溺愛令嬢は死ねない魔術師に恋をする。

柚木音哉

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31.幼き日の大騒動

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「……どうした?」

 いつのまにか降り出した雨脚が強まって、窓硝子に打ち付けている。

「アイリスが無事に見つかると良いのだけど……」

 窓の外を、心配そうな表情を浮かべてじっと見つめているエメリアの隣に、夫であるユーリが並び立つ。

「……そうだな。だが、コーウェンが向かってくれているのだから、心配は無い」


「ええ……」

 隣に立った夫に肩を抱かれて、じっとしていると擡げて来る不安を振り切るように彼に寄りかかると、エメリアは再び窓の外のどんよりとした雲を見つめ、我が子であるアイリスを思った。

(昔も……こんなことがあったわね……)



*****

 ――十年前。

「さぁ! 次は何をして遊ぶ?」
「……かくれんぼ?」

 エーディス公爵家の庭で、アイリスは弟のレナードと同じくらいの年齢の貴族の子供達と遊んでいた。
 アイリスは十歳。レナードはまだ三歳だ。

 この日、母親であるエメリアは、アイリスとレナードが庭で遊ぶのを見ながら、お茶会を主催していた。
 公爵夫人となれば、貴族同士の付き合いもある。
 アイリスは聡い子で、弟の面倒を見るのが大好きだった。もしかしたら、それが長子の役目だと彼女は彼女なりに、幼いながらに思っていたのかも知れない。

 陽射しは心地良く、エメリアの為によく手入れされた庭は、白やピンク、赤、黄色の薔薇が咲き誇っていて、芍薬や小さなものはハルジオンなども植えられている。この季節は薔薇が見頃だ。
 さやさやと庭の梢を揺らす風が仄かに薔薇の香りを運び、午後のひとときを過ごす人々に安らぎを与えてくれている。
 テーブルの上には可愛らしい焼き菓子と、紅茶、薔薇の花びらのジャム。子供達の為のクッキーも置いてある。
 とても過ごし易い陽気だったその日、ご婦人方は談笑し、子供達は広大な公爵家の庭園の背の高さを越す程の薔薇の生垣の間にある小道を走り回ったり、隠れんぼをしたりと思い思いに有意義な時間を過ごしていた。

 その頃、小さな子供達の中で、アイリスは最も年長で、絵本を読んで聞かせてあげたり、一緒に遊んであげたりと幼い彼らの面倒をよく見ていた。

 この日も、次々と遊びを強請る子供達に、アイリス自身も楽しみながら混ざっていた。
 今始めようとしている遊びは狼に扮した役の者が、一定時間内に隠れた者達を探し出すと言うルールのシンプルな遊びだ。
 隠れんぼを提案した少年は「自分が狼になる!」と、張り切って答えると、大きなにれの木の根元にしゃがみ込んで顔を伏せ、ゆっくり数を数え始めた。

「――なーな、はーち、きゅう……じゅー」

 アイリスが辺りを見回すと、子供達はそれぞれの思った場所に隠れているようだ。
(私も良い場所探さなきゃ……あ!)

 ちょうど本館の入り口近くにある大きな木の下が、背丈のある花の花壇に挟まれている。しゃがみ込めばアイリス一人ぐらい隠れられる。
 アイリスが隠れる場所を見つけ、隙を見てその場所に移動としていた頃、ちょうど少年は楡の木から離れた。狼役の少年は周囲を見渡すと、早速、蔓薔薇のアーチの下の垣根に抜け道のような箇所を見つける。
 少年がそろりそろりと近寄り、中を覗くと……

「――見ぃつけたっ」
「うわっ?!」
「ひゃあ」

 膝を抱えてしゃがみ込む少年と妹を見つけた。
 狼役の少年は、その後も絶好調な様子で庭で五人居た子供達を次々と人見つけたが、アイリスと弟のレナードの姿はまだ見つけられなかった。


 一方、その頃。
(ちょっとレナード! どこ行ったのよ?!)
 アイリスは弟を探していた。
 隠れ場所を探すことに夢中で忘れていたが、隠れた場所にしゃがみ込んで、はたと隣に居たはずの弟が居ないことに気付いたのだ。
 レナードは三歳だが、とことこと歩き出すと足は以外に早い。居なくなると大ごとになるだろう。
 アイリスは慌てたが、幸い隠れんぼを始めてからそんなに時間は経っていない。弟の足ではまだそう遠くには行けないはずだ。だとすれば……
(邸の中?)
 かくれんぼは外でする遊びだが、三歳児に遊びのルールがどこまで分かっているのか……

「……もう。世話がやけるんだから……」

 もちろん、このまま居なくなった弟を放っておくことは出来ない。
 何故なら、自分は“お姉ちゃん”だからだ。

 自分の邸の中で見失うとも思えず、アイリスは彼女と弟を探す少年に見つからないように、そっと邸の中へ入った。

 使用人達は母とお茶会の客人達へのもてなしに忙しく、アイリスに気付き挨拶などはするものの、自邸内にいることに安心しているのか、彼女を引き止めることも無い。

「レナードが隠れそうなところ、隠れそうなところ……――うわっ?!」

 本館の玄関ホールから入り、広い廊下を歩いて来客用の応接室のある方へと向かっている最中に、何かにぶつかったのだ。

「?」

 アイリスは首を傾げながらキョロキョロと辺りを見回すが、彼女の向かう方向にはそもそも人の気配が無かったし、もちろん、誰ともすれ違ってはいない。周囲におかしなものも無い。
(変ね? 何とぶつかったのかしら?)

