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14.描きたいものは何ですか?

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 紙に表、裏、表と、三度目の滲み止めのドーサを引き終え、美月は正座をしたまま、下絵を考えていた。

 目の前に広がる真っ白い紙に何を描くか……うーん。

 小下図エスキースと言う小さな紙などに大体の構図を考える作業の後、本来の下絵を描いて行くのだが、今回はこの小下図の段階で悩んでいた。
 このベルンシュタインの領地に戻って来てから、レオンハルトがこの邸にいる間、以前と同じように、夜に彼の執務室へ行き、デッサンはしている。だが、思うように彼のポーズが決まらない。
 毎日、変わらず忙しそうで……帰宅時間も時折日付が変わってからの時もある。王都リンメルからは近いベルンシュタインと言えど、毎日通うのはキツいだろうに、彼は日付を跨いでも必ずこの邸へ戻って来ている。

 そして、執務室で美月が彼を迎えるのが日課となっている。


 ――以前より伸びた上背も、しゃんと伸びた背筋も、整った横顔も。彼は全てが美しい。彼は元々天使のように美しい少年だったが、青年となった今の姿も涼やかで綺麗だ。
 しかし、同時に今の彼は、以前ならば時折美月に見せていたような柔らかな雰囲気の笑みが更に少なくなり、普段の彼が執務中に纏う雰囲気は、刃みたいに鋭くなっていた。いつも眉間に皺を寄せて、何か書き物をしている。

「肩凝りませんか? 肩もみする?」

 美月の口から思わず出た言葉に、彼は少し笑って大丈夫だと答えたけれど、その笑みも少し強張っていたように見える。笑い慣れないと言った感じだろうか。
 再び書類に目を戻した彼の、また少し無機質で冷たい感じのする横顔を見ながら、美月もまたデッサンに戻った。

 彼女に対してのレオンハルトの接し方は、前とあまり変わらない。
 今、彼は多忙な時期で、この執務室での時間くらいしか一緒に過ごせる時間が無い。まだ彼に対して、どんな風に接して良いのかわからない美月には都合は良いが、彼の見た目にもわかる疲労感が少々気にかかる。

(……ちゃんと寝てないのかな?)
 綺麗な顔には少し隈ができているし、顔色も青白い。唇はカサカサだし、食事はまともに食べているのだろうか?
 ほぼ毎日顔を見ている美月は、そのデッサンの過程で彼の様子をよく見ている。彼の顔色だの、体調が気にかかりだしたのはその所為でもある。

 美月には分からないけれど、彼の背負うものは、このベルンシュタインの領地領民のことだけでは無いのだから、推して知るべしとも言えよう。

 弱冠二十歳の宰相様。美月よりも四つ年下の、若き国の柱。
 その肩には常に、沢山の責任がのしかかっている。美月が元の世界に帰った後、どうしていたのだろうか?
 ――歴代最年少宰相となった彼は、その頃から……いや、それよりずっと以前から、こんな風にピリピリとした緊張感のある生活を送って来たのだろうか?

(それって、息苦しく無いのかな?)

 レオンハルトの机に向かう横顔を思い出しながら現在の彼のことを思いやると、そこからつらつらと考え事をしてしまい、小下図を描く為に正座をしたまま、なんと無く自分も胸の奥がつっかえるような、そんな気分になってしまった。
 気分を変えようと、持っていた木炭を置き、小さく溜め息を吐く。
 そして、おもむろに立ち上がり、伸びをする。

「――っ!! 足、痺れた……」

 じん、と痺れた足の感覚によろけながら一人で暫く悶えて、再び立ち上がりながら身体を伸ばす。
 小さく縮こまったまま絵を描いていると、何だか身体がかちこちになる。恐らく、描いている最中は集中しているから、無意識に肩に力が入ってこんな風に身体がかちこちになるのだろう。終わると常に身体を伸ばすのは、もう癖みたいなものだ。 

(足が時折痺れちゃうのもねー……)

 気分転換に空気を入れ換えようと、窓を少し開ける。
 大きな南向きの窓からは、外の景色がよく見える。窓のすぐ外に大きな月桂樹に似た木があって、その木の葉の狭間から漏れ出る木漏れ日が、きらきらと優しく美月の部屋に明るさをくれる。オレンジ色の混ざった午後の日差しは弱く、風は冷たい。
 広い部屋だ。最初はこの部屋の豪華な所にばかり目がいってしまったが、今は慣れて来たのか、どこか暖かみのある落ち着いた雰囲気に、次第に美月は部屋の大きさなど気にならなくなって来ていた。

