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30.口寄せ
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何故だ……どうして?
コーウェンは、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
目の前にあるのは、変わり果てた弟と母の屍。
そして、その隣りに立つ男は――
「銀露丹……と、言うのだよ。銀露とは東の果てにある大陸の花の名だ。これは、その白い花の形を模した呪薬なのだ。この呪薬こそ、不老不死となる為に必要だったのだよ」
「……それで……何で……こんなことになるんだよ……っ」
喉から絞り出すようにして詰る声を聞いても、アルクゥエイドは何も感じない様子で、無表情のまま、息子であるコーウェンを見た。
何を考えているのかも分からぬ、ぬるりとした視線と目が合った。
「私の研究に役立つのなら、エヴァもシュウも本望の筈だ」
「だから! 何で……殺したんだよっ?!」
アルクゥエイドの口の端がいやらしく釣り上がる。
「何故? 理由など些細なものが必要か? まぁ、いい……この綾銀露は人間の命を食い、白い花を咲かす。それを呪薬にしたものこそが――銀露丹。不老不死の妙薬なのだ。花には苗床が必要だろう?」
「お前……自分の不老不死の為に……母さんとシュウを苗床にしたのか……」
コーウェンが震える声でそう訊ねれば、アルクゥエイドは答えずに、ただ笑った。
笑ったのだ。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
「あんたは父親なんかじゃない! 魔術師でもない! ……ただの人殺しだ!」
「そう思うのなら、そう思えば良い。私は私のすべきことをしてきたのだから」
父の言っていることが分からない。
「すべきことをした」とは、どう言う意味だ?
人を殺めておきながら、それを上回る程の優先事項とは何だ?
「一つ、お前は勘違いしているね……コーウェン。私は自分が不老不死になりたいのでは無いのだよ」
「……どういう意味だ?」
「不老不死となるには――」
「――の、――に、よって――」
不老不死になるには? 何だよ。その先、何て言ってるんだよ……聞こえねぇ!
「――、――!」
だから、聞こえねぇって言ってんだろ!
――――……
「……ッ」
コーウェンは、瞼をゆっくりと開いた。
身体中が汗に塗れてびっしょりで、気持ちが悪かった。
「……夢、か……」
この数日、ティバリーと言う土地柄のせいか、このところ、昔の夢をよく見る。
それも、あまり寝覚めのよくない夢ばかりだ。
少し硬い寝台の上に何も身につけていない上半身をゆっくりと起こし、コーウェンは隣りを見た。
「……すぅー……すぅ……」
能天気に寝息を立てているのは、他でもないアイリスだ。
あの夜から、二人は夜を共に過ごしている。
森の中で野宿をしたのは、アイリスを連れて二日のみで、その後、コーウェンの旧い知り合いを頼りにケイオスの森を出てからすぐの、小さな集落へと向かい、そこから出ている馬車に乗って半日ほどの場所にあるレイオットと言う町に着いた。
敢えてユーリの待つアルディアに引き返さなかったのは、クラウスのこともあったのだが、まず、あの執着心の強いメンフィスがあの程度でアイリスを諦めるとは思えなかったからだ。再び彼女が狙われることを考えれば、公爵家の令嬢と言う立場に戻り、コーウェンと部屋を幾つも隔てたエーディス公爵家よりも、すぐ隣りにいられる今の状態の方がよっぽど安全だ。
エーディス公爵家には優秀な護衛の兵士も居るし、家長となった公爵達に依って何代にも渡り施された結界と魔方陣もあるが、正直、コーウェンクラスの魔術師を相手にするとなると、その半分が役に立たない。
その上、コーウェンよりも力が劣るとは言え、公爵家に“ロイス”として長い間仕えていたメンフィスは邸内を熟知していると考えられる為、尚更、公爵家にアイリスを返すのは分が悪い。
そこで一先ず、このレイオットの町で宿を借り、二人で熱りが冷めるのを待つ算段をした。あの男はそれでも追って来るかも知れないが、少なくとも、そのままアルディアに帰国するよりも安全な筈だ。
暫くの間は。
(……しかし、目の毒だわ……)
白金の髪が乱れ散り、こちらに背中を向け、身体を猫のように丸めて眠る彼女の寝顔を見下ろし、コーウェンは口元に手を当てた。
路銀の節約の為だとか、メンフィスから身を守る為だとか、何だかんだと言い訳をしながらアイリスと同じ部屋に泊まっているのは、コーウェンの意向だ。
彼女と一緒に道中を共にしているうちに、離れ難くなったのは自分だったのでは無いか?
