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45.あをによし

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 レヴィンは、目覚めた。
 天井が近い。
 浩介の部屋と同じくらいだろうか。ぱちぱちと瞬きをして、ぐるりと頭を回して周囲を確かめる。
 いまだに夢から覚めやらぬような感覚で現実味が無い。少々固いがどうやら自分が大きな寝台の上に居ることは分かった。

「……目が覚めたか」

 声がした方へ顔を向けると、見知らぬ男がそう言って、レヴィンの方へつかつかと歩み寄って来る。
 深い緑色のローブを着ていて、右手に手袋をしている。髪は金色で、青い目。
 レヴィンは彼の出で立ちを見て、自分が“び戻された”のだと気付いた。
 何故ならば、噂に聞いた自分が捜し求めていた召喚師達の出で立ちに、彼はそっくり当てはまるからだ。
 あの時――彼女を喚ぼうとしたあの時、どうしても見つけられなかった人物。
「召喚師……ローウェル?」
「――ああ。そうだ」
 何の迷いも無く頷くローウェルに、レヴィンは複雑な表情を浮かべた。

 レヴィンが名塚美月を召喚する為に、ずっと探し求めていた召喚師が目の前に居る。

(捜していた時には見つけられず、自分をび戻したのが彼とは……)

 何と皮肉なことだろう。

「……ここは?」

「オーレリアの、とある寺院の礼拝堂の奥」

 言われてみれば……と、周りを見渡すと壁側にある机と椅子も、自分が横になっていたベッドも、曲がりなりにも一国の王子として生まれたレヴィンにとっては、部屋全体が少々質素な感じはする。上にかかっているシーツも清潔な白一色で、飾り気のない作りだ。その上、どこからかお香のような甘いスパイシーな香りが漂っている。
 だが、そのこじんまりとした狭さや清潔な部屋の雰囲気は、あちらの世界で見ていた浩介の部屋にも似ていて、どこか懐かしいような、少し切ないようなそんな気持ちになる。

「……殿下は半年近く行方不明でして、昨夜、私めがび戻しました。手荒な真似をして、申し訳ありません」

「……僕は、死んだのでは無かったのか」
 
 そこまで話したところで、レヴィンは自分の身体に違和感を感じた。

「?!」

「……気付かれましたか」

 自分の手を顔の前で繁々と確認し、握り、開き、身体を見下ろす。 

「……これ……は……」

 見回すと、視界に少し違和感を感じる。いつもよりも世界がすごく大きく感じるのだ。
 目線がいつもよりも低い。

「……誓約うけいの儀式は次元と時を歪める。その失敗の代償ペナルティーとは、儀式を行った人間の時間です。貴方は……“貴方として生きてきたを奪われる”のです」

 レヴィンはローウェルの言葉を無言のまま、静かに取り乱すことも無く聞いている。

「――もうすぐ、身体だけでは無く記憶も少しずつ消えてゆき、生まれたばかりの赤子になる」

 ローウェルがそう、感情の籠らない声で話すと、目の前の幼な子を見つめる。

「……そうか。僕はてっきり、死んだのだと思っていた」

「覚悟の上、だったのですか?」

「僕は、無気力に生きていたからね。また最初から生き直すのか」

 レヴィン王太子の生い立ちは、決して悪くは無いものだったはずだ。何故、彼が間違えてしまったのか、ローウェルには分からない。
(人とは、間違えるものだ。しかし、その間違いに責任が生じるのなら、きちんと間違えた本人が責任を取らなければならない)
「しかし、貴方のせいで、この世界……特に貴方のお国は大変な災厄に見舞われています」
「……そうか……我が祖国の……被害は如何程なのだろうか?」
「限りなく大きい――と、だけ言っておきましょう」