 もう夕方近くになっているから、日が暮れたらレオンハルトも帰宅するだろう。

(その前に、このドレスを着替えとかないと……)
 ――彼に、見られてしまう前に。


「……あまり長く窓を開けていると、風邪を引きますよ」


 窓に手をかけたまま、外を見ていると背後から聞き覚えのある声が掛かって、驚いて振り返る。

「――っ!? び、びっくりした……お帰りなさい! 今日は早かったんですね」

「ただいま戻りました」

 いつもならばもう少し陽が沈んでから帰宅するレオンハルトが、美月に与えられた部屋の入り口で、久しぶりに見る穏やかな笑みを浮かべて立っている。

「今日は……ドレスを着ているんですね。しかし、それは……少し、あなたには地味ですね」

(あぁぁぁー!! しまったー!!)
 美月は今、まさに着替えなければと思っていた自分の出で立ちを指摘され、顔を瞬時に真っ赤に染めた。

 今日は、この世界に来て初めてドレスを着ている。

 実は今回の部屋にも男物の服を用意してくれていたが、色塗りまではそんなに汚す作業も無いので、何となくドレスに手をかけてしまった。
 見た目が地味でも、美月だって女だ。ひらひらした服が自分には似合わないのは重々承知だが、色とりどりの凝ったレースやリボン、シフォン素材の、まるでお菓子のような、ふわふわした可愛らしいドレスの並んだクローゼットを見ていれば興味も湧く。だが、運悪くドレスを宛てて見ていたその様子を、彼女の部屋付きの使用人、メイドのリーリアに見られてしまったのだ。
 以前にこの世界に来た時に面識がある所為か、それとも同じ女性である所為か、リーリアは美月にとても良くしてくれる。
 実際には、女主人の居ないこのルーデンボルグの邸で、美月の世話を出来るのが嬉しいだけなのかもしれない。

(それをお召しになられるのですか? とか、嬉しそうに言われてしまって、つい……)

「リーリア、さんに……着せて貰ったの。ドレスって着たこと無くて、その……やっぱり、変、ですか?」

「いや……その紺色は似合っている。ドレスを纏った君は綺麗だよ。でも、君の美しい黒髪には、もっとはっきりした色のドレスが似合いそうですね」

「――は?!」

 !! ……き、綺麗?

(私、が?!)

 この人は今、さらっと歯の浮くような褒め方しませんでしたか?!
 な、何これすごい恥ずかしい。恥ずかし過ぎる!
 羞恥心が今、メーター振り切れそう。

「ああ……でも、そのエプロンは邪魔かな?」

 美月は普段、自分の周りのことは自分で殆ど自分でしてしまう。その為、主人に彼女付きを仰せつかったらしいルーデンボルグのメイド達は仕事も無く、手持ち無沙汰の時もあったようで、本当に嬉しそうに彼女の着替えを手伝い、髪を動き易く纏めてくれた。
 初めは絵が描け無いとぶつぶつ言っていたが、ふと、彼女達の服装に目をやった美月は閃いた。エプロンがあれば、好きな時に絵を描ける! と。そう思って、麻のエプロンを借りて着けた。

 けれども、ドレスの上にエプロンを着けたのが、仇となったらしい。

 そろりとレオンハルトが美月の背後に近づく。

「――えっ?」

 ふわり、と背後で結ばれている白いエプロンの紐が、レオンハルトの手で外されて、美月は思わず固まった。

「ああ。君はやはりドレス姿もよく似合う。ずっと、
僕はこれが見たかった……君はずっと男の格好をしていたから」

「――ッ?!」

 な、何これ?!
(どうしよ……今の声、すごくぞくぞくした)
 微かに腰に触れた手が、背中を掠めた。それは、いつか――随分前に感じたことのある感覚だ。
 身体がぴくりと跳ねて、美月が身を捩る。

「……どうかしましたか?」

 美月のうなじにレオンハルトの息がかかる。
 体温を微かに感じ取れるほど近くに、彼が居る。 

「あ……」

 その腰に、そっとレオンハルトの腕が回り、お腹の前に手を添えて背後から抱き竦められる。
 背中が温かい。優しく包まれるように抱き締められて、美月は目を瞠ったままだ。

 ばくばくと鳴り響く心臓の音が頭の中まで響いている。

「――美月は柔らかいですね」

 ひくん。と、身体が跳ねる。
 息を吐いた彼に、そっと囁くように低く吐息混じりに呟かれた声が、耳の奥で響いて、背中から腰にかけて甘い痺れが走る。
 お腹の前にあるレオンハルトの大きな手が、ゆっくりと美月の下腹から腰の辺りを這い回る。

「っ? な、にッ……ぁ」
 変な声が出そうになるのを必死に堪え、美月は背後にいる彼の方を振り向く。
 その瞬間、彼の片手が美月の顎を捉え、その唇を塞がれた。

「――んぅッ……?!」

 温かく、柔らかな感触が美月の唇を奪う。その柔らかさと、その弾力を愉しむように、何度も角度を変えて吸い付くように奪われる。甘く、優しく、その唇が触れる度、美月の胸は壊れるほど跳ねた。

 頭が真っ白になった。
 ふわふわとした感覚に、現実味が無い意識の中でも、感じるのはその堪らなく甘い唇の柔らかさ。

 唇が性感帯だって、誰かが言ってたけれど、本当にそうなのかもしれない。
 こんなに気持ちよくて、甘くて、胸がどきどきする口付けを、美月は知らない。柔らかな粘膜越しに触れる相手の熱も、舌先を絡めて、その唾液すらも絡めとるように互いの唇を貪り合う。

(何これ……気持ち、いい……?)

 身体の奥が熱く疼く。腰の辺りに熱が集まり、下腹がきゅんと切ない。瞼の裏が熱くて、涙が出そうになるのを必死で堪えて、そっと瞼を押し上げレオンハルトを見つめれば、彼は息を呑んで彼女の身体を更に強く抱き締めた。
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