あをによし ~年下宰相様は日本画家の地味系女子にご執心です~

柚木音哉

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4.準備は万全に。

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「僕の肖像画を描いて欲しい」

 ベルンシュタイン公の若きご子息レオンハルトが、そんな風に口を開いた。
「私に、ですか?」
「その為に呼んだのだ」

 この世界は、元いた世界で言うと中世以降のヨーロッパみたいだ。
 これから発明されたり、カメラに似たものが出て来る可能性はあるが、今現在この国には「写真」と言うものが無い。その代わりに自分の存在を子孫や後世に遺す為にか、貴族や王族、権力者達は画家に肖像画を描かせる。それは珍しいことでは無い。
 何より、報酬もたんまりと支払うので、彼を描いて欲しいと言われたら、そりゃあ――

「喜んで!!」
 どこかの居酒屋の店員のように元気に、しかも良い笑顔で、美月はレオンハルトに答えた。

 そりゃもう、貧乏な上に衣食住も失った今の私には渡りに船ですよ。
 え?
 警戒感? ……そんなものは、今の私の腹の足しにもなりませんよ。ぺっぺっですよ。

 ヘリオスに話を聞いた時は色々と不安を感じたが、自分にはもう失うものは無い。
(それに、ベルンシュタインでは与えられた仕事をきちんとやる! って、決めたんだ)
 この腕で、この先食べていけるかのチャンスかもしれない。
 こんなチャンスは二度と無い。絶対に掴まなくては。

「……そうか。よろしく。ミヅキ、さん」
 どこか安堵した様子で、レオンハルトがふわりと陽だまりのように、優しく穏やかに笑った。
「レオンハルト様、これからよろしくお願いします」
 レオンハルトの様子を見て、今度は美月も少し緊張が解れて自然に笑うことが出来たように思う。彼は美月に頷くと、これからのことを話しだす。
 画材の調達方法が心配だったが、レオンハルトは予めヘリオスとの話はついていた様子で、少々値が張るものも、二つ返事で用意してくれることになった。

「美月」
「?」
 話も大体終わった頃には、もう日が暮れ始めていた。唐突に名を口にした彼女に、レオンハルトはきょとんとしている。

「……私のこと。ただの美月と呼んでください。レオンハルト様は私の雇い主です」
「あ、ああ。君が……美月がそれで良いのならば」


 ――こうして、美月はルーデンボルグ家の画家として、新たな人生を歩き始めることとなった。

 レオンハルトには、黙っているのもおかしいのでヘリオスと決別したこととその経緯を簡単に伝えた。その上で、おずおずと遠慮がちに滞在先をどこか紹介して貰え無いかと美月が尋ねると、彼は美月が女性であること、そして、ここへは自分が呼んだのだからと、この邸内に美月の滞在する部屋を用意してくれた。

 普段は来客用にしてあると言う部屋は、シンプルな造りだが、調度品に格調がある。
(……やはり大貴族なのね)

 細やかな用事は、部屋付きの使用人が手伝ってくれる。正直、至れり尽くせりだ。
 レオンハルトに画材を取り寄せて貰っている間に、日々を肖像画の為に念入りに木炭でデッサンを重ねた。

 レオンハルトはまだ十七歳だが、父親である先代の公爵は長年の過労が祟って身体を壊し、爵位を息子に譲って郊外の別荘で療養しているとのこと。今、目の前で書類を読んでいる少年は、何とルーデンボルグ公爵その人であったらしい。
「……何だ?」
「あ、いえ。いつも忙しそうですね……」
 静かな部屋で、サラサラと紙を滑る木炭と、彼の捲る紙の音が響く。
「まぁ、そうだな。もう、慣れてしまったが」
 何でも無いことのように、彼は答えて再び机に向かう。
 レオンハルトは多忙だ。朝も早くに家を出て行き、夜も夕食後は遅くまでずっと机で何か書き物をしている。その多忙なスケジュールの中、彼がいる間に美月は邪魔にならない位置から彼を描いた。
 丹念に、表情を一つ一つ写し取るように。
 




 そして、ひと月後――。

 ルーデンボルグの邸に、荷物が届いた。

「!! すごい、すごい、すごいっっ!!」

 美月が鼻息を荒くしているのは、先日初めてこの邸に来た時に、彼女の画材が少々特殊なので取り寄せて貰っていた。それが、ついに届いたからだ。
 少々時間が掛かってしまったが、その頼んでいたものが、ほとんどそこにある。