 何度見回しても何も無いので、また少し歩いていると――

「ねーね……」

 レナードの声がした。思わず立ち止まってしまったアイリスに、今度はお尻から衝撃がある。

「れ、レナード?!」

 アイリスが振り向いてみると、そこには誰もいない。

「……ふぇっ……ねーね……」

 すると、今度は反対側から少し泣きそうな声が聞こえてくる。

「レナード! そこに居たの?!」

(レナードの声はしていたけど、気づかなかったわ)
 そこで漸く、レナードがそこに居ることに気付いた。
 抱きついて来た弟に、アイリスは怪訝な顔をしながらも振り返る。

「あら、まぁ……本当にレナードだわ。あなた背が小さいから、気づかなかったのかしら?」

 涙目の弟の頭を撫でて宥め、アイリスはその時初めてレナードが不恰好に羽織っている大きな布の存在に気づいた。

「……レナード、これは?」
「みちけた」
「見つけたの? こんなもの、どこで?」
「ね、あしこ」

 レナードが指を指す方向に向くと、応接室の隣には父の書斎がある。応接室から来た仕事絡みの客人が、そのまま書斎にも行けるようにしてあるのだ。

「父さまの、かしら……って、まぁっ!! この布、裏側に綺麗なお花の模様があるわ……じゃあ、これ母さまの――」

 よく見るとその布には、花の模様の刺繍がある。美しいその図柄に気づいたアイリスは、目を輝かせた。
(綺麗だわ……)
 縫取りの図柄は複雑だが、縫い目も細かく、緑地に青と白、金色の美しい色合いの花が咲いていたのだ。
 アイリスはレナードと手を繋ぎ、その大きな布を持って行こうとしたが、ずるずると子供の背丈よりも長いそれを持ち運ぶのに、丸めても片手では持ちづらい。ならば、レナードの手を離せば良いのだが、幼い彼は手を離せば、また先程のようにどこかへ勝手に歩いて行ってしまうかもしれない。
(どうしたら持って行けるかしら? ……そうだわ!)

「……レナード、ちょっと待ってね。よいしょっ、と……」

 バサッ。と、音を立てて広がる大きな布を頭から被り、アイリスは満足気に笑った。

「ふふふっ、ねーね……お母様みたいかしら?」

 アイリスはそう言って、レナードに手を握った。

「ねーね、かーたま?」
「……もう。また、まねっこね。まぁ、いいわ」

 幼いレナードはアイリスの言葉の意味が正しく伝わっていないのか、にこにこしながら彼女の手を握った。アイリスはちょっとだけ不満気な顔をしたが、母のものであるらしいその布を被り、ご機嫌な様子で父の書斎へと持って行こうとした。
 まさに、扉に手をかけて書斎の中に入ろうとした時、廊下の向こうから掃除道具を持った使用人がこちらへと歩いて来るのが見えた。

「レナード、こっちよ!」

 急に忙しなくなった姉の様子に、レナードはキョトンとしていたが繋いだ手を引っ張られると黙ってついて来た。
 パタ、ン……

 書斎に入った途端に気が緩み、微かな音を立てて扉が閉まる。
 自分が何故そうしたのか分からない。後で考えれば、事情もあるのだし、堂々と入ったらよかったのだが、幼いアイリスはこの時少々慌てていたのだ。
 使用人は扉の閉まるその音に気付き、それを確かめる為に書斎の扉を開けてアイリスとレナードがいるその部屋を覗き込んだ。

「!!」

 慌ててレナードの口元を押さえ、書斎の中ほどに二人で座り込む。座り込んだ所で、どうなる訳でも無いが、反射的に布を被って座り込んだのだ。
(見つかっちゃった……)
 アイリスは令嬢だし、レナードもこの家の子息。見つかったところで、使用人にその場で怒られたりする訳が無いのだが、父の書斎は常々出入りを禁止されている。使用人には怒られ無いが、報告されたら父には怒られてしまうのだ。

「……変ね? 音がした気がしたけれど……旦那様も不用心だわ。書類もまだ置いてあるようだし、書斎は鍵をかけておかないと」

 そう言って、鍵をかけられてしまった。

 ――この後、あまりにも二人が見つからないので痺れを切らした子供たちの訴えで、二人が居ないことに気づいた大人達により、これはちょっとした騒動となった。


 二時間後。
 ガチャガチャと書斎の鍵を開けながら、男はぼやいていた。

「……ったく、ユーリの奴。人使いが荒いんだよ。普通、数年ぶりに帰って来た奴に用事を……って、あれ?」




 ユーリに頼まれた書類を取りに、書斎へたまたま現れた人物によって、二人はやっと見つけられたのである。

 現れた男こそ――コーウェンだ。

 アイリスがまだ事実を知らない騒動の顛末であった。
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