(こんなことしてて……まず、帰ったらユーリに半殺しにされるな……間違いない)
あの男は、絶対に激怒する。
(しかし、こればっかりは……俺にも止められねー)
シーツからはみ出た剥き出しの肩や背中、胸元へと続く曲線が、朝の白い光に包まれて、どこか神々しくもある。
「……んん~……」
アイリスのぽってりとした口元はむにゃむにゃと何事かを呟き、そして再び寝息を立て始める。
「……追われてるかもしれねぇのに、呑気な女だなぁ」
ふっ……と、強張っていた身体から力が抜けて、口元が緩む。そのことに、コーウェン自身はまだ気付いていない。
時刻はまだ夜明け前と言った所だが、朝日が昇る前なので、辺りはもう明るくなってきている。
もう何度、彼女をその腕に抱き締めて眠りについただろうか。
アイリスの健康的な起伏に富んだしなやかな身体は、コーウェンの欲を大いに掻き立てるし、コーウェンとて数百年を生きているとは言え、若い肉体のまま時を止めた健常な男だ。夜を共にして、何も無いと言う訳では……勿論、無い。
この数日、夜毎行われる淫らなじゃじゃ馬馴らしは、昨夜も行われていた。
ただ、最後の一線は越えてはいない。
艶やかな声で喘ぐ唇の柔らかさ、細い首筋、甘い香りのするしっとりとした滑らかな肌、しっかりとした重みのある柔らかな膨らみ……赤い果実……しとどに濡れた……
(……やべぇ……)
昨夜の彼女の痴態や声を思い出しただけで身体が反応してしまい、急いで部屋を出て、隣りにある浴室へと向かった。
魔石で動くシャワーを捻ると、温水では無く、冷水が勢いよく流れ出した。自らの欲を鎮める為に、敢えて冷たい水に打たれる。
薄い褐色の肌の上を、冷たい水滴が滑り落ちて行く。
この肌の色は、亡き母譲りだ。頭が冷えるに従って、少しずつ、自分が見た夢の内容もちらりと思い出したが、今は答えが出ることでは無いと無理矢理頭の端に追いやり、この先のことを考えることに集中する。
サー、サーと降る雫に打たれて段々思考が冷静になってくる。
「…………」
親友の娘であるアイリスを最後まで抱くことに躊躇いが全く無い訳では無いが、今更それは些細なことでしか無い。
それよりも、コーウェンが彼女を抱かずに快楽だけ覚えさせようとしている大きな理由は、彼女になるべく痛い思いをさせたくないことに尽きる。
メンフィスが彼女を抱いたとは思え無いくらいに、彼女の中は狭く、その反応も不慣れなままだった。メンフィスが彼女を抱いたのならば、それは術を使って意のままにしてからなのだろう。
無理矢理に身体を拓いたとは思え無いが「花嫁にした」と、言うことは、つまりそう言うことを指している。
半信半疑の部分は多い。だが、身体を拓かれたとすれば、それは決してアイリスの望んだことでは無いだろう。だからこそ、コーウェンは、せめて彼女が苦しい思いをするのは避けたいのだ。
アイリスは自分を好いてくれているが、メンフィスとの間にあったことを、自分の中で受け入れきれていないのかもしれない。と、言うのも、あの森の中の館に囚われていた間の出来事を、知られたく無いと意図的に避けているのでは無く、アイリスはどうやらすっかり忘れているように見えるのだ。
だから、自分を処女だと思いこんでいる。実際、処女である可能性もあるが、穢された可能性もある。
魔術を上塗りすることは出来るが、過去を無くすことは古今東西出来る者は居ない。
それを思えば、自分達の気持ちはお互いにまだどこか不確かで、自分もまた、その不確かな想いのまま彼女を手折ることが恐ろしいのかもしれない。
(……万が一、彼女が処女で無いとすれば何だ? 俺には関係ない。だが、アイリスにはショックだろう……)
メンフィスが手を出していない可能性が無い訳では無いが、あの男の考えることは分からない。
ただ一つ言えるのは、あの男は狂ってはいるがアイリスを愛していると言うことだ。
(愛した女を……今まで、大切に大切に思っていた女を泣かせるような真似を――あの男は、するだろうか?)
どこか自分と重ね合わせながら、そんなことを考え、コーウェンは俯いていた顔を上げた。
キュッ。と、蛇口を捻り、壁の魔石に触れて水を止めると、コーウェンは扉にかけてあった布を手に取り、身体を拭いて浴室を出た。
ぽたぽたと雫を滴らせながら、水を吸って濃い紅に見える髪を拭きつつ部屋に戻る。
部屋のドアを開け……そのまま、瞠目した。
「……碧き風、愛し君の元へ。我が眠りを覚醒させし、君……疾く来よ……疾く来よ。我の、元へ」
先程まで眠っていたはずのアイリスが、裸のまま窓際に立ち、そう唄うように呟いていた。
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