溺愛令嬢は死ねない魔術師に恋をする。

柚木音哉

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24.呼ぶ、声

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 声が聞こえる。
 私を呼ぶ、声が。

 ふわふわとろとろとした白い世界で、彼の声が聞こえる。
 懐かしい、その声。

 自分の身体なのに、身体を自由に動かすことが出来ず、鉛のようだった。
 例えるならば、まるで水中に沈んでいくような感覚。

 そのふわふわとした中で、私は夢を見る。
 誰かに情熱的なキスをされて、愛されて、すごく幸せな夢を。
 大好きな人の夢を。
 嬉しくて、幸せで、堪らなく愛しい気持ちで彼に微笑む。

 私の……好きな人は黒髪の……黒髪?
 あれ? おかしいな。黒髪の人だったはずなのに、何でかな? 少し硬い感触の赤茶の髪が思い浮かぶ。

 ――アイリス。

 ――アイリス! 聞こえてるか?!


 ……この声はコーウェン?
 コーウェン?
 待って? コーウェンて、誰だっけ?

 ――戻って来い!


 ……戻る? どこへ?


 私はここに居るのに。

 邪魔しないで。私はこんなにも幸せ。
 大好きな人に抱き締められて、触れられて……


 ――アイリス!!


 赤茶の髪が見える。
 薄い褐色の肌。飴色の瞳。


 この人、何故そんなに悲しそうな顔をするの?
 そんな顔をしないで。

 悲しまないで。



*****

「こ……ウェン……」

 自分の唇から掠れた声で言葉が溢れて、私は次第に自分の意識がはっきりしてくるのを感じた。
 目の前にコーウェンが居る。だけど、どうして、そんなに悲しげな顔をしているの?

「ど……して?」

 いつだって快活で、自信満々で、かっこよくて。そんな貴方だから、私――

「おや? お嬢様、まさか俺の術を自力で解いちゃったんですか?」

(……術?)

 背後から男の声がして思わず振り向くと、ロイス……いや、メンフィスの整った顔が真近にある。息が吹きかかる程間近で、彼は私の瞳を覗き込んだ。同時に、私の身体に巻き付く腕に気付く。
(な、何で彼が私を抱き締めてるの?)

 驚き、事態が飲み込めずに固まっていると、次の瞬間、ゴウ……と、音を立てて強い風が巻き起こった。

「――きゃあッ?」
「!!」
 
 思わず私は目を瞑ってしまったが、驚いた途端に、私の腰に巻き付いていたメンフィスの腕の力が僅かに緩む。

 タン。
 と、どこかに着地をするような音がして、先程とは違う匂いがすることに気付いた。そっと瞼を持ち上げると、そこには見馴れた顔がある。

「アイリス……無事か?」

 琥珀色の瞳と目が合って、その途端、私は何故か喉の奥から競り上がりそうな嗚咽と溢れそうになる涙をぐっと堪えた。

「コーウェン……」

 唇を引き結んだ後、その名を呼ぶ為に口を開けば声が震えてしまう。広くて硬い、それでいて温かい胸に顔を押し付けるようにして抱き締められて、安心した。
 この匂いに。
 この人のぬくもりに。

「あーあ。折角、ここまで連れて来たのに……あっさりかよ。流石はティバリー最強の死ねない魔術師さま。魔方陣無しで、風を巻き起こすなんて朝飯前かぁ」

 大して焦った様子も無く、のんびりと感心したようにメンフィスは言った。
 コーウェンの腕の中で、背後に聞こえるその声に、思わずびくりと肩が震えてしまった。
(何でだろう? ずっと身近に居た人なのに、怖い。この人の声が……)

「よく喋る口だな。ちったぁ黙れよ。クソが」
「コーウェン殿はお口が悪いなぁ。ま、いいや。俺の望みは叶ったしさ。アンタが今更何しようと、その娘は俺のモノさ」

「……どう言う意味だ?」
「またまたー! アンタも死ねない魔術師なんだから、察しはついてるんだろ?」

「…………」

 頭越しに行われる二人の魔術師の会話について行けず、私はコーウェンの胸に顔を埋めてその意味を考えていた。

(彼のモノ? 私が?)

(私は、メンフィスのモノになった覚えなんて――)
 そこまで考えて、私は自分に一体何が起きたのかを覚えていないことに気付いた。
 今の今まで自分に起こったことが思い出せない。

(私、私は――)

「あっははは……手遅れなんだよ! アイリスは俺の花嫁となった。契約は完了している」
「!?」

 混乱している私に追い打ちをかけるように、メンフィスはそう告げる。

(は、な……嫁?)
「――花嫁?!」

 コーウェンが私を抱き締める腕に力を込めた。その感覚に、メンフィスが「本当なんだ」と気付いた。
 頭が真っ白だ。

 自分の預かり知らぬところで、二人の魔術師達は何の話をしている?

「契約など関係無い。アイリス、あいつの言ってることなんか気にしなくていい」
「でも……」

「おやおや……まさか今更彼女が惜しくなったなんて言いませんよね? 彼女を手元に残すのを諦めたのはアンタですよ? コーウェン殿?」

 コーウェンの腕に力が篭り彼の鼓動が聞こえる程に強く、ぎゅっと抱き締められる。

「……別に諦めてねぇ! お前こそ、うるさいんだよ。ベラベラと……いい加減その口閉じろよ。不愉快だ」

 そう、メンフィスに返した時、ぶわり、とコーウェンと自分の周りを渦巻くように風が巻き起こる。
 ここは屋内で部屋の中だが、窓は開けていない。『風』はコーウェンの魔術のようだ。

 コーウェンの琥珀色の瞳の奥に、幽かな光が灯っているように見える。幼い頃、一度だけ見たことがあった父上が魔術を扱った時のように。
 蒼白いような色をした彼の魔力の光。

「光栄だなぁ……“死ねない魔術師コーウェン”の魔力の光を拝めるなんて、さ。アルクゥエイド様よりずっと純粋で強い……美しい色だ」

 
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