 この世界には、何と洋紙と和紙に似たものがあった。美月が一番危惧していたのは、紙と絵具だから、これにまず一番に喜んだ。
 日本画には一般的に絹か和紙を使う。

 絹に描く絹本けんぽんも考えたが、やり方は知っているが、この世界のもので初挑戦するのは、少々難しい気がしていた。
 美月が普段の制作に使っているのは、雲肌麻紙くもはだましと言う和紙を木のパネルに貼って描く方法である。木のパネルは大学で自作していたから、この世界でも作れる自信がある。しかし、絹本は木枠に貼った絵絹と言うものに絵具で彩色するのだが、描き終えた後の強度が心配だ。額に入れるならいざ知らず、表装と言って掛け軸のように仕立てるのには熟練した技術が必要で、専門職があるくらいだから、それなりに難しい。
 手抜きをする訳では無いが、折角描いたものを破損させては意味が無い。
 だから、紙を使って描く、慣れ親しんだ方法を選んだ。

 そして、大事なのは絵具だ。日本画を描くには岩絵具いわえのぐも必要である。油絵やフレスコ画もあるのだから、絵具の材料はあるのだろうとは思っていたのだが、岩絵具は鉱物を粉末状に細かくしたものが多くて、この世界で似たものが手に入るのか心配をしていた。
 特に、美月の絵によく使う青。
 合成の、比較的安価な手に入りやすい絵具などもあるが、天然の岩絵具の青色の材料は、孔雀石や瑠璃ラピスラズリだ。宝石の原料ともなるそれらは、天然の上質のものであれば日本で一両(十五グラム前後)で五千円やそれ以上……なんてこともままある。絵具が無ければ美月の絵は描け無い。この世界に来た時に持っていたトートバッグにあるものはそう多くは無くて、正直量が足りるのかどうか気を揉んでいたのだ。

「……嬉しい」
 もう、涙が出そうな程嬉しかった。

 目頭が熱くなるのを感じながら、唇をワナワナさせ、目の前の画材を見つめると視界がぼやけてくる。
 日本画は、この先一生描け無いのでは無いかと思っていた。一時は、ここは異世界だから郷に入れば郷に従えだと思って、日本画を諦めてヘリオスに油絵を習ってみたものの、思うように自分の絵が描けずにいた。

 この世界にも似たものがあるなんて、嬉しくてしょうがない。こんな嬉しいことは無い。

「……気に入ったか?」

 聞き覚えのある声が背後から掛けられ、美月が振り向くと、天使のような少年が、そこに立っている。

「――ッ」
 美月は無言で駆け出し、興奮し切った様子でレオンハルトに抱きつく。
「ぅわぁッ?!」
 ふわりと柔らかな身体に抱きつかれて、レオンハルトは少々彼にしては珍しい素っ頓狂な声を上げながら、目を見開いた。彼のそんな様子に気付くこともなく、美月はぎゅうぎゅうと、その少し華奢な少年の体を抱き締める。
「……ありがとう、ございますっ……こんな……本当にっ!!」
 胸がいっぱいで、途切れ途切れにしか言葉にならない。感謝してもしきれないくらい、嬉しいのに。
 手を尽くして、こんな高価で手に入りにくいものまで取り寄せてくれた――それが、例え彼自身の依頼の為に必要だからと言う理由でも、美月の為にレオンハルトが動いて揃えてくれたことには違いない。
 言葉にならない気持ちを伝える為に、今も興奮し過ぎてふるふると小刻みに震える手で、今度は彼の少し冷ややかな手を取り、両手で包んでぎゅっと握った。
「!!」
 途端にぶわり、と真っ白なレオンハルトの頰が赤く染まったことにぶんぶんと握手をしている美月は、気付いていない。
「レオンハルト様の、お陰で……私の絵が……描けますッ……」
 美月の頰に、堪え切れなくなった涙が溢れて流れ落ちて行く。
 そんな彼女の様子に、暫く顔を赤くして固まっていたレオンハルトは、はにかんだように目を逸らしながら、彼女の手を握り返した。

「少々時間は掛かったが、我がルーデンボルグの名を使えば……大したことは無い」
 
 少しハスキーな声がぶっきらぼうに呟くと、美月は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「……ありがとうございます」

 レオンハルトは少し迷うような素振りで視線を逸らした後、彼女に視線を戻し、その頭をぽんぽんと軽く撫でた。









※両=日本画の岩絵具の量の単位。グラムで購入も可能だが、現在でも画材屋で購入する際に使う言葉。
一両で15g前後。
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