32 / 33
31.幼き日の大騒動
しおりを挟む「……どうした?」
いつのまにか降り出した雨脚が強まって、窓硝子に打ち付けている。
「アイリスが無事に見つかると良いのだけど……」
窓の外を、心配そうな表情を浮かべてじっと見つめているエメリアの隣に、夫であるユーリが並び立つ。
「……そうだな。だが、コーウェンが向かってくれているのだから、心配は無い」
「ええ……」
隣に立った夫に肩を抱かれて、じっとしていると擡げて来る不安を振り切るように彼に寄りかかると、エメリアは再び窓の外のどんよりとした雲を見つめ、我が子であるアイリスを思った。
(昔も……こんなことがあったわね……)
*****
――十年前。
「さぁ! 次は何をして遊ぶ?」
「……かくれんぼ?」
エーディス公爵家の庭で、アイリスは弟のレナードと同じくらいの年齢の貴族の子供達と遊んでいた。
アイリスは十歳。レナードはまだ三歳だ。
この日、母親であるエメリアは、アイリスとレナードが庭で遊ぶのを見ながら、お茶会を主催していた。
公爵夫人となれば、貴族同士の付き合いもある。
アイリスは聡い子で、弟の面倒を見るのが大好きだった。もしかしたら、それが長子の役目だと彼女は彼女なりに、幼いながらに思っていたのかも知れない。
陽射しは心地良く、エメリアの為によく手入れされた庭は、白やピンク、赤、黄色の薔薇が咲き誇っていて、芍薬や小さなものはハルジオンなども植えられている。この季節は薔薇が見頃だ。
さやさやと庭の梢を揺らす風が仄かに薔薇の香りを運び、午後のひとときを過ごす人々に安らぎを与えてくれている。
テーブルの上には可愛らしい焼き菓子と、紅茶、薔薇の花びらのジャム。子供達の為のクッキーも置いてある。
とても過ごし易い陽気だったその日、ご婦人方は談笑し、子供達は広大な公爵家の庭園の背の高さを越す程の薔薇の生垣の間にある小道を走り回ったり、隠れんぼをしたりと思い思いに有意義な時間を過ごしていた。
その頃、小さな子供達の中で、アイリスは最も年長で、絵本を読んで聞かせてあげたり、一緒に遊んであげたりと幼い彼らの面倒をよく見ていた。
この日も、次々と遊びを強請る子供達に、アイリス自身も楽しみながら混ざっていた。
今始めようとしている遊びは狼に扮した役の者が、一定時間内に隠れた者達を探し出すと言うルールのシンプルな遊びだ。
隠れんぼを提案した少年は「自分が狼になる!」と、張り切って答えると、大きな楡の木の根元にしゃがみ込んで顔を伏せ、ゆっくり数を数え始めた。
「――なーな、はーち、きゅう……じゅー」
アイリスが辺りを見回すと、子供達はそれぞれの思った場所に隠れているようだ。
(私も良い場所探さなきゃ……あ!)
ちょうど本館の入り口近くにある大きな木の下が、背丈のある花の花壇に挟まれている。しゃがみ込めばアイリス一人ぐらい隠れられる。
アイリスが隠れる場所を見つけ、隙を見てその場所に移動としていた頃、ちょうど少年は楡の木から離れた。狼役の少年は周囲を見渡すと、早速、蔓薔薇のアーチの下の垣根に抜け道のような箇所を見つける。
少年がそろりそろりと近寄り、中を覗くと……
「――見ぃつけたっ」
「うわっ?!」
「ひゃあ」
膝を抱えてしゃがみ込む少年と妹を見つけた。
狼役の少年は、その後も絶好調な様子で庭で五人居た子供達を次々と人見つけたが、アイリスと弟のレナードの姿はまだ見つけられなかった。
一方、その頃。
(ちょっとレナード! どこ行ったのよ?!)
アイリスは弟を探していた。
隠れ場所を探すことに夢中で忘れていたが、隠れた場所にしゃがみ込んで、はたと隣に居たはずの弟が居ないことに気付いたのだ。
レナードは三歳だが、とことこと歩き出すと足は以外に早い。居なくなると大ごとになるだろう。
アイリスは慌てたが、幸い隠れんぼを始めてからそんなに時間は経っていない。弟の足ではまだそう遠くには行けないはずだ。だとすれば……
(邸の中?)
かくれんぼは外でする遊びだが、三歳児に遊びのルールがどこまで分かっているのか……
「……もう。世話がやけるんだから……」
もちろん、このまま居なくなった弟を放っておくことは出来ない。
何故なら、自分は“お姉ちゃん”だからだ。
自分の邸の中で見失うとも思えず、アイリスは彼女と弟を探す少年に見つからないように、そっと邸の中へ入った。
使用人達は母とお茶会の客人達へのもてなしに忙しく、アイリスに気付き挨拶などはするものの、自邸内にいることに安心しているのか、彼女を引き止めることも無い。
「レナードが隠れそうなところ、隠れそうなところ……――うわっ?!」
本館の玄関ホールから入り、広い廊下を歩いて来客用の応接室のある方へと向かっている最中に、何かにぶつかったのだ。
「?」
アイリスは首を傾げながらキョロキョロと辺りを見回すが、彼女の向かう方向にはそもそも人の気配が無かったし、もちろん、誰ともすれ違ってはいない。周囲におかしなものも無い。
(変ね? 何とぶつかったのかしら?)