「……僕は……利己的な理由で誓約うけいの儀式を行ってしまった。後悔をしまいと、僕にだって権利ぐらいはあるはずだと……儀式をしている時は思っていたが、アルスラの民には……本当に、すまないことをした……」
「――私は、一介の召喚師ですから、大それたことを言えた義理は無い。ですが、それを承知の上で敢えて……伺います。貴方が自分勝手なことをしなければ、こんなことにはならなかったのですよ。それは自覚されていますね?」
 一瞬、苦しげに顔を歪めた後、レヴィンは小さく頷く。
「……分かっている……」

「…………」
 これから彼がどんな選択をするにせよ、しでかしたことの責任は取らねばならない。それが、どんなに辛いことであっても。

「……甘んじて受けよう。私の責任だ」

 誓約うけいの儀式失敗の代償は“召喚者の時間”。それ以上の災厄が起きてからの報いは、含まれてはいない。
 赤子にまで若返ったレヴィンから奪えるのは、それ以上無い。だが、それは人が生まれ変わるのとどう違うのだろうか。

 かつて、この世界へやって来た客人まれびとの一人が言った。

 輪廻転生の概念はこの世界には無いけれどはあるのだなと。

「……生まれ直す、とでも言うのだろうか? それとも生き直す?」

 言うなれば、間違いを正す為に人生がリセットされるのだ。
 その先の人生が再び彼にとって価値の無いものになるのか、否かは彼自身の選択次第だ。
 しかし、この世界は決して優しい世界では無い。
 “誓約うけい”と言う、それ自体がまるで生きているかのように力を持った言葉によって、厳格過ぎる程厳格なルールで世界の秩序を維持している。
 言葉は力。
 言葉として発した時点で、力を持ってしまうのだから。
 自分の言葉に責任を持たなければならない。

「……ああ。もう時間が無いね」
「貴方の記憶はもうあまり残っていないのだろう。それは代償としてこの世界に奪われるのだから」
 大切な思い出。大切な友。
 大切な……初めて興味を抱いたひと
 それから、異世界での不思議な日々。

 大切な人達との大事な記憶が少しずつ薄れていく。

 真っ白になる。

 記憶も、時間も奪われることがこんなにも悲しく、切ないだなんて思いもよらなかった。
 あの頃は、この世界に興味が無かった頃には無かったこの気持ちはなんだろう?

 だが、これこそが自分に相応しいペナルティーと言える。



 ――真っ白な世界。


『レヴィン、日本画の絵の具にはね、丹色っていうのがあるんだ。ほら……この、朱色のことさ。この国の奈良って街は、昔々、建物は梁や柱は丹色で、それはそれは華々しく彩られててさ……それに草花のあおが映えると美しいっていうので、和歌に詠まれたことがあるんだ』

『……どんな歌なのだ?』

『あをによし 奈良の都は 咲く花の におふがごとく 今盛りなり――

 奈良の都は今頃、咲きほこる花が満開で、色もとりどりに映えて美しいことだろう――って、感じの意味』

『それは歌なのか? 確かに美しい言葉だが、詩のようだな……それが?』

『この歌は、望郷の思いが込められてるんだ。あをによしっていうのは、歌の決まり事の中にある枕詞ってやつでさ。うーん、と……奈良の都って言葉にセットにされるキーフレーズなんだ。んで、あおによしって言葉にはいくつか意味の解釈があってさ……』

『……うむ?』

『奈良が青丹あおに……つまり岩緑青いわろくしょうが取れた土地だからって説もある。ちなみに岩緑青は……これ』

『綺麗な緑色だな……深い緑に青が少し混じっているような』

『そうだろ? 緑青は綺麗な色だ。丹色もね……二つの色は一見正反対だけれど、互いの補色関係に近いからよく映える』

『ふむ。絵と言うのは面白いな。なかなか学問としても面白い』

『あんたが、こちらの生まれなら親友になれただろうに。残念だ』

『……僕もだ』


 僕もだよ。コースケ。

「……君と同じ人を好きになって、君の中で苦い想いも甘い想いもしたけれど、それは全部僕に必要なものだったんだ」
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