あをによし ~年下宰相様は日本画家の地味系女子にご執心です~

柚木音哉

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17.宰相様は休暇中です。

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(貴族の別荘と言うものは、こんなに長閑なものなんですねぇ……)
 
 別荘の周りに広がる森林と湖のおかげで、かなり静かだ。木々のさざめきや動物の鳴き声がよく聴こえる。

「……今日は、狩猟に行くのですか?」
 忙しいレオンハルトと邸では滅多に無かった朝食を共にした後、給仕のメイドが淹れてくれたお茶を飲みながら美月が尋ねた。

 以前の滞在でも思ったが、この世界の人の食事量はやや多めだと思う。品数が多い所為もあるだろうが、一品のサイズが少し大きい。
 特に邸の主人であるレオンと共に食事を大きなテーブルでとる時ときたら……アメリカンサイズとまでは行かないが、例えて言うなら盛りの良いフレンチみたいな感じだ。味は香辛料やハーブなどのシンプルなものが多いが、食の細い美月でもスルスルと少し食べ過ぎてしまう程美味しかった。きっと料理人の腕が確かなんだろう。
 お腹がいっぱいになると満たされた気分になり、自然と会話もはずむ。いつもより和やかなムードで二人はその時間を愉しんでいる。口にしたお茶は、ほんのりと花の香りがするが、味は紅茶に似ていた。
 とても優雅で幸せな――甘い味がした。
「ええ。今日は美月とのんびり散策でもする予定だったのですが、鹿狩りに誘われてしまいましたので。散策はゆっくり出来るまた別の日にしましょうか」
「あ。……そう、なんだ。気遣いありがとう。私のことは気にしないで。また好きなように絵を描いてるから。この邸の周りはとても綺麗な景色だから、スケッチも楽しいし」
(……少しだけ、残念な気もするけど)
 彼にも付き合いがあるのだろう。
 彼が出掛けている間、私は黄色や赤に色づいたここの景色を堪能するとしよう。邸から湖も見えるし、絶景スポットを探すのも楽しそうだ。それで歩き回って疲れたら温泉だって入り放題とか、考えたら最高じゃないか。
 レオンハルトよりも自分の方が満喫しているようで、少々申し訳ない気分になるが。
「それよりも……レオンも狩りをするんだ……?」
「狩猟はあまり好きではありませんが、弓や銃は得意なんですよね」
(……意外。銃は別として、こんな細身なのに、弓とかやるの?)
 美月の顔を見て彼は青い瞳を僅かに見開き、その後何故かおかしそうに肩を震わせながら彼女に口を開く。
「くくっ……いや、失礼。意外でしたか? 貴女は思っていることが顔に出ますね。僕もそれなりに武芸は出来ますよ。いや、銃は武芸に入るのかな? でも、まぁ……何かあった時に主君である国王陛下や領民を守れるよう、幼い頃からルーデンボルグの家は代々武芸もひと通り納めます。だから、僕は剣も槍も弓も出来ますよ。得意不得意はありますが、家訓で文武両道を是としていますから」
「へぇ~」
「……しかし、まぁ正直、最近はあまり鍛錬に力を入れていないので、少し自信がありませんけど」
 困ったようにふわりと笑いながら話すレオンの様子を見る限り、自発的に行く狩りの話ではなさそうだ。
(誰かに誘われたのか……)

 貴族と言うのは、日がな一日遊んで暮らすものだと思っていた。あちらの世界では貴族が使用人に領地の管理を任せる場合も多いのだとどこかで読んだ気がしたが、彼はどうやら出来る限り、自身の領地は自らの手が及ぶ範囲で管理しているようだ。
 ルーデンボルグ家は力のある古い家柄だ。管理している領地も当然小さな領地では無いはず。おまけにレオンも彼の前の父君も、この国の宰相という立場。
(その上、武芸の稽古だなんて……)
 彼が毎日忙しそうにしているのも頷ける。

 美月がこちらの世界に滞在した期間は、前回を併せてもまだ三、四カ月と言った所だ。レオンハルトと言う人を、自分はまだ何も知らないのだと今更ながら感じていた。

「レオンは苦労性ですね」
「ん? 急に何がです?」
「毎日忙しいのも分かるなぁって、思って」
 淡々と狩りの準備をするレオンハルトの様子を見ながら美月がしみじみと呟くのを見て、彼は少し訝しげな顔をしたが、次の瞬間には破顔して美月を揶揄うように軽口を叩いた。
「ええ。僕にはまだ一緒に苦労を背負ってくれるパートナーも居ませんしね。誰かさんみたいな人がずっと隣に居てくれたら、僕も張り切って頑張るのになぁ」
「え」
「ふふ。……いいえ、なんでも無いです。ただの独り言です。僕は今の仕事を苦だと思っていません。ずっと父上の背中を見て居ましたからね。寧ろ、今はそれ以外の事の方が上手くいかないかなぁ……」
「…………」

「……なんてね。ああ、そろそろ時間だ……」
 レオンが珍しく小さな声で漏らした言葉に、どう答えたら良いのか迷っているうちに、彼は部屋の入り口の方へと向かっていた。
「日が暮れる前に帰ります。君はゆっくりしてて下さい」

(ゆっくり? ゆっくりして欲しいのは、レオンの方だけど、彼はきっとじっとしていられない人なんだろうな)
 この世界に戻ってから――特にこの何日かのレオンハルトと言う男の人となりを見ていると、美月はまだまだ彼のことを「よく知っている」「すごく親しい」とは言い難い。ただ、美月が判るのはレオンが疲れているようだだとか、身体の調子が悪そうだとか、気を遣ってくれているなだとか……そう言うものだ。
 三年半前、前回この世界に堕とされた時、大人未満のレオンハルトは今よりも表情が豊かだったように思う。大人になれば、子供の頃よりも注意深く、計算高くなる。
 宰相と言う職業柄、ポーカーフェイスであることも、落ち着いていることも、賢くあることも求められるだろう。
(悪いことでは無いと思う。でも……)
 
 そんな中で少なくとも今日はほんの少しだけ、このところの疲れた表情では無く、年相応の心からの笑顔を見られた気がして、胸が少しだけあたたかく――それから、嬉しくなった。
 王城に出仕する時とは違う、少年のように無邪気な表情を浮かべるレオンハルトが美月には新鮮に映る。
 これが彼の素の部分なのだろう。
(……もっと、彼の色んな部分も見てみたいなぁ)

 暫くして侍従達が狩りの準備を整え、主人の出立を促している。

「レオン、行ってらっしゃい」

 明るい声がレオンハルトの後ろ姿にかかる。
 振り向いた彼が美月を振り返って柔らかな笑みを浮かべると、ゆっくりと口を開いた。

「行ってきます」

 そのまま美月の方に手を伸ばすと、その長い指先が彼女の方を掠めた。それからレオンはにこりと微笑み、その部屋を出た。








 ◇






 美月がレオンを見送り、与えられた自室に戻ってスケッチブックを持って出かけようと準備を始めた頃、ルーデンボルグ家の門をくぐった馬車がある。

「…………」

 正面に建つルーデンボルグの別荘を見据え、その人物は無言のまま退屈そうに長い脚を投げ出し、座席に身体を投げ出すようにして座っている。

「ローウェル様、到着致しました」

「ふぁあ……! やっと着いたか……」
 欠伸混じりに呟き、男が顔を上げた。それから、長時間同じ姿勢で馬車に揺られ、凝り固まった身体を目一杯伸ばした。
 今しがた欠伸をしたせいでその目には涙が滲んでいる。

 男の瞳の色はレオンハルトに良く似た澄んだ青色をしていた。


 
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