何度見回しても何も無いので、また少し歩いていると――
「ねーね……」
レナードの声がした。思わず立ち止まってしまったアイリスに、今度はお尻から衝撃がある。
「れ、レナード?!」
アイリスが振り向いてみると、そこには誰もいない。
「……ふぇっ……ねーね……」
すると、今度は反対側から少し泣きそうな声が聞こえてくる。
「レナード! そこに居たの?!」
(レナードの声はしていたけど、気づかなかったわ)
そこで漸く、レナードがそこに居ることに気付いた。
抱きついて来た弟に、アイリスは怪訝な顔をしながらも振り返る。
「あら、まぁ……本当にレナードだわ。あなた背が小さいから、気づかなかったのかしら?」
涙目の弟の頭を撫でて宥め、アイリスはその時初めてレナードが不恰好に羽織っている大きな布の存在に気づいた。
「……レナード、これは?」
「みちけた」
「見つけたの? こんなもの、どこで?」
「ね、あしこ」
レナードが指を指す方向に向くと、応接室の隣には父の書斎がある。応接室から来た仕事絡みの客人が、そのまま書斎にも行けるようにしてあるのだ。
「父さまの、かしら……って、まぁっ!! この布、裏側に綺麗なお花の模様があるわ……じゃあ、これ母さまの――」
よく見るとその布には、花の模様の刺繍がある。美しいその図柄に気づいたアイリスは、目を輝かせた。
(綺麗だわ……)
縫取りの図柄は複雑だが、縫い目も細かく、緑地に青と白、金色の美しい色合いの花が咲いていたのだ。
アイリスはレナードと手を繋ぎ、その大きな布を持って行こうとしたが、ずるずると子供の背丈よりも長いそれを持ち運ぶのに、丸めても片手では持ちづらい。ならば、レナードの手を離せば良いのだが、幼い彼は手を離せば、また先程のようにどこかへ勝手に歩いて行ってしまうかもしれない。
(どうしたら持って行けるかしら? ……そうだわ!)
「……レナード、ちょっと待ってね。よいしょっ、と……」
バサッ。と、音を立てて広がる大きな布を頭から被り、アイリスは満足気に笑った。
「ふふふっ、ねーね……お母様みたいかしら?」
アイリスはそう言って、レナードに手を握った。
「ねーね、かーたま?」
「……もう。また、まねっこね。まぁ、いいわ」
幼いレナードはアイリスの言葉の意味が正しく伝わっていないのか、にこにこしながら彼女の手を握った。アイリスはちょっとだけ不満気な顔をしたが、母のものであるらしいその布を被り、ご機嫌な様子で父の書斎へと持って行こうとした。
まさに、扉に手をかけて書斎の中に入ろうとした時、廊下の向こうから掃除道具を持った使用人がこちらへと歩いて来るのが見えた。
「レナード、こっちよ!」
急に忙しなくなった姉の様子に、レナードはキョトンとしていたが繋いだ手を引っ張られると黙ってついて来た。
パタ、ン……
書斎に入った途端に気が緩み、微かな音を立てて扉が閉まる。
自分が何故そうしたのか分からない。後で考えれば、事情もあるのだし、堂々と入ったらよかったのだが、幼いアイリスはこの時少々慌てていたのだ。
使用人は扉の閉まるその音に気付き、それを確かめる為に書斎の扉を開けてアイリスとレナードがいるその部屋を覗き込んだ。
「!!」
慌ててレナードの口元を押さえ、書斎の中ほどに二人で座り込む。座り込んだ所で、どうなる訳でも無いが、反射的に布を被って座り込んだのだ。
(見つかっちゃった……)
アイリスは令嬢だし、レナードもこの家の子息。見つかったところで、使用人にその場で怒られたりする訳が無いのだが、父の書斎は常々出入りを禁止されている。使用人には怒られ無いが、報告されたら父には怒られてしまうのだ。
「……変ね? 音がした気がしたけれど……旦那様も不用心だわ。書類もまだ置いてあるようだし、書斎は鍵をかけておかないと」
そう言って、鍵をかけられてしまった。
――この後、あまりにも二人が見つからないので痺れを切らした子供たちの訴えで、二人が居ないことに気づいた大人達により、これはちょっとした騒動となった。
二時間後。
ガチャガチャと書斎の鍵を開けながら、男はぼやいていた。
「……ったく、ユーリの奴。人使いが荒いんだよ。普通、数年ぶりに帰って来た奴に用事を……って、あれ?」
ユーリに頼まれた書類を取りに、書斎へたまたま現れた人物によって、二人はやっと見つけられたのである。
現れた男こそ――コーウェンだ。
アイリスがまだ事実を知らない騒動の顛末であった。
0
お気に入りに追加
271
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。


家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。
鯖
恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。
パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる