だかまるでキュッと心臓でも掴まれたかのようだった。血の気がひくとはあんな感覚なのかもしれない。
 あの時のことは無我夢中で、その後、何がどうなったか細かく思い出せない。気づいたら、周囲にルーデンボルグ家の近習さん達が居たのだから、誰かを呼ぶくらいは出来たのだろう。

 自分にとってちかしい人が突然倒れると、動揺は大きい。あちらの世界で数年前に亡くなった祖父が目の前で倒れた時もそうだった。
(ああ、私の中でレオンハルトは「親しい人」なんだ……)

 私は、あの瞬間、この人が居なくなったらどうしようって、考えた。
 レオンハルトは……この人は、既に私の「大切な人」だ。

 そっと手を伸ばし、まだ少し青白い顔にかかる柔らかな金の髪を撫で払うと、レオンハルトが身動いだ。
 「美月」と、彼の形の良い唇が自分の名前を再び呼ぶのを、心待ちにしている。
 そのまま、優しくその眠ったままの顔に手を触れると、指先から彼の温もりが伝わって来て、とても安心した。
 温かいその頰も、眠っている彼の顔も、すごく安心した。
(あ……安心したら、眠くなって来たような……)
 そういえば、このところ絵の方も色塗りの段階に進んでいて、気付けば周りが薄暗くなっていたことや、夜が明けていたことも多々ある。美月は集中すると周囲が見えなくなる。
(今回も描いている間、あんまり眠っていなかった気がするなぁ)
 そんなことを考えて居たら、次第に瞼が重くなって来た。






「――き、――づき?」
 優しく自分を呼ぶ声が聞こえ、美月がぱちりと目を開けると――。
「――ぅ、ぁえ?!」
 レオンハルトの綺麗な顔が目前にあった。
「ッ……ひ、ゃああああ!!」
「!! 危ない!」
 驚いて思いっきり後ろへ飛びのこうとすると、レオンハルトに逆に引き寄せられた。

 え。
 ちょっと待って。
 今、私、どう言う状況ですかね?!
 何でレオンが目の前にいるんだっけ?

 美月が自分に置かれた状況を把握するまで、数十秒はかかっていた。

(……確か、レオンが倒れて、眠ってて? 私は彼の側で看病を――……って、あれ?!)

 
(私、うっかり眠ってしまって、一緒にここで寝てたってこと?!)

 レオンハルトの寝息を聞いているうちに何だかすごく安心して、気が抜けたのもあるだろう。しかし、看病していてうっかり一緒に寝てしまうとは何事か……。
「……美月?」
 しかも、何か後退りし過ぎてベッドから落ちそうになったところを、逆にレオンハルトに引き寄せられて、腕の中に居るし。
「れ、レオン、目が覚めたのね。私……私まで、う、うっかり眠ってしまったみたいで、その、なんかごめんなさい。せ、狭いよね……すぐ退くから」
「……いえ。遠慮はしないで下さい。美月が良ければ、ずっとこのままで構いません。僕にとっては最高の添い寝です。ありがとうございます」
 男性経験どころか恋愛経験値も低い美月にとって、ベッドの中で抱き締められているだけでも非常事態である。パニクっている上にずっとこのままでいて欲しいなどと言われても、そもそもこちらが普通でいられ無い。
「あ、ああああの。レオン、そっ……そろそろ私……」
「ダメです。暫くこうしていて下さい」
「――ぇえっ……はい……」
 レオンハルトの眠っていたベッドで抱き締められていると、妙な気持ちになる。彼の温もりやその匂いがすぐ間近に有る、その距離は限り無くゼロに近い。彼も寝起きなのか、声が少し掠れているのが却って色っぽく感じて、とにかく落ち着かない。
「……美月?」
 どうして良いのか分からず、固まってしまった美月とは逆に、レオンハルトはと言えば余裕があるようだ。自分の問いかけに彼女の反応が無いことを不審に思い、彼女の顔を見ようとしている。が、美月は美月で自分が今どんな顔をしているかわからない自分の顔を見られる訳には行かず、全力で顔を隠した。
「……ど、どうして顔を見ようとするんですか……」
 レオンハルトの胸元で顔を隠しながら呟く美月の細い腕を捕まえて、覗き込んでいる。美月は、それをうまく躱して顔を逸らし続けている。
「どうしてって、美月が隠すからですよ。さっきまで寝顔を見ていましたし、今更です。何でそんなに隠すんですか」
「ね、寝顔見られるとか恥ずかしいに決まってるじゃないですか!」
「ふふふ。それはお互い様じゃないですか」
「――ッ!!」
 思わずぽふん、と手を突っ張ると捕まえられている手とは逆の手も捕まえられてしまった。

「……こんなことしてたら、お、お嫁に行けなくなる……」
「……おや。美月は僕では無い誰かの元へ嫁ぐ気だったのですか?」
 どこか楽しげに話すレオンハルトに、美月は少々ムッとしながら思わず目を向けると、バッチリ目が合ってしまった。
「!!」
「美月、答えて。僕以外の誰かにでも嫁ぐつもりだったんですか?」
「え、そ、そんなつもりは……今のはただの言葉の綾で……」

 どことなく先ほどまでの、美月の反応を楽しむような反応では無い不穏な空気を漂わせたレオンハルトが、美月を見ている。

(あれ? 何か……目が怖い……)
「美月、僕ははっきり君に告白しましたよね」

「…………は、はいッ……って、えっ?!」

 レオンハルトが美月の眼前に迫る。
 視界がぐるりと回り、いつの間にか美月はレオンハルトを見上げていた。彼は両の手を片手で纏め上げ、美月を見下ろしている。
 驚いて呆然としたまま両手が動かないことに気づいて、自分を拘束している手をぼんやりと見ていると、静かな声が降って来た。

「……美月、どこ見てるんですか?」


 金髪の青い瞳のふわふわした美少年だったレオンハルト。今は、成長して立派なイケメンになっている。甘さの残る美しい顔に妖しい笑みを浮かべ、彼はそっと囁いた。

「僕を見てよ……美月。もう、逃さないからね」


 ちょ……ちょ、ちょちょちょちょ! ちょーっと、待って下さいよ?!
 私、この人に食べられる!!
 何か食べられそうな気がしますからっ!


 美月の身体にゾワゾワとした戦慄が走る。
 その笑顔の中で、彼の目は笑っている。しかし、どこかしらその笑みには空恐ろしさを感じる。
 身の危険を察知した動物とはこんな気持ちになるのだろうか? 若しくは、蛇に睨まれた蛙の気持ち?
(……今なら、どっちも分かりたくないけど、分かるかもしれない)
 捕獲されまいと逃げを打ちたい気持ちがあるのに、逃げられる気がしない。

 寧ろ、私はもう、彼に捕まりたいのかもしれない。

 真っ直ぐに自分を見つめるその瞳が、どうしてそんなに恐ろしく感じたのか、わかった。



しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道 周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。 女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。 ※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※

腹黒宰相との白い結婚

恋愛
大嫌いな腹黒宰相ロイドと結婚する羽目になったランメリアは、条件をつきつけた――これは白い結婚であること。代わりに側妻を娶るも愛人を作るも好きにすればいい。そう決めたはずだったのだが、なぜか、周囲が全力で溝を埋めてくる。

処理